もちろん、何もかもが順調なわけではない。 時折、普通に過ごしている時だって何事かが起きたりすることもある。
その日は、いつもの通り、エザリムは隆治の父親と共に会社に出向いた。 「九条社長、エザリムさん、おはようございます。」 「おはようございます。」 最初のうちは、突然現れたエザリムに対する風当たりというものもあったが、今ではすっかりエザリムも社員の1人として認められ、頼られる存在になっている。 午前中は普通に社内で仕事をこなし、午後から九条社長は外出していった。手伝っているプロジェクトの進捗を確認するためにエザリムは社内に残り、和やかな歓談と共に仕事を進め、夕方近くになったころ。 「エザリムさん、お電話が入っています。」 「はい。」 なんとなく電話を取った。 「はい、お電話代わりました。」 「九条隆治さんの保護者の方ですか?私は隆治君の担任です。実は、隆治君、練習中に怪我をしまして…。」
エザリムはメールだけで父親に必要な連絡をいれておき、自分は直ぐに会社を出た。担任の教諭から聞いた病院へとオートモーターを走らせて、病院の受付に駆け込み、容態を聞く。 「九条隆治さんですか?ただいま治療が終わってA-303で療養中です。」 慌ててエザリムが病室に向かうと、隆治はベッドの上で起き上がっていた。病室には見知らぬ人たちが数名いる。 「ハル?大丈夫?」 「あ、エザリム。やっほー。俺、ヘマしちゃった」 足が天井から吊られている。振り返った見知らぬ人たちの中で、壮年の男性が深く頭を下げる。 「このたびは私の息子がご迷惑をおかけしまして…。」 事情は隆治が説明した。練習試合をしていたのだが、後方からスライディングをかけられて変な姿勢で倒れてしまったらしい。その時に、軽く足の骨、膝の下あたりにヒビが入ってしまったらしいのだ。高齢の場合は手術をして修復作業を行うこともあるらしいが、隆治は成長期なので自然治癒をしようということになったらしい。 「おじさん、俺、本当に大丈夫ですから。わざとじゃないし。」 「隆治君、本当にすまない。」 見知らぬ人たちは、つまりスライディングをした友人の家族ということのようだった。エザリムは隆治の様子を見て、本人が大して気にしていない様子なので、あまり事を大きくしない方がいいだろうと考える。 「どうぞ、お気になさらないでください。本人もそう思ってるようですので。」 「ありがとうございます」 結局、しばらくそういった遣り取りを繰り返して、家族が帰っていったのは30分程経ってからだった。ようやく2人きりになって、エザリムは鞄から端末を取り出し、隆治の父親にメールで経過の連絡を入れる。 「まいっちゃった、エザリム、心配かけてごめんね。」 隆治は明るい表情だ。エザリムはベッドの傍に椅子を寄せて、座る。 「ホント驚いた。でも、半月程で治るって、お医者様が。」 「うん。本当にごめん。」 隆治は足に巻かれた包帯をコンコンと叩いた。 「大袈裟なんだよ。足は引きずって歩けるくらいだったし、本当に大したことないんだ。」 「うん。」 エザリムは、足をそっと撫でた。ギプスで固定してあるらしく、肌触りが固い。 「父さんにもさ、あんまり大きくしないように…」 「言っておくわ。」 「うん。あいつさ、多分今すごい悔やんでると思うんだ。今度の試合、あいつとレギュラーポジション争ってたから。あんまり大きくすると、まるでわざとやったみたいに、あいつがチームのやつから思われる。」 「…そっか。」 エザリムは、隆治を撫でた。隆治が、バツの悪そうな顔をする。 「なんか、子供扱いだなぁ」 「そりゃそうよ。私が隆治を育てたんだもの。嬉しいなって思う。」 「嬉しい?」 「うん。嬉しいわ。誇らしい。」 「…ちぇ。」 エザリムは立ち上がり、隆治の頭を抱えて頬にキスをする。子供の頃から、褒める時にそうしてきたように。 「それにしても、これじゃ、しばらく学校に行けないね。」 「ううん、やっぱり手術してもらった方がいいかなぁ」 「お医者さんはなんて?」 「自然治癒が一番だって。」 「じゃぁ、そうしときなさい。私から学校には連絡を入れておくから。」 「ちぇ。しょうがないか…。」 隆治は頭を掻いた。エザリムはもう一度頭を撫でると、連絡を入れるために席を立った。
「ふむ、確かに自然に任せるのが一番いいな。」 「はい、私も医師に意見を聞いてみました。手術の場合は全くノーリスクではないし、今回は自然が一番だと。」 父親は料理に手を伸ばしながら、エザリムの話を一通り聞いた。 自宅。隆治は家で療養をするために、あれから退院をして、今日は既に眠っている。 「それにしても、心配したが、そういう事情ならあまり大きくしないほうがいいね。」 「はい。」 「ありがとう、君のおかげだなぁ。」 「いえ、そんな、当たり前のことですから。」 「いやそうじゃない。もちろん、今日のことも助かったが、私がいいたいのは、隆治のことだよ。」 「え?」 父親は軽く頭を下げてから、エザリムに諭す。 「そのような考え方が出来るように育ったのは、君のおかげだ。母親を亡くして、正直育てていく自信がなかった私を、君は本当によく助けてくれている。息子もきちんと成長して、なんとお礼を言っていいのかわからない。」 「…その…ありがとうございます。」 エザリムは思わず労われて、慌てる。自分も幸せを感じていられるのに、お礼を言われることもないのだ。 「お礼を言ってるのは私だよ。ははは、これでいつか妻に報告する時も、胸を張れる。本当にありがとう。」
エザリムは、涙が出そうになって、もう一度頭を下げた。 本当に幸せだ。
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