部屋に帰ってからも、レジェは全く普通だった。 ヒロオミも明るく振舞いながらも、心に引っかかりは残ったままだ。
── 見る目は変わってしまいますか?
レジェは、本当はあっさりと否定されたかったのではないだろうか。ヒロオミの、「まさか」という言葉を聞きたかったのではないか。ヒロオミはぼんやりと考える。 「灯り、消しますよ?」 「ん?あぁ。」 声をかけられて、意識が戻る。レジェはテーブルの上のランタンに手をかけて、芯を絞って灯りを消す。 「おやすみなさい。」 「おやすみ。」 今はもう、ヒロオミの心は後悔でいっぱいだった。 ベッドにもぐりこむが、眠れない。昼間に寝てしまったこともあるのかもしれないが、寝苦しい気がして何度も寝返りを打つ。 「…眠れませんか?」 闇の中から、レジェの声がした。なんだか、旅に出てからこちら、夜になると2人でぽつぽつと会話をする機会が多いような気がする。 「うん。昼寝しすぎたかな。」 ヒロオミもぽつりと返す。 「あの、さっき、ごめんなさい。」 「え?」 思わず、耳を疑う。 「変なことを聞いてしまいました。」 「な、なんのことかな…。」 「…そのことです。」 動揺が声に乗ってしまった。レジェが気がつかないわけがない。 また馬鹿な答えを返してしまったな、とヒロオミは寝返りを打つ。 「さっき、嘘をつきました。司祭様は、私が大司教になることは反対されました。」 「うん…。」 「私自身が訳もわからないうちに、私はガーディアンの候補として持ち上げられていました。何も解らない私を、司祭様だけがかばってくださいました。」 「うん…。」 闇の中で、静かにレジェの声が聞こえてくる。 「教会と軍隊というのは、あまり元々仲がよいものではありません。教会は威信をかけていたし、私はそのために色々と疲れるほど、利用され、引っ張りまわされました。」 「うん…。」 「本音を言うと、ガーディアンは、私には合いません。全ての声を受け止めたり、たった1人で居続けることは、私にはとても。それで、司祭様に強くお願いして、あの地に逃げたんです。」 「うん…。」 眠れない。ヒロオミは、がばっと起き上がった。 「ヒロオミ?」 起き上がる音を聞いて、レジェが呼びかけてくる。ヒロオミは枕を闇にぽいっと放り投げる。どさっと落ちる音がした。 「いたっ。なんですか、突然。」 「なんか、わかった。」 「はい?」 ヒロオミは立ち上がり、またも裸足でぺたぺたと歩いた。 「邪魔だ。」 「…。何を言ってるんですか?」 枕を抱えながら、レジェは横になったまま、近寄ってきたヒロオミをじっと見る。ヒロオミは枕を手にして、レジェの顔の横に置く。 「ここに寝る。もうちょっとそっちへ移動しろ。」 「…馬鹿なことを…。」 レジェはようやく理解して、起き上がり、自分の枕を壁際に寄せた。ヒロオミの枕を横に並べて、シーツをめくる。 「ベッド、潰れないかな…」 「ないない。」 心配そうに呟くレジェに適当に答えて、ヒロオミはベッドへもぐりこんだ。 「狭いな。」 「あっちに広いベッドがありますよ…。」 窮屈そうな声でレジェが答える。それでもなんとか治まって、ヒロオミも横になる。 「変わった。」 「え?」 「嘘をついても仕方がない。確かに、俺は変わったよ。司書さんから話を聞いて。」 「…う、うん。」 「それから、復活祭の踊りを見て。レジェは、本当は凄い人なんだと思った。」 「す、凄くは…」 「凄いよ。本当に綺麗だった。頭の中が真っ白になって、指先も震えるくらい。あんな感情になったことは、多分ないと思う。あんな踊りができるレジェは、やっぱり凄いんだ。」 「う、うん。…ありがとう。」 ヒロオミが横向きになる。レジェは既に壁を背に横向きになっている。 「でも、レジェには多分、一番欲しいものが手に入ってなかったんだな。」 「え?」 「レジェを知っても、変わらない物。クレール卿はきっとそうなんだろうけど。レジェにとっては尊敬する人だものな。そのままの自分を見せる怖さが大きかった。違うか?」 「え、え…どうなんでしょう。」 レジェは自分の心の中を見通すような視線を感じて、心臓が高鳴る。 「エザリムは全てのものを手に入れて、でも欲しいものはたった1個なのに手に入らなかった。それときっと、同じなんだ。」 「…。」 「レジェも、ハルを捜している。」 「ヒロオミ…もう、いいです。」 レジェは心を掻き乱されるような感覚を覚えた。ヒロオミの強い視線が体に刺さる気がした。何もかも、隠していたことを暴露されて、言いようのない不安な気持ちになる。 「よくない。」 「いいです、ヒロオミ。」 「だめだ。聞いてくれ。」 「いやだ、怖い。やめてください。」 レジェは寝返りを打って、視線を逸らそうとした。ヒロオミはレジェの肩をがっちりと掴んだ。 「俺に見せないで、どうするんだ?」 ぴたり、とレジェが止まる。ヒロオミは腹の底から声を出した。そうしないと震えてしまいそうだったからだ。静かな、力の篭った声は、2人の動きをぴたりと止める。 「…俺が、ハルになる。」 「え…。」 「俺は知ったぞ。レジェ。知って、でもここにいる。俺がレジェにとってのハルだ。」 「…。」 ヒロオミはゆっくりと、レジェの胸に自分の頭を押し付ける。 「俺がいる。レジェを知って、変わっていく。でも、変わらずにいるよ。どれだけ知っても。」 「…」 レジェは、大きな頭を抱えた。ヒロオミは、じっとしていた。確かめろ、といわないばかりに、息を潜めて。不安が消えていく。この先、きっと同じ不安を抱くことはないだろう。レジェは予感した。
(第3章終わり)
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