レジェは風呂に入っている。風呂はかなりぬるめの温度で、水面に沢山の香草と花びらが、まるで敷き詰められているかのように浮いている。 レジェは長い髪を頭の後ろに上げてゆわえ、かれこれ30分はずっとこの香草風呂に浸かっている。これも清めの儀式のひとつだが、いつも自分が何か漬物にされているような気分がして、あまり好きではない。
浴室の中は、別に流されている熱いお湯のお陰で温かい。香草の匂いがたちこめている。 レジェは目を閉じてじっとしていた。
今頃ヒロオミはどうしてるかな、と少し気になっているが、この際考えても仕方ないことだと何度か思い直す。思考をループさせながら、なんとなくヒロオミについて色々と考えている。
ヒロオミは、快活な青年だ。自分と年は同じくらい。大柄で立派な体躯をしていて、いかにも剣や鎧が似合いそうな風体だ。一緒に暮らすようになってからは随分と穏やかな性格をしているが、時折聞いた昔話から察するに、それなりに激しい一面も持ち合わせているのだろう。
さて、このままずっと傍に留め置いてもいいのかな。
時折、レジェは気になっている。 ヒロオミに戻るつもりはないようだし、仕えていた侯爵様とやらも、恐らく戦死したと思っているに違いない。唯一、彼の生まれ故郷に住む「長老」が気になるが、彼自身が自分のことで迷惑をかけたくないと家を出てしまっているのだから、帰郷を無理強いすることもできない。
時折、天井から雫が落ちて、水面で音を立てる。
自分は幸せだ。得難い存在を得たのだと思う。 神に仕える以上、結婚はもともとするつもりもなかったが、ひとりで生きることについての心細さはやはりどこかにあった。今は、そのどこかにあった「隙間」をヒロオミが埋め尽くして余りある状態だ。もしかしたら、普通に伴侶を得るよりもなお、深いものを得たのかもしれない。 ヒロオミにとってはどうなのかな。少し考える。 ヒロオミは言った言葉を翻さない。悪いことは認めるが、そうではないと思ったら、どこまでも信じて貫き通す強さを持っている。だから、傍に居ると彼が言った以上、きっと彼は傍に居ることになるのだ。 でも、彼にも彼のための人生というのがある。 普段の生活を見ていると、想像するのが容易だ。彼は、彼と人生を歩いてくれる女性を見つけて、そして命を繋いで生きていく権利も資格も充分にあると思う。人生において、そういうチャンスがいくつかあったとして、自分といることで、それらを失ってはいないのだろうか。 聞きたいけれど、こればかりは聞けないなぁ、レジェはため息をつく。息は水面にぶつかって、静かな波紋を作り出す。
ふっと、セルビナの宿で出会った女性について思い出した。 あの不思議な、「エザリム」と名乗る女性。彼女のことは、あの日以来、ふとした思考の隙間に思い出している。彼女は本当に不思議な人だった。 仮に。レジェは後ろめたさを感じて、心の中でそっとつぶやく。
仮に、彼女が本物の神だとしたら。
彼女は、まるでレジェたちのことも、世界のことも、もしかしたら彼女自身のこともどうでもいいという様子で、何か別のものに視線を向けているようだった。おおよそ、数々の書物に記載された、「世界を生み出した主たる神」というイメージからは程遠い。 まるで、彼女自身はまるで世界など明日なくなってもどうでもよくて、彼女は別の何かを必死に見つめている、そのほうが余程あの様子にしっくりとくる。
そう考えて、思考の片隅から記憶の欠片が飛び出してきた。 そうだ、エザリムの伝承にあった。人が悲しみを持つようになったのは、彼女の絶望が風に乗ったからだ。確かに、あの伝承では、彼女は何かを捜し求めていて、そしてとうとう見つからなかったのだ。 道端で出会った「エザリム」は、何かを探しているとは一言もいわなかった。しかし、レジェの中で何かがレジェの推論に確信を持たせつつあった。 やはり、あれは本当に「エザリム」で、迎えに来た女性も「ミーゼリア」なのだろうか。
そこで、思考が途切れる。 正解がないからだ。 レジェは、ため息をつく。息が水面にあたって、波紋が静かに拡がっていく。
もし、本当に神なのだとしても、今はもう、全く震える気持ちは起きてこない。 ヒロオミが傍にいる安心感もあるが、レジェ自身が、何か心の中で突き抜けてしまった部分もあるからだ。ともかく、神に出会った。特に奇跡もなければ、神は全く普通の人だった。
「そろそろ、おあがりになりますか?」 「あ、はい。」 外から声をかけられる。ずっと神官が控えているのだ。 レジェは、湯船から体をひきあげて、お湯を体にかけた。 傍らの布地をしぼり、体の水分を拭き取る。
ふっと、思った。 エザリムは世界に興味なんかない。 むしろ、何か探すものを見つけるためだけに世界を作ったのでは?
レジェは頭を振った。ばかな。 今の考えは忘れてしまおう。 今から瞑想に入るのだ。思考を一旦停止して、頭をすっきりさせよう。
浴室から外に出るドアを開けた。
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