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作品名:終焉の先 作者:TAK

第23回   03-5 枢機卿
そうだった、刀はさっきの受付に預けたんだ。
左手を所在なさげに動かした後、ヒロオミは思い出す。
自分の心臓の音が聞こえる。緊張しているのがわかる。

「こちらです。」
ヒロオミとレジェの前を歩いていた少年が、古く大きなドアの前で立ち止まる。
3人は、教会の回廊を黙々と歩いてここまで来た。

中庭に面した回廊は、窓がいくつも連なっていて、外の風景を楽しみながら歩くことができるようになっている。窓と窓の間には陶器や彫刻、絵画など、見るからに古くからあるものが並べられている。もっとも、ヒロオミにはどれも目に入っていない。
「ありがとう。あなたに神のご加護を。」
レジェが柔らかな笑顔で少年に礼を言う。少年はぺこり、と頭を下げて、回廊を走って戻っていく。
「ヒロオミ。そんなに緊張しないでください。」
「う、うん。」
返事が、既に緊張で上の空状態である。まぁ、緊張する気持ちはわかるので、しょうがないかなと苦笑しながら、ドアを叩く。
「失礼いたします。クレール卿、レジェが参りました。」
「入りなさい。」
穏やかだが、重く低い声。いよいよヒロオミの緊張が高まる。レジェは1回、ヒロオミの腰をぽんとはたいてから、ゆっくりとドアを開く。
「よく来た。そちらが手紙にあった青年かな?」
「ご無沙汰していました。クレール卿。そうです、ヒロオミです。」
レジェが室内に入るので、軽く礼をしてからヒロオミも部屋へと進む。

中は、思いの他簡素な部屋だった。執務室のようで、大きな机、背後に壁に埋め込まれている高い書棚。執務机の前には応接のためかソファーとテーブルが置いてある。壁際には暖炉。他に、なんら余計な飾りつけも何もされていない。もちろん、机もソファーも高そうなものだが、もっと豪華絢爛な部屋を予想していただけに、ヒロオミは意外な印象をもった。
ヒロオミが目線だけで部屋を見渡している間に、レジェはクレール卿の前に進み出た。軽く膝を降り、祈りを捧げる姿勢になってから、クレール卿の手の平に唇を当て、そして立ち上がる。クレール卿は優しげな笑みを浮かべたままで、立ち上がったレジェを抱き寄せる。
「元気そうだな。あちらでは相変わらずか?」
「はい、クレール卿もお変わりなく。」
「よしなさい、改まった呼び方は。」
レジェも抱擁を返して、にっこりと笑う。
「そうも参りません、他の方が驚いてしまいます。」
レジェが労わるようにクレール卿に手を添える。クレール卿はさらに1歩進み出て、ヒロオミに声をかける。
「はじめまして、ヒロオミ。私が”司祭様”です。」
「お、お初にお目にかかります。私はヒロオミ、ヤマで兵隊をしていました。」
「もう、相変わらずですね」
”司祭様”と聞いて、レジェがクレール卿に苦笑いをする。クレール卿は豊かな声で笑う。
「ははは、そうかしこまらずに。さ、こちらへ来なさい。」
ヒロオミは手招きを受けて、進み出る。この国の礼儀も教会の礼儀もわからないので、兵隊の頃にそうしていたように、敬意を払うために胸に手を当てて、軽く膝を降り頭を下げる。
「そうかしこまらずともよい。君は私の息子の友人だ、つまり私の息子同然ということだよ。さぁ、2人とも、今お茶が運ばれてくる。そちらに座りなさい。」
クレール卿はやはり豊かな声で優しげにヒロオミに語りかけた。

ローブの上に、金糸で模様が縫いこまれた紫色のケープを纏っている。髪は真っ白で、瞳はブルーの入った灰色。老いを隠せない顔だが、様々な思慮を刻み込んだようなしわが反って威厳を感じさせる。ヒロオミはまっすぐと枢機卿を見ながら、内心で観察していた。
「ふむ。まっすぐで綺麗な目をしているね。」
クレール卿の言う通り、程なくお茶が運ばれてきた。レジェとヒロオミが並んで、クレール卿は反対側に、それぞれソファーへ座ってじっとしている。クレール卿はしばらくヒロオミを見た後、豊かな声でヒロオミについて感想を述べた。
「剣で生きてこられたと、レジェの手紙にはあったが。」
「は。ヤマで侯爵に仕えていました。先の戦争で怪我を負いまして、レジェ…さんに助けていただいたのです。」
「いつも通り呼べばよい。」
クレール卿はにっこりと笑って言う。
「私も、今は枢機卿だが、レジェを育てている間はずっと司祭だったからな。司祭様で一向に構わぬ。」
「クレール卿…。」
レジェが困った顔をする。ヒロオミはようやく少し緊張が溶けて、ははは、と軽く笑いながら、お茶に手を伸ばす。
「先の戦争…あれは、本当にふって湧いた災難のようなものだ。どちらの国にもいいことは何一つなかった。私たち評議会も驚いたくらいでな…せめて、君が助かっただけでも、よかったと思う。」
「は、お心使い、ありがとうございます。」
クレール卿が軽く手を合わせて祈る。しばしの沈黙。

「まぁ、さておきだ。是非、普段のレジェの生活を教えてくれたまえ。」
突然、クレール卿は声と笑顔の質を変えた。穏やかな笑みが、少しいたずら心を含んだ笑みになる。
「な、何をおっしゃいますか、クレール卿。」
「レジェ司教。私はそちらの青年に聞いているのだよ?」
ヒロオミがびっくりしていると、レジェが素早く横合いから声をあげる。しかし、クレール卿はもう明らかに興味を隠さない笑みを浮かべて、レジェを穏やかに諭す。
「っ…。」
「え、普段の生活…ですか?」
「うむ。仮にも神に仕える者、誤った生活など送っておらぬと信じているが。レジェ司教は、清く正しく、」
そこでクレール卿はヒロオミをじっとみて、言葉を一旦区切る。ヒロオミは、ごくりとツバを飲み込む。
「…酒などたしなまずに、きちんと勤めを果たしているかな?」
「司祭様!」
レジェの顔がみるみる赤くなる。いまいち、クレール卿の変貌についていけなくて、ヒロオミは戸惑いながら、枢機卿の顔とレジェの顔を交互に見る。
「ヒ、ヒロオミ…。」
レジェが目で必死に何かを訴えかけてくる。枢機卿はにこにこと笑顔を浮かべている。
「そ、それはですね…。」
ようやく、なんとなく雰囲気がつかめてきたぞ。ヒロオミは、心の中で思う。
「続けてくれたまえ?」
咳払いを軽くした後、ヒロオミは真面目な表情で述べる。
「レジェ司教は、普段、もちろん、一滴の酒も飲まれてはおりません。」
レジェがうんうんと大きく頷いた。クレール卿はアゴに生えた立派な髭を撫でながら、身を乗り出すように笑顔でヒロオミを見ている。
「枢機卿は、ご子息のことでもあり、とても心配をされているようですが…」
「うむ、そなたの言う通りだ。」
「決して。秋に採れた豊作のぶどうから作ったワインを飲んだり、村人がくださったからと蒸留酒をたしなんだり、村の祭だからと酒豪レースに参加したり、ましてやそのレースに優勝したり。」
枢機卿の目が喜びに輝くのをヒロオミは見逃さない。もちろん、レジェが絶望的な表情になるのも。
「そんなことは、決してありません。ご安心ください。」
「そうか、そうか。」
にっこりとヒロオミが笑顔を見せると、枢機卿もにっこりと笑顔を返した。
「それを聞いて安心した。私のかわいい息子は、村のワインを飲んだり、いただいた蒸留酒を飲んだり、ましてや村祭で酒豪レースに参加して優勝したりはしてないというのだね?」
「はい。誓っておっしゃる通りです。」
枢機卿は満足そうに、ソファーにふんぞり返る。レジェは、がっくりと肩を落とす。
「ふむふむ。」
嬉しそうだなぁ、と、暴露しておきながら他人事のようにヒロオミはその様子を見る。
「レジェ司教。変わらず勤めを果たしているようで、私は大変嬉しく思うよ?」
「…あ、ありがとうございます…。」
「是非復活祭が終わったら、ヒロオミ君、君も一緒に、簡単な食事会をやろう。」
「は、光栄です。」
「もちろん、教会の外の、樽が置いてある店でな?」
はははは、枢機卿は大きな笑い声を上げる。ヒロオミも笑う。レジェだけは、そんなヒロオミと枢機卿を、交互に見ながら、涙混じりの怒り顔をしている。


和やかな雰囲気の中で雑談をひとしきり交わした後、夕食まで時間があるから、と、先に客用の寝室へと通された。部屋に入るなり、レジェがヒロオミに掴みかかる。
「もう!もう!!」
「え?なになに?」
いまや、すっかりヒロオミは笑顔を浮かべ、リラックスしている。
「司祭様はお酒好きなんですから!ばらしちゃだめじゃないですか!」
「えー。俺はちゃんと「やってません」って言ったのに…。」
「どの口でそんな言い訳を!」
レジェの手がヒロオミの頬を掴んで、横に引っ張る。
「いへいへ、やへふぉって」
「もう!この口がっ!」
両手を抑えてようやくやめさせる。レジェは怒りが収まらぬ様子で、荷物を漁り始める。
「でもさぁ、クレール卿ってすごくいい方だな。もっと厳格で怖い方かと思ってたよ。」
「私の育ての親ですから!」
「…何気にすごい発言をするなぁ、おい」
ヒロオミは笑いながら、部屋に備え付けの水差しから水をコップに注ぎ、一口飲む。
「もう、やっぱり口止めしておけばよかった!」
「ははは」
レジェは荷物からローブと綺麗に折りたたまれたケープを取り出す。
「ん、それ、教会の人たちが着てる服だ。」
「そうです!私だって不心得でも!教会の人なんです!」
レジェは着替えを始める。怒ってるのに手際がいいなぁ、とヒロオミは感心する。
「ん、それ、初めて見るな。」
ローブを着終わり、ケープを広げて肩にかける。金糸が縫いこまれた緑色のケープ。さっき、枢機卿がつけていたのは紫色だ。他の調度や、服装に比べると、これだけ微妙に豪華だったのが実はヒロオミの心に残っていた。
「枢機卿がつけてたのは紫だよね?」
「…。」
「それ緑だな。何か意味あるの?」
レジェはきちっと着こなすと、幾分か気分が変わったようで、怒りから恨みがましさに表情を変えてヒロオミを見る。
「…これはですね、教会の中での位を表しているんです。」
「へぇ。」
「赤色のものがあって、それは1人だけがつけています。教会のトップに立つ人で、ガーディアンって呼ばれています。」
「ふむ、つまり王様か。」
「そうです。もっとも、王は普段は別の服を着ているので、赤色のケープを見ることはきっと稀だと思います。次に紫色、クレール卿のつけてたあれ。あれはこの大陸で50人くらいの方々がつけているはずです、枢機卿ですね。それから、薄い青色のケープ。これはそれなりの人数の人がつけています。大司教と呼ばれる方々です。それで、この緑色のが司教。」
「ふむふむ。」
「…お酒を飲まない敬虔な人たちがつけてます。」
「い、いや。悪かったってば。」
思わず話が戻って、ヒロオミは危うくコップを取り落としそうになる。テーブルに置いて、レジェの頭をぽんぽんと撫でる。
「もう、いいです。どうせ私はできの悪い司教です。」
「い、いやぁ。そんなことないって。」
「ワインも蒸留酒も飲むし、レースでは優勝したし…。」
「…。帰ったら鍛冶屋のおっさんにもらった美味い酒を飲ませるから…。」
「やっぱり隠してたんですね。約束ですよ。」
「…。」
「それから、赤いケープは司教です。後は白いケープ。これは神官であればつけるべきものですね。」
レジェはにっこりと笑う。騙された、とヒロオミはつぶやく。
「クレール卿は、最近では一番最後に枢機卿になられました。本当に穏やかな方で、私は感謝してるし、何より尊敬している方です。」
「うん、すごく人間味に溢れる方だったね。」
「ヒロオミはずるい大人の言い方をするのですね。」
「なんでだよ!」
「さぁ、そろそろ夕食だと思いますよ。」
レジェが笑顔を取り戻して、ヒロオミに言う。同時に、中庭の方から鐘の音が聞こえた。
「あれが合図です。行きましょう。」
「おう。」
2人は部屋を出る。


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