旅路は順調で、予定した日の昼過ぎには、2人は無事に首都に入ることができた。 視界の果てまで続く、街と外を隔てる石垣に設置された門で道は終わっている。 「あそこが東門です。」 ここまでくると、流石に街道の往来が激しい。馬車が2台は余裕ですれ違う程の道幅に、様々な人が往来している。背中に荷物を背負う商人、荷馬車の周りに傭兵らしき男たちを歩かせて、何台も連なって移動する商団。剣を背中に背負って、マントを羽織った傭兵も居れば、子供を連れて歩く夫婦もいる。 「俺、通れるかな」 「大丈夫です、大昔はきっと色々とチェックをしていたんでしょうけど。今は、見張りの門番が一応居る程度です。」 馬を歩かせて、門へと近付く。確かに、軽装の兵士が数名居るだけで、特に往来する人に話し掛けている様子もない。 「この東門から、西門へ抜けるのに徒歩で1日使うくらいの大きさです。」 「でかいな」 「はい。教会は街の中央広場にあるのですが、今からでは夜になってしまいますので、今日は大通りの宿屋に泊まりましょう。」 「おう。」 「いつもお世話になってる宿屋があるので、そこでいいですか?」 「もちろんいいに決まってる。」 2人は門をくぐった。馬に乗ってもまだ余裕で通れる高さと広さのある門だ。通りすがる時、兵士のあくびが目に映る。
「おや!レジェさんじゃないか!そうか、今年は来る年だったね!」 カウンターに座って、丸い眼鏡をかけて本に目を通していた老人が、ドアが開いたのに反応して顔をあげる。入ってきた顔を見て、笑顔になる。 「こんばんは、お世話になります。」 「ん?今日は1人じゃないのか。…そうかそうか、とうとうレジェさんも嫁いだんだね。」 「ヒロオミ。こちら、宿屋のご主人です。あなたと同じ悪意を持つ方ですね。」 「はじめまして、お世話になります。ヒロオミと言います。とんだ気の強い恐妻をもらいまして。」 レジェが手にした荷物をヒロオミに押し付ける。宿屋の主人は大笑いした。 「ははは、愉快な男だな。気が合いそうだ。おーい、レジェさんが来たよ!」 本をカウンターに置いて、背後のドアを開き、中に向かって大声を出す。しばらくすると、ドアが中から開く。 「あらあら!レジェさんじゃないか。」 「女将さん、こんばんは。ご無沙汰してました。」 「んまー、また少しべっぴんさんになったんじゃないの?あら、そちらは?」 「連れの方だ。ヒロオミさんというらしいぞ。」 「あらあら、ようこそいらっしゃいました。」 「はじめまして。」 ぺこり、とヒロオミが頭を下げる。 「あなた、部屋に案内してくださいな。私は今から夕食のメニューを変えますから。」 「いえ、御気使いなく」 レジェが慌てる。 「何いってるの!まぁ、復活祭前だから大層なものはだせないけど。せめて腕によりをかけなくちゃね!」 「お前、いつもは大層なものを出してるみたいなことをいうな」 主人の軽口に、女将は大笑いしながら、再びドアの中へと入っていく。3人で軽く笑って、主人が立ち上がった。 「さぁ、部屋に案内しようか。大きなベッドのある部屋がいいかね?」 「普通にお願いします…」 主人は笑いながら階段を上り始める。憮然としたレジェがその後に続き、レジェに荷物を押し付けられたヒロオミは、両手に荷物を抱えながら後に続いた。
「本当にでかい街だなぁ」 窓の外を見ながら、ヒロオミが感嘆した声を出す。 レジェは荷物を解き、服を着替えながらヒロオミに説明をする。 「ここからだと、左手の方角に尖塔がいくつか見えると思います。それが教会ですね。」 ヒロオミが窓に顔を近づけて、左の方を見る。 「あ、あれか。いち、に…ん、5本くらい塔が見える。」 「そうそう、それです。その塔の向こう側に宮殿も見えますよ。」 「ん〜〜あれかな。宮殿っていうか、城だなぁあれは。」 「そうですね、大昔は戦争大国だったので、その名残があると思います。」 ティアガラードはもともと、細々と人が暮らしている村がいくつか点在していた大湿地帯だった。大湿地帯には数本の河が通っていたが、いずれの河も雨季の季節になるとその流れを広げ、人が何人も犠牲になっていた。 「そこに、史実の本では3人の旅人が現れたとなっています。」 「ふむ。」 3人の旅人は通りすがっただけであったが、その窮状を知り、村人たちを集め河を治めるための色々な技術を伝えた。長い年月が過ぎて、ようやく今の首都の位置に安心して暮らせる街が出来上がり、湿地帯に住んでいた人たちがどんどん移住をしてきて、徐々に大きな町へと発展していった。 「でも、3人の旅人はこの地には留まらなかったのですよ。」 旅人は大きくなった街に、最後に教会と宮殿を建てた。当然王として治まるだろうと誰もが思っていたが、3人はこう言ったのだ。 「私たちは他の地へ行き、かつてのあなたがたと同じく困っている人たちを助けなくてはなりません。この地の新しい王は、皆さんが相応しい人を選んで決めてください。」 それ以来、その町、つまり現在のティアガラードの王は世襲ではなく、代々合議によって選ばれるようになったのだ。 「だからこの国の王は一代限りです。」 「へぇ〜。」 「また、王はガーディアンと呼ばれています。これは、その3人の育てた町を守護する、という役割から来ているのですね。」 ヒロオミは興味深そうな表情で話に聞き入っている。 「今のガーディアンは、私が村に赴任してから即位されたのですが、確か30歳くらいだったような?」 「若いな。」 「若いです。相当の力量があるのでしょうね。まぁ、この国についての説明はこれくらいにして…」 レジェはヒロオミにポットに入っていたお茶を渡して、自分は椅子に座った。 「明日からの説明をさせてください。」 「おう。」
夕食は穀物だけで工夫をされたものだった。なんでも復活祭の前7日間は、肉と酒は禁止されているそうなのだ。そういえばそんなことをレジェが言っていたな、ヒロオミは思い出しながら、それらの工夫された心づくしに満ちた料理をおいしく食べ、風呂に入ってからベッドに転がって、明日からの予定を心で反芻する。 明日は教会へ。大きな荷物は宿屋に置いたまま、預かってもらう。ヒロオミも同行する。午後に到着するはずなので、レジェの育ての親の司祭様…おっと、本当は枢機卿だって言ってたな…クレール枢機卿に面会をして、恐らくは教会の客室に通してもらえる。既にレジェが訪問することと、ヒロオミが同行することは手紙で伝えてあるらしい。復活祭は5日後。それまでは、ヒロオミは教会の中でも外でも自由にしてよいが、レジェは復活祭のために瞑想に入るらしい。つまり、一切会うことはできない。唯一気をつけなくてはいけないのは、教会の受付に剣を預けることだと言っていた。 「ヒロオミ。寝ますか?」 「うん。あのさ、街中は剣を持っててもいいのかな?」 「ん?いいですよ。特に問題はありません。」 レジェがランタンの光を絞る。薄い暗闇が部屋に拡がる。 「瞑想って何するの?」 「色々ですけれど、清めの儀式とか、瞑想するための部屋があるので、そこで過ごしたりもします。前日からは食事も断ちますね。」 「うぇ。考えられないな。」 「まぁ、祭典ですから。」 レジェの苦笑が聞こえる。 「祭典は俺も見ることができる?」 「はいもちろんです。大聖堂を一般開放して行うので、自由に。あぁ、話をしておきますか?席を用意してもらえると思います。」 「なんか緊張するからいい。」 「そうですか?」 「普通に観に行くよ。初めてみるから楽しみだな。」 「そんなに楽しいものではないですよ?」 暗闇の向こう側で、レジェがベッドに入る音がした。 「何をしようかな、5日間か。」 「あんまり裏通りとか入らないで下さいね?お酒とか絶対だめですからね?」 「ううむ、わかってるよ。」 しばらくの沈黙。村と違って、外から聞こえる自然の音も全くない。 「…なんか、顔をしばらく見れないって、あれだな。」 ぼそっとヒロオミが言った。 「ん?寂しいですか?」 からかう口調の声。ヒロオミは寝返りを打つ。 「…あぁ。すごく、寂しい…」 「えっ」 思わず真面目な口調でヒロオミが答えを返してきたので、レジェは驚いた声を上げる。 「た、たった5日ですよ。」 「…だってさ。」 「え、ええ。」 「夫婦ってそういうもんだろ?」 ごそっと音がした後、暗闇から枕が飛んできて、ヒロオミの顔にヒットした。 「いてぇ」 「枕返してください。もちろん、投げずに。」 「ほんと暴力的で困る…。」 ぶつぶつと愚痴りながらヒロオミは枕を持って起き上がる。裸足で床をぺたぺたと歩いて、レジェのベッドの傍に寄る。レジェは笑いながら頭を軽く上げた。 「枕、ここに置いてくださいね。」 「おまけに、こき使うし。」 ヒロオミは枕を両手で広げて、レジェの頭の上から滑り込ませる。レジェは手を伸ばして、ヒロオミの顔を撫でた。 「私も、多分きっと寂しいですよ。早く終わらせてお酒飲みましょうね。」 「酒か。酒だな。」 ぶっきらぼうなヒロオミ。枕をきちんと滑り込ませて、レジェの額をつついて戻す。 「うん、あなたと一緒に飲むお酒です。」 「…ちぇ。」 ヒロオミは、レジェの頬を撫でて、背中を向けてベッドへと戻る。 「おやすみなさい。」 「おやすみ。」 結局のところ、どうしてもレジェには勝てないのだ。 もう一度、ちぇっと呟いて、ヒロオミは眠りに入ることにした。
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