3人はセルビナに入って、適当な宿を見繕い宿泊したが、ヒロオミとレジェは結局この女性について、それ以上詳細な何かを知ることはできなかった。女性に一部屋、自分達に一部屋をとり、部屋で女性について会話をしていたら、宿屋の主人が「客人」を案内してきたのである。 通された女性は、実に優雅な動作で2人に挨拶をした。エザリムと同じようなローブを羽織り、レジェとよく似た色の髪を肩から大きくひとつに編んで胸へとたらし、明るいブラウンの瞳と口元に上品な微笑を浮かべている。 「エザリムがご迷惑をおかけいたしました。」 2人はびっくりして口も聞けない。なんとなく「追っ手」を男だと思っていたのもあるが、エザリムに負けず劣らずたいそうな美人だったというものある。 「おとなしくしているように、と言い聞かせているのですが、すぐに外へと出てしまいます。いつも困っているのですが、あなたがたにご親切にしていただいたようで、助かりました。」 唖然とする2人にも動じることもなく、女性は言葉をすらすらと紡ぐ。 ようやく、ヒロオミの口が動き始める。 「あ、あの…。」 「なんでしょうか?」 「あなたが、追っ手?」 女性はあんまり驚いた様子でもなく、しかし驚いた仕草だけはとってみせる。 「追っ手…。エザリムが?」 「え、ええ。」 「追っ手、と言われると、確かに私たちは彼女を追っています。本当は自由にさせてあげたいと私は思っているのですが、彼女は色々な方に大きなご迷惑をおかけしてしまうので…。」 「そ、そうですか…。」 レジェはまだ固まって動かない。 「それで、致し方なく、帰るように迎えに来ているんです。ご心配なく、決して彼女に酷い仕打ちなどをしているわけではありません。」 「は、はぁ…。」 「それで、せっかく部屋を用意していただいたのですが、すぐに連れて帰らないと、他の者も心配していますので…。これで、おいとまさせていただきますね。」 「は、はい。」 「あ、あの!」 レジェが、ようやく口を動かす。椅子から立ち上がり、女性をまっすぐ見る。 「なんでしょうか?」 「失礼ですが、あなたのお名前を聞いてもよろしいですか?」 女性は、今度は本心から驚いた、という表情で軽く小首をかしげて、レジェをじっと見る。ヒロオミは、レジェの少し震えている声を聞いて、レジェを黙って見つめている。女性はしばらくレジェを見つめた後、ゆっくりとレジェに向かって近寄ってきた。 「あなたは、神に祈る者ですか?」 「…は、はい、その通りです。」 女性がレジェの手を取る。そのまま、レジェの手を自分の胸元まで引き上げて、レジェをじっと見つめる。レジェは緊張した表情で、じっと女性を見つめる。ヒロオミはそれを横でじっと見ている。 「…………」 「えっ」 思わずヒロオミは小声で声をあげた。何か、今女性が早口とも思える口調で言ったが、まったく聞き取れなかった。聞いたこともない言葉だ。逆に、レジェは再び言葉をなくして、顔色を真っ青にして、身動きがとれなくなっている。 「…それでは、失礼しますね。」 女性はそっと、レジェの手を下ろして、再び優雅に挨拶をすると、部屋を出て行った。後には、茫然として立ち尽くすレジェと、全く解らなくて困惑を浮かべるヒロオミだけが残された。
「おい、レジェ…。」 「…あ。はい。」 しばらくそのままで時間が過ぎた後、ヒロオミはレジェの肩を叩いた。レジェが真っ青な顔のまま、我に返る。 「俺、ちょっとエザリムさんの部屋見てくる。多分、もう誰もいない気がするけど。」 「え、ええ。きっと…。」 ふらふら、とレジェは椅子に、力を失ったように座る。 「大丈夫か?なんていったんだ?さっきの女性。」 「…。」 レジェは、茫然としている。 「おい、大丈夫か?いなかったら、俺あっちの部屋で寝るぞ?」 「…。あ、あの。」 ヒロオミがもう一度肩をぽんと叩くと、はっとしたようにレジェがヒロオミを見た。 「こっちで…。1人では眠れません。」 「えぇ?」 「お願いします。」 レジェはすがるような目線をヒロオミに送る。ヒロオミは困惑するが、それでもレジェが心配なので、「わかった」とだけ答える。 「それでも、向こうは一応確認してくるから。」 「はい。」 ヒロオミは頭を掻きながら、部屋をでていった。 レジェは、椅子に座って体中の力が抜けていることを感じながら、女性の言葉をつぶやいた。
「私は、春と光を司る者。祈る者よ、自らの道をみつめなさい。」
体から震えが起こる。何度も大教会の書籍で見かけた古い言葉で書かれた一節。名前を尋ねて、古い書籍に書かれたそのままの容姿の女性は、この一節を口にした。彼女は、ミーゼリア?レジェは、突然現れた「神」に、喜びではなく、まるで悪夢から現実が飛び出したかのような恐れを感じ、心から震えを感じていた。
ヒロオミは、ベッドに入ってからも困惑し続けていた。
予想通り、既にエザリムは居なかったが、約束をしたのでヒロオミは2人部屋へと戻った。寝る仕度を整えている間、明らかにレジェは様子がおかしかった。心なし手が震えている感じもして、一体あの女性は何を言ったのかと気になる。しかしレジェは話しかけられる雰囲気でもなく、レジェも一言も口を聞かなかったため、結局寝る仕度が終わるまで2人は黙ってそれぞれの作業を続けた。 部屋の両隅に置かれた2つのベッドの、ドアに近いほうにヒロオミが入る。 「おやすみ。レジェ、大丈夫か?」 シーツを体に寄せながら、ランタンに手を伸ばしているレジェに声をもう一度、かけてみる。 「…。ヒロオミ。」 「ん?」 「そっち、行ってもいいですか?」 「こっちがいいのか?じゃぁ、替わろう。」 「いえ。そうじゃなくて」 ランタンの灯りを絞ってレジェは小さな声で言った。 「一緒に、いいですか?」
今、そんな経緯でレジェが腕の中でじっとしている。 「い、いいけど狭いぞ」とヒロオミが答えると、レジェは本当に自分のベッドに潜り込んできた。表情は固く、明らかに体が震えている。初めて見るレジェの困惑狼狽ぶりに、ヒロオミは何も言えずに、レジェが来るままに腕を伸ばして、上からシーツをかけてやる。 「ごめんなさい…。」 レジェがぽつりと言う。 「いや、いいんだ。本当に大丈夫か?どこか悪いのか?」 流石のヒロオミも、この状態に、心配ばかりが先に立ってしまう。 「…私は、春と光を司る者。祈る者よ、自らの道を見つめなさい。」 「え?」 「あの女性が言った言葉です…。」 口にして、レジェの震えが大きくなる。ヒロオミは、わけもわからず、子供をあやすようにレジェの背中をぽんぽんと叩く。 「全く俺にはわからない言葉だった。」 「朝の祈りで私が話す言葉と同じです。古い、教会の祈りで使われる…」 ヒロオミに背中を叩かれて、少しレジェの震えが収まる。 「あぁ、あの言葉と同じなのか。…う〜ん、言われて見れば語感が似てたかもしれないな。」 ヒロオミは、ゆっくりと背中を叩く。 「あの女性も、エザリムと名乗った女性も、神かもしれない。」 「え?どうして。」 「わかりません、本に出てくる容姿と、あの女性が似てたからかも、でも、強くそう思えるのです。」 レジェがヒロオミにしがみついてくる。 「怖いのか?」 「…」 レジェの怯え方から、ヒロオミはなんとなくその話を信じる気分になっていた。確信はないが、もしそうだとしても、ヒロオミは不思議と怖さを感じない。レジェに比べると随分と神が遠いところの存在に思えるからかもしれないし、少なくとも、エザリムと名乗ったあの女性も、そして客人として現れたあの女性も、ヒロオミにはただの綺麗な女性としか思えなかった。 レジェは、ヒロオミの胸に顔を埋めて、震えるように呼吸をしている。 「レジェ。怖いのか?」 もう一度聞いた。レジェの首が動いて、かすかに肯定する。 「…私は神に祈ります。けれど、神が身近だと感じたりはしません。神は遠いところで、共に居るものだと、そう思ってます…。」 「うん。」 「それは多分、畏れ、という言葉で表現できるかもしれないのですが…。」 「うん。」 「畏れと恐れは、きっと裏表の感情です。私は、悪夢が現実になったような気持ちです。」 「ふむ、…俺にはわからないけれど、レジェが怖がってるのはよくわかる。」 ヒロオミはのんびりと言った。きっと、このレジェの怯えを自分が理解するのは、今は無理なのだ。なんとなくそんな気分になっている。けれども、レジェの怯えを否定する気持ちもなかった。 「レジェ。」 「…はい」 ヒロオミは腕に力を篭めた。神が居ようが居まいが、自分がするべきことは1つだけだ。 「大丈夫だ。」 「…ヒロオミ…。」 「俺がいる。だから大丈夫だ。」 レジェの腕にも力が篭る。 「誓っただろ?俺は傍にいる。神がどうであれ、俺がいるなら大丈夫だ。」 「…はい…」 レジェは、心に安心感が広がるのを感じた。ヒロオミの言葉には根拠は全くないけれど。それでも心強く思えた。体の震えが消えていく。すると、今まで聞こえていなかった音が聞こえてきた。ヒロオミの心臓の音だ。急に自分がここにいるのが恥ずかしくなったが、レジェはその音の心地よさに体を預けることにした。やがて意識が遠くなっていく。
ヒロオミはレジェの寝息を聞いて、ほっとした。もう一度シーツをかけなおして、明日も早いな、ぼんやりと考えながら、そのまま意識を手放した。
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