結局、ほとんどの村人同様に、朝方に目を覚まして、ヒロオミとレジェは頭を抱えながら教会へと戻った。 翌日は、憂鬱な表情で2人とも仕事を済ませ、酒が抜けきったのは夕方。
「それにしても、あれは卑怯だ…」 「まだ言ってるんですか?」 ようやく、まともな食事を取れたのは夕食の時だった。朝も昼も、味の薄いスープ以外は2人とも口にする気がおきなかったのだ。 「だって、あれさえなければ…」 ヒロオミはぶつぶつと呟きながら、夕食を口にしている。 「俺も来年は絶対すごいこと言うからな。」 「私は全く動じないですよ?」 「…。」 レジェは自分の皿のついでに、ヒロオミの皿にも料理を載せながら、にっこりと笑う。 今日出会った村人の何人かは、何を言われたのかと小声でヒロオミに話し掛けてきた。なんでも、ランサーは絶対に教えてくれなかったそうだ。ヒロオミも、絶対に教えない。 「ランサーさんにもおんなじことを?」 「え?まさか。もっと控え目ですよ?」 「…」 「だって、ヒロオミは控え目だと持ちこたえそうでしたから。」 ヒロオミはぷすり、とフォークを野菜に突き刺して八つ当たりをしてみる。
次の日、2人は昼頃に村を出発した。 すっかり春の陽気の中、馬に乗っているだけなのに、少し汗ばむくらいである。村の西側から街道に続く小道へ出て、レジェが慣れるまで馬の好きなペースで歩かせる。 「あの森を抜けると街道がありますから。半日くらいかな?」 「おう。」 小道は、まっすぐに森へと続いている。 両側には畑が広がり、遠くで村人たちが畑を耕しているのが見える。 「土のかおりがしますね」 「だなぁ。」 柔らかな匂いだ。ヒロオミは思う。
畑の続く風景を進むと、やがて木が増えてくる。木は萌葱色の葉を一斉に伸ばし、あるいは花を咲かせ、春の季節を静かに楽しんでいるように見える。最初はまばらだったのがどんどんと本数を増やし、やがて空がほとんど見えない程の木に囲まれる。 「なんかこの季節の森って気持ちいいよな。」 「ですね。」 時折、小道を小動物が横切っていく。馬のひづめの音は、森へと吸い込まれていく。 2人は徐々にペースを上げながら馬を進め、太陽が頂点よりも少し傾いた頃に、ようやく森を抜けた。 「あれが街道です。」 レジェが片手で遠くを指し示す。見渡す限りの草原に、今通っている道よりも幅広の道が見える。 「ま、このあたりはまだ人に出会うことはほとんどありません。今日泊まる予定の宿場町を越えると、国の北側からの街道とぶつかります。人が多くなるのはそこからかな?」 「ふむ。」 ヒロオミはなんとなく、頭の中に大雑把な地図を描く。 街道にたどり着いたところで、2人は休憩をすることにした。馬を適当な木に縛っておき、火は起こさずに持ってきた簡単な食事をとる。 「本当に、見渡す限りの草原だな。このあたりに村はないの?」 「もう少し進んだところから南に道が伸びてますね。その先に1日ほど進むと村があるはずです。」 「ふむ。」 暖かな風が吹いて、背を伸ばし始めた草を撫でていく。 「本当にいい季節だな。」 「ですね。気分がのんびりしてしまいます。」 広い広い草原に、馬2頭と2人だけ。 空は青く澄んでいて、陽気は気持ちいいくらいで、昼寝でもしたくなってくる雰囲気だ。
2人は小休止を取った後、再び馬を進め始めた。 レジェの言う通り、誰ともすれ違わない。順調に進んで、日が傾きかけた頃、緩やかな下り坂に差し掛かる。 「ここからは少し下る道が続きます。ほら、あの遠くに見えるのが今日泊まるセルビナです。」 「ん〜、あれか。」 遠く眼下に、建物がぽつぽつと点在しているのが見える。 道幅が太くなったので、馬を並ばせて歩く。遠くにあった建物が、徐々に近付いてくる。 「予定通りですね」 「かな。」 やがてはっきりと集落がわかるようになったころ、ぽつりぽつりと建物に灯りが灯り始める。夜はまだ少し肌寒さを感じるからな、とヒロオミは考える。 「少し走らせてみるか?」 「そうですね。」 馬の手綱をしっかりと掴んで、馬を軽く走らせようとした時。 「あ。まって。」 「ん?」 「あそこに人が倒れてませんか?」 レジェが前方を指した。少し周囲が暗くなっているので、視界が落ちている。ヒロオミは、じっと目を凝らして前方を見つめた。
確かに、人が1人、倒れていた。
「どうしたのでしょう、こんなところで…。」 2人は馬を走らせて、女性の近くに寄った。馬を止め、ヒロオミは腰に刀を差していることを手で確認して、レジェを片手で留め置き、近寄って抱きかかえる。 「あれ。女性だ。」 「え?」 うつぶせになっていた上に、フード付きのローブだったので気がつかなかった。手を取ってみる。脈がある。特に外傷らしきものもなければ、衣服に乱れがあるわけでもない。 ヒロオミは、顔を上げて周辺を見渡す。誰かが隠れている気配も感じない。 「どうですか?」 「うん、気を失っているだけ、のように見える。」 レジェも馬を降りて近付いてくる。 「…すごい、綺麗な人じゃないですか?」 「そうだな。」 レジェは「水際に咲く一輪の燐とした花」のような美人だが、この女性は「沢山の花の中で一際美しく咲く花」のような華やかな美人だな。と、ヒロオミは考える。口にするとレジェがむっとするので、もちろん口にはしない。少しカールのかかった短い髪は綺麗なブロンドで、顔のパーツパーツを見ても、逐一整っている。 「大丈夫ですか?」 ヒロオミは、声をかけてみる。レジェが馬から水筒を下ろして、コップに水を注いでいる。ヒロオミが何度か軽く揺さぶると、女性は少し声を出して、それからゆっくりと目を開いた。 ヒロオミもレジェも、もう一度、心の中で感嘆した。 女性が目を開けると、見事に澄んだ、綺麗なブルーの瞳が現れる。 「…ここ、は?」 「大丈夫ですか?あなたは気を失って倒れていたのです。」 女性は、ヒロオミとレジェをじっと見て、それからゆっくりと自分の体を支えて、起き上がる。ヒロオミは手を添えて、その動作を助ける。 「少し水を飲まれますか?」 「あ、うん、ありがとう…。」 周囲を見渡した後、レジェの問いかけに「気がついた」かのように、女性は振り返って、レジェを見る。レジェは、女性を安心させようとにっこりと微笑んで、女性にコップを差し出す。女性は少しの間を置いて、コップを受け取った。 「ここは、どこ?」 「ここはセルビナの手前ですよ。」 レジェがコップを手渡しながら答える。「セルビナ…」女性は呟いて、それからコップに口をつける。 ヒロオミはその様子をじっと見ながら、内心、首をかしげていた。不思議な女性である。最初は、盗賊の罠かと思ったが、そういう様子もない。むしろ、罠にしては美人過ぎる。どこか世俗離れしたしゃべり方、服、何も荷物を持っていない様子から、旅人とも思えない。村から出てきたのか?と思ってみたが、セルビナという地名に全く聞き覚えがないといった表情。 「失礼ですが…あなたは、いったい?」 「抜け出してきたの。結構厳しかったから、行く先を考える余裕がなくて。」 「抜け出してきた?」 「うん。外に出てはいけないって言われているから。」 全くわからない。レジェとヒロオミは、ちらりと視線でお互いの困惑を交し合う。 「誰かに追われている?」 「まだ、気がついてないと思うわ。」 「ということは、いずれ追われる?」 「うん。きっと。」 その割に女性の声には全く怯えも緊張感もない。「もうすぐ夜がくるわ。」のように、実に当たり前の事実を実に何気なく述べているのと変わらない口調だ。 「その、お名前を聞いてもいいか?」 ヒロオミは、とりあえずセルビナに入ろうと考えた。ここで話していてもしょうがないし、この女性の追っ手がいつくるかもさっぱりわからないのだ。だとすれば、とりあえずここを立ち去って、後から聞いたほうがよいだろう。 「私?私はエザリム。」 「えっ。」 レジェが短く驚きの声をあげる。ヒロオミは黙って女性を見直す。女性は2人の驚きに反応しない。 「それは…」 本名?と聞こうとして、レジェは口を閉ざした。ヒロオミが振り返って、後にしようという目線を送ってきたからである。 「わかりました、エザリムさん。とりあえずセルビナの街に入りませんか?ここで話していてもしょうがない。」 「そうね。」 女性はにっこりと笑った。
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