教会から村の中央広場に面した酒場には、歩いても15分はかからない。 2人は雑談をしながら歩いてきたが、あっという間に酒場についた。
ドアをあけると、既になごやかな雰囲気で結構な村人が集まっている。流石に村中の人を集めると50人くらいは軽く超えるので、酒場は混雑している。 「こんばんは〜」 レジェが料理を手にして挨拶をする。 村人たちがそれぞれに振り返って、挨拶を返してくる。 「きたきた、神官さん、兵隊さん、待ちくたびれたよ?」 「もう先に飲んじゃおうかと思ってた」 「すみません、遅くなりました」 大人はテーブルに座って雑談をしたり、煙草をふかしたり。子供がその合間を器用に走って騒ぎ、さらに器用に酒場の主人夫婦が料理や酒をそれぞれのテーブルに置いて周っている。 「にーちゃんだ〜」 子供たちの何人かは、ヒロオミにすっかり懐いている。ヒロオミはあっという間に取り囲まれてぶらさがられ、しがみつかれる。レジェはそれを笑いながら見過ごして、酒場の奥さんに手にした料理を手渡す。 「おお、きたかえ」 老婆が1人、レジェに話し掛ける。 「こんばんは、お婆さん、お加減いかがですか?」 「わしは元気よ。あんたは?そろそろ子供ができるころか?」 「…その、そろそろ、理解してください、もうホントに。」 レジェが苦笑いをしながら、老婆に返事をする。老婆は布屋の家の人で、春先に風邪を引いてから、3日に1回レジが訪問をしているのだが、行くたびに「婿はとったか」と何度も聞いてくるらしい。羊飼いの家の老人が亡くなった今となっては、村で唯一、未だにレジェのことを女性だと勘違いしている人だと、ヒロオミに夕食の時にぼやいていた。 「いやぁ、頑張っているんですけど!」 ヒロオミが子供に鈴なりになられながら、大きな声で答える。酒場の中にどっと笑いが起こる。もちろん、レジェを除いては、だが。 「ヒロオミ…?」 「こらひっぱるなってば。…レジェ、怖い顔するなよ、冗談が上手だろ?俺。」 また笑いが起こる。「兵隊さんいいぞ!」と援護射撃も入っている。レジェだけが、ヒロオミを睨んでいる。 「さぁ、兵隊さんも。座った座った!」 「ありがとうございます」 ヒロオミは笑いながら、はがれない子供を1人、膝の上に置いてレジェの隣の椅子に座った。レジェはまだ怒っている。 「あなたを見かけてからは、お婆さんどんどん確信しちゃってるんですよ!もう!」 「はははは」 「はいはい、ビールビール。」 誰かがビールを2人の前に置いてくれる。 それから、さらに少し人が増えて、酒場は満員だ。 「おねーちゃん、だっこだっこ〜」 「お兄ちゃんって言えるようになってくださいね。はい、いらっしゃい。」 「レジェ。なんか不憫になってきたぞ?」 「何か言いました?」 ヒロオミは、子供をレジェに手渡しながらつぶやく。 「いいえ。なんも。」
「皆の衆!そろそろよろしいかな?」 雑談が一気に消える。一番奥のテーブルに座っている老人が立ち上がる。村の長老だ。 「今年もいよいよ畑仕事が始まる。今日は、今年の豊作を祈って皆で大いに盛り上がろう」 村人が長老の挨拶に口々に相槌を入れる。 「今年は兵隊さんも来てくれている。もうすっかり村人じゃ。」 ぱらぱらと、ヒロオミに視線が集まる。ヒロオミはちょっとびっくりした表情で、思わず会釈をする。軽く笑いが拡がる。 「長い挨拶は腰に堪えるでな。さぁ、乾杯じゃ!」 乾杯!村人がみんな、手にビールを、ジュースを持って振り上げる。部屋中に、グラスのぶつかる音が広がり、再び雑談が始まった。得意な者が部屋の片隅に集まって、音楽を弾き始める。子供たちがその前に集まって、思い思いの踊りを始める。
「兵隊さん、こないだはありがとうな」 「神官さん、今度なんですが…」 色々な人たちが、2人に挨拶や用事をしにテーブルにやってくる。2人はそれぞれ、笑いを交えながら相手をして、雑談をする。時折どこかのテーブルで言い争いが始まることもあるが、総じて和やかな雰囲気で酒宴は進んでいく。レジェもヒロオミも、楽しい時を過ごす。 「神官さん。2年ぶりに対決だ。」 最後にやってきたのは、既に顔が赤い男。大酒呑みのランサーさんだった。 「おっと!もうそんな時間か!」 誰かが声を出す。ヒロオミが驚いていると、周りに大勢のギャラリーが集まり始める。 「なんだなんだ?」 「兵隊さんもやるかい?酒豪レースだ。」 ランサーは手にしたビールを飲みながら、2人の隣に座る。 「さぁ、レースが始まるぞ!今年の参加者は兵隊さんも加えて3人だ!」 「俺は兵隊さんに賭けるぞ!」 「今年も神官さんだろ!」 酒場の主人がギャラリーの間を縫うようにテーブルにきて、ビールを3つ置く。 「参加します?」 「お、おう」 「2年前の雪辱を晴らすぜ?卑怯な手にはひっかからないからな」 ランサーが鼻息も荒く、既にグラスを握りながら言う。 「卑怯な手?」 「なんでもないです。さぁ、競争ですよ?」 なし崩しの雰囲気で、ギャラリーの興奮の最中、酒飲みレースが始まった。
グラスは主人が持ち帰っているので、既に何杯目か、誰にもわからない。 ランサーもヒロオミもレジェも、随分と顔が赤くなっている。 ランサーが豪快にビールを飲み干して、テーブルにグラスを勢いよく置いた。ギャラリーから「おお」と歓声が上がる。ついで、ヒロオミが。最後に、レジェがマイペースにグラスをテーブルに置く。 「今年は熱いな!」 「はい、賭けはまだ受付中だよ!」 「そろそろランサーはだめだろ」 「神官さんはまだいけそうだな」 「うるせぇ!」 ギャラリーの勝手な寸評にランサーが大声を出す。 主人が次のグラスを運んでくる。 「レジェ、強いな」 ヒロオミがげっぷをしながら、ろれつの回らない口で話しかける。 「まだまだですよ?」 レジェもそういいながらも、口調が怪しい。 「俺は余裕だ」 ランサーはしかし、目がとろんとしている。 3人は、同時にグラスをつかんだ。おぼつかない手つきでビールに口をつけて、飲み始める。 「ランサー危ない!」 ギャラリーがどよめく。ランサーは豪快にグラスを傾けて、そのまま後方へと倒れこむ。後ろにいたギャラリーが慌てて支える。しかし、そのままランサーはひっくり返ってしまう。ギャラリーから悲鳴が上がった。 「うわあああランサーがおちた!」 「全額賭けてたのに!」 「兵隊さんいけるか!」 「頑張れ〜!」 ランサーは部屋の隅に寝かされる。 テーブルには、レジェとヒロオミが残っている。周りは大はしゃぎのギャラリー。 主人が、次のビールを運んできた。 「ううん、結構目が回ってきました。」 「あれあれ?降参?」 ヒロオミがにやりとする。ギャラリーがどよめく。 「ヒロオミ。ちょっと飲みすぎじゃないですか?」 「そうかな、晩酌程度だろ。」 ギャラリーの半数は会話を聞いて、色めき立った。残りの半数は、顔色を変えた。 「兵隊さん!やばいぞ!」 「耳を塞げ、会話にのっちゃだめだ!」 「うおお、きた!神官さんの必殺技だ!」 「いけ、いまだ!今年も儲けさせてくれ!」 ヒロオミはしかし、すっかり反応が鈍くなっている。 「大丈夫です、俺に賭けた皆さん、期待には答えますよ〜」 「私に賭けた皆さん、次でおしまいですから。お財布を用意しておいてくださいね〜」 「なんじゃいそりゃ。」 ヒロオミが憮然としながら、グラスを掴む。 「耳だ!兵隊さん、耳を塞ぐんだー!」 「神官さんいけー!」 半数のギャラリーが必死にヒロオミに訴える。半数のギャラリーがけしかける。その意味をヒロオミが理解できないままに、レジェは手を伸ばした。グラスではなく、ヒロオミに。 ギャラリーの半分近くが悲鳴をあげた。 「ん?」 「ヒロオミ。耳貸してください。」 反応できないヒロオミの顔に手を添えて、レジェが耳元に口を近づける。そして、何事かをぼそぼそと囁く。ヒロオミは、数秒じっとした後に、突然、すっかり赤くなった顔を倍以上真っ赤にした。 「あぁあ終わった…」 「やった!」 「さ、ヒロオミ。乾杯です。」 レジェが素早くグラスを掴んで、ビールを飲み始める。動揺したままヒロオミも釣られるように飲み始める。しかし、ヒロオミはゆっくりとグラスをあおった姿勢のまま、後方に倒れていった。 「はい!決まった!払い戻しはこっちでやるぞ!」 胴元の大きな声。 「兵隊さんもだめだったか…!」 「神官さん強いぜ!」 「何を言ったんだ!」 「俺にも同じこといってくれ!!」 落胆するギャラリーと興奮するギャラリー。マイペースでグラスを空にして、レジェは軽い音を立ててグラスをテーブルに置いた。口元を上品に拭って、そしてギャラリーに向かって、真面目な顔で話す。 「え?何を言ったかですか?それはですね…。」 瞬間、ギャラリー全員が口を閉じた。テーブルを中心に、部屋の一角が一瞬静まり返る。 「…神の教えを、ほんの少し。」 にっこりと、レジェが微笑む。 「嘘をつけえええ!」 「どんな教えなんだ!!!!」 村人は悔しがり、大笑いをした。
春祭は深夜まで、酒場をにぎやかな笑いで満たしながら続いた。
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