Episode:5 追憶
あの日から美幸は少しだけ変わった。 クラスメイトなどには今までどおり関わりを避けていたが、ジュンの言葉には反応するようになった。 時折笑みを浮かべることさえある美幸に周りの人間は、信じられない、という目で二人を見ていた。
あの日からジュンはあの場所(秘密の岩場)へ度々訪れるようになっていた。 初めは相手にしてなかった美幸も、ジュンの取留めのない話しに耳を傾けるようになり、いつのまにか心地よさを感じるようになっていた。 一人で抱え込まなくてはならない恐怖に美幸は、自分が限界であった事に気づいてしまった。 少なからず自分がジュンに好意を持たれていると知りながらも、思い出してしまった人の温もりを手放すことは出来ず、まして受け入れることは絶対出来ず、今はただ何も起こらないことを願い、美幸は日々を過ごしていた。 その間、美幸は細心の注意を払い神経を尖らせていた。 ジュンとの間に何があると言うわけではないが、二回も自分の恋人が謎の死を遂げているのだ。 何が起こるか分からない。 しかし、美幸の切実な願いとは裏腹に、悪魔の手はすぐそこまで迫ってきていた。
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「おにぃちゃぁん?どこぉ〜?おにぃ〜ちゃぁん?」 幼い妹の声に少年は妹を呼び止める。 「こっちだよ、ミユキ」 幼いミユキは兄に気づくと嬉しそうに走り寄る。 「走ったら滑って転ぶぞ」 「おにぃちゃん、あのねぇミユキ、ゆきだるまさん、つくったのぉ。ん〜とねぇ、ほらぁ…あ!あぁ〜!」 幼いミユキが後ろに隠していた手を出すと、雪だるまはすでにミユキの手の中で半分溶けてしまっている。 「あぁ〜あ、とけちゃった……」 少年は笑いを堪えながら妹の手から雪だるまを取り、近くの雪を集めてもう一度、雪だるまを作りなおす。 「はい。ミユキの雪だるまさんはまだ元気だぞ!」 兄の作った雪だるまに妹はキャッキャッはしゃいでいる。 少年は妹の手が真っ赤になっている事に気づいた。 「ミユキ!あ〜あ、ミユキの手が氷になってる」 少年は妹の手に息を吹きかける。 「――――えへへ、あったかぁい…」 少年はミユキの顔を両手で包み込むと、優しい笑顔を返す。 「ミユキは冷たい」 ミユキは、またキャッキャッはしゃぎ、兄に抱きつく。 「おにぃちゃん、だぁいすきぃ」――――――――――――。
ハッと目覚めた場所は土日を利用して久しぶりに帰ってきた自分の部屋であった。 美幸は冬休み、親が海外にいるジュンに合わせて学校に残ることにしていた。その報告もあって実家に帰ってきていたのだ。もちろん、ジュンの身を心配しての事である。母も父も渋い顔を見せたが「正月には帰る」という条件付きで納得したようだ。 寝巻き姿のまま、リビングに顔を出すと、父の姿はもう無かった。 休日であるにも関わらず父親はゴルフの接待があったようで「早めに切り上げるから」と朝早く家を出たらしい。 母親も「いきなり帰ってくるんだから」と文句を言いながら忙しくしているが、本音は久しぶりに見る娘の姿が嬉しくて仕方がないようだ。あの様子だと今晩は自分の好物が並ぶだろうと、美幸は苦笑した。 美幸は買物に出た母を見送ると、用意されていた朝食に手を伸ばしながら、寝ぼけた頭で、先ほど見た夢の事を考えていた。 おにいちゃん―――確かにそう呼んでいた人がいた。 美幸は記憶の糸をたどるが、それが誰であったか思い出せない。 もちろん自分は一人っ子である。 自分に兄がいる話は聞いたことがない。 なのに、何か引っかかる。 夢で見た少年は、悪夢に出てくる《彼》に似ていた。 少年からは優しさが溢れていて、夢の中の《彼》のような恐怖は感じられなかったが、何故か同一人物のような気がしてならないのだ。 美幸は父の書斎で、アルバムを探し始めた。几帳面な母の性格ならば、何か自分の幼い頃の写真に手がかりが残されているかもしれないと考えたのだが、やはりそこにあるのは父の若かりし頃の写真や、美幸の写真ばかりでそれらしき人は写っていない。 再び美幸は考え込み父の椅子に腰掛けた。 ブラインドからは太陽の光が差し込んでくる。 小さなため息をついて美幸が椅子から立ち上がると、足に何かがぶつかった。 椅子をのけると床下に収納庫があるらしく、取っ手が美幸の足にあたったらしい。 美幸は床下収納の上蓋を持ち上げ、ずらしていく。 そこにあったのは、ガラクタが入った小さな小箱や、古くなった子供服――男の子の物のように見える、そしてボロボロになった本やノートだった。 美幸にはそれが自分のものでないことは分かっていたし、無論、父や母の物でもない。服の素材や形は、両親の子供の頃よりずっと新しい物のように思えたからだ。 美幸は一つ一つ丁寧に取り出していく。 何故だかは分からないが、どれも見覚えがあるような気がしていた。 何か大事なことを忘れているような気がするのだが、思い出すことが出来ない。 何冊かあったノートの中に日記と思われる物が混じっていた。 美幸は恐る恐るノートを開く。
11月29日 天気(晴れ) 今日はミユキのお誕生会をやった。 ミユキは、ケーキにささっている三本のロウソクの火をおもしろそうに見つめていつまでも消そうとしない。 「ふぅって吹き消すんだよ」ってボクが言うとミユキはキャッキャッ笑ってボクの膝に乗ってきた。 仕方ないからロウソクの火はボクが消した。
11月30日 天気(曇り) 父さんが帰ってきた。 父さんは昨日の残りのケーキを見つけると僕たちの前でゴミ箱に捨てた。 そしてボクを殴った。 母さんが泣きながらボクをかばったら今度は母さんを殴った。 ミユキはギャーギャー泣いていた。 そしたら今度はミユキを殴ろうとしたのでボクは父さんの腕にしがみ付いた。 そしたら、また殴られた。 たくさん殴られた。
12月10日 天気(雪) 今日は雪が降った。今年初めての雪だ。 ミユキは嬉しそうに庭を走り回っている。 でも、ボクがちょっと隠れるとミユキはすぐ泣きそうになる。 ミユキが雪だるまらしきものを作ってボクくれた。とけてたけど…。 やっぱり、ミユキは可愛い。
12月23日 天気(大雪) その日はすごい雪で、さすがの父さんもお酒を飲みにいけないらしい。 父さんが家にいるとミユキがすぐグズルので、父さんの機嫌がどんどん悪くなる。悪循環だ。 今日も殴られた。 母さんはとうとう家を飛び出した。この大雪の中寒いだろうな……。 ボクはミユキを抱きしめて物置にこもっていた。 お酒を飲んでいる父さんは何をするか分からない。 ミユキはボクが守らなくちゃいけない。
12月24日 天気(晴れ) 母さんが家に帰ってきた。 ちょうど父さんがいない時でよかった。 母さんは何とか相談所に行っていたらしい。 いい所なのかな?なんで、ボクとミユキも連れて行ってくれなかったんだろう。 でも、前から欲しかった百科事典を買ってくれたから許してあげよう。 そういえば、明日はクリスマスだ。
12月25日 天気(雨) 大変だ。家に帰ってきたら母さんがいなくなっていた。 ミユキもいない。 ボクは母さんに捨てられたのだろうか――――――。 ミユキは……。 でも、母さんはきっと迎えに来てくれる……きっと…。
1月15日 また父さんはボクを殴る。 母さんがいなくなってから父さんは沢山ボクを殴る。 ミユキに会いたい……。 ミユキの姿が見えなくて不安になるのはボクの方だ。 なんで母さんはボクを連れて行ってくれなかったんだろう。 父さんはなんでボクを殴るんだろう。 父さんなんか大嫌いだ……。
2月20日 今日父さんが電話で怒鳴っているのを聞いた。 相手は母さんらしい。 父さんが「幸彦は渡さない」と言っていた。 母さんに会えないのは父さんのせいだ! ミユキに会えないのも父さんのせい、 父さんさえイナクナレバ――――――
3月31日 ボクは決めた。 今日父さんを――――――――――――
ここで日記は終わっていた。 読み終わった美幸の瞳からは涙があふれていた。 少年が哀れで、言いようのない気持ちで胸がつまる。 美幸がノートを戻そうとした時、写真が一枚はらりと舞い落ちた。 そこには、少年の姿と幼き頃の自分の姿があった。 裏には「7月7日幸彦誕生日 幸彦13歳、美幸2歳」と書かれてあった。 7月7日――七夕。毎年、鎌森家では七夕を盛大に祝う習慣がある。 美幸の誕生会の次に大きなイベントだ。 クリスマスより正月より盛大に行うことを不思議に思って母親に聞いてみたら、母は「そうね」と優しく笑って答えただけだった。 母はこの少年と関係ある――そうな気がしてならなかった。 美幸はその写真を丁寧に寝巻きのポケットにしまうと、残りを元通りに片付けて上蓋を閉めた。 書斎を出たところで母親の「ただいまぁ」という声が聞こえ慌てて迎える。 「やだ!この子ってば、まだ寝巻き姿で!風邪引くでしょ?着替えてきなさい」 美紗子は娘の姿に呆れながら、大きな買物袋をテーブルに置く。 美幸は《幸彦》とは誰なのか、母に聞こうか悩んでいた。 自分は父と母の子供なのであろうか。 少なくとも、父親は暴力を振るうような人ではない。 むしろ、母親の方が厳しい人で、父は母に隠れてよく美幸を可愛がって(甘やかして)くれたものだった。 でも、あの写真の少女は自分であった。 幸彦という少年は、たぶん――いや間違いなく、自分の兄であろう。 ならば、兄は今どこでなにをしているのか――――――? 何故、兄のことを隠すのか? すぐそこに真実は見えているのに、それを認める事ができない。 美幸は、突如付きつけられた真実を受け入れる事が出来なかった。 様々な不安が胸を過ぎるのに確かめる事ができない。 次の日、結局美幸は、真実を聞けないまま家を後にした。
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