Prologue
毎日のように見る悪夢。 毎日感じる恐怖。 なぜ《彼》が在るのか分からない。 でも確実に《彼》は現れる。 私は笑ってはいけない。 幸せではいけない。 もう…誰も失いたくないから…。 私は――――――《彼》から逃げられない…。 あの日が始まりだった……、運命のあの日…。
Episode:1 予兆
ここは…? ああ…いつもの夢…。 ほら、あの人が私を見つめている。 少女は自分を見つめる男のもとへと歩み寄ろうとするが、辺りの霧は深く足元は覚束無い。 男の顔は良く見えないが、微笑みを浮かべながら少女から離れていく。 (忘れナイで……ボクはココにいる…から…) (まって!あなたは誰?)
ピピピッピピピッ 「んっ…んーん」 少女は目覚まし時計の音で目が覚めた。 少女の名は鎌森美幸(かなもり みゆき)、今春花の女子高生になったばかりだ。 美幸はカーテンを開け太陽の日差しを部屋の中に招き入れる。 「うん。今日もいい天気」 美幸はキッチンで朝ごはんの支度をしている母親の元へ向かった。 母――美紗子(みさこ)は、美幸の姿をみると優しい笑顔で声をかける。 「おはよう」 「おはよ〜、お父さんは?」 「まだ、寝ているみたいね。昨夜は帰りが遅かったから、ゆっくり寝かせてやって」 「は〜い、あのさぁ、またあの夢みた〜」 恥じらいもなく、大あくびをしながら話をする娘に呆れ顔の美紗子。 「霧の中で誰かが美幸の事を見つめている夢?」 「うん。小さい頃から繰り返し見る夢」 「不思議よねぇ。もしかしたら美幸の運命の人かもね」 「う〜ん、よく分かんないけどそんな感じじゃないんだよね…なんていうか、もっと身近な…ん〜、うまく言えないや」 「――――――そう」 複雑そうな顔で美幸を見つめていた美紗子だが、娘の「何?」という言葉で、慌てて話題をかえた。 「そ、それより美幸、今日は早いのね。何かあるの?」 「ん?ああ、まぁね」 母親の問いに言葉を濁すと、そそくさとその場を立ち去りその先にある洗面所へと向かった。 美紗子はそんな娘の態度に首を傾げながらも、手を休めることなく朝の支度を進めている。
今日の美幸には大事な約束があった。 同級生の男の子からの呼び出し。 呼び出された理由は気づいていた。 隣の席の男の子、いつも喧嘩口調だがお互い意識し合っていたのは分かっていた。 美幸は鏡の前で念入りのチェックを済ますと、約束の時間より少し早めに家を出る。 学校までは自転車で15分、まだ早いからか登校生の姿はなく、代わりに部活生の元気の良い朝練の掛け声が聞こえてくる。 少し早めに家を出てきたというのに、教室にはすでに少年の姿があった。 ごくり、とツバを飲み込むと窓際に立っている少年に声を掛けた。 「おはよう」 美幸の声に、驚いた顔で振り向いた少年。 少年の名は弘人(ひろと)。小柄だが、背の低い美紀にとってはそれでも少し見上げてしまう。 勝気な美幸に、いつもチョッカイをかけてくる、お調子者。 美幸の方は第一印象→最悪だったのだが、弘人の方は一目ぼれであった。 美幸が弘人に意識し始めたのも、何となく弘人の気持ちに気づき始めた頃からだった。 そして今日、美幸は弘人に呼び出された。 誰もいない教室に二人の声が響く。 「あのさ…」 弘人は頬を赤らめながら話を切り出した。 美幸は弘人の顔をジッと見つめている。 「オ、オレたち付き合わねぇ?」 拳を握り締め、緊張した面持ちの弘人に、美幸は笑うのを堪えながら返事をした。 「……うん。いいよ」 「ホント?いいの?」 首を縦にふる美幸に、弘人が抱きつく。 「ぃやったぁ〜〜〜あ!」 「ちょっ、ちょっと!」 「サンキュ〜〜オレ、マジうれしい!」 舞い上がる弘人を見て、美幸も喜びを隠せないでいた。 しかし、美幸の夢が悪夢に変わったのはその夜からであった。
――また?あの夢? 美幸は霧の中に立っていた。 目の前にはいつもの男が美幸を見つめている。 (また、あなたなの?) 男は美幸の方を見つめたままだ。 男の方へ近寄る。 (あなたは誰?) (……ぜだ…) (え?) 男は美幸の肩を両手で掴んだ。 (何故ダ…、ボクがいるのに……キミの事ヲ…アイシテイルのはボクだけ…) (な…何?) 男の顔は見えないがいつもの優しい笑顔は感じられない。 男に恐怖を感じ、手を払いのけようとするが男から逃れられない。 (ゆるさナイ…ボクの…ミユキを奪うヤツ……) (やぁ!) (ボク…裏切るノ…許さない……ミユキ――) 「きゃああ!」 美幸は自分の叫び声で目覚めた。 「ハア、ハア、ハア」 身体には夥しい量の汗が流れている。 叫び声を聞いた母が、心配そうな面持ちで部屋に入ってきた。 「美幸?どうしたの?」 「お母さん――――」 娘の返事に安心して、美紗子はベッドの方へ歩み寄る。 「…ごめん、大丈夫。ちょっと恐い夢を見ただけ――――」 「そう?あら、すごい汗よ!ちゃんと着替えて寝なさいね」 美紗子は娘に替えの寝巻きを手渡し、部屋を出て行った。 母親には大丈夫といったものの、あまりにリアルな夢だった為に、言いようのない不安が美幸を襲い、その夜はなかなか寝付く事ができなかった。 次の日の学校帰り、美幸と弘人は学校付近の土手沿いに座り、他愛無い話をしていた。 二人にとっては小さいけれど始めてのデートだ。 「――――でさ、アニキが生意気だーっとか言って、本気でプロレス技かけてくるんだぜ!最悪だろ?」 「ふぅん」 弘人の話に笑顔で答えている。 だが弘人には、美幸がいつもと違う事に気づいていた。 「…なんか今日元気ないよな?誘ったの…迷惑だった?」 美幸は弘人の言葉に強く否定した。 「違う!うれしかったよ!―――ちょっと昨夜、変な夢みて…気になっちゃって……ごめん」 「変な夢?」 弘人は美幸に聞き返した。 美幸は一瞬ためらったが、昨夜の夢で見たことを弘人に話した。 「そっかぁ……じゃあさ、恐い夢をみないおまじないしてやる!」 一通り話しを聞いた弘人が、何か思いついたような顔をして美幸に詰め寄る。 「弘人がおまじない?」 プッと吹き出す美幸を気にせず、弘人は強引に美幸を立ち上がらせる。 「いいから、いいから。立って!んで、目を閉じて深呼吸〜。大きくね」 美幸は渋々ながら、言うとおりに目を閉じて深呼吸をした。 ――――――聞こえてくるのは、水のせせらぎ、鳥の鳴き声、優しく包み込むような心地いい風。 「気持ちいいね…」 美幸がその大きな瞳を開けようとした瞬間、飛び込んできたのは弘人の顔であった。 とっさに逃げ腰になった美幸の身体を優しく掴んだ弘人は、そのままゆっくりと唇を近づける。 美幸のファーストキス。 その後、美幸が弘人に平手をお見舞いしたのは言うまでもないが、 事実「弘人のおまじない」の後は夢の事をさっぱり忘れていたのだから、不思議なものだ。 しかし、その夜も美幸の悪夢が消える事はなかった。
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――――ここは…、またあの夢……。 美幸の前に男が立っている。 (あなたは誰なの?なぜ私の前に現れるの!) 男から逃げるように走り出す。 しかし霧は深くなかなか前に進む事が出来ない。 男は美幸の後をゆっくり、確実に追いかけてくる。 (こないで!) 真っ白な霧の中を必死に走り続けるが、何処まで行っても男から逃れられない。 男は不適な笑みを浮かべ、呪文のように繰り返し語りかけてくる。 (キミはボクのモノ……キミは逃げられナイ……キミをアイシテイル……) (いやぁっ!) 耳を両手でふさぐが、男の声が頭の中を支配していく。 (ボクを裏切るの…ゆるさナイ……ボクのミユキ……奪うヤツはゆるさナイ……)
「ハッ!――――――また……」 悪夢から目覚めた美幸は呼吸を整えると、部屋を出て台所へと足を運んだ。 きちんと整頓された食器棚からコップを取り出し、冷たい水を注ぎこむと、それを一気に飲み干した。 物音で目を覚ました美紗子が様子を見に来る。 「美幸?また夢をみたの――――?」 美紗子はここ一ヶ月、毎晩のように夢にうなされ夜中に起きてくる娘の事を心配していた。 「……うん」 美幸はため息交じりに答えた。 始めは深く考えてなかった悪夢も、一ヶ月続けば嫌でも不安をかき立てるものである。 何か悪い事が起こりそうなそんな予感を必死で振り払っていた。 しかし、予感は的中してしまう。
―――――そして、運命の歯車が狂いはじめた。
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