私が歩んできた恥ずべき生涯において、真理らしきものを感じたのは全てを失ってからの事でした。
それは遠い過去の頃。小学校2年生の時に、生まれて初めて女性を好きになりました。貧弱でちっぽけな私の心に「ポッ」と火が付いたような気がしました。これが私の初恋でした。 なんせ小学2年。8歳の私は自分の思いを告白するチャンスも勇気もありませんでしたので、しょせん叶わぬ片思いで時はスルスルと流れて行きました。
小学校5年の時だったと思います。バレンタインディにチョコレートをもらいました。名前は忘れてしまいましたが、ただその女の子の将来の夢は看護婦になりたいと言っていた事だけは記憶の片隅に鮮明に焼き付いています。両親からも散々な程ひやかしのような言葉を投げつけられながらも私はこっそりとホワイトディの日にマシュマロを贈りました。私は不登校の常習犯でしたから、勉強が他の生徒と比べて著しく劣っていて、算数の授業の時間に先生に問題を解けと指名された時があって、当然のように私はまるでチンプンカンプンでしたから冷や汗で戸惑って居る時に、この女の子が、私の後ろから小声で正確な答えを囁いて教えてくれて、一世一代の危機を回避することが出来ました。彼女はクラスの中でもとても勉強ができる優等生で、私のような劣等生とはまるで縁の無い人だったにも関わらず、とても優しく接してくれていたのが不思議でなりませんでした。 私は、その後もどうしたことか、女の子に好かれる機会が多くなっていきました。余りにも情けの無い劣等生ぶりが、同情をかったのかも知れません・・・。
中学校に入っても色恋沙汰は絶える事はありませんでした。しかも限って優等生な女子から幾度となく告白されて、交換日記などをして密かに恋愛の真似事を数多くしていました。そんな思春期の真っ直中で私は女の子とだけはお互いの秘密を守れる唯一の存在であると変な確信じみた感情が芽生え始めてきたのです。男同士の友情なんて、これっぽっちも感じる事は無く、女の子には安心して自分の有りの侭の姿をさらけ出す事が出来るような性癖が次第に養われていきました。
中学3年の卒業を目前にしたある日のこと、運命の悪戯とでも言えば良いのかどうか解りませんが、私が小学2年生の時に感じた初恋の女の子から「お付き合いしたい」と告白されました。 私は幼い頃の小さな思い出が蘇って、熱く燃えさかる感情を抑えるのに必死でした。小学時代から、ずっと恋い焦がれていた意中の人(名前は岩井直子さんと言います)からの告白に、当時お付き合いのあった全ての女の子と終止符を打って、直子さん一筋となってしまいました。
中学の卒業式の時には、お決まりのように制服の第2ボタンを直子さんに渡して、腕を組んで記念写真などを撮り、周りの友人からも大いにひやかされましたが私の恋心はメラメラと激しい烈火の如く燃えさかり、寝ても覚めても直子さんの事で頭の中がいっぱいになってしまいました。
卒業しての春休み。神社の裏での秘密の出来事。 2人共に初めてのキスでした。脳天を貫くようなショックでした。 悪いことをしているわけでは無いのに、家に帰って両親と顔を合わせるのさえも恥ずかしくて、 私は鏡に自分を映してドキドキしていました。あの時の感覚は今でもハッキリと覚えています。 沢山の愛に包まれているようで、とても至福の一時でした。
高校入学と共に私は学校の近くに引っ越しましたので直子さんとは遠距離恋愛という形になってしまいましたが、お互い出来る限り時間を工面して触れ合っていました。 肉体関係に至るまでには、それほど時間がかかりませんでした。2人とも初体験でした。 知らない間に快楽という魔力に取り憑かれてゆく自分を感じました。 まるで坂を転がり落ちるような錯覚で、性欲をむさぼり始め、そして溺れて行きました。
17歳になった私はまだ高校生だというのにも関わらず直子さんと同姓生活を始めてしまうことになり、直子さんのご両親は激怒し、私の家まで訪れて来ました。 勿論学生でしたから自活する経済力も無く、説得力が著しく欠落した不毛な押し問答が繰り広げられましたが、反対されればされるほど私たちの密度は濃厚なものになっていきました。
私の人生という線路からの脱線の切っ掛けとなるとは当時の私には思いも寄りませんでした。
正直言って、愛情なのか性欲なのか2人を繋ぐ何か得体の知れない怪物が、眼前に立ちはだかり、行く手を塞いだのでした。 同棲生活は、毎日毎晩SEXの連続でした。私も当時は若かったので性欲も旺盛で、まるで盛りの付いた動物のようにお互いの体を求め合いました。性行為に異常なまで固執するあまり、もっともっと大切で重要な事柄を忘れてしまっていました。それは言うまでもなく私が学生であり収入がないと言うことでした。直子さんは高校を中退し、私の元へ来て喫茶店でウエイトレスのアルバイトをしていたのにも関わらず、私はのほほん顔で、せっせと高校へ通学していました。
言い忘れましたが私は中学2年の頃からエレキギターを始めていて、毎日熱心に練習を重ねていたのが幸いして、高校に入学して即上級生の人からバンドでギターを弾いてくれないかとのお誘いがあったので、喜んで参加しました。
文化祭やライブハウスでステージに立つ事になったのが切っ掛けで、私自身何がなんだかさっぱり解りませんが、女の子のファンが集まってファンクラブみたいなものが知らぬ間に出来ていた様子で、始めた当初は私と「一緒に写真を撮らせて欲しい」と言った程度でおさまっていましたが、時が経過するにつれ「お付き合いしたい」とまで言われてしまう事になって、1人や2人程度なら何とか誤魔化してはぐらかそうと思っていましたが、次から次へと人数が増えていき、挙げ句の果ては7人位の女の子と関係を持たされる事になってしまい。青天の霹靂とは正に的を射た表現で、体がいくつあっても足りないと真剣に悩んだりした時期もありました。 せめてもの救いか、運が良かったのは女の子の皆が容姿端麗で可愛い子達ばかりでしたので、血気盛ん。性欲旺盛な当時の私は願ったり叶ったりの日々を過ごしていました。 勿論同姓中の直子さんには内緒であったことは言うまでもありません。 一夜限りの関係という女の子が殆どでしたから、誰一人として名前は記憶に残っていませんが、それぞれの女の子達の求愛とでも言えばよいのか、まるで子猫のように甘えてくる姿を幾度となく見て、そして一点の曇もない真っ直ぐな愛情を感じていました。勉学に秀でていなくとも、男の親友と呼べる人さえ居なくても、「自分にはギターさえあれば・・・」などと思わざるを得ない一幕でした。それだけに止まらず、幾多の女の子を振っても振ってもつきまとわれて、いい加減にしてくれとさえ思っていました。 結果的に悟ったのは、ギターを弾いている私の姿だけを愛している女の子ばかりで、本当の私と言う人間そのものを愛してくれる人達では無いと思った瞬間に興が冷めてしまいました。 私の真の姿というか裏の裏まで知っているのは、やはり直子さん以外誰も居ないのだと心の底から思いました。 それからは、一緒に写真を撮らせてくれと言われても、へんてこりんなラブレターを貰っても、全てを拒否するようになりました。しかし女の子は拒否すれば拒否するほどまとわりついてくる性分がある様子でしたし、挙げ句の果てはとんでも無い醜い子まで現れる事態になったので、ギターを弾くのを止めようかと真剣に悩みましたが、ステージに立つという得も言われぬ恍惚感が体に染みついてしまっていたのでギターを捨てる事は到底不可能な事でした。
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