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作品名:狂人の日記 作者:田島

第7回   闘病日記(7)
【病院、共同部屋の恐怖。】

大きな部屋を半透明のカーテンで仕切る。
隣の患者の顔も知らない。
時折、揺れ動くカーテンの襞。
テレビの画像の光がカーテンで屈折して、色々な色を織りなしながら変色する。
しかも、電源の入っているテレビは合計5台・・・ともなれば、怪奇な光のダンスである。
それぞれのイヤホンから漏れる特徴的な周波数の音と重なって、さながら静かな地獄の風景である。
 カーテン越しに聞こえてくる音は私の想像力を増幅させ、緊張させる。何が動いているのか目で確認出来さえすれば、容易に理解できうるであろうそれらの音も、音だけではm到底どんなに想像力をたくましくしてみたところで、その結果はむなしく空振りに終わる。
無音の中の音を菊名のような錯覚に陥る。
無音の集団生活の恐怖。
今まで経験したことがない。
決して誇張では無い。私は他人と上手くやっていけないのだ。
その気持ちが、この6人の共同部屋での生活の恐怖なのである。
無音で垂れ下がるカーテンの恐怖。そして病の魔の手が私に忍び寄る。得体の知れない化け物が、私の身体を狙っている。
 私の生命力は萎え。私の全てが食い尽くされるまで、その化け物は攻撃の手を休めないであろう。
 逃げ場はない。化け物におわれるストレスと、化け物から逃げるストレスと、私の精神力の限界は近い。助けを呼ぶ力が無くなる前に・・・
自分の命は自分で管理したい。私が私であるがためにも。それは、まるで私が私の絵を書くときのように・・・。

【外泊】

4月15日(火)
 昨日の夜より外出している。半ば無理矢理状態での外泊である。夜は何度も目が覚める。自分が緊張&恐怖しているのが手に取るように解る。身体の不調?痛むところもこれと言って無いが、何かだるい感じがしてならない。そして気分は「鬱」だ。団体生活(大部屋)のストレスもあるのか、入院生活のストレスもあるのか、私にはこれらのことが、自分のことなのにさっぱり理解できない。結果が出ることに恐怖している。結果を知りたくない。何故?? 今までならばしの結果が知りたくて、病院に行き検査をしてもらっていたではないか!何故今になってその結果を恐れるのだろうか?自分の身体に自信がないのだろうか?もしそうだとしたら、今まで過去の検査の時には自分の体調に対して、多少なりとも自信があったのかも知れない・・・。
 手遅れの状態の「癌」が発見され、手術。そのまま体力は回復せずに・・・。ああ・・・そんなとき私は、私の精神はどうなるというのだろう?とても、とても耐えられない。耐えることが出来ません。
 大丈夫。大丈夫。と周りの人は言うけれど、大丈夫なんかありません。心配で仕方がないのです。検査に次ぐ検査で、解らなかったら結局開胸して見るしかないのでしょ?
・・・死にたい。本当に早く死んでしまいたい。もう誰も助けてはくれないのだから。目の下の「くま」も酷い。再三言うが、鏡に写る私の顔は死人同然なのである。

 なぜ私だけ・・・?
世の中には沢山人が入るのに、どうして私ばかりこれ程までに精神力が弱いのか?ある本に書いてあった。分裂症の患者は曖昧なグレーの状態を許すことが出来ないそうである。言い換えるなら、曖昧な状態(グレー)を許すことが出来るなら正常ということか?
 苦しまずに死にたい。どうせ死ぬなら早く楽になりたい。これから長生きしたとしても、どうせ私の事だから、楽しいことも少ないだろうし、病との追いかけっこが続くのだろうし・・・。
 大病なら大病。癌なら癌で良いでは無いか?死ねるんだから、それに私の体の中から癌細胞が発見された瞬間に大金が入るのだ。
 私は私の好きなように生きて死にます。たとえそれが自殺であったとしても仕方がありません。自殺最高。最も誇り高き死にかた。世の中の馬鹿医師どもへの「下剋上」である。
 自分の死は自分の手でコントロールしたい。医師は患者の苦痛を取り除けばそれでよい。医師は患者の自己回復力に頼るな。西洋医学の医師ならばなおさらである。(データ優先なんでしょ?)
 精神安定剤が効いていないと話しもできない。息苦しいのだ。呼吸が乱れるのだ。文章を考えることも、書くことさえままならない。(この文章は手書きで書いているのだが、自分の意志・思想を正確に伝えることが出来るのはやはりキーボードに限る)
 人間は真面目に生や死に向かっている。25歳の医師にそれが解る筈が無い。(私の主治医・大井医師)生活の苦しみや、人間の恐怖心。特に私のような特別(?)な人間が考える事など、常人でも難しいのに、何故25歳で理解できると言うのだ。医学的知識は最新の情報を入手しているであろうが、医者だって人間関係の上で治療が成り立っているのだ。
 金持ちの「ぼんぼん2代目」に何ができるというのだ。私の命はそれ程までに軽くはない。

 死人の目を私は知っているのだ。M.Tajima

 コンスタンの致死量は?睡眠薬の致死量は?その他の薬の致死量を私は知りたい。
 煙草を一度に1000本くらい吸えば肺に穴が開いて死ねるのかな? いや、それよりも飛び降りだ。いや首つりが良い。首をつれる場所を探しに行こう。
 死は楽だ何もかもが終わる。瞬間に終わる。そのあとは何もない。何も感じない。首つりが一番良い。首つりが一番良いのだ。自殺すれば、どれだけ私が苦しんでいたのか皆にも少しは解ってもらえるかも知れない。そんなことより、自分が楽になる。決して目覚める事のない眠りにつける。こんな幸せは他にない。病院にも2度と行かなくて済むのだ。これほど楽しいことはない。これほどうれしい事はない。
 夢を見た・・・。きちがいの見る夢だ、寝言で笑ったら自分の声で目が覚めた。

4月16日(水)
 私が生きると言うこと。
 私が生きている。私以外の人も生きている。私は死んでも皆生きている。私が苦しんでいても、他の人は苦しまない。もちろん他人様が苦しんでいても、死にかけていても、私は痛くも痒くもない。他人が死んでも何とも思わない。自分が死ぬときはもがき苦しむだろうけど。他人のことなどどうでも良い。自分さえよければ・・・。しかし、他人を気遣って自分が助かるのなら、その労力は惜しまない。
 精神安定剤・睡眠薬・そんな薬ばかりだ。死なない薬はないのだろうか?

【不思議な彩色】

 ある朝私は目覚ました。それは長い長いトンネルの中から這い出てきたかのような錯覚を感じる夢だった。確かに夢を見ていなかったわけではない筈だが、その夢らしき記憶は全く無く、ただ全身に水を浴びせかけられたような汗をかいていた。寝汗をかくなんて・・・どこか身体の調子でも悪いのだろうかと考えながら、枕元に置いてあるミネラルウォーターをラッパ飲みして、もう一度横になった。そして目を閉じると、ピンクのバックに紫色の細かい水玉が眼前いっぱいに広がったので、猛烈な恐怖を感じて、目を開けた。当たり前だが、自分の部屋の天井が見えた。恐る恐るもう一度目を閉じると、やはり同じ光景が見える。私の趣味・感覚を完全に逸脱した、いや、最もかけ離れたその景観と配色は私の胸をかきむしるかのような嫌悪感に満ち満ちていた。目覚めたときの夢のせいなのか、それとも私が気が狂ったのか?寝汗で濡れている身体から今度は脂汗が出てくるのがハッキリと感じられた。嫌な色は見たくない。嫌な配色ならなおさらである。ピンク=薄められた血液。紫=死人の顔色。と考えられ無くもないが、ピンクと紫から受ける印象は。ピンク=幼稚で軽薄それに無知。紫=貴賓高い・・・と考えられる。これほど私が忌み嫌う傾向にある事柄はそうそう他には無いだろう。色の分析はさておき、しばらくしてもう一度目をつむった。そのとき私の瞼に写った光景は、いまにも消えようとしている一本の白い光であった。それ以外は暗黒で、白い光は光の尾を出しながらゆっくりと消えて行くように見えた。光が消えて行くその姿を最後まで確認する前に私は目を開けてしまったので、急に心配になって再度目を閉じたのだが既にその光の姿はなかった。白い光はなんだったのだろうか?何処へ行ったのか?何を意味していたのだろうか?光、無き後は暗黒の世界だけが、ただただ果てもなく広がって、何処を見回しても黒一色の世界であった。

【無理矢理の退院】

 4月17日(木)
 全ての雑用から逃避したいのである。何もしたくない、する気もおきない。雑用の電話一本で、神経がかきむしられるのだ。そのため、今腹痛がおこっている。下痢を伴うような腹痛である。電話一本、自分ですれば全て終わるような雑用も、私の神経に接触してくる。あぁどうしてこんな身体に。どうして私の神経はこれ程までに弱いのだろう?常に死を考えずには居られない。自殺を常に考えてしまう。
 私の顔色は「土」の様。目の下には「隈」・・・最低の気分になる。
 何もしたくない。布団から出たくない。布団の中で死んでしまいたい。身体触れられるのが嫌だ。触れられるのが恐い。助けてくれ!誰でも良い。私のこんな気分をなんとかして欲しいのだ。何故他人は私に触れようとするのか?触るな!!!絶対!!!電話もかけてくるな!!!私に話しかけるな!!!
 やらなくてはいけない事があるだけで、私は押しつぶされそうになるのだ。私に触れるな、私に構うな、ほって置いてくれ、頼むから・・・。それが、私が助けてくれと言っていることなのだ。お願いだ。あぁ息が詰まる。呼吸と動悸が乱れる。目眩がする。そして脱力感が・・・。
 そして・・・誰の声も聞こえない。せめて死神の声でさえ聞いてみたい気分である。
 
 書くことさえ疲れを覚える。色々なアイデアや「絵」が頭の中を駆けめぐるが、現れては消えていく。その形や案を書き留める事さえ疲れはて・・・。意味不明の脱力感に襲われる。
 
 今日の検査が恐くて、病院の駐車場の前まで行って引き返してしまいました。全く情けのないことです。まるで小学生のようです。情けないです。死にたくなります。明日は展覧会の準備をします。その準備さえ終われば死んでも良いです。
 私は最低の人間です。皆の笑われものです。寒気がします。また、熱でしょうか?薬を使って早く寝てしまいたいです。寝ている間悪夢が無ければ幸いです。
 早く元気になって、いや、なれるなら絵が書きたいです。こんなに前向きなことが書けるのは薬が効いている証拠でしょう。煙草が吸いたいです。全く自殺行為です。
 誰だかは、解りませんが逢いたい人がいるような気がします。誰なのでしょう?・・・不思議です。
 2時間ほど眠って目を覚ます。腹痛と下痢。それに呼吸も、し辛い。今日は本当に良く寝る。寝て、寝て、寝まくるという感じです。寝ることによって体力や病が回復すれば良いのだが・・・。
 8時30分、夕食。食欲有り。しかし頭痛がする。でもいつもの頭痛の感じとは少し違うようだ、寝過ぎによるものかも知れない。寝過ぎたときの頭痛は特に不快感が伴っており、何とも説明がし辛いのだが、身体の「気怠さ」も手伝うからかもしれない。しかし、頭痛を感じながらも夕食が沢山とれた事は唯一の救いだと思う。
 眠れない、睡眠薬も効かない。あせる。あせればあせるほど眠れない。初歩的だ。あまりにも初歩的である。

 4月18日(金)
 アイソトープ用の注射しました。MRIをしました。検査は何時でも苦痛です。特にMRIは「閉所恐怖症」的な恐さがあるのでとても嫌です。手に脂汗がでます。アイソトープで心配なのは検査の前日に下剤を飲むことです。

 4月19日(土)
 薬の作用も有ると思うが、寝てばかり。寝ている時間が多く、目が覚めると検査のことや病気の事ばかり考えて気分は一気に「鬱」の状態へ・・・。気管支鏡をやらない胸に直接穴を開けて、細胞を採ってくる手術をするらしい・・・。それに10日程の入院が必要らしい・・・。最悪である。あぁ、脱力感と鬱状態は続く。嫌だ嫌だ嫌だ。人に逢いたくない。人と話したくない。眠っているときだけが私が解放される瞬間である。眠っている時こそ私のオアシスである。大きく深呼吸すると胸が痛む気がするが、あくまで気がするという程度だ。自分でも自分のことが解らなくなってきた。こうやって文章を書くこともなんだか億劫になって来る。全てが嫌だ嫌だ嫌だ。逃避したい。逃げたい。隠れたいのだ。
 
 今日は久しぶりに長時間パソコンに向かってみた。、朝4時頃になると寒くもないのに、なんとなく身体が震える感じがしたので(冷たい飲み物を飲んだせいかも知れないが、そればかりが原因しているとは思われない。)安定剤を服用して、そそくさと布団に入る。体温が低くなっている気もするし、自律神経が乱れているのかも知れない。体がだるい等の感覚は無い。自分でも過去に経験したことの無いような症状に面食らっている。(後に解ることだが、この症状(震え)は安定剤「Dogmatyl」の副作用らしい)過去に身体が震える感じの精神症を経験しているが今日の症状とは多少の違いを感じる。早く寝てしまうのが良いと思うし、実際さっさと寝てしまいたい。やはり、身体が本調子でないと痛感する一時である。心配な事この上無い。一生の終わりが足音をたてて近づいている証拠かも知れない。自分の才能の限界を出し切る前に私の命は燃え尽きるのであろうか?はたまた、自分の限界は既に来ているのであろうか?当然の事ながら自分では推し量る術もなく、只々、愕然と時の流れに実を任せている感じである。自分でも一寸先は闇の状態なのである。病状もそうだが、自分の運命的な何かが自分の意志以外の部分でドロドロと動いているような感覚が手に取るように解るので、気味が悪い思いなのである。夢の内容一つとってみても、通常の夢とは明らかに違う何かを毎日のように感じているのである。
 私は前に、病室の恐怖について、ストーリーを書いた・・・それに非常に酷似した精神状態を経験しているような気がする。それは、得体の知れないモノへの恐怖心というか、自分でコントロール出来ないような恐怖。又、普段の生活では体験し得ない恐怖とでも言えば良いのだろうか?そう言った「恐怖心」が自律神経の乱れとなって、さまざまに形を変えて身体の症状となって私を襲ってくるのだ。逃げても逃げても追いかけてくる病魔、克服しようとすればするほど私を苦しめる。。精神症等、私の恐怖はいったい何処から来るのであろうか?自分でも驚くほどの絵のアイデアが生まれては消えていく。パソコンで出来るだけ早く描画して記録して行かなくては、自分にはあまり時間がないのだと言う恐怖や焦りがそうしているのだろうか?それとも私の芸術性は、世界的に認められるレベルなのであろうか?どれもこれも不安の塊なのである。せめて強靭な肉体さえ持ち合わせているのなら、これほど苦しむ必要もなく、芸術そのものに没頭できるとさえ思ってしまう。いや、違う。これら虫のように小さな生命力と、ノミのような心臓を備えているからこそ、私の芸術性にはオリジナリティーが有るのだと思うしか無いのである。
 身体の不調。精神の乱れ。どれをとっても私の芸術性の一環なのかも知れない。例えそれが死であったとしても、それはそれで芸術以外の何者でもなく、全ては私が私である為に用意周到に仕組まれたストーリーであるのかも知れない。誠に自分勝手な考えだが、こう思うしか私は私を維持できない所まで来ているのだ。

 4月20日(日)
 多少、時々、息苦しさがあるが精神症と思われる。背中の一部にこりのような痛みも感じるが、神経痛のような気もする・・・。全くすっきりしない体である。ガッテム!!明日の検査の為である。9時に「下剤」飲む。息苦しい感じはもしかすると胃が悪いのかも知れない。顔がポッと熱っぽい。・・・ひどい悪寒は無い。「痔」が出てきた・・・。何故にこんなにまで・・・。

 4月21日(月)
 アイソトープ・・・。閉所恐怖症はやはり辛い。この手の検査は手に汗握る・・・。夕べ飲んだ下剤のせいで便が柔らかいので「痔」が悪化。最悪である。
 午後は6時から今後の治療の方針を決めるらしい。私の気持ちとしては、検査はもうこれ以上御免ということに尽きる。入院も然りである。最悪の病魔が潜んでいたとしてもである。
 夕べは4時半頃からしか寝ていない。起きたのが8時だから、3・4時間の睡眠と言うことになる。私にしてみれば睡眠不足なのである。現在非常に眠い。6時まで時間があるので寝ようと思いながらこれを書いている。「痔」も疎ましい。「導引」をしなくてはならない。いつも、大抵は「導引」で治るのだから・・・。

 水曜日(23日)に精神科(主治医:山田)に行かなくてはいけない。薬も無くなることだし。

 前にも書いたが本日6時からの医者の話が気になるところである・・・。

6時からのドクターの話。要約すると、
 どうしても「気管支鏡」をさせたい、とのこと。「気管支鏡」の成功率(診断)70%、もし診断できない場合、胸に3つの穴を開ける手術による検査になると言う。「気管支鏡」は麻酔を使い苦しくないようにするとのこと。今週の木曜はどうか?と問われるが断る。血液検査ではほとんどが正常な状態。癌の確立も低いと言っていた。
 しかし、「気管支鏡」の検査は外せないと言う。困ったもんだ。ドクターはどうしても病原を突き詰めたいらしい。私は・・・。そんな話をしていると、猛烈に偏頭痛がしてきた。帰ってきても食欲もないまま、ドクター大井から処方された薬を飲んで仮眠をとると何とか頭痛はおさまるが、まだ、頭の芯に痛みが残っている感覚である。マッサージも施してなんとか、かんとか、という状態である。私の体の中で、一体全体、何が起こっているというのだろうか?
 おかしい・・・。また頭痛が・・・。

 4月25日(金)
 昼頃より、喉の痛みが酷い。リフレッシュコーワとかイソジンを精力的に試みる。今、また風邪などにかかって熱を出している場合では無いのだ。少しせき込むこともあるが、なんとか頑張ってイソジンしてみよう。煙草も厳禁である。パイポを吸っていると、喉の痛みが増すように感じたので、止めて、「飴」を舐めることにする。喉の痛み以外、悪寒は無いので、まずまずである。しかし、喉の痛みは気になるところ。咳をすると、胸が痛む気がする。咳も「からぜき」の状態。

 4月26日(土)
 喉の痛みは昨日よりかなり軽減されている。イソジンや、フィニッシュコーワの使用も頑張って増やしているのだ。これ以上ひどくなってはいけない。絶対にだ!! 本日、朝起きがけに多少咳が出たが日中は一度も咳は出ていない。時折、肋間神経痛のような症状が現れるが、あまり気にしないようにしている。飛騨にいる小次郎と電話する。「お父さん元気になった?」という声に胸が詰まる思いがする。小次郎のためにも早く元気にならなければ・・・。

【東京へ】

 4月27日(日)
 早朝4時半、車で岐阜を出る。体調は喉が多少痛む他は別に変わったところはない。車内で話をし過ぎたせいか喉が痛くなってくる。高速道路のパーキングでイソジン、車内でフィニッシュコーワをし、喉の痛みも回復できた。
 今日は実に良く歩いた。夕食も満腹感を感じるほど食べることが出来た。(久しぶりのことだ。)夜、ホテルに戻って9時〜3時30分まで寝てしまう。変な夢で目が覚めると、シャワーを浴びてリラックス状態。安定剤を服用する。喉が痛む。時々からゼキのような咳をする。気になる・・・。イソジンはかかせない。
 今日まで結構長い間便秘である。アイソトープ検査の時に下剤を飲んで下痢をしてから通じが無いと記憶している。

 4月28日(月)
 東京で向かえる朝である。
 今日も良く歩いた。実に良く歩いた。足が痛むなんて何年ぶりであろう。食欲は旺盛。生活リズムも正常。しかし、喉の痛みも気になるのでイソジンと数十回のフィニッシュコーワである。咳も頻繁では無いにしても、皆無ではなくそれもカラカラに乾いた咳が一日に5回位でる。眠っているときの咳については自覚できないので不明である。
 又、今日は沢山の人にあった。人に会うことは疲れる行為だ、それも初対面の人となればなおさらのことである。しかし、今日ほど歩いて(行動して)、人と話して、場所を移動して・・・非常に活動的な一日であった。
 夜ホテルに戻ってマッサージを受け、入浴を済ませると、精神的には非常にリラックスしている。食べ過ぎたせいか、胃が張っている(笑)

【岐阜へ。(食欲増加)】

 5月1日(木)
 肺の検査はどうするのだ。死期が速まっても良いのか?揺れ動く自分の心。完治する病なら治したほうが良いに決まっている。しかしその検査の苦痛や入院、それに失敗するかも・・・というリスクを考えるとどうしても検査をすることに同意(納得)できない。あぁどうすれば良いのか?揺れ動く自分の心。こんなのは自分が自分で無くなっていくようだ。死んでも良いのか?早死にでも良いのか?長寿は美徳か?長寿のメリットとは何か?太く短い人生もまた人生。太く長い人生もあるだろう・・・しかし・・・。
 私は芸術家になりたいのだ!私の芸術で沢山の人の心を動かしたいのだ!デザインの仕事ではそれは出来ない。決して出来ないことを私は悟った。それに長寿は必要か?有る程度の健康は必要だ。
 肺の検査はどうするのだ。死期が速まっているかもしれないぞ。検査をしなければしないで、ずっとその恐怖にさいなまれるぞ。自殺するしか術はない。
 小次郎のヒステリックな鳴き声が私の神経を逆撫でする。私は情緒不安定。私は狂人。そんな精神状態の中でも抗鬱剤(Dogmatyl)の副作用でモーレツな食欲である。狂ったように食物を口に運ぶ自分は「豚」である。食べ物は錠剤かカプセルで済ませてしまいたいという考えであった私が、今は満腹感を感じないし「箸」を止めれない。こんなのは人間ではない。決して自分ではない。
 煙草の本数も増える。一日20本位か・・・。イソジンはかかせない(半ば癖になっているかもしれない)喉の痛み事態は徐々に良くなってきている。咳はほとんどでない。
 イライラする。あぁとてもイライラが激しいのだ薬が効かないのだ。

 5月3日(土)
 食欲が有りすぎる程ある。服を着て体重計に乗ると46kgかなり急激に増えている。やはり抗鬱剤(Dogmatyl)の副作用と思われる。夕べは久しぶりに飲みに行ったのだが、二日酔いも無かったし、朝食も食欲が損なわれることも無かった。喉の痛みもさほど気にならないようになってきた。しかし、その分煙草の量が増えてきたので要注意である。
 夜、急に肺の事が気になり出す。やはり検査して治療した方が良いのではないか?いや、しかし食欲もあるし元気なのだから大丈夫だ!この二つの考えが頭の中で行ったり来たりするのだ。精神状態が乱れている。あわてて安定剤を服用する。
 完全に安定剤に依存している自分を感じる。仕方のないことである。私はいつまで生きられるのですか?誰か教えて下さい。

 5月4日(日)
 昼に起床。人混みに行ったので疲れた。空腹になると体力が低下してくるような錯覚を覚える。食事は目一杯食べることができる。 食べても食べても食欲はあるのだが、胃が一杯で食べれない程の食欲である。食後に睡魔が襲ってきたので睡眠をとる(7時〜11時位の4時間)今夜は眠れそうにないなぁ・・・。

 安定剤で微睡む心地よさというものがある。眠気に近いそれは、決して睡魔などという野蛮なものとは比較にならないほどである。もっと強力なトランキライザーであればあるほど、この効果は絶大なのか?と考えてしまう。五感全てにフィルターがかかったような状態とでも表現すべきなのであろうか・・・、とにかくCONSTANとDogmatylそれにDEPASを同時に服用したときの感覚は口では言い表せない。やはりそれは、きっと眠気に非常に酷似していると思う。

 5月5日(月)
 正午に起床。2台の車を洗車する。心地よい疲労感の後、2時頃昼食。又しても爆発的な食欲で自分の体に驚く始末。(Dogmatylの効き目は凄い)

 5月6日(火)
 10時より、仕事関係で5時頃までフル稼働だった、今日は暑さのせいもあってか、非常に体力を消耗した感じで、疲れた。夕食前に1時間ほどの仮眠をとっても完全には回復せず、夜12時を過ぎたあたり(時間的にも気温が下がってくる頃合である)から徐々に回復していった。夕べインフルエンザの患者の居る家にいったので、イソジンでのうがいを特に心がけている。発熱はもう御免なのである。比較的精神的にも安定していた一日であった。(今月は月末頃、仕事も徐々にピークに達することが予想される。)

 5月7日(水)
 とにかく日中は、真夏のように熱い日であった。夜になって雨になったがムシムシとして非常に不快な気温と湿度である。
体調良好。精神的にも割と安定しているにも関わらず、イライラして他人に優しくなれない自分を感じる。つい、言葉や思考が刺々しくなってしまう・・・原因は全く不明。
 手首や腕、それにウエストが自分で触ってもそれを感じることが出来るほどに、太くなった。体重計に乗ると46k。
 安定剤に慣れてきたせいか、あまり効き目を実感出来ない。だからといって別に問題では無いのだが・・・。

 5月9日(金)
 今日は午後より自動車で色々行くところがあって、7時頃まで殆ど車での移動だった、それも関係してるせいか、喉の奥の方に痛みを感じたので、イソジンとフィニッシュコーワを使用する回数も必然的に増えた。深夜になって喉の痛みはさほど気にならない程度にまでなった。やはり「うがい」は効果があるようだ、外出後のうがいで私の体の抵抗力が増せばそれに越したことは無いと思っている。精神状態は割と良好な部類に入るほうだろう。仕事も徐々にではあるがたて込んで来た。病気には要注意である。病気には絶対かかることは許されない。せめて今月中は・・・。
 CONSTAN・Dogmatylの服用は、1日2回が殆どであり、たまに早起きすると一日3回の服用になる。睡眠前のDEPASに関しては、飲んだり飲まなかったりである。依然として食欲は有る。今の所目に見えて体重の増加は無いようだ。(服を着た状態で45.5kg)便通も割と正常で、頻尿。(私は水を大量に飲むので仕方のないことだと思う。)
 現在キーボードを叩いていて、何故だか知らないが鼻水がでる。

 5月10日(土)
 11時起床。朝起きると腰が痛む(右の後辺り)。精神的にイライラ気味である喉の痛みは今の所無いようだ。11時30分CONSTAN・Dogmatyl服用

 5月11日(日)
 夕べ飲みに行って、本日は早朝より(6時)より二日酔いの状態がひどくて目が覚めてしまう。強烈な吐き気と頭痛がして、精神的にも極度に不安定な状態になった。(体の震えを伴う、体の変調に対する恐怖心である。)その後少し眠ったらなんとか活動できる状態へ・・・。その後のスケジュールも結構ハードで、一日中作業をしなくてはいけなかった。結局全ての作業が終わったのが12日の午前5時である・・・多少咳込むこともあって、何度か不安な気持ちに成ったが、なんとか乗り越えることができた。やはり煙草は肺に良くないと痛感する。禁煙したほうが良いに決まっている。咳をしたときに、口の中が血の味がしたような錯覚もあったが、実際に出血等は無かったようだ。それに胸が痛む感じもしたが、これも例によって、肋間神経痛の症状であると思われる。疲れた・・・とにかく疲れた。異常に疲れた一日であった。

 5月14日(水)
 平凡な一日・・・といっても、仕事の忙しさはピークを迎え今週末の結婚式の予定も相まって、かなり厳しいスケジュールであった。本日、大学病院の主治医の大井医師から電話があり、諸々の検査の結果に全く異常がないということであった。もしかすると肺の影も消えているかも知れないということで、最寄りの病院もしくは、大学病院にて胸のレントゲンを撮ってみるように指示を受ける。ということは、アイソトープの結果にも異常は見られなかったようだ。まぁ、とりあえず現状では仕事も忙しい状況であるし、家を離れることが出来ないので少しインターバルを取ってみるしか術は無さそうである。今、良子が風邪をひいたようで、咳込みが激しい。喉もかなり痛いようだ。もしかすると鼻炎の症状かも知れないが、もし風邪だった場合のことも考えて、感染しないようにうがいを頻繁にするように心がけている。
 最近の事だが、食後満腹感を感じると耐えられないくらい眠たくなるし、眠ってしまう。我慢が出来ないのだ・・・。別段眠ってしまっても、今の所支障はないので良いのだが、毎食後に眠たくなるのは考えものだ。(本日夕食後に服を着たまま体重計に乗ると48kgであった。)

【飛騨へ】

 5月15日(木)
 夜9時30分、我が家を出発。飛騨へ到着したのは12時を少し回った位。到着早々小次郎が38、9度の熱を出した。しかし「救命丸」を服用させるとすぐに熱は下がった。全く原因不明の熱である。良子も微熱があるらしいし、文も熱っぽい感じである。家族の中でなんとか健康を保っているのは私一人位なもので、先日も書いたが感染しないように注意したい。

 5月16日(金)
 それと、余りにもくだらないことだが気になったので記しておくと、夕べ夜中、無性に後頭部が痒くなった、(痒みで目が覚めるほどである。)朝、見てみると「ふけ」が異常に出ているのでシャンプーをすると、痒みと「ふけ」は治まった・・・。頭が痒くて目が覚めるなど、生まれて初めての経験である(笑)
 それともう一つ気になったことが有るので記しておくと、少しの運動(ちょっとしたランニング)で、息が切れる・・・というか呼吸が荒くなる傾向が見られる。以前は「これくらい走っただけで息が切れる事は無かったのに」と思う距離や運動量でも、そう感じられた。これは急に増えた体重のせいであろうか?(今日飛騨で体重計に乗ると46、5kgであった。) 言えることは精神症からくるものでは無いことは確実に実感される。
 2時30分よりマッサージにかかる。珍しいことにマッサージ中にうたた寝をしてしまった。マッサージ師の言うことには。「今、割と体調がいいですね・・・」とのこと。(体調が悪いときには通常とは違う部位にコリが現れるらしい。)流石に飛騨は気温が低く肌寒いので、風邪をひかないように注意しなくてはいけない。(気温の低さから悪寒がしているような錯覚を覚える程である。)頭痛も無く食欲も通常である。取りあえず、精神的にも肉体的にも健康といえるであろう。
 7時30分夕食。夕食後10時頃まで寝てしまった。やはり食後の睡魔は相変わらずである。
 12時。入浴後、空腹感を感じる。若干の息苦しさ(精神症であろう)を感じつつ、なんだか体全体(精神的にも)がすっきりとしない状態でこの日記を入力している。

 5月18日(日)
 今日は岐阜へ帰る日である。帰りの道中で、激しい頭痛が始まった。夕べ、非常に冷え込んだので、寝るときに肩に力が入っていたせいか明らかに肩のコリから来る頭痛であることが分かった。帰り道の途中で、我慢できなくなってきたので薬を服用。肩を回したり、マッサージを施すと多少改善されたので、なんとか帰宅することが出来たが、その後も頭の芯に痛みが残って無くならない感じがしていた。帰宅後、パソコンに向かって3時間程仕事をする・・・。煙草を沢山吸った。コーヒーも沢山飲んだ・・・自己嫌悪である。・・・が、しかし仕方のないことかも知れないと自分を慰めている。
 服を着て体重計に乗ると49kgを示した。自分でも驚きを隠せない。

5月27日(火)
 昨日の夕食後、腹痛を伴う下痢をする。今日も夕食2時間後位に、下痢をした。2、3日前から、夕方になってくると寒気がして、顔が熱っぽい感じがするので、熱を測ってみたが36、5度だった。明らかに風邪の初期の症状と思われる。ひどくならないうちに何とか手を打っておかないといけないと思うが、うがい以外には、なす術がない。この、寒気がして顔が火照る感じは過去に何度も体験(経験)してきた症状だ。この症状の後にはかならずといって良いほど熱が出て、風邪で寝込んでしまう羽目になる。前にも書いたがこの症状の時に何とかしなくては、、、しかし、ここ最近ノドの痛みを感じていなかったので、外出から戻ったときのうがいを怠っていたのが敗因だと思う。やはり、うがいは私の体の抵抗力を幾分か高めてくれていたと痛感している。食欲の方は普通といったところか・・・以前のように狂ったごとくの食欲は治まったものの、食べ始めると結構な量を食べることが出来る。出来るだけ栄養の配分を考えた食事をして風邪に備えなければならないと思う。(風邪と決まったわけでは無いのだが・・・。)体重は服を着た状態で47、5kg。その他、ここ一週間の内で気になっている症状としては。時々「目が痒い」ということだ。充血もある。それに対しての処置は何もしていない。
 今、この記録を読み返してみた。やはり高熱が出る前には必ずといって良いほど顔の火照りと、悪寒そして下痢の症状があるようだ・・・あぁ、又あの悪夢(病気)がやってくるのか?そして、又、連日この日誌を書く日がやってくるのか?今でも、若干寒気(悪寒)を感じる、部屋の気温のせいでは無いことだけは確かなことである。
 (就寝前布団の中にて・・・)この症状は明らかに風邪であるだろう。肺は大丈夫か?炎症反応は又上がるのか?高熱は出るのか?咳や喉の痛みと言った基本的(?)な症状はいつものように皆無である。

 「私は今、夢の中。夢の中の自分が居る。目を覚ましても夢の中、恐怖である。
目覚めることが無い夢なのだ、地獄である。又、悪魔の手が忍び寄ってきている。私には、その足音が聞こえるのだ。夢の中の自分が夢から覚めようと必死でもがき苦しんで居る。「夢から覚めることが出来れば・・・」いや、この夢は決して覚めることのない夢なのだ。夢の中で夢を見ること事さえ苦痛なのだ。悪魔が来る!すぐそこに来ている!私には分かるのだ!
 この感覚。この感触。間違いない!私は目覚めている時でさえ夢を見ることが出来るのだ。」

 悪寒だ、食欲不振が来る。体重が減る。
作品を仕上げた。フィギアに色を塗った。作品を額に入れて飾った。仕事を急ピッチで仕上げた。HPもアップできた。雑誌の仕事もなんなくこなせた。病気さえしなければ私はこんなに作業が出き、捗るのだ。病気でない時間は少ないのだから出来る限り創作に費やそう。そうだ!創作である。芸術である! 狂人と笑われようとも創作し続けよう。元気なときには作品を作るのだ。文章を書くのだ。作って書いて、描きまくれ!病に倒れたときの為にも。そして、偶然にもその病が完治して、再度創作に打ち込める日が来たときの為に。今日、一枚の絵を完成させた。完成度は50%のできである。
 フォトショップのフィルターに頼っている自分が情けなく不甲斐ない。フィルターを一つ掛ける度に私の気持ちは落ち込んでいき、うなだれた気分になると同時にそのフィルターの効果に驚愕し、大満足している自分が痛々しいのである。

 「暗闇の中を私は歩いた。暗闇の中から時々フッと色々な人が顔を出しては消えていった。自分ではどうしようもなく落ち込んだ時、誰かに相談を持ちかけても、皆暗闇の中に逃げ込むように私の前から姿を消した。それでも苦しくてたまらないので後を追いかけ呼び止めると、その人達は決まって憤慨した。
 私は暗闇の中を走っていた。歩いていたときのように色々な人は現れなかった。でも、走っている私を呼び止める人が現れた。私は走っているのに疲れてはいなかった。私は立ち止まりその人の話に耳を傾けた。その人の話は私にとって、何の意味もなくただただ退屈な話だった。
 私は暗闇の中で立ち止まった。暗闇はじっと動かなかった。」

 自分への質問。
●君は芸術的思考をしているか?
●逃げないで創作というものに直面できているか?
●自分の過去の作品に気持ちが惑わされていないか?
●他人の作品を素直に観賞できるか?
●発想そのものを大切に感じる事ができているか?
●発想を具現化しようと努力しているか?
●自分の作風に迷いは無いか?

これらを肝に命じ、自分を信じて進み続ける事のみが芸術性を高める唯一の事に他ならない。持続も又芸術性の一環である。

精神安定は幸せを招き。生活の安定はでくの坊に成り下がる。
良い妻をめとると幸いである。あなたは誰にでも優しくなれるであろう。
悪い妻をめとると幸いである。あなたは哲学者になれるから

 5月28日(水)
 本日は、夕食後も下痢は無し。夕方入浴をしたが、特に目立った悪寒は無い。(皆無では無い)昼食後の3時間ほどの昼寝が、かなり効果があったのかも知れない。外出後のうがいは欠かさない。食べれば沢山食べることが出来るのだが、食事前の食欲は余り無い。

 6月10日(火)
 新美クリニックで胸のレントゲン写真を撮る。以前あった影は消え失せ、新美医師がしきりに驚いていたのが印象的だった。とにもかくにも悪いもの(?)が無くなったのだから良いではないのだろうか?私も不思議だが・・・。一応血液の炎症反応を見るため、採血をして、CTも撮って置いた方が良いらしいのと、半年に一回の胆嚢ポリープの状況を見るための腹部エコー検査を今週の金曜日午前11時30分に予約した。
 正直言って、内心ホッとした。今となってはあの時(入院時)の肺の影は何だったのか知る術はないのだが、良いものにしても悪いものにしても消えていることには間違いのないことなのだ。
又、2週間ほど前から、風邪にかかりかけているような症状があったのも、どうやら必死のうがいで、なんとか持ちこたえたようだ。

 6月13日(金)
 新美クリニックでの結果。胸部CTスキャンは、以前存在していた影は完全ではないものの、殆ど消失している状態らしい。胆嚢ポリープに関しても、大きさ数等に変化はない。が、ひとつ腎臓に石があることが発見された。別にこれといった処置はしなくても良いが、もし今後強烈な痛みと共に血尿があったら、すぐに来院するように告げられた。それと、肺の影の原因が未だに不明ということもあって、風邪をひいたり咳が出だしたりした場合には即CTで肺の様子を検査した方が懸命であると、知らされた。
 あと、私の体で、修理して置かなくてはいけない部分は、「歯」と「カイロプラクティス」での背骨の矯正であろう・・・。いずれにしても時間とお金がかかることである。それに、最も必要なことはそれら治療に通う忍耐力であると思われる。
 最近は、毎日欠かさず3回コンスタンとドグマチールを服用している。食欲は以前のように旺盛とは言えないまでも、食欲不振・胃の不快感等は皆無の状態である。体重の増加も止まっているようだ。(裸で47、5〜48、5付近)

 6月19日(木)
 仕事上の問題で、又してもトラブル・・・考えさせられる所あり。私はいつも仲間と上手くやっていけない。いつもでも蚊帳の外。それにいかなる人からも非難の的。少し仲良くなったかのように思われた人でも、ある日突然手のひらを返したように裏がえる。何故?と、過去に何度考えさせられてきたことだろう・・・。今回も同じ事の繰り返しである。精神的な部分が破壊される気持ちになってしまう。いつもは、ただ精神的に落ち込んで元気が無くなるだけなのだが、今回は体力があるせいか、何となく物にあたりたくなる。(運動がしたくなるor体を動かしたくなる。)不思議だ。仕事・金のトラブルは、今までも何度も何度も経験して嫌な思い出ばかりである。いっそお金など無くなってしまえばよいと、子供じみたことさえ考えてしまうのである。
 絵を描く・HPを更新する等の気力が枯渇していく。他事(遊び)にさえ集中できない自分がいる。情けないことだが逃れられない事実なのである。
 良子がこんな事を言っていた。「体の具合の悪いときに、絵や書き物の作業が捗っているように感じる。健康な時にはそれらが、停滞する・・・」と。確かにそうかも知れない。私の作品は私の苦悩か?現実逃避か?しかし、今回このような精神状態のときには、何も手に付かない状況に陥ってしまう。病気と精神的バランス、そして生活のリズム。それらが上手くシンクロしないと作品を仕上げることが出来ないなんて、なんてこどだろう。芸術家ぶってるんじゃあ無い。これは仕方のないことなのだろうか?いや違う。誰でも多かれ少なかれこういった傾向にあるはずである。たまたま私の場合その傾向が強いと言うことだけなのであろう。しかし、自分にとっては不快感極まりない症状であり現象なのである。せめて、作画が完全なる現実逃避の場所であればとこれほど強く思ったことは過去には無い。

 6月30日(月)
 6月26日〜29日まで、飛騨ですごした。肩こりや腰の痛みの症状がひどく、マッサージにかかったがさほど改善はされなかった。
 29日の夜に帰宅。本日朝より、悪寒がして体が熱っぽい感じがするので、即うがいをする。これ以上症状が悪化しない事を強く願う。

 7月31日(木)
 夜、喉の痛みが激しい

 8月1日(金)
 喉の痛みは相変わらずである。多少の腹痛を伴う下痢をする。夕方より悪寒と鼻水があり体がだるい。典型的な風邪の症状と思われる。(イソジンでのうがいは昨日から数十回行っている)高熱が出ないことを祈るばかりである。食前(4時30分頃に市販の風邪薬を服用)体のだるさは一向に改善されないがイソジンと喉飴のおかげで、喉の痛みはごまかされている感じがする。風邪薬の副作用なのか眠気がする。(現在 5時30分)

 8月2日(土)
 37度前後の微熱、体もだるい。一日中寝ている。熱が高くならないのが唯一の救いだが本当に体がすっきりしない状態である。鼻づまりが激しく、完全に鼻声状態である。夜にかけて大分回復してきたように思われるがまだまだ油断は禁物である。

 8月13日(水)
 風邪の方の症状は、ときどき痰を出そうとする咳が出る程度で、ほぼ治ってきたと思われる。今日からお盆ということもあって、飛騨に行くことになる。丁度2週間程前から気になっていた眼痛と、偏頭痛(たとえば、煙草に火をつけようとして視点を近くにすると「ズキン」と眼球に痛みが走るのである。そして視点を暫くそのままにしておくと、痛みは徐々に無くなっていくのだが、すぐに視点を変えると又「ズキン」と痛む。眼球の焦点調節機能がおかしくなっているのではないかと思われる。)がピークとなる。マッサージを施しても何の効果もないように感じられる。

 8月16日(土)
 飛騨の実家で、体調の不調もあって、突然鬱の状態になってしまう。誰とも話したくない。誰の顔も見たくないという状態になってしまう。それに何度でも眠りに付けるのだ。目が覚めては寝て。又目が覚めては寝る・・・の繰り返しなのである。眼痛(眼精疲労か?)からくる偏頭痛や肩こりの症状の数々や、明らかに自律神経がみだれていると思われる症状等が、いっきに私の体を襲う。本日の夜にようやく飛騨から、命からがらの状態で岐阜に戻ってくることが出来て、なんとか精神的にも落ち着いた感じがしたのだが・・・。

 8月17日(日)
 今日は昼過ぎまで寝ていた。それから外へ出かける。眼痛もある。偏頭痛といえるほどの痛みは感じなかったものの、何時偏頭痛がおこってもおかしくないような、前兆のようなものが頭の中にある感じがして、気分的には全然すっきりしないのだ。鬱のような感じもまだまだ抜け切れていないようだし・・・。

 12月27日(土)
 久しぶりにこの日記を書く・・・。相変わらずの偏頭痛も定期的(?)にやってくるし、肩こりもある。しかし今までこれといった病気もしないまま今日に至った。風邪をひきかけたこともあったが、熱が出ることもなく過ぎていったようである。
 半年に一度の定期検診(腹部エコーとCT)の結果。胆嚢のポリープについては以前と変わらない状態。腎臓の石についても同様だったのだが、肝臓に脂肪が付いている(脂肪肝)と指摘される。毎日15分でいいから歩くように指示される。現在体重は52、5kg一番痩せていたときと比べると10kgは太っている・・・。

 12月31日(水)
 煙草の味が不味く感じられる。鼻水もでるし、多少喉の調子もおかしいようだ。風邪かも知れないのでイソジンとフィニッシュコーワをマメに使用する。今の所その他、体に不具合は無い。

平成10年1月24日(土)
 食後下痢(一回きり)

1月25日(日)
 頭痛。薬で治る。12時30分頃下痢。一日中身体がだるい。

【風邪?】
1月26日(月)
 喉が痛い。

1月27日(火)
 身体がだるく、呼吸が荒くなる。風邪かもしれない。身体の節々が痛い感じがするのでインフルエンザの可能性も考えられる。相変わらず喉の痛みはある。又熱っぽさも多少感じられる。食欲が無い。

1月28日(水)
 病院へ行く。喉がかなり赤いので風邪らしい。投薬される。相変わらず喉の痛み有り。

1月29日(木)
 一日中寝ている。何度寝てもまた寝る事ができる。夜11時〜3時まで寝たときに寝汗をかく、症状が悪化しているのかもしれない、前後するが、夕食(7時)後身体が非常にだるかった。
 長時間眠っていられない(2、3時間が限度)この状態はかなり以前から続いている。

1月30日(土)
 喉の痛みは睡眠から目覚めた時にだけ感じるようだ。それ以外の時にはあまり感じない。胃が悪いせいか呼吸がし辛い感じがする(息苦しい)身体がだるい。目眩も時々感じる。

2月1日(日)
寝汗は無くなったようであるが、今度は目眩を感じるようになった。身体には力が入らず脱力感がある。夕方に入浴するが目眩がして不快感大である。時々襲ってくる息苦しさも大変不快である。
 薬もかかさず飲んでいるし割と安静にしているにもかかわらず体調が良くならない気がする。

2月2日(月)
 新美クリニックで目眩がすると言うと風邪では目眩はしないとの返答。結局目眩用の薬を出される。息苦しい感じはどうやら胃の調子が悪いからだと思われる。夜、胃の辺りがシクシクと痛むような膨張感がある。風邪薬で胃がやられたのかも知れないし、又、インフルエンザから来る胃の痛みかも知れない。血液検査の結果により薬の内容を変えてみると医師は話していた。

2月3日(火)
 毎日飲んでいる缶コーヒーがいけない。
 運動不足がいけない。
 不規則な生活がいけない。
 何もかもがいけないのだ。私の身体は刻一刻と崩壊へ向かっているのだ。

2月5日(木)
 強烈な頭痛、吐き気を伴っている。死ねるものなら死んでしまいたくなるような頭痛。薬も効かないマッサージもダメだ。

2月6日(金)
 神経が高ぶって眠れない。一日中が昼であり夜である。私はこれでも人間なのか?

2月9日(月)
 夢を良く見る。決まって不快感極まりない夢である。エロチックな夢を見た朝は特に不快である。
 自分の深層の部分で一体全体何を考えているのだろう?あんな変な夢ばかりを見る自分が嫌だ。眠りから目覚める事にさえ恐怖を感じてしまう。

【徒然】
 他人を思いやった。裏切られてしっぺ返し。身から出た錆と笑うがよい。声高らかに笑うが良い。私だって負けたくないのだ。いつか見返してやりたいのだ。私の歩く足跡にはそんな血塗られた、意地汚く醜いしみがこびりついている。

 一週間が始まる。恐怖。恐い。誰か助けて。一週間という時間が襲ってくる。私に勝ち目はない。勝っても仕方ない。負けるのみだ。自分の身体と精神力に自信が無い。誰も助けてくれない。私は独りぼっち。死にたい。死にたい。死んでしまいたい。

 君は外が白々と明るくなってくるのが恐くないの?僕はとっても恐いんだ。どうしてかって?それは一日が始まってしまうからだよ。世の中の人達がムクムクと布団から這い出て活動を始めるからだよ、そんな奇妙な事ばかりが頭の中を駆けめぐって恐くなってしまうんだよ。世間が眠っているときは気が楽だね。世間が目を覚まし始めるときが恐怖なんだよ。自分もムクムクと目を覚まさないといけないからね。僕はずっと死人のように寝ていたいんだよ。そんなことはお構いなしに陽が昇って、朝が来て、新聞が配達されて、自動車が走り出して、隣の部屋では朝食の仕度をする音やら扉を開閉する音などが聞こえて・・・
朝のテレビ番組が始まって、太陽が昇って、窓が明るくなって、カーテンに色が付いて来て、室温も少し上がって、空気が活発に動き始めて、空が動いて、折角止まっていた空気も動き始めて、世間の人が目を覚まして僕に向かってあれをしろ!これをしろ!ああするな!こうするな!と命令ばかりを言いつけにやってくる。僕は胸が苦しくなるのを我慢して世間の人に合わせようと努力する。あぁ救急車のサイレンの音が遠くで聞こえる。世間から逃れられた人を運ぶ救急車。僕が乗る救急車は何時迎えに来てくれるの?

 缶コーヒーの蓋を開ける。タバコを取り出しジッポでリズミカルに火を付ける。缶コーヒーを一口、口に含む。味を確かめながらタバコを吸う。。大きな生あくびが一つでる。タバコの灰を払いながら缶コーヒーを又一口飲む。コップにそそいでおいた水を一口飲む。タバコは半分も吸い終わらないうちに火を消す。大きくため息をついて宙を見つめる。私の神経がボロボロと音をたてて崩れていく音に耳を傾ける。

 人混みの中で私は一人考えていた。「皆どこへ何をしに行くの?」車の運転をしながら私は考えた「皆、どこへ何をしに行くの?」そんなことを考えた瞬間、私の頭の中は暴走した。狂ったように色々な事が頭の中を駆けめぐり、発狂寸前になった。「イカン、イカン」と、自分を取り戻そうとするが頭の中の暴走は止まらない。やがて息が苦しくなり目眩がしてきた。動悸も激しい。「他のことを考えるのだ」と自分で自分に言い聞かせてようやく平常心を取り戻す事ができた。両手にはぐっしょりと脂汗をかいていた。

 緑が恋しくなるときがある。あの土の臭い、木の香り・・・しかし今の自分では一人で外出することさえままならない虚弱な精神。無理だ。全くもって無理だ。

 冬の雪山の様子を深夜テレビで放映していた。それはとても人間が生活していける・・・いや、一時間も生きていられないようなまるで、氷地獄を思わせるような映像であった。そんな氷地獄の中に自分が一人で放り出されたとしたら・・・と考えるだけ背筋が寒くなる思いであった。雪に穴を掘って寒さを凌ぐのか?それとも進む方向さえわからないまま歩き続けるのだろうか?そんな考えを頭の中で巡らせながら、その映像を食い入るように見つめていた。
 その雪山の影像の後に東京都内の映像に変わった。駅・地下鉄・人・店・・・私は思った。人間には何処にでも地獄はちゃんと用意されているし、どこにいても地獄であると。極寒の雪山でも、人混みの東京にでも地獄の口はぽっかりと大きく開いて私を待っているのだと感じた。あぁ、東京での地獄のような生活の記憶。未だに行ったことのない雪山での地獄。私にとっては同一線上に位置するのである。そんな事を考える自分。そんなことを思ってしまう自分。なんと情けのない人間なのか。


【ピアス】
6月3日(水)
 左耳にピアスを開ける。気分転換?運気向上?いや違う・・・。今までの自分を振り切りたい一心で、実に衝動的に、しかも突発的に思い立った行動である。この歳にして、ピアスを開けるなどとは全く非常識な事かもと思いつつ・・・。人相学的に見て運気が変わるとか、そういった不確かな事はさておき、自分の考えとしては今までの自分と言うものからの無意識的な逃避行動なのかもしれない。完全に消し去ってしまいたいような自分の過去。忘れてしまいたいような数々の出来事。ピアスを開けることでそれが実現する確証も無いのだが、とにもかくにもピアスを開けたかった。無性に開けたかった、自分で自分の行動が上手く説明できない。副産物的に運気が向上すれば良いと思ったのはピアスを開ける処置が済んだ後だった。
 バージンピアス(ファーストピアス)は1ヶ月外せない。一日2回の消毒が義務付けられた・・・。

【不整脈】
6月17日(水)
 この日記も、本当に久しぶりである。その分、体調が良かったと思われそうだが、現実はそうでもない・・・。偏頭痛と目眩や目の痛みを感じるようになって、その治療に「整腰治療院」というマッサージにかかって、(3月頃より)その症状は随分と回復したことや、血液検査で、中性脂肪の数値に異常が発見され、その為 食事制限をおこなったりしていたが、なぜだかこの日記を書く気力というか根気も無く、ただ時間が過ぎていったように思われる。思えば2月9日から書いていないのであるからほぼ4ヶ月の時間が経過していることになる・・・。4ヶ月の間にも色々あった・・・自分でも嫌になるぐらいの自立神経の乱れた数々の症状や、死にたくなるような頭痛も数知れず・・・もし、この日記を書いていたのならほぼ毎日のように書き記す事があったであろう・・・。しかし、もう今となってはもう遅い。半年が漠然と過ぎた感じである。
 では、まず中性脂肪の数値について触れておく。初めて中性脂肪の数値に異常が発見されたのは、今年の初め頃だったと記憶している。正常値が、50〜149mg/dlにも関わらず、650mg/dlもの数値であったのだ。しかし、本日の検査では216mg/dlまで下がっている。具体的に、まず食事の内容を気をつけたことが上げられる。医師には運動を極力するように薦められたのだが、なかなか思うように運動ができない・・・外出恐怖症みたいな変な症状があり、ひとりで長時間外出できないので散歩をすることもままならない状態なのである。とりあえず。この216mg/dlという数値はまだまだ正常範囲外なので、食事制限は守っていかないといけない。
 さて、久しぶりにこの日記を書こうと思ったのは他でもなく、一週間ほどまえから、妙な症状に悩まされているからである。その症状というのは、”ゲップ”のような”しゃっくり”のような・・・どちらかというと、胃の辺りから、喉にかけて持ち上がってくるような不快感を感じていたからである。当初自分では多分胃の調子が悪いのだろうと軽く考えていたのだが、一週間経ってもその症状はおさまらず、食欲が無いわけでも無く、なんだかおかしいなぁ。。。と感じていた。もしかして?と思って心拍数を自分で計ってみると、その”ゲップ”の症状が現れたときには心拍が飛ぶのである。これは何か大変な事ではないかと思い、本日「新美クリニック」へ出かけていった。案の定心電図の検査となったが、その時の心電図の検査では不整脈などの症状は発見されなかったので、とりあえず、24時間計測できる心電図(ホルダー)をつけることになった。医師の話では、おそらく「不整脈」が原因で、例の”ゲップ”に似た症状がでているのであろうとの話であった・・・。また、命に関わる不整脈というのも存在するらしく、そのことを確認するためにも24時間計測できる心電図を装着することを薦められる。

 胸のレントゲン写真も撮影した。去年患った原因不明の肺の病気の影も若干その痕跡は認められるが、落ちついているらしい。その他心臓の肥大も無く、ほぼ正常な写真であると、医師が言っていた。

6月18日(木)
 24時間心電図を計ることのできる機械(ホルダー)を装着するため「新美クリニック」へ出かける・・・。
 その”ゲップ”に似た動悸は一日に数十回現れる。特に激しいのは目が覚めた直後1時間程が一番多く感じる。(30秒に一回ぐらいだろうか)その後落ちついてくると、30分に一回とか1時間に1回に回数が減ることもある。特に運動した時に多く感じられるとかといったことは無く、安静にしていても、この症状はやってくるので、不快感が非常にある。まして、その不快感に伴って、脈拍が飛ぶ・・・ということを考えると、とても精神的にもブルーな気持ちになってしまうのである。あまり、その症状が激しいときには手に脂汗をかいてしまうほど、精神的にパニック状態になることもあるくらいなのである。
 ホルダーを付けているので、その絆創膏の下のかゆみが気になりつつ、早く24時間が経たないものかと、そんなことばかりを考えていた一日であった。


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