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作品名:狂人の日記 作者:田島

第1回   闘病日記(1)
【まえがき】

 この闘病日記ともいえる著述は、平成6年11月に私を襲った「突発性難聴」の頃から書き始められるべきなのであるが、残念なことにその当時の記録は無いので回想をまじえて出来るだけ簡潔に記すことで「まえがき」としたい。

 突然「キーン」という大きな耳鳴りとともに右耳が聞こえ難くなってしまったのである。突発性難聴と耳鼻科で診断されるが、恐怖の治療(鼻の中に長い勤続の棒を突っ込むのだ)に耐えかねて通院もろくにしなかった。それよりも当時の私は強烈な耳鳴りとの格闘(こんなに耳鳴りがしていたのではろくに仕事もできないし、何事に対しても集中力が散漫になり、まともな生活がおくれなくなるのではないかと心配していたと記憶している。)で完全な鬱状態に入ってしまって、食事と睡眠が全くとれなくなってしまった。そして「突発性難聴」の後遺症として、私の右耳からは「キーン」という耳鳴りが鳴り止まない、しかし慣れとは恐ろしいもので今となっては完全に耳鳴りと同居している状態である。その音は時折大きくなったり、自分でも全く気にならないほど小さくなったりと色々である。特に体の状態が悪いときに耳鳴りが大きくなる訳でもなく、全く不可思議な症状である。実際、自分でも耳鳴りに関しては極力気にしないように心がけている・・・(言い換えるなら耳鳴りそのものを聞かないようにしている。)

 私自身子供の頃から非常に体が弱く(といっても命にかかわるような大病は一度もしていない。)小学校、中学校を通して「登校拒否」的子供だった。中学1年に扁桃腺の手術を受けている。偏頭痛と下痢は日常茶飯事で、おせじにもいつも健康であるとは言えない。風邪を引けば他人より回復は極端に遅く、又その症状も重い。(扁桃腺の手術前は39度を越す高熱が出ていた)また精神面でも、痛みに対して極端に敏感で神経質であると思われる。ついでと言っては何だが、私の父親は心筋梗塞から狭心症へ、そして母親は肺癌が原因で癌が全身へ転位して私が23才の頃に他界している。

【耳下線炎】

 それは、頭痛から始まった・・・。自棄に偏頭痛がするし、目の奧が痛いと感じていた。例によっていつもの眼精疲労だろうと思い、目薬をさしたり、マッサージをしたり、鎮痛剤を飲んだりと、自分なりに一通りの事を試してみたが、一向に治る気配もない。一晩ぐっすり寝ても回復しない。

 平成7年11月21日
 病院へ行った。ホームドクターの上松内科である。そのときには単なる風邪と診断された。しかしそのときすでに左の耳の下が若干腫れていたので、もしかすると「お多福風邪」かもしれないと診断される。その日の夜のこと、非常にひどい頭痛がするので、夜中だったが上松内科に電話をして鎮痛剤(ポンタール)をもらって服用するが、一向に良くならない。さらにもう一回、薬を飲むように指示されて服用するが、痛みは治まらない。不安になってきた私は緊急病院でもある山田病院へ電話して診察してもらうことになった。夜中の2時頃のことである。
 山田病院では筋肉注射2本をした。それから座薬と内服薬をもらって、家に着く頃には、頭痛も治まりかけていた。家に帰って布団にはいると、30分もしない間に眠ってしまう。その時の山田病院の医師が次の日の昼にもう一度診察を受けるようにとの事だったので、指示通り午後に病院に行ったところ、案の定「耳下線炎」(お多福風邪)であった。血液検査を行い、内服薬をもらい家に着いた。その後、左の頬はどんどん腫れてきて、右の耳の下も少し痛むので、右頬も腫れが始まる前兆だと感じた。同日、漢方薬局の「艸木園 」にも電話して、薬を作ってもらう。

11月26日(日)
 2、3日安静にしていたせいか、特別これと言った症状は無かったが、朝起きてみると自分の声の変わりように驚いた。いわゆるガラガラ声だったのである。

11月27日(月)
 山田病院へ行くとノドが赤く腫れているとの事、お多福とは又別の症状だと診断。うがい薬とトローチをもらって、血液の検査もした。(この時の血液検査は全く異常がなかった。)
 しかし夜に熱が出始めたのである。最初計った時は7度6分だったのがみるみる8度を越えてきたので、夜中に山田病院へ行って薬(座薬)をもらった。帰宅してすぐに座薬を入れると1時間ほどで熱はひいていったが、7度2分よりは下がらなかった。
 
11月28日(火)
 山田病院で診察を受ける。お多福の方は順調に回復しているとの事であったが、念のため膵臓の検査(アミラーゼ)をすることになる。それと抗生物質の入った点滴をうった。その日の夜も熱が8度以上出たので、座薬を入れるとすぐに熱は下がった。

11月29日(水)
 目が覚めると熱もなく非常に体が快適であった。昨日までの辛い感じが全く嘘のように感じた。

11月30日(木)
 入浴をしても何ともないほどに回復している。しかし食欲は無い・・・といっても食べ始めれば食べることはできるのだが、すぐに満腹感がして気持ち悪くなってしまうので、普段の3分の1程しか食事がノドを通らなくなってしまった。それもそのはず、頭痛が始まった時以来、まともに食事をしていなかったので無理もないと思う。おそらく、胃が小さくなっているのだろう。

【膵臓の異常】

12月1日(金)
 山田病院から電話があった。28日の血液検査の結果が思わしくないので診察に来るようにと言われた。私は目の前が真っ暗になった。
 診察に行ってみると、医師が血液中アミラーゼ991、尿内アミラーゼが6300ぐらいだと言われた。これは正常値よりかなり高い数値らしく、毎日点滴に通うようにと言われる。愕然とした私は体がしぼむような感覚に襲われる。点滴を済ますとなんとなく目眩を感じたので再度診察を受けることになった。そうしたら念のため今日も血液採取をしてその結果を明日の午前中に必ず聞きに来るようにといわれた。
それからCTスキャンとレントゲンを撮るための予約もした。12月12日の9時30分が予約できる一番早い日取りであった。
 血液検査の結果次第では入院もあり得るというようなことを医師に宣告される。その夜、いてもたってもいられない気持ちで、私は不安で、不安で仕方がなかった。そうしていると、また以前の頭痛が襲ってきた。今日もらった膵臓の薬とのかねあいも心配だったので、夜の11時過ぎだったが、山田病院で診察を受けて座薬をもらって投与した。薬はすぐに効き目を現したが、効き過ぎているのか多少目眩を感じた。その時当直の医師の話によると、「急性膵臓炎」の可能性は少ないという。その医師の触診での判断であった。また、その医師の話によると、明日の血液検査の結果を待つしかない、ということも言っていた。入院か、良くてもやや長い自宅療養か、もし検査の結果、アミラーゼの数値が異常に増えていたら・・・。考えるだけでも恐ろしい。とても私の心臓では今日は寝ることが出来ない。それに不思議なのは、一日の食事の量が通常時と比べると非常に少ないにもかかわらず空腹感がないことである。それと、医師も言っていたが膵臓疾患の場合は胃周辺に痛みが有るらしいが、全くと言っていいほど私は痛みを感じないのである。なんだかこんな事も私が余計に不安になる材料なのである。
 「入院」と宣告されてもいいようにパワーブックの電池を新品に交換して、充電を始めた。ログブラウザーに必要と思われるログも仕込んだ。通信ソフトの設定も完璧である。・・・そんな作業をしていても少しも気持ちは治まる筈はないのは言うまでもないことである。

12月2日(土)
 山田病院へ、検査結果はアミラーゼが、991から642に下がっていた。しかしまだまだ正常値は90〜190だから3倍以上の数値である。油断大敵と言うところだろう。尿内アミラーゼは正常値だった。入院もなくなり、点滴にも通うことなく内服薬で様子を見ようという結果になった。
 あいかわらず食欲はない・・・。薬を服用しないといけないので無理にでも食事をする。膵臓には緑黄色野菜が効くそうなので私は必死に「パセリ」を食べた。
 頬の腫れもほぼ完全に消失した。昨日一睡もしていないので昼ごろに睡魔がやってくる。夕方まで寝た。体に痛いところは一つもない。

12月6日(水)
 なんら変わりなく過ごせた。夕食時には、何日ぶりかの空腹感も感じることができたし、食事もいつも通りとまではいかないが今までと比べたらだいぶ食べることができたと思う。夜12時頃に無性に空腹感を感じたので、「チョコレート」を食べる。「チョコレート」がこんなにも美味しく感じたのは何年ぶりであろう。
 いちおう元気は元気なのだが何故か体に開放感がない。薬を服用しているせいなのだろうか?次回の血液検査の結果が全ての答えを出してくれるに違いない。

12月7日(木)
 血液検査をしてもらいに病院へ。ところが医師のいうことには、アミラーゼ意外の特別な血液検査の結果まったく正常値だったから、もう薬も飲まなくて良いとのこと、私はあっけにとられてしまった。「まだ食欲がないのですけど」と言うと胃薬をくれた。予約してあるレントゲンの検査はどうすれば良いのか訪ねたところ、「一応受けておいて下さい。」とのことだった。


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