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作品名:人格崩壊。 作者:田島

第4回   血の繋がりと言うこと。
血の繋がりと言うこと。
田島正理 著

 今、私は最愛の子供と同じに生活を送っていない。これがどれだけの苦悩であるかは、見当が付くと思う。同居していたときはコミュニケーションも親子の語らいも少ない、寂しい日々の連続であった。
 前妻が私のことを罵倒する光景を目の当たりにして2人の子供達は、なんと甲斐性のない父親であるかと痛感していた筈だ。
 夫婦喧嘩を目の当たりにして一体子供達は私の事をどう思っていたのだろうか?

 子供達とのコミュニケーションは、私より遙かに前妻の方が優っていたことには間違いない。私の意見より母の意見に重きを感じて、従順に母に従っていた子供達。ある日のこと「お父さんが居なくても何も変わらない」と子供達が言ったという。
 確かに私はパソコンに向かって作業をしていたので子供達との触れ合いも極端に少なく、そればかりだけでなく憎悪感を抱いていたのは今になって良く分かる。
 子供達との会話も極めて少なく、父親としての義務を果たしていなかったのは紛れもない事実なのだ。
 外食に出かけるときも私は何時も留守番で、手土産を買ってきてもらい、独り食卓で食事をした事も数多い。長男とは毎日入浴していたがまだ3歳頃の話だから記憶が残っていないと思う。
 長女とは一緒に入浴する事も無く、もっぱら母の仕事であった。
 長男には空手のトレーニングを毎日欠かさず行っていたのだが、後に空手は大嫌いで野球がしたいという強い願望があったらしく、
 その時点でも父親としての役割を果たしていなかったことが明白なる事実である。
 長男は野球部に入部して、まるで水を得た魚のごとく野球凶になっていった。
 空手の稽古でスポーツセンスは多少なりとも養えた養子で、野球のチームでもそこそこの実力を発揮し、体を動かすことに全く抵抗のない子であったので、野球の成績も及第点を獲得していた。
 私は野球には全く疎く、母親の方が野球の話題にも花が咲いていた。
 些細であるがイチロー選手のサインボールをオークションで入手してプレゼントすることぐらいが私に出来る最大限の応援であった。
 普通の父親なら息子とキャッチボール一つもするところだろうけど、私にはその技量も体力もなく、随分寂しい思いをさせてしまっていたことだろうと今更反省しても、後悔先に立たずだ。
 私の病気は丁度その頃がピークであって、
部屋に閉じこもり、阿呆のように日々を暮らしていた。
 しかし紛れもない現実は子供2人には私の血が繋がっているという紛れもない事実があり、切っても切れない血縁関係が存在するのは紛れもない事実である。
 しかし自宅に電話をしても留守番電話に回され、家内の携帯番号も教えてくれない。

 人間関係が全く成立せず、我が子2人は、私など存在している意味もなく、どおせならば消え去ってしまった方が良いのかとさえ感じる。
 親子の人間関係にも恐怖し、空恐ろしい思いを幾度として感じながらの毎日であった。子供達が成長すればするほど、その恐怖感は増していった。父親としての存在価値の無さ。

父親として思想の一つも授ける機会も無く、ただただ阿呆のように振る舞い、道化た触れ合いさえも無く、私は子供達の存在に、ひたすら恐怖を感じていた。
笑顔の一つも授けてやれない父親失格。その強烈な戸惑いをひた隠しに隠して居た日々が、重りのような追憶だけを残して、時が過ぎて行った。

その重き時間と不甲斐の無さばかりを叩き付けて居た日々の苦悩が、今頃になってツケが回ってきた。

途方に暮れる様な、地獄の中で、今頃に為って子供達が愛おしくて堪らないのは、私の人生の大きな恥となり、胸を掻きむしられるような錯覚を感じて、いたたまれない。

明日の日の出を共に迎えるべき親子の情が、今頃になって音を立てて崩れ落ちて行くのが良く分かる。

あぁ。父親とは何ぞや? これっぽっちの指標とも成り得なかった私の愚妹が、狂気する程に、私の眼前に立ちはだかって居る。

突き刺すような心の痛みと共に、又日は昇る。

容赦なく太陽は東の空から昇っては消える。








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