疎 遠
田島正理 著 独り暮らしも、もうすぐ一年目を迎えます。 独り暮らしを始めた頃は、ただただ孤独感が満帆で、決まって朝目覚めるときに元家内の名を呼んで、その寝言で目を覚ましてあぁ独りだったのだと思い、とても寂しい思いをしました。15年間連れ添った家内の存在は私の中では非常にウエイトが重かったのです。 子供の夢も見ます、もうそろそろ学校から帰ってくる時間かな?と錯覚して、一気に拡散して目を覚ますと、深夜の3時だったりすることも少なくありません。 家族と言うより、それらは確実に存在している存在でしたから、無理もありません。 元の家内と子供達は今頃クリスマスツリーを飾り付けて、ささやかなクリスマスパーティーをすることでしょう。母子家庭で、経済的に苦しくとも、子供を養育していく為の長時間の労働で、毎日クタクタに疲れて眠る家内の事を考えると、愛おしく感じます。 子供達も部活動や塾で、土・日もスケジュールが一杯で、私が送った電子メールにも目を通してくれず、勿論のこと返事の一通も帰ってきません。 私の誕生日も無視され、とても使いやすいワープロソフトも気にもせず、元家内の誕生日に買った自転車も結局使わないとのことで私が引き取りに行きました。 私に対する評価が家内が口に出さずとも、子供達に伝わっているのでしょう。子供達も 私に電話の一本もかけてきたことはありません。 家内にはどれだけ憎まれようと恨まれようとも構いませんが、その一つ一つの微細な言動が、私を大悪人に仕立てられて、 「お父さんは悪い人」 というイメージが成立してしまっているのだと思います。 いくら部活があっても、塾があっても、私に逢いたいという気持ちさえあれば、時間はどうにでも調節できる事と思います。 1週間に1回とまでは言わないけれど、1ヶ月に1度は逢わせて欲しい。 そのことを糧にして、部屋の掃除・整理整頓・身の回りの片付けが出来るようになれば、私の生活リズムも規則正しくなるのではないだろうか? 家庭裁判所へ訴えを提出すれば、勝訴の見込み有りと、弁護士が言っていたが、あえてそこまでするつもりは無いし、哀れみを感じてしまうのが事実なのです。長男 渡 (中1)と長女 小梅(小4) の2人は、誰がなんと言おうとも私の愛する子供達なのだから。
子供が成長するに付け、色んな話が出来るようになってくるのがとても嬉しい。赤子の頃とは違い、一人前の人間として話が出来るということは、私にとってこれ程幸福なことはない。 確かに家族4人で暮らしていた頃は、子供達とコミュニケーションが上手く出来なかったかも知れない。だからといって、離れ離れになったから、逢わないでも良いと言う理論は成立しないとおもいます。
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