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作品名:枯木 作者:田島

最終回   息子へのメッセージ(枯木完結)
秀才と絵描き
田島正理 著
 勉学に秀でた者はスポーツも絵画や図工もそつなくこなして、
万能選手のように思われますが、ところが実はどうしようもなく
上手く出来ない弱点の一つや二つはあるもので、
そんな勉強が出来るいわゆる秀才君も、コンプレックスとして、
ひた隠しにひた隠しているのです。
スポーツが秀でている者は大抵勉強も及第点をとります。
しかし不思議なことに絵が上手な人は勉強が苦手なのです。
この理論はスポーツで活性化された肉体が脳に作用して勉強にも力が入るし、
なにしろ、スポーツには勝ち負けが付きものですから、
勉強でも他人に負けたくないという気持ちが自然と芽生えてくるのでしょう。

一方絵画の世界では勝ち負けはありませんから、競争心のかけらもなく、
ただただ自己満足するのが関の山で、絵の世界には数学のように
正解・不正解というキッパリとした基準点がありませんから、
曖昧になりがちです。加えて言うと国語の世界も芸術の分野になりますので、
人それぞれの価値観の違いで解釈が異なってきますので、
文学という芸術にも正解・不正解はありません。渡(長男わたる)が
国語が苦手なのは絵画に置いても同じく苦手だと想像が出来ますがどうですか?

人間には努力派と天才派と2つに分かれると思います。
きっと渡は努力派なのだろうと想像が出来ます。
お父さんは絵の世界でも日本でも有名なコンテストの賞を獲得しましたし、
文学の世界でも、有名な出版社の人から絶賛される文を綴ることができました。
学校の時代も国語が一番得意でした。でも美術の成績は何故か悪かったのです。
後で分かったことですが、美術のテクニックが他の生徒と比べると
比較にならないほど抜きんでていたので、中学校時代は美術は1ばかりでした。
 しかし高校になるとお父さんの素質をみとめてくれる教師が居たので、
絵と作文は特に成績が良かったです。

 高校時代に美術部に入りましたが、あまりにもレベルの低さに呆れて
直ぐに退部した経験があります。美術部の担任の教師は必死でお父さんを
引き留めましたが、まるで幼稚園のお絵かきのように感じたのでスッパリと
辞めました。

 中学の時は読書部に入っていたのです。本が好きというより、
体を使ってする事が苦手だったのです。
 渡の負けず嫌いと勉強ができるのは、
きっとお母さんの血を受け継いでいるのかと思います。
 唯一、中学・高校時代で貫いた事は、曲がったことが嫌いで
理不尽な学校の教師の為体がどうしても許せませんでした。
 確かに数学などはサッパリ理解できませんでしたが、
文学に付いての解釈の相違が一点でもあると、授業中でもとことん
教師の価値観の相違に激しく口論しました。
 そういえば小学校の頃に作文が賞を取って、
本になりました。今思えばあの作文の何処が良かったのか
サッパリ分かりません。
 絵画でも金賞を必ず獲得しましたが、何処が良いのかサッパリ
審査員の価値観が分かりませんでした。
 日本デジタルアートコンテストに入賞したときも、
小説が他人様に認められたときも、どこが良かったのかサッパリ分かりません。
 お父さんの目指す所はもっともっと高い位置で、高品質なものなのです。
 数学には頂点(到達点)がありますが、芸術には頂点というものが無いのです。無限といっても過言では無いでしょう。
 まだ渡には難しい事だと思いますが、
文学の世界では、お父さんは「無頼派」というジャンルに属していて、
昭和の初期の頃にはこの無頼派と呼ばれる作家が数多く居ましたが、
最近の本屋では、ハウツー本と経済事情の本ばかりです。
 お父さんの作品は渡にはまだ読むのが早いので高校生になったら
読んでもらえると具合がよいと思います。
 訳は、余りにも刺激が強すぎると思うからです。
 絵にしても、お父さんの描く絵は渡にはまだまだ刺激が強すぎて、
反発感を抱かせる絵だと思います。
 付け加えるならば、こうして今、この文章も若干渡には難解なるものであり、
刺激が強い文章かも知れません。
 この文章も短編ですが立派な作品であることを告白しておきましょう。
どんな本でも良いので読書をする時間をもったほうが良いです。 
物事を文章で理解する力を養って欲しいと思います。


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