「ここは違うな……、あの北原さん、事件の日から一度でも雨が降りましたか?」 「ん……降っていないな」 うずくまり、地表の乾き具合を手で確認する南刑事。土は白っぽく、かさり。北原刑事は後ろで腕組をして立ち、横にいる警官は目を大きく開いて、南の一挙手一投足に注目している。すでに刑事らが犯人の痕跡を探しているのだと察しをつけ、自分も何かを見つけて事件の役に立とうと気を張っている。そんな警察官のやる気を気にせず、南刑事は、 「他は?」 と、ぞんざいに案内を頼む。 それでもその警察官は元気に返事をして、次の場所へ案内した。 そこは、刑務所の正面入り口とは正反対の裏手で、正面に比べて手入れが行き届いていないようで、雑草やススキが所々に群生していた。問題の掘り返しの深さは浅く、猫でもようやく通れそうな溝だった。 南刑事はひざをつき、土を触る。 乾いている。が、少し軟らかい。 そこで、両手で表面の土を掻き分けた。2、3センチ下に進むと、湿った茶色い層が出てきた。更に少し掘り進むと、乾いた土と湿った土の混ざった部分が現れた。 「南、それは一度掘り返して埋めなおした跡だな」 北原刑事が身をかがめながら言った。 「はい。雨が降らなかったのが幸いでした。まだ掘り返して埋めなおしたと見られる湿った土と乾いた土の混ざりが顕著です。犯人は動物の掘り返しの跡に偽装しようとして、乾いた土で地表をまんべんなく覆ったようですが、地中のことまでは計算に入れていなかったようです。犯人の進入痕跡に間違いないでしょう」 南刑事は掘り進めながら言った。 どれ……と北原刑事も手伝い始める。 その様子を見た警察官は、それは私の仕事だ、と意気込み、「私がやります」と言った。 そこで北原刑事が、 「君はフェンスの外側に回ってくれんか。それと鑑識を呼んでくれ」 と、言った。 「あ 鑑識はもう呼んであります」 南刑事が言った。 「ほう、手回しがいいな。じゃあ、鑑識はいいから、外側に回ってくれ」 「はっ!」 時代劇の家来のように返事をした警察官は、外側に早くまわりたかったのか、突然金網フェンスを登りだした。 「こら、脱獄はいかんよ。監視カメラを見ている看守がびっくりするじゃないか」 「す すいません」 警察官は、他の出入り口を探しに走った。
北原刑事と南刑事、警察官の三人は土を掘り続け、人が腹ばいでもぐりぬけられるほどの溝ができた。そこまでくると、湿った土に混ざる乾いた土は出なくなった。 鑑識が到着した。 南刑事はここまでの経緯を鑑識に説明し、掘り返し部分や周辺に遺留品がないか捜索させた。 北原刑事が上を見上げると、すぐ近くのフェンスの上に監視カメラが設置されていたが、フェンス配置線上を遠くまで俯瞰して映すように3度ほど下を向いてるため、ほぼ真下になる掘り返しの場所は死角となり映らない。遠く20メートルほど先にも監視カメラがあり、おそらくはそのカメラでこの場所をカバーしているようだった。人の背丈よりも高いススキが生えている。しゃがんでしまえば、映らない。しかし、フェンスの内外2メートル付近がそうというだけで、敷地内は雑草も刈られていて、障害物もない。どうやって……。 「おい南、ここから犯人が侵入したとして、監視カメラに映らないでどうやって敷地内を移動したんだ?」 北原刑事が尋ねた。 「それですが……」と、南刑事は、監視室で見た記録映像にわずかな影が映りこんでいたことと、監視カメラのシステム上の欠点から得た自身の推測を伝えた。 それを聞いて北原刑事は、 「ふむ。その考えでいくと、看守への事情聴取をやり直さないといけないな。それと、システムメンテナンス会社か」 と、眉をひそめる。そして続けて、 「絞殺のほうはどうだ?」 と、言った。 「過去の事例を洗っていたので大体の見当をつけてきましたが、やはり現場を一度見ないと判断できません。北原さん。ここを任せてもいいでしょうか?」 「ん ああ」 「では」と、南刑事は早々とその場を去った。 掘り返しのあった場所から建物の角を二つ曲がったところで南刑事は立ち往生してしまった。あらかじめ刑務所の配置地図を頭に入れていたのだが、地図には載っていない仕切り柵があった。柵のすぐ向こう側が彼の考える“犯行現場”なので、通り抜けられる場所を探すが見つからない。しかたなく回り道をしたが、また柵があった。迷路のようになっている。ここが刑務所だということを彼は思い出し、受付の看守に案内を頼むために正面へ回る。 途中、北原刑事の命を受けた鑑識が一人合流した。そして彼は「現場保全が第一ですからね」と南刑事に念を押した。南刑事は「わかったよ」と軽返事をした。 受付にいた看守は事件当夜監視室にいた島崎で、少し疲れた様子だった。「お疲れのようですね」と鑑識が尋ねると、「事件があってから警察の事情聴取に付き合うため、勤務シフトが不規則になりまして……」と、彼は愚痴をこぼした。「それはすみません」と、南経刑事はすぐさま深々と頭を下げた。その態度に島崎は少し顔を困らせながら、「何か御用でしょうか?」と言った。そこで南刑事は、さっと新たな捜査説明をして、案内を頼んだ。島崎は了承し、三人は向かった。 鍵のついた扉を二箇所通り、伊野がいた128独房の窓の外側に着く。 鉄格子つきの窓の位置は地面から約2メートルの高さにある。独房内から見た窓の高さは150センチほど。建物は底上げされている。 鑑識が写真の準備をしていると、南刑事は「ちょっと借りるぞ」と言って、カメラを入れていたアルミ製の箱を踏み台にして、窓の中を覗き込む。 「ああ南さん、その辺が一番怪しいところではないのですか? 外部の人間が侵入した痕跡を探すのでしょう? 証拠が消えるかもしれない」 鑑識が言った。 「そうだったな」と南刑事は言うものの、首を伸ばして窓の中を覗き続ける。 南刑事は考える――ちょっとした踏み台があれば独房内の7割を視認できるが、伊野が倒れていた窓のすぐ下のトイレの辺りは視認できない。格子棒の間隔は10センチ。手の細い人ならば、肘まで入る。が、難しいな。 考え込む南刑事の足元では、鑑識がぶつぶつ文句を言いながら作業をしている。その小さな主張は、南刑事の耳には一切入っていない。 南刑事の頭の中は、過去の事件との照らし合わせでフル稼働している。過去の事件とは、四年前の殺人事件――夫の暴力に耐えかねた妻が夫の就寝中に、腹巻で夫の首を絞めて殺した事件。この事件は数日後に妻の自首で容易に解決を得たが、興味深い事柄があった。首に絞めた跡が残らなかったことだ。この原因は、腹巻が柔らかい繊維だったことと妻が非力だったこと、寝ている夫を目覚めさせないように妻がゆっくりと首に圧力をかけていったことだ。仮に麻縄で力強く一気に締め上げた場合、縄と首の間に摩擦が起こり擦り傷が残り、強度の圧迫により皮膚細胞が破壊されて内出血などができる、いわゆる索条溝がはっきりと残る。もうひとつの事件――代議士の自殺。汚職発覚の精神的負担を原因に、代議士がドアの取っ手にネクタイをわっか状に巻きつけ、それに座った状態で首を通して、ドアにもたれるようにして自ら首を絞めて自殺した。窒息死だった。弱い圧迫でも窒息は起こる。現代建築の構造上、天井に梁等の紐を引っ掛けるのに適当なものがほとんどない。自殺心理のひとつに、自殺者は慣れ親しんだ場所を選ぶ、とあるが、自室でどうにかして死のうとして考えられた首吊り方法といえる。しかしながら、この方法は未遂になることも多い。 この二つの事件を参考にして、南刑事はこう考えている――内部犯と外部犯による共犯。内部犯は囚人の下澤、外部犯は不明。まず下澤が伊野の鉄中毒を引き起こし窓際で失神させる、そして外部犯が索条溝を残さぬように襟をそっと持ち上げるかして絞殺。 「いいかげん どいてください」 鑑識が南刑事のふくらはぎをたたいた。 「わかったよ」 南刑事はアルミ製の箱から降りた。 「犯人を速やかに逮捕するために迅速な捜査も大事ですが、証拠集めの現場保全も大事なのですから……」 「何か出たか?」 「まだ何も」 「釣り針のようなものがあるかもしれない」 「釣り針ですか? ……凶器で?」 「ああ」 「まあ探してみますが、先に南さんの推理ってのをお伺いしたいですねえ」 南刑事の態度に不満を覚える鑑識は顔を歪ませて言った。 「簡潔に言うが、外部の人間が侵入して、独房内にいる囚人の襟を釣り針か何かで引っ掛けて持ち上げ、絞殺したと考えている」 南刑事は早口で言った。 それを聞いて、看守の島崎は驚愕する。そして、 「け 刑事さん、外部の人間がここに侵入したですって? 囚人が窓から投げ捨てたものを探しに来たのではなかったのですか? 無理です。ここは高い柵で仕切られた閉鎖された中庭で、入るには二箇所の鍵を開けなければいけません。無理ですよ。ディンプルキーを使っていますし、監視カメラもありますし」 と、言った。 その言葉に鑑識が続く。 「看守さんのいうとおりだと思いますよ。これを見てください」 鑑識はそっとアルミ製の箱に近づき、上に持ち上げた。きれいに四角い跡ができていた。 「屋外なので風の影響もあると思いますが、周辺の砂埃のたまり具合からして、“南さん以外に侵入した痕跡”はありません。ここに誰かが侵入して、なんらかの犯行を行ったとは考え難い」 鑑識が言った。 「む……」 思わぬ反撃を受けて、南刑事は黙る。 看守はちらっと腕時計を見る。 勤務交代の時間だろうか。 「しかし、向こうのフェンス下に外部の人間が侵入した痕跡があったのだから、どこかで犯行を実行したはずだ」 南刑事は少し自信のない声で言った。 「そこは考えられます」 鑑識が答えた。 「看守の……島崎さん、先ほど簡単に説明しましたが、外部からの侵入痕跡を捜査しています。また、いろいろとお尋ねすることになると思いますが、ご協力をお願いします」 その言葉に、島崎は苦笑いで答えた。 [9〆]
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