監視室のモニターを一台借りて、南刑事は事件当夜の独房内の映像を見ている。 横にいる監視当番の看守たちは通常通りの仕事を続けているが、内心落ち着かないでいる。既に、不慮の中毒死と片付けられるはずだった伊野死亡事件が、転じて殺人事件の可能性がでてきたという噂は広まり、好奇と不安で仕事に集中が出来ないでいる。 そんな看守たちの様子を気にすることなく、南刑事はモニターに見入る。怪我のため一ヶ月近く外勤に出られなかった鬱憤が開放されたためか、お預けを喰らった犬のように顔をせり出し、今にもガウガウとかぶりつきそう。 ……映っていないところで可能だが、違うな。 モニターには、かがみこんだ看守寺川の背中と床に横たわる囚人伊野の下半身が映っている。囚人の上半身と看守の手元が映っていないのでわかりづらいが、蘇生処置をしているらしいことはわかる。囚人は心停止状態。 南刑事は考える――伊野の心停止を確認し、すぐさま寺川が蘇生処置に入ったと報告書にあったが、この映像からでは、本当に蘇生処置をしているのか確認できない。肝心の部分が見えないからだ。“蘇生処置をするフリ”をして、首を絞めることは可能だ……が、違うな。坂本と寺川が部屋に入ったとき、伊野は失神、もしくは死亡状態だったとされている。確認したのは寺川だから、彼が嘘をついているとすれば、首を絞めて殺す機会がある。しかしながら、仮に死んだフリの悪ふざけだとして、寺川に首を絞められれば伊野は抵抗を示すはずだが、下半身は自律的な動きをしていない。蘇生処置のために、わずかに揺れる程度。このことから、ふたりが部屋に入ったときにはすでに、伊野は失神もしくは死亡状態だったといえる。この映像の映り具合から考えて、絞殺する時間的機会はあるが、状況からしてありえない。 いま検討した内容を再検討するため、南刑事は映像を巻き戻してもう一度見る。 が、同じ考えしか浮かばなかったので、妥当だろうと、保留する。 ……報告書には、緊急信号は11時3分とあった。およそ、一分以内に当直班長の坂本へ無線連絡。そして、普段はプライバシー保護のため映像回線がロックされている独房内の映像をロック解除して録画が始まるのが、11時4分50秒。ここで囚人の姿は映っていない。カメラの死角となるカメラの真下の窓際に囚人がいる。何度か無線連絡が繰り返され、11時7分40秒に2人の看守が部屋に侵入する。警戒態勢で近づき、心停止が確認され、……11時8分10秒ごろに蘇生処置が始まる。 モニター画面は一時停止されている。 まばたきもしないで、南刑事は考え込んでいる。 ……鉄中毒で低血圧ショック状態にあっただろう囚人は、11時3分に緊急信号ボタンを押したあと、吐き気を解消するために窓際のトイレに近づき、そのまま窓際の壁に倒れこむように失神。その間ボタンを押してから数十秒か。仮に失神したのが11時4分として、その数十秒後に心停止状態になったのかもしれない。少なくとも、録画映像のはじまる11時4分50秒には囚人は窓際の壁にもたれ倒れて、失神か心停止状態にあったと考えられる。心停止状態だったと仮定した場合、蘇生処置開始までおよそ3分強、放置状態にあった。心停止状態に蘇生術を施した場合の生還率は、3分を超えると急激に低下する。可能性を期待できるのは1〜3分以内。それ以降は厳しい。11時10分に看護師が到着して15秒後にAED処置開始。心停止とされる状態からAED処置までは、およそ5分強。まだ生還する可能性はわずかにあっただろうが、結果は囚人の死亡。看守らの対応に若干の遅れがあったようだが、北原さんや内藤が調べたとおり、疑わしい点はないようだ。 「んんん…………」 ハミングの混じる鼻息が南刑事の鼻腔から。 ……隣の囚人下澤の自白と、いま検討したことを総合して考えると、筋は通る。下澤が伊野に毒を盛り、盛られた伊野が鉄中毒で 死亡。一本道。事件の線が明白なので、何かにこじつけて推理する必要もない。犯人が不明で事件の線も曖昧ならば、臭い角に脳みそをこじりつけて溝を刻んで、捜査を進めなければいけないが、今回は犯人の自白という最たる証拠がある。しかしながら、その自白が“自ら”された理由がわからない。捜査の目は下澤に向けられていなかった。不慮の中毒死で事件が片つくという話は恐らく囚人たちの耳にも入っていただろうから、逮捕されるという心配は下澤になかったと思う。それとも、捜査の進行内容を知らなくて、逮捕される前に少しでも罪の軽い自首に行動を起こしたのか……。 考えをめぐらしながら南刑事はモニタ画面を操作して、事件当夜の他の記録映像にも目を通す。 ……外部からの侵入は、不可能ではないと思う。刑務所内外の監視映像は周期的に変わっている。その周期は一見不規則的だが、実は規則的だ。つい最近、書類を整理する中で知ったのだが、同タイプの監視カメラは全国複数箇所で存在し、映像切り替えの周期はメーカーの整備士が不規則に見せかけてプログラミングしていくそうだ。周期変更はプログラミングの仕方次第で自由に行えるが、整備は三ヶ月に一度、その間にモニターを見続ける看守たちは不規則的な規則性に自然と気づくそうだ。つまり、看守ならばモニタに映らずに刑務所施設内を移動する方法を知っていてもおかしくない。だが…… __ん? 南刑事は何かを発見し、モニターを睨む。そして、映像を巻き戻し、もう一度見る。また巻き戻し、もう一度見る。また巻き戻し、タイミングよく一時停止ボタンを押す。 __映像の隅に小さな影がある。 「ああちょっと、これが何かわかりますか?」 南刑事はそばにいた看守に声をかけた。 そばの看守は椅子から立ち上がり、南刑事の見ていたモニターを覗き込む。 「これは……、たぶんリスか何か小動物の影でしょう。この辺りは周りを森に囲まれているので、外網フェンスの隙間をくぐって、小動物が入り込んでくるのです。夜間の見回り中に、ときどき見かけます」 看守は言った。 「小動物ですか……、なるほど。外のフェンスは金網でしたね、どこか破れて隙間ができているのですか?」 「いえ、どうもフェンスの下に穴を掘って入ってくるようです」 「そうですか……、ありがとうございました。勤務に戻ってください」 礼を言うと南刑事はさっと立ち上がり、監視室から出た。 そして、少し不自由な足で受付前に向かい、待機していた警察官に外網フェンス下の土の掘り返し具合を調べるよう命令した。 命令を受けた真面目そうな警察官は、外へ元気よく駆けていった。 南刑事は受付前の長椅子に座る。 窓の外に見えるフェンスに目をやる。 フェンスは金網で、高さはおよそ3メートル。上部に刺々しい鉄条網があり、上り越えるのは困難。しかし、その下は土で、地中に伸びる基礎の間隔は広い。時間はかかるだろうが、人が掘って通り抜けることは不可能ではない。春ススキが何箇所か生えている。夜間、黒い服に身を包み、うずくまって土を掘れば、監視カメラに映ることもない。フェンスを乗り越えるよりもリスクは少ないだろう。 敷地内への侵入は難しくない。 が、問題は監視カメラ。 外部の人間が監視カメラの切り替え周期を知ることは難しいが、看守が共犯であれば可能。いや、メンテナンス会社の人間が共犯か? まだ判別できないが、仮に犯人が周期を知り得たとして、どうやって独房内の囚人を“絞殺”したかだが……、うん……、やはり一度現場を見ないと判断ができない。しかし、過去の事件と照らし合わせておおよその見当はついている。殺害手段が“絞殺に見えない絞殺方法”はある……。 考え込んでいる南刑事のもとへ、年配の北原刑事がやってきた。 「どうだ、でたか? 絞殺の線」 北原刑事の問いに、南刑事はまだです、と答えた。 「言い忘れていたことがある、伊野を殺す動機のある奴がいる。名前は榎本月子。二十代の女性。伊野の強姦被害者で、かわいそうなことにな、伊野に謝罪を言わせるために何度も刑務所に面会に来ている。今そのときの記録を調べさせているが、まあ 精神がやられていたんだろうな。行動が異常だ」 「強姦被害者で、面会にも来た女性……。異常ですね。その女性の所在は?」 「ああ、いま所在確認だけさせに警察官を向かわせた」 「その女性、もしかしたら……」 南刑事の言葉の途中で、先ほどの真面目そうな警察官が戻ってきた。 「報告します。フェンスの下に何箇所か掘り返しの跡がありました。近くにいた看守の話では、野生動物が侵入したときにできた跡だそうです」 報告を受けた南刑事は立ち上がり、 「北原さん、ちょっと見に行きましょう。もしかしたら、外部の人間が侵入した跡かもしれません」 北原刑事は驚き、うなずく。 3人は掘り返しのある場所へ向かった。 [8〆]
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