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作品名:独房の笑い声 作者:若野 斜羽

第6回   悪意のある喜び
 事件のあった128号室の隣である129号室の独房に刑事が二人、看守が一人、囚人の下澤がいる。
 下澤は、腹は肥えているが頬のこけた男で、高価そうな眼鏡が地味な囚人服と対照的。入所前は裕福な暮らしでもしていたのだろう、刑務所の偏らない俗な食事が合わず、頬だけが急にこけた様子。偏りに美学を求めて生きてきたか。そのつけか。
 「あなたが伊野幸雄を殺したのですか?」
 北原刑事が下澤に尋ねた。
 “殺したのか”と尋ねられたことがさも嬉しいようで、下澤は口元を緩めて答える。
 「はい。おっしゃるとおりですよ」
 殺人行為を嬉しく思うタイプの人間なのか? しかし、壁に背中をあずけた座り方をしていて、投げやりな態度に見える。
 「間違いないのか?」
 北原刑事は念を押した。
 「はい。間違いありませんよ、本当に」
 快楽殺人者に多いとされる心中に“神”を棲まわせるタイプなのか……、それならばもっと威風堂々としている。下澤の様子は、どこか落ち着かない。口元を緩めているが、見方によっては引きつっているともいえる。壁に背中を預けた動じない態度だが、見方によっては壁に背中を預けて動じない態度を気取ろうとしているともいえる。些細な違和感。囚人服はどうひいき目しても質素のため、つつましい人間性を服から連想してしまい、下澤本来の人間性を濁しているからかもしれない。
 何にせよ、告白したからといってすぐに犯人だと決め付けるわけにはいかない。第一に行うことは、犯人だと確信を深めることではなく、言葉の真偽を探ること。刑務所という犯罪者の集まる場所では、ふざけた嘘だと考えるのが妥当。
 北原刑事は、下澤に質問を続ける。
 「どうやって殺したんだ? 伊野の独房が隣とはいえ、鍵を閉められた状態では手出しが出来ないはずだが」
 「毒をもったのですよ。遅効性のねえ」
 「毒だと。どうやって手に入れた」
 「ほら、そこの格子窓の鉄棒、それを削って夕食に混ぜたのです。あいつが鉄中毒の病気を持っているのは知っていましたからね。鉄の中毒ってのは、遅効性なんでしょう?」
 後ろに立っていた内藤刑事に北原刑事が、
 「内藤。見てくれ」
と言った。
 「はい」
 内藤刑事が部屋の奥へ進み、鉄格子をチェックする。
 鉄格子には削られた跡が何箇所もあった。
 「削り取った跡があります」
 「鉄か? 鉛か? アルミか?」
 北原刑事が問うた。
 「見ただけで材質は……」
 そう言いながら内藤刑事は格子棒を叩き、首をひねる。が、突然舐めた。
 「ああ、血の味がする。鉄です」
 内藤刑事の奇行に北原刑事は唖然とした。久しぶりに殺人事件の可能性が出てきて、興奮しているのではと彼は思う。わかった、と答え、質問を続ける。
 「毒は、その鉄格子を削って、夕食に入れたんだな」
 「はい」
 「どうやって入れたんだ? 独房エリアの夕食の配膳は看守が行っている。しかも、ひとり分がトレイにのせられて、それをドアのあの小窓から差し入れる。隣の伊野の分のトレイに毒――削った鉄粉を盛ることなど、ドアの内側にいるお前にはできないはずだ」
 ドアの小窓を北原刑事はチラッと見た。
 部屋奥の窓際にいた内藤刑事がドアのところに戻り、ドアの中央部分にある小窓を開けようとしたが鍵がかかっていた。傍にいた看守に鍵を開けるように頼むと、配膳係ではないので鍵を持っていないとのことだった。
 「当日の配膳係は、確か……」
 「その日の夜間当直係が兼任したはずで……」
 「そうだったな。確かさっきの田所さんだ。呼んできてくれないか。鍵も持ってきてもらえるように言ってください」
 「はい」
 内藤刑事に頼まれ、この看守は同僚の田所を呼びに行った。
 「さあ北原さん、すすめましょう」
 内藤刑事は北原刑事の尋問を促した。
 やはり内藤は少し興奮している――北原刑事は思った。
 「どうやって入れたんだ?」
 「はじめに言っておきますが、この計画は私の崇高な脳みそが考え出したものです。看守風情の協力など求めていませんよ」
 下澤の言葉は流暢に、だが首が揺れる。
 下澤の言葉と態度に北原刑事は顔色ひとつ変えずに言う。
 「そうか、続けて」
 「はい、続けますよ。方法は、私の分の食事を残すことです。配膳する順番ですが、部屋番号の遅いほうから行われます。つまり、私の部屋の次に伊野の部屋という順番です。だから、残せば伊野の器に入ることになる」
 「残せば器に入るとはどういうことだ?」
 「まだわかりませんか? 夕食の器がのったトレイがそこの小窓から差し入れられます。普通ならば、その時点で看守の私の部屋に対する義務は完了しますので、次の部屋に向かいます。しかし、私は看守を引き止めます。こう言って引き止めますね。「私は少食なので、こんなにも食べられない。もったいないから、私が食べる前におかずを隣の人の器に足してあげてください。隣の人は食事が少ないと常々不満を漏らしていましたから、喜ぶでしょう」とね。ここの看守さんは人が好い。何の疑いも持たず、言ったとおりにしてくれます。鉄粉はトレイを受け取ったわずかな隙に混入させます。おわかりになりましたか?」
 「ああ、わかった。……鉄粉を入れたのは何回だ? 事件当日だけなのか?」
 「違います。かれこれ一ヶ月は入れていましたね。少しずつ量を増やしていったんですが、隣から苦しそうなうめき声が聞こえるのが嬉しくてですね、たまらなかった。鉄中毒は摂取してからだいたい5,6時間後に症状が現れて、嘔吐や低血圧状態に苦しみ、場合によっては失神する。毎晩、奴のうめき声を子守唄に寝るのが最高だったね。失神したかどうかの確認できないのが残念だったがね」
 「詳しいな。調べたのか?」
 「はい。調べましたよ。ここの図書室にはなかったので、医務室のものを拝借しましたがね」
 看守の田所がやってきた。
 「あの……刑事さん。来ましたが」
 そう言いながら田所は低頭で下澤の独房に入ってきた。
 「何度もお手数をおかけします。そこの小窓をあけてください」
 「あ はい」
 田所はぎこちない手つきで鍵を回し小窓をあけた。
 「そこから食事のトレイを差し入れるのですね。手順を教えていただけますか」
 「あ……えとですね、まずノックをして、夕食の時間だと伝えます。囚人の返事を確認してから、小窓の鍵をあけ、食事のトレイを差し入れます。囚人が受け取ったら、小窓を閉めて鍵を閉めます。以上です」
 「わかりました。事件当日のことをお尋ねしますが、この部屋の下澤は前もって夕食を残しましたか? 残した……減らした分を隣の伊野のトレイに入れました」
 「あ ええ そうです。下澤は少食で、ほぼ毎日、前もって残していました。それを、隣の伊野のトレイの器に入れていましたが……」
 田所の表情がはっとする。毒殺の方向に思考が向いたようだ。
 「下澤が前もって食事を残すときですが、まずトレイを差し入れて、夕食の量を見てから、減らしてくれと頼むのですね」
 「はい。多いときには減らして、大丈夫なときはそのままです」
 「トレイを差し入れたから何秒くらいして、下澤は減らしてくれと声をかけましたか?」
 「……5秒くらいです」
 北原刑事と内藤刑事は見合い、うなずく。実際に毒を盛ったかは別にして、下澤の告白が嘘ではないと確認する。
 「なるほどね。夕食の配膳係りはずっとあなたが担っていたのですか?」
 「いいえ。交代制です」
 「他の係りのときも下澤は食事を残しましたか?」
 「それは……聞いてみないとわかりません」
 「残しましたよ」
 話に割り込み、下澤が言った。そして、続けて言う。
 「申し訳ありませんが看守さん。私はあなた方を利用して、隣の伊野に毒を盛りました」
 それを聞いて、田所の眉がつりあがった。
 「私は悪いことをしました。しかし、看守さん、わかってくれますよね。私が復讐をするだけの正当な理由があることを。私は嬉しいのです。伊野を殺せたことが嬉しいのです。笑い出したい気分です。あの日だって、伊野の悶える声を聞いて、大きな声で笑ってしまいました。ずっと笑ってしまいました。刑事さん、失礼、ちょっと笑います」
 下澤は噴き出すように笑った。
 声が大きくなりすぎないように抑えているようだったが、廊下まで響いた。
 内藤刑事がすぐさま彼を注意をしようとしたので、北原刑事はそれを制し、押し黙る。
 内藤刑事は、釈然としないが黙る。
 看守の田所は、気が抜けたように口を開いている。
 黙秘権、下澤にはいらぬ権利。
 しばらくして笑い声が止んだので、北原刑事が下澤に復讐の理由――動機を尋ねる。内容はこう――下澤が飲酒運転による危険運転致死罪という有罪判決を受け入所したのが二ヶ月前、入所後すぐに伊野の“友好”と称す嫌がらせは始まった。規律のある空間の中で、二人が話をする時間は限られていたが、会うたびに下澤の耳元で伊野は、自身が犯した強姦談話を囁くのだ。不道徳な奴はどこにでもいる。それが刑務所ならば尚更だ。無視をすればいいのだが、談話の中に下澤を驚愕させるものがあった。強姦被害者の名前に、自分の娘の絵梨葉が出てきたのだ。いきり立ちそうになったが、かろうじて自制した。下澤は看守にそのことを話したが、伊野が嘘を言っているのかもしれないと宙ぶらり。弁護士を通して、伊野の犯した事件を調べたが、娘の名前は無かった。強姦事件は、被害者が名乗り出ない場合が多く、起訴にならない場合が多い。妻に尋ねようかとも思ったが、自身の裁判中に離婚したため、連絡も出来ない状態だった。妻の元にいる娘も同様。下澤は興味があるフリをして、伊野から詳しく聞きだす。娘に間違いがなかった。
 「だから殺したんですよ。正当な復讐です。復讐を遂げられてうれしいな」
 下澤は長々とはなし、最後にそう言った。
 沈鬱。
 内藤刑事は腕組みをして険しい表情。
 北原刑事は何か考え事をしている。
 田所は人形のように立ちつくす。
 「内藤、ドアの外に回れ」
 沈黙を破り、北原刑事が言った。
 内藤刑事はドアの外に回り、何をするんですか? と言った。
 「ドアの小窓に腕を突っ込めるだけ突っ込め」
 理由はわからなかったが、内藤は肩まで突っ込んだ。
 「そこが限界か?」
 「はい」
 「そうか もういいぞ。下澤さん。後日、署に来て、取調べを受けてもらうことになりますが、よろしいですか?」
 「はい。構いませんよ」
 「では後日」
 刑事二人と看守の田所は下澤の独房を後にした。
 「北原さん。どうして今すぐ連行しないのですか? 奴が毒殺したに違いないでしょう。同情して引っ張らないつもりですか? 職務違反です!」
 歩きながら内藤刑事が詰問した。
 「少し気になることがある。いま連行したら、奴が犯人で事件が終わってしまいそうだ。何かが気になる」
 「他に犯人がいるということですか?」
 「わからん」
 「わからんのなら、連行して取り調べましょう」
 「そうだ。警察官の応援を呼べ」
 「どうしてですか?」
 「思いつきだ」
 「思いつきで、警察官を動かせませんよ」
 「適当な理由をつけて4、5人呼んでくれ。殺人事件の線がでてきたんだ。理由はつけやすいだろう。それと課長にもその旨を連絡してくれ」
 先輩刑事の“啓示的”要望にしかたなく、内藤刑事は連絡をすることにした。
[6〆]


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