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作品名:独房の笑い声 作者:若野 斜羽

第4回   4
 刑務所から2キロほど離れた山すそにひっそりと根付く農家の前に、県警の文字が入ったワゴン車が一台 停まっている。そこにパトカーが一台やってきた。
 それを縁側から見ていた農作業姿の老夫婦がパトカーに歩み寄る。
 老夫婦よりは若干白髪の少ない北原刑事がパトカーから降り、反対側のドアからはまだ白髪に縁の無い内藤刑事が降りる。
 「刑事さんかえ?」
 二の腕の引き締まったおじいさんが尋ねた。
 「はい。刑事課の北原です。お忙しいところ失礼します」
 「なーに ちょうど昼休みだぁ。かまわん。こっちこい」
 そう言ったおじいさんはすっと背を向け、後頭部の横で手招きをしながら縁側へ戻っていく。
 「どうぞこちらへ」
 ふくよかなおばあさんが言った。
 北原刑事は「それでは」と一礼し、縁側へ向かう。
 内藤刑事もおばあさんに軽く会釈をして続く。
 刑事二人が縁側に着くと、客間に鑑識の警察官が一人 行儀よく座って茶を飲んでいるのが見えた。
 「やあ 水上君。早いね」
 内藤刑事が声をかけた。鑑識の警察官の名前は水上。内藤と水上は年が近く仲がいい。
 「はい。さっき着きました。さあ 隣に」
 水上は普段より頬を緩めて言った。
 北原刑事と内藤刑事は縁側から客間に上がり、水上の横に座る。すると、奥からお盆に茶をのせた30歳ぐらいの女性が出てきて、刑事二人の前にひざをつき茶をそっと置く。その手は褐色で、男性のように太い。また肩も筋肉でいかついが、目は少女のように丸い。その女性は農作業で鍛えただろう揺るぎ無い下半身で立ち上がり、また奥へと消えていった。
 「そちらの若い刑事さん、ご結婚は?」
 おじいさんが、唐突な質問を内藤刑事にぶつけた。
 内藤刑事は質問の意図が分からず、唖然とする。
 その横で水上がうつむき笑う。実はちょっと前に、同じ質問を水上が受けていた。そこで「自分は結婚しています」と答えると、おじいさんは「娘の結婚相手を探していてなあ」と漏らした。ちょうど来る内藤刑事は独身。水上は、自分は予測していた内藤刑事の不測の事態を横目に楽しむ。
 「ご結婚は?」
 おじいさんは再度言った。
 少し間をおいた後、状況を把握しないまま内藤刑事は口を開く。
 「いえ……。独身ですが」
 「そうか そうか いいぞ」
 あからさまにおじいさんは喜んだ。
 ここで北原刑事はおじいさんの考えを察した。捜査に遅れが出るかもな……と頭を悩ましたが、ふと良い考えが思い浮かぶ。
 「おじいさん。私たちはある事件の捜査のために、畑の地質調査に来ました。事件の内容はこの若い刑事がご説明しますので、私と鑑識の彼は畑のほうに向かいますがよろしいでしょうか?」
 北原刑事は簡潔に言った。
 おじいさんは安易に同意する。
 内藤刑事はまだ状況を把握できていない。事前に段取りをしていない北原刑事の言葉に、どうして? という顔を向ける。
 そこに奥から先ほどの女性が出てきて、おじいさんの隣に座りながらエプロンを脱ぐ。シルクの胸元に高い畝(うね)ができている。作為だ。
 刑事らは一瞬目を奪われる。
 が、北原刑事は立ち上がり、
 「水上君、では行こう」
と、言った。
 水上はすぐに立ち上がり、縁側へ向かう。
 「あ 北原さん……」
 「内藤 捜査の説明頼むぞ」
 「あ……」
 北原刑事と水上は縁側で靴をはき、内藤刑事を背中で笑いながら畑のほうへ向かった。

 縁側から声の届かぬところまで来て、水上はクククと笑い出す。
 「北原さんも人が善いのか悪いのか。内藤さんの顔、傑作でしたねえ」
 水上はそう言ってまた笑う。
 「俺は善い人間だ。内藤はそろそろ身を固めたほうがいい。毎日食パンをかじって暮らしているあいつには、しっかりした農家の娘がちょうどいい」
 北原は言った。
 「しかし、しっかりしすぎですよ。あの体格、刑事課の人間にも見劣りしない」
 「顔はかわいかったじゃないか」
 「かわいいというより、幼い。純情は、結婚してから苦労する。けれど、あのバストは見事でしたね」
 「……ふむ。……さて、仕事の話をしようか」
 「北原さ……あ はい。わかりました」
 ……ずっとついて来ていたのか、北原刑事と水上の歩く後ろにおばあさんがいた。
 二人は気づき、言葉を変えた。
 「北原さん。このあたりの畑は全てそうでしょうか?」
 「おそらくな。……おばあさん、ここらいったいの畑はみんな おばあさんの家のものでしょうか?」
 北原が尋ねると、おばあさんは「そうです」と答えた。
 「水上、どこを調べるか?」
 「土壌サンプルを三四箇所ほどで、あとは水ですかね」
 「よし、土壌サンプルからかかってくれ」
 早速、水上は持っていたアルミケースから土壌簡易チェッカーの道具一式を取り出し、地面に素早く並べる。そして、畑の土をハンドスコップで持ってくると、白い撥水プレートの上に少量を載せる。それに数種類の液体を垂らしてゆく。
 「何の検査だ?」
 「鉄分含有量の検査です。鉄分が多ければ紫色に変わります。少なければ黄色です」
 「ほほう」
 「もう少し……」
 部分的に紫色に変わった。
 「鉄分はちょっとだけ多いようですね。さて……」
 他の場所の土壌サンプルを取るために水上はハンドスコップを手に立ち上がる。そして、さっと周りを見回して農業用水路を見つけると、北原刑事に「水を汲んできてください」とビーカーを手渡した。
 二人はそれぞれ採取に行く。
 おばあさんはのんびりした様子で二人の動きを見守っている。
 水上は肥料をよけて、土壌サンプルをとっている。
 北原刑事は用水路に沿って歩く。用水路は幅2メートル深さ1メートル50センチほどで、今の水位は30センチほど。手を伸ばしても水面に届かないので、北原は降りられる階段を探す。その途中、用水路のコンクリート壁が黄土色に変色している箇所を見つける。
 「水上君。ちょっと来てくれないか。黄色いところがあるぞ」
 北原刑事が言った。
 呼ばれて水上が向かう。
 「黄色は鉄分が少ないんだったな」
 「それは薬液を垂らしたときです。どれどれ……」
 北原刑事の隣に水上が立つ。
 「うーん……、粘土質が雨で溶けて用水路に流れ込んできて乾いたものか……、何かの肥料か……、いや……」
 「鉄だあ」
 いつのまにか北原刑事と水上の後ろにおばあさんが立っていて、そう言った。
 「鉄……、ああ そうか」
 そう言って水上は、若さを発揮して用水路の反対側へぴょんと跳んだ。そして、黄土色に変色した箇所のにおいを嗅いで、うんうんとうなずき、
 「おばあさん、雨の日はここに小川の水が流れ込んできますね」
と言った。
 「そうです」と、おばあさんは答え、足元の雑草をさっと抜く。
 用水路の向こう側は樹木の茂る山の斜面になっている。水上はそこに分け入ってゆく。
 「水上君。どこへ行くんだ?」
 「ちょっと確認です。あっそうだ おばあさん、この辺りに昔 鉱山がありませんでしたか?」
 木の葉に紛れる水上が大きな声で言った。
 「こっちの山には無いけれど、峠越した向こうの山には、昔あったねえ」
 おばあさんが言った。
 「なるほど」
 水上は更に奥へ入ってゆく。
 やがて、完全に姿が見えなくなる。
 それから5分経ち__水上が戻ってきた。ハンドスコップに黄色い土がのっている。それをこぼさないよう器用に用水路を跳び越え、土壌チェッカーを置いてあるところへ向かう。
 「その黄色い土は何だ?」
 北原刑事が聞いた。
 「たぶん、鉄ばっかりの土です。鉱山に多く見られるのですが、雨が降って黄土色の小川ができることがあるのですが、それは鉄分が溶け出したものなのです。こちらの山は鉱山では無かったそうですが、鉱脈というのは結構長いもので、何キロもあります。その一端がちょうどこの辺りに出てきて、それが雨で溶け出して小川になり、用水路に流れ込んで、壁を黄色に変色させたのだと思います」
 白い撥水プレートの上に持ってきた土を少量置き、数種類の薬液を垂らしてゆく……と全体が紫色に変わった。
 「たっぷりですね」
 「たっぷりか……」
 その後、数箇所の土壌検査と用水路の水質検査をして、三人は家に戻った。

 刑事二人と鑑識の警察官は、農家の人たちに捜査協力の礼を言った。
「詳しい猥談は後ほど」と、鑑識の水上は内藤刑事に囁き、ワゴン車で去った。
 刑事二人はパトカーに乗りこみ、発進させる。
 「どうだった?」
 北原刑事が聞いた。
 「捜査の説明はしました」
 内藤刑事はぼそっと言った。
 「そうか……」
 どうやら内藤刑事は不機嫌のようで、北原刑事は気にして黙る。
 車内の空気が重い。
 そのまま10分弱……。
 余計なおせっかいを焼いてしまった――と反省し、北原刑事が謝りの言葉を発しようとしたとき、
 「来週の水曜日に決まりましてねえ……」
と、内藤刑事が先に声を発した。
 「ん?」
 「見合いですよ。あの農家の娘さん――晴美さんとね」
 「あ あ そうか。よかったな」
 「彼女 バツイチでしてね、前のだんなは離婚届だけを置いて逃げたそうです。……なんでも、昼も夜も疲れて体がもたないとかでね」
 「そ そうか」
 「強いそうですよ、いろいろと。おじいさんが耳打ちしてくれました。卑猥に」
 「う うむ」
 警察署に帰った二人の刑事はその日の報告書を提出し、口数少なに別れた。
[4〆]


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