小さな部屋が、ふたつに――明確に区切られている。床から天井まで隙間無く区切られ、それぞれの側にいる人間が接触することは不可能になっている。中央に二重の強化ガラスがあり、そこから互いの姿顔を確認できる。二重の強化ガラスの中央に丸く点々と小さな穴が開いている。その穴は一枚目のガラスと二枚目のガラスでわずかにずれており、直通しないようになっている。なぜかといえば、鋭利で細い針などの凶器が、殺傷目的で通り抜けないためだ。 ここは刑務所の面会室。 刑務所に面会に訪れる人物のほとんどは囚人の親族か弁護士などの囚人側の人間で、面を合わせたら異常興奮状態になることはまず無い。ならば、このような極まった安全を確保する隔絶処置をとる必要はないと思われるが、稀に囚人の犯した犯罪の被害者などが面会に来ることがあるので、衝突を危惧してこの処置がとられている。 若い女が一人、パイプ椅子に座っている。 女は27歳。名前は榎本月子。蛍光灯の下で重く沈む長い髪は黒いゴムでひとつに束ねられ、黒い帽子が眉までを隠す。化粧は薄く、口紅はさしていない。茶系の地味な服を着ている。 周りを赤く生した黒い丸――瞳には憎しみがこもっている。 榎本の座る反対側から、蝶番の音――ドアが開く。 看守に連れられ、手錠をかけた男がぬるりと口から入ってきた。 男の名前は伊野幸雄。四件の強姦罪で実刑判決を受けて収容されている。 伊野が榎本の姿を確認すると、嬉しそうに近づき、彼女の前のパイプ椅子に座った。 もちろん、二人の間には二重の強化ガラスがある。 「よおォ姉ちゃん。あんたも懲りないねえ。また俺との思い出を語り合いたいんやな。さあ、おっぱじめよォ……」 「黙りなさい!」 首の腱を浮かび上がらせて榎本は叫んだ。 囚人の後ろに立つ看守は特に驚くことも無く横顔を向けている。 「私はあなたの謝罪を聞きにきたのです!」 「ほう それで」 「謝罪をしなさい!」 「二回も出して申し訳ありませんでした」 目眩に脳が沸騰した榎本が唇を噛み切り、血がどろり。 看守は横目でそれを見るが、我関せずの様相。 伊野がもう一度「本当に申し訳ありませんでした」と、突き出した口から更に舌を突き出しながら言った。 ここで榎本は激昂して、社会的道徳観を失った言葉を滔々とぶつけはじめる。 伊野はその言葉ひとつひとつに憎たらしい相槌を打ち、榎本の感情を荒らしに荒らす。 月に四五回、彼女は面会に来ていたが、全てにおいてこのような調子だった。初めて面会に来たのは四ヶ月前。目的は復讐だった。実刑判決を受け意気消沈で服役している囚人に被害者である自分がわざわざ面会に行き、謝罪を求め、罪を意識させ、罪悪感に追い討ちをかけてやろうというのが彼女の狙いであった。しかし、それは浅はかな考えであった。自身の中から沸き起こる支配欲と性欲がさも自然な感情だと肯定するレイプ犯にとって、服役を不当と感じることはあっても、罪に苛まれることは無い。被害者が面会に来ることは彼を楽しく興奮させるものだった。あえて言うとすれば、目の前の女をこの場で支配することができなくてもったいない、というぐらいだ。 榎本の暴言と、伊野の放言は続く。 看守は時計を見る。 面会は10分と決められている。まもなく時間だ。 明確に区切られている――加害者と被害者が。人というものは様々な性格や考え方の違いがあるものだが、その違いは社会的道徳観でもって衝突を避けることが……ここではできていない。 榎本の唾がたくさん強化ガラスに付き、垂れている。このわずかの時間にそれが気化して、看守の鼻を刺激する。その不快が、燻らしていた彼のある嫌悪感に小さな風を送る。 面会終わりの時間を看守が告げ、伊野の腕をつかみ退室を促す。つかむ腕に力が入っていた。 伊野が退室するまで、榎本は憎悪の目線をやり続ける。 ふと看守と榎本の目が合い、看守はいわれなき罪の意識を感じた。 看守に罪の意識を感じてほしくて榎本は憎悪の目線を送ったわけではない。たまたま目が合っただけであって、看守は対象外。 しかし、看守は罪の意識を感じてしまった。その意識は、怒られたらすぐに謝ってしまうという彼の性格からくるものだった。憎悪の目線に中てられてしまい、萎縮したのだ。 看守は背を丸くして、囚人を連れて退室した。 [2〆]
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