私はいま警察車両に乗っている、後部座席中央に、両隣には私に肩をつけて刑事が座っている。しわよれしたスーツ姿だったので、これまで貧弱な印象を彼らに抱いていたが、触れているところに厚みと硬さがある。彼らは柔剣道が必須、私が暴れたところで適いはしないのだろう。 まあ 暴れる気持ちになることは無い。 これは逮捕ではなく任意同行。 まだ……これからも逮捕される事は無い。 午前中、彼らは鑑識をしていると聞いた。指紋や髪の毛を見つけたのだろう、榎本月子のものを。 彼女と下澤が警察で事情聴取を受けている事は知っている。共に伊野殺害を自白しているはず。ふたりはとても素晴らしい覚悟の持ち主だ。自分の人生を投じて悪を絶つ覚悟を決めた。私はふたりの支持を得た。これは非常に誇らしい事だ。 右に居る初老の刑事、現場責任者で北原と言った。もう2、30年は刑事をしているのかもしれない。様々な苦労をしてきただろう。きっと、解決できない事件もあって、歯がゆい気持ちに苛まれた事もあっただろう。刑事という職業には尊敬の念を抱いている。社会悪の抑制や排除に効力を発揮している。しかし彼らは刑務所の中のことを知らない、ある犯罪者には刑務所という更生施設が役に立たない事を……。 私が頭を掻くと、左に居る刑事が一瞬身構えたようだった。 再犯率――犯罪者が刑期を終えた後に出所して再び犯罪をする数字、そんなものは刑事だって知っている。だから、刑務所の機能に限界があることも知っている。だから保護観察制度といったものや、出所した犯罪者に刑事が会いに行くという事が行われている。そのときに刑事はこう感じているのだろう、まだまだ真人間に戻ったとはいえないが刑務所に入って少しは反省したようだ、と。それは……演技だ。刑事というのは塀の外の人間、犯罪者は塀の外では演技をする、……また戻りたくないからな。奴らは、刑務所という厳しい規則の中で感情を抑制される。が、ある感情は看守の私にとって明らかに感じる事ができる。それは、不服。反省ではなく、不服。これは塀の外の人間は知る事が難しい、なぜなら、服役後という変化を示す機会に会うからだ。反省しない奴らだが、出所直前と出所後は反省の態度を見せないといけないという事を学習する。偽りだが、一定の社会罰を受けたのだからいくらか更生しているだろうという期待感が普段は鋭い刑事の目を錆びさせ、心底まで穿つ事ができない。だが、看守は、私は、知っている、入所から出所直前までの奴らの感情に反省が無い事を。 窓の外を、園児の列が過ぎた。手を振っていた。パトカーだからな。それでいい、警察は親しまれる存在で。これがもし、犯罪者を撃ち殺すようならばそんなことは起こらない、恐れが強くなってしまうからな。悪を絶つと、悪を排除するでは意味が違う。殺すと、やっつけるでは意味が違う。 ふっとめまい。 私はまだまだ心持ちが甘い。 下澤と榎本の心をしっかりと受け止めなければいけない。 しっかりしないといけない。 私は誇らしい。 気持ちは清清しい。 これからも多くの人の心を受けて、私は悪を絶たなければいけない。 [17〆]
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