__眠気をタバコで飛ばそうとして吸った煙に空えずいて、制酸剤を探すがいつもの内ポケットにはなく、捜査資料の冊子の下に見つけた。飲み、時計を見ると、間もなく朝の捜査会議の始まる時間だった。 資料室から南刑事は出た。運悪く婦人警官と出くわし、怪訝な目を向けられた。彼のワイシャツのボタンがすべて外れて、色白い胸と腹が醜く覗いていた。が、彼はそれに気づかず、会議室に向かう。途中、同僚の刑事に注意され、めんどくさそうに服装を正した。彼は一晩中知恵熱で体が火照っていたのだ。「そのうち婦警にセクハラだと訴えられますよ。南さんのせいで刑事課の人間的印象が悪い」とその同僚に言われたが、彼は「すまん」とだけ素っ気無く応じた。 捜査会議室で南刑事は北原刑事を見つけ、隣にどんっと座った。 「南、また徹夜か。今度寝てこなかったら捜査から外すぞ」 疲れた顔の南刑事を見て北原刑事は言った。 「まだこれからの体力は残っていますから、大丈夫です」 南刑事は言った。捜査が難航すると彼は命じられたわけでもなく一人でよく資料室に篭り徹夜で捜査資料の照らし合わせをする。彼自身のプライドがそうさせるのだが、ときおり体調を崩し、捜査員の一員としての役割をまっとうできない時もあり、減給もあった。 「おはようございます、北原さん」 と、声をかけながら内藤刑事が北原刑事の後ろに座った。 「寺川について何か進展は?」 「捜査会議の中で話すよ」 会議室にいる捜査員は刑事が6人に鑑識係が2人、婦警が2人末席に控えている。そこに刑事課課長が入ってきて捜査会議が始まった。捜査の責任者は課長だが、実際的な陣頭指揮は北原刑事が担っている。課長の訓示が終わると北原刑事が立ち上がり、まずはこれまでの捜査内容のまとめを伝えた。次に今日の捜査について話を始める――伊野殺害の被疑者である下澤と榎本の取調べは午後2時半から始めるので、それまでは両名相互の関係について刑事4名で捜査にあたること。これは両名が何らかの形で知り合いの可能性があり、また共犯の可能性があることから行われる。残りの刑事2名と鑑識は刑務所へ向かい、殺害現場の鑑識を再び行い、看守寺川と看護師近藤の事情聴取を再び行う。これは両名が何らかの形で事件に関与しているのではと疑うから行う。婦人警官は午前中は榎本の付き添いをし、午後の事情聴取に立ち会う事。 ここまで伝え、 「何か質問は?」 と、北原刑事が言うと、すぐに、 「看守の寺川と看護師の近藤は、どのような疑いで?」 と、質問があがった。 「昨日のメンテナンス会社の捜査で、メンテナンス会社側から監視カメラの切り替え周期の情報が漏れることは無いとわかった。そうなると、看守側から漏れた可能性が強まるわけだが、当直の中で殺害現場に入った3人を俺は疑う。これまでの捜査の中でこの2人は蘇生処置を行っているため殺害行為は無かったとしてきたが、何かがあったのではと疑っている」 「何かとは?」 「まあ 殺しだ」 「どうやって?」 「それは、まだわからない」 そう言って北原刑事は首の骨を鳴らした。 「仮に寺川か近藤のどちらかが手を下したとすると、それは最終的行為になります。下澤と榎本は、主犯ではないということですか?」 「そうなるが、これはまだまだ推測の段階だ。今日の捜査である程度の裏づけが進むと思う。現状として下澤と榎本の共犯、もしくは下澤ひとりの犯行とするのが妥当だが、その2人の接点に疑問が残るから今日の2人の関係を洗う捜査と、2人の間に仲介役がいるのではという疑いと主犯ではという疑いから寺川と近藤の捜査だ」 北原刑事は言った。 これまでの捜査の中で看守たちに疑いの目が向けられる事はあったが、ここにきて個人名が上がり、内藤刑事以外の捜査員は少し驚いた様子だ。 まだまだ推測の多い捜査内容だが、今日やるべきことは大体伝わった。事件の真相が下澤1人の鉄中毒による伊野殺害という犯行ならば、他の捜査は徒労と言っていい。が、警察の捜査には、疑うべき余地が残る限り徒労と予測できても捜査は進む。対象が何であれ徹底的に周りを掘り起こし、中心にある暗い死まで穿つ細い穴を広い窪みに変える。その縁に捜査員が立ち並び俯瞰、または降りて行く。“包囲”――警察の有する巨大な能力のひとつだ。 「ちょっとよろしいですか?」 一人の刑事が手を上げた。それは南刑事。 「なんだ? 南」 「殺害の最終行為が寺川か近藤看護師のどちらかということでしたが、それは絞殺で?」 「可能性のひとつとして考えている」 まだこの件が殺人事件として扱われていない段階から下澤の死因が絞殺だと南刑事は主張していた。 「蘇生処置をするふりをして実はこっそり首を絞めていたということならば、それが可能なのは看守の寺川。その線で?」 南刑事の発言は北原刑事の心中の的に当たったようで、「そうだ」と返事があった。 __そうですか、と南刑事は尻すぼみにつぶやき、そのまま黙り込んでしまった。彼はこのようにしてよく黙る。会話を自分勝手に終了するのは少々社会性に乏しい態度だが、周りの人は彼のその態度を受け流すすべを身につけている。『毒をもって毒を制す』というのは行過ぎた表現だが、犯罪者という社会逸脱分子を相手にしてその行動を予測するのに、社会性に厳格な人物では予測が難しく、ある程度“近い”人物であれば予測の立つ事がままある。社会性に厳格であればいいというだけの人物はここにいない。南刑事は度が過ぎるときもあるが、周りにいる皆は似たもの同士とも言え、彼の逸脱行為が範囲を広げた共感として受け流されている。 北原刑事は南刑事を注意することなくその後の話を進め、各捜査員はそれぞれの捜査に散った。
囚人が植えた低木群の間を警察車両が走り抜け、刑務所に刑事らが到着した。刑事は北原と内藤の2名、他は鑑識係3名と巡査2名。 北原刑事の指示で、早速、伊野死亡現場である128独房の鑑識捜査が始まった。刑務所という閉鎖空間での囚人死亡は事故死か自殺と見られていたため、伊野死亡直後の入念な現場鑑識は行われなかった。刑事の簡単な実況検分で終わっていた。 __北原刑事の指示で、窓際と緊急信号ボタンの付近を重点に調べている。 「北原さん」 一人の鑑識が北原刑事を呼んだ。そして、 「緊急信号のボタンについている小さな傷のなかに付着している塗料らしき物と鉄格子に付着していた同じく塗料らしき物が、たぶんに同じものですね」 と、言った。 どれ、と北原刑事と内藤刑事が覗き込み確認する。現場に顕微鏡キットが持ち込まれていた。これも北原刑事の指示だった。 「何の塗料か分かるか?」 内藤刑事は問うた。 「そこまでは署に戻らないとわかりませんが、色合いからして同じものだと思います。それと、ボタンにある小さな傷の形状が弧を描く線状なので、円筒形の物の先端が斜めに強い衝撃でボタンにぶつかってできた傷跡だと思われます」 その言葉を聞き、内藤刑事が問う。 「円筒形の物? 弧を描く線状の傷跡ならば、爪ではないのか? ここの緊急信号ボタンは公共施設の非常ボタンのようにプラスチックカバーで覆われていないから、道具を使ってカバーを破壊し、ボタンを押す必要が無い。通常に考えれば手で押すだろう? 爪があたったのでは?」 「このボタンはアルミ製です。爪でいくら強く押しても傷がつきません。もっと硬度の高い金属か強化プラスチック系統だと傷がつくと思います。それと、直径は5センチ前後かと思われます」 「5センチほどの硬い円筒状のものか……、そんなものがこの独房内にあるか?」 辺りに目をやるが、その様なものは見当たらない。唯一ベッドの支柱が円筒形の金属だが、重すぎて緊急信号ボタンのある胸の位置まで持ち上がるものではない。 あっ、と腿を叩き、 「スプーンはどうだ?」 と、内藤刑事が言った。 それはあるかもしれない、と鑑識が言った。が、スプーンでボタンを押す理由が分からないし、スプーンに塗料は使われていない、と保留に。これまでの看守に対する聴取の中で、伊野は緊急信号ボタンをいたずらで押したり、ドアや鉄格子を叩いたりして騒ぐことがあった。今この独房内には無いが、なんらかの硬い円筒形のものを持ち込み、それで鉄格子やボタンを叩いたのかもしれない。何も、この塗料らしきものは事件当夜に付着したものとは限らないので、もっと前から付いていた物ならば、現在この部屋に硬い円筒形のものが無い事の説明がつく。 ふとそこで、北原刑事が口を開く。 「このボタンから鉄格子に付着していた塗料までの距離を測ってくれ。それと鉄格子の下枠の高さとボタンの高さも測ってくれ」 言葉の意図は分からなかったが、鑑識は測った。距離は約2メートル60センチあった。それぞれの高さは同じだった。 「それに1メートル50センチほど足して、4メートル10センチか……」 北原刑事はつぶやいた。 「何の長さですか?」 鑑識は尋ねた。 「棒だ」 「棒? 何の棒ですか?」 「外部の人間……侵入者が、窓の外から緊急信号を押すための棒だよ。まだ俺の考えを詳しく話してなかったな――」 と、北原刑事は自身の考えを述べ始める。侵入者は榎本月子、彼女は看守寺川の指示通りに監視カメラに映らないようにしてこの独房の窓の外まで侵入し、開いた窓の隙間から長い棒を使って緊急信号ボタンを押した。外側から見た窓の高さは約2メートルあり、そこから更に約2メートル60センチもの先にある緊急信号ボタンを長い棒を使って押すことは女性の力では難しいと思えるが、鉄格子を支点にして“てこの原理”を使えば女性の力でも可能だ。身長163センチの榎本では台座の上にでも上がらない限りボタンを視認できないが、鉄格子の下枠と緊急信号ボタンの高さが同じであることから、棒を水平に保ちボタンまでの距離が分かっていれば視認せずともボタンを押す事は可能だろう。 なるほど、と内藤刑事と鑑識はうなずく。 「北原さん、その考え、いつから? 昨晩考えたのですか?」 内藤刑事が聞いた。 「まあな。ボタンと窓の下枠の高さがほぼ同じだった事を思い出してな、外部の侵入者がボタンを押せる状況にあったのではという考えに至った」 北原刑事は答えた。 「しかし……、ボタンを押す理由は何ですか? この前の南の意見に、こっそり侵入した犯人がこっそり脱出しないでわざわざ緊急信号を押す理由は無い……あっ、それは侵入者自身が殺害行為をしたとの仮定に立った意見でしたね。殺害行為をしたのが看守の寺川か看護師の近藤ならば、……えと、どういうことで?」 内藤刑事は推測がつかず尋ねた。 いつのまにかこの場にいるすべての人物――警察官や鑑識係らが北原刑事の言葉に傾聴している。 北原刑事は言う。 「この独房に入って殺害行為をするために緊急信号が押されたんだ。事件当夜に当直だった看守らと看護師全員が事件に関与していたと考えるのは、常識的にも、各々の事情聴取の様子からしてもまず無い。犯人は1人か2人と考えるのが妥当で、そうなると犯人は他の看守から監視される立場でもあるから独房内にこっそりと侵入するのは不可能だ。“堂々と侵入する理由”が必要になる。その理由とは緊急信号ボタンが押され、“緊急信号が鳴る事”。緊急信号が鳴った時は、それが囚人のおふざけであったとしても看守が独房内に鍵を開けて入り、囚人の様子を確認しなければいけない。通常は独房内の囚人が病気や怪我で苦しんでいるときに押されるボタンだからな」 ここで北原刑事は咳払いをした。話は続く。 「外部侵入者が独房の窓の外まで侵入したのだから、窓の壁にもたれ失神している伊野に対してそこから何らかの殺害行為をできたのではという線を捨てるべきではないが、状況からしてその線は薄い。やはり、殺害行為は独房内で直接行われたと考える。手段だが、今のところ、絞殺だと考えている」 「絞殺ですか……」 絞殺の線を内藤刑事も疑いを持った事はあったが、それは外部犯が行ったという考えだった。内部犯――つまり看守の寺川が、監視カメラの死角をつき――システム上監視されているのに事実上監視されていない状況で絞殺。そのような図太い神経の持ち主とは思えなかったが……、私の見方が甘かったのか。 「強く首を絞めたときに残る鬱血や筋肉の断裂は見られなかったが、首に襟を強く締めた跡は残っていた。これは伊野本人が普段から強く襟を締める癖を持っていた事からだったと判明しているが、その跡を利用して襟を後ろ上にゆっくりと引っ張り上げる形で絞殺したのではと考えている。失神状態の人間にその行為をする事は容易だろう。このやり方については医学的検証を依頼する必要が……」 携帯が鳴った。内藤刑事が応じた。その内容は、刑務所の外フェンスの下にあった毛髪と榎本月子の毛髪をDNA鑑定した結果 一致した、とのことだった。 「北原さん、榎本月子の毛髪、一致しました」 内藤刑事は北原刑事に報告した。 「そうか、これで侵入したという証拠がひとつ揃ったな。さて、鑑識さん方、すまないが作業を続けてくれ。午後までにまだやることがあるからな」 北原刑事はそう言って自身の推理を打ち切り、鑑識作業の継続を促す。 鑑識係らは作業に戻る。 やがて独房内の鑑識作業はほぼ終わり、実際に緊急信号が窓の外から押せるのか検証しようとしたが、4メートルを超える長い棒は手持ちに無く、保留に。 次に榎本月子の侵入経路を探す事にした。 外フェンスの下をくぐり抜けた後は、監視カメラの周期の“穴”を抜けて独房の窓の外まで侵入したと見られているが、その経路は屋外をたどる場合途中に3.8メートルの高い柵があり、刑務所内に侵入してから目的の場所に行く場合には何箇所か鍵のかかった扉を通り抜けなければならない。恐らく彼女は鍵に関して素人だから、原始的に柵を越えて侵入したのだろうと見られた。が、足をかける場所のないこれほど高い柵をどうやって越えたのかと、その方法に予測がつかず、反対に刑務所内にいる協力者が鍵を密かに開けておいたのではという予測が立ったが、刑務所という“閉じ込める”環境において鍵の管理は絶対だというこれまでの捜査から、まずは柵に残されているだろう侵入痕跡を探す事になった。それは案外簡単に見つかった。いくつかの柵の上部に人が手をかけた後が残っており、また、柵のそばの地面にできている丸い窪みをひとつ発見した。 「脚立の跡ならば、窪みはふたつになるはずだが……」 内藤刑事のぼやきに、鑑識の1人が、 「外の金網フェンス下の狭く湾曲した掘り返しを直線の脚立は通り抜けられませんね、何か他の……」 と口を挟み、そこに北原刑事が、 「俺は長い棒だと考えている、直径5センチほどのな。それならば、金網の網目を通り抜ける事ができる」 と言った。 なるほど 緊急信号を押す道具だった長い棒は侵入兼用か、と内藤刑事は腿を打った。 「長い棒を柵に立てかけてのぼったのだろう。それでもまだこの高さを越えるのは難しいが、不可能ではない」 そう言って北原刑事は柵のそばまできて見上げ、老いた俺じゃあ無理かな、と小さな笑いをよじ登らせた。 その後、鑑識作業は進み、摩滅したものもあったがいくつか指紋が出た。署に帰りしだい榎本月子のものと照合を行う事となった。
のどの渇きを覚え、南刑事は自販で栄養ドリンクを買った。まだ春なので汗をかくほど暑くはないが、しばらく雨が降っていないので空気が乾燥し、胃液まで蒸発してしまいそうだな、と彼は高い太陽を睨目た。 朝から捜査を続けているが、下澤と榎本の日常的接点はひとつも見つからなかった。 入所前の下澤という男は、会社の送り迎えが付く役職にあり、休日のたびに接待を受け、常に誰かと一緒で、ひとりになることはまず無かったという。当時の関係者から話しを聞いたが、榎本月子らしき人物の影は無かった。 榎本は、事件前事件後で交友関係は少なく、仕事仲間と飲む事も少なかった。彼女の子供の頃からの古い友人で月に1、2回ほどランチをする女性に話を聞いたが、下澤という男の存在は一切話しに上らなかったという。彼女の事件を担当した婦警にも尋ねたが、何も出てこなかった。 近所の聞き込みもしたが、それらしい噂さえなかった。 ガチン、とビンが割れそうで割れない音がした。 「南、そろそろ署に戻るか? おそらくふたりに接点は無い。北原さんのいうとおりつなぎ役がいたんだろう。そもそも憎い相手を殺すためとはいえ、わざわざ大きな罪を犯して刑務所に入ったという推測に無理がある」 南はもう一本栄養ドリンクを買い、一気に飲み干した。 「……そうですね。確かに無理がある」 一時は、下澤と榎本2人だけの犯行だと予測をしていた南刑事だが、今朝の捜査会議で北原刑事の「2人の間に仲介役がいる」という言葉を聞いてから、犯人の数を増やして思考を続けている。彼自身、北原刑事の言葉に妥当性を見出し、下澤と榎本の間に接点は無いだろうと踏んでいた。ならば、この捜査自体無駄だとされるかもしれないが、同じ事件の2人の容疑者に日常的接点が無いという事は、転じて仲介役が居たという事の証拠になる。無駄ではない。 「いくぞ、南」 「はい」 刑事2人は車に乗り込む。と、携帯が鳴り、別の場所で榎本の足取りを捜査していた刑事2人からの報告――僻地の刑務所から市内へ戻る道に何件かのレストランと喫茶店があり、そこで榎本の目撃情報はないかと探ったところ、伊野死亡事件が起きる数週間前にある軽食喫茶店に来たとのことだった。その店は市外の住宅地の端にあることから普段は顔なじみの客が多く、見慣れない客だな と店主は彼女の顔を何となく覚えていた。しかも、彼女が入店して間もなくしてひとりの男が店に入り、彼女に身分証のようなものを見せて相席したという。寺川の写真を見せたが、その男とは違った。もっと若い男だった。半時ほど深刻そうに話をした後、2人は店を出たそうだ。 詳細な報告は互いに署に戻ってから行うという事になった。 車が発進した。 「原さん……」 運転する南刑事が隣の原刑事に話しかける。 「あの榎本月子という女、男の言いなりになる女に見えましたかねえ?」 「言いなりだあ? いま報告にあった若い男に命令されてやったってのか? どうだかなあ……、そういう女には思えなかったが」 「私もそう思います。しかし、昨晩、過去の“男を庇う女”の調書と今回のものを照らし合わせたのですが、犯行を認めているのに犯行の詳細を話さないという態度は“男を庇う女”によく見られるものなのですが、警察を敵視するという態度は見られない。絶対的守る存在以外は敵という敵意を外に向ける態度ではなく、どこか警察を小馬鹿にしたように思えました」 警察の調書に“男を庇う女”という分類は無い。南刑事自身が勝手に分類したものだが、大体の意味合いは原刑事もこれまでの取調べ経験から理解できている。が、尋ねているのか呟いているのわからない南刑事の物言いに、 「ああ? 何が言いたい?」 と原刑事はめんどくさそうな目をした。 「完全犯罪をしたと余裕ぶっているんじゃないですかね」 「はあ?」 「“男を庇う女”の敵視という感情のほとんどは一時的高まりから生じるもので、時間をかけて犯罪という罪を説明してゆけばやがて内省感情がでてきて、真相を話し始めます。しかし、かなり揺さぶったのに彼女は昨日ずっと態度を変えなかった。それは、完全犯罪をしたという自負の念が彼女の態度を一本化させていたのではと考えています」 「おいおい、犯行の真相を知らされていない共犯者という線で昨日は取調べをしていなかったか? 真相を知らないから揺さぶっても何も出てこなかったんじゃなかったのか? いつから榎本は主犯格になったんだ?」 「今朝からです」 「おいおい」 「あの女は刑務所に面会へ行って謝罪を求めるほど“結果”を重要視する人物。完全犯罪という“結果”を創り出すエネルギーは充分にあったはずです」 おいおい、と再度原刑事はためいき。 「けれどもなあ、復讐する動機や行動力があるといったって、殺人という行為にはやっぱり尋常じゃないストレスがかかる。行為前でもな。一時的感情の高まりから衝動殺人に陥ることはあるが、計画殺人というのはドライアイスを水に放り込んだように冷たく沸騰していなければいけない。榎本は、刑務所の面会で謝罪を求めるという――通常考えて謝罪という結果を求められない馬鹿な行動をしてしまう熱く沸騰した感情の持ち主だろう? そんなタイプに完全犯罪をして警察をコケにすることができるというのは、どうだかなあ……」 原刑事は言った。 それを聞いて南刑事は黙る。 その様子を見て、原刑事はタバコに火をつけ、車の窓を開けた。 熱くも冷たくも無い風だった。 [16〆]
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