20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:独房の笑い声 作者:若野 斜羽

第14回   卓上ライト
 建物内の天井の明かりはほぼ落とされ、卓上ライトの明かりが初老の刑事の顔を照らし出している。その後頭部は闇に融けている。刑事という職業柄、彼は様々な社会の闇を見てきた。それはいつしか悪性腫瘍のように潜み、明るい出来事を目の前にしても常に後頭部に内在した。光と闇の両者が衝突し、ときおり彼に熱病を起こしたが、その中間に介在する刑事というものが律を表在化させ、精神の安定を保ってきた。
 これまでの捜査資料を彼は読み返している。
 彼の頭の中にひとりの犯人が浮かんでいた。が、しかし、犯罪の証拠が固まらず、どうしたものかと頭を悩ませていた。
 __床を歩く足音が近づいてくる。やがて彼のいる部屋に入ってきた。
 「北原さんでしたか。まだ明かりが点いていたので誰かと思いましたよ。今日の捜査は終わりだと電話連絡を受けましたが、また何か進展でも?」
 入ってきたのは内藤刑事。彼は、刑務所の監視システムをメンテナンスしている会社の捜査に行っていた。夜中の12時を回り、ようやく署に戻ってきたのだ。
 「いや、進展はない。捜査資料を見ていたらこんな時間になってしまっただけだ」
 初老の刑事――北原刑事は言った。
 内藤刑事は持っていた書類を机の上に置き、傍のポットの湯を使いコーヒーを入れる。香りが広がった。そして、「先に電話で報告しましたが、メンテナンス会社は白ですね……」と捜査の話を始める。刑務所のメンテナンスを担当していた技術社員は、事件当夜、県外へ出張に行っており、アリバイはあった。また監視カメラの切り替え周期の情報を外部の誰かに教えたのではという可能性は極めて低いことが分かった。そういったものは、プログラムディスクというDVDメディアでインストール(導入)されるのだが、メンテナンスを行う技術社員の主な仕事はインストール作業のみなので、プログラム内容の切り替え周期について全く知らないとのことだった。プログラムを製作する製作部の社員は厳重管理の下にあり、また性格的に問題ないとのことで、情報が漏洩することはまずありえないとのことだった。
 内藤刑事は二杯目のコーヒーを入れる。そして問う。
 「榎本月子の調書が進まないと聞きましたが、自白拒否で?」
 「そっちは原と南が詰めてたが、殺害動機はよく話したらしいが、殺害方法については話さなかったそうだ」
 「調書は?」
 「これだ」
 北原刑事は今日の分の調書を内藤刑事に渡した。
 「下澤のほうは、北原さんが?」
 調書に目を通しながら、内藤刑事は尋ねた。
 「ああ。奴は動機も殺害方法も刑務所で聞いたとおりのことを話して、補足は特にない。が、同じく殺害を自白した榎本月子との関与は否定した、そんな女は顔も知らないとな」
 北原刑事は言った。
 「知らないですか……。原さんと南の考えは?」
 「榎本と下澤は関係ありと踏んでいる」
 「共犯で?」
 「ふむ……、お互いに利害関係が一致しての犯行と考えている。榎本は自身がレイプされたことに対する復讐、下澤は娘がレイプされたことに対する復讐、これは自白した動機の中にあった」
 北原刑事はよいしょと立ち上がり、生姜湯を作る。内藤刑事は調書に目をやりながら口を動かす。
 「動機もはっきりしていて、罪を認めているのに、殺害方法に不明点が残るか……。下澤は殺害方法を自白したが、榎本は話さない。どうしてかわからないなあ……。原さんと南はどうして二人が共犯だと?」
 「裏取りのない推測だが、下澤が入所する前から二人は知人関係にあり伊野の事で利害を一致した意見を持っていた」
 「ちょっとまってください。そうなると、伊野に娘をレイプされた事を下澤が知ったのは入所中ではなくて入所前という事になるのですよね。では、下澤が刑務所内で伊野から聞いたという強姦話は……作り話で? 下澤が嘘の自白をしていると?」
 北原刑事のほうを向き、内藤刑事が疑問をぶつけた。
 「まあ、そうなるな」
 「根拠は?」
 「ない。が、妥当と思われる推測がある。下澤入所前から二人は知人関係にあり利害が一致、そして、下澤がわざわざ入所し、刑務所の内と外から何らかの方法で共謀して伊野を殺害した。短く言えば、こうだ」
 それは……と内藤刑事は言いかけて、しばし口を閉じ、また開いて、
 「ありえませんよ。下澤は危険運転過失致死罪で刑務所に入ったのですよ。憎い相手を殺すためとはいえ、他の目的のために他人を殺して刑務所に入るというのは……、可能性は皆無ではありませんが、実行に移す心理を想像できない。復讐という行為から及ぼされる巻き添えや証拠隠滅のための殺害はまだ理解できる部分はあるが、準備段階での作業のように殺人を犯す心理は、悪としかいいようがない。勘ですが、下澤はそのタイプとは違うように思えましたが」
と言った。
 「その疑問はもっともだ。が、もともとは過失致死ではなく過失致傷にするつもりだったのかもしれない。それが誤って過失致死になったと考えれば納得できなくもない」
 それならば……、と内藤刑事は眉をひそめて頷く。
 あのふたりが共犯という線はわるくないんだが……、と言って北原刑事は生姜湯の残りを飲み干した。そして、
 「私はもう一人犯人がいると考えている」
と、内心を明かした。
 もう一人? と当然に内藤刑事は聞き返した。
 「下澤と榎本の接点について捜査を進めたが何も出てこなかった。事情が事情だから秘密裏の関係だとも考えられるが、本当に接点がなかったのではと考えている。強姦被害の女性が、男性に相談を持ちかけるとは考えにくい。彼女の過去の調書を見たが、男性恐怖症の障りがあった。下澤は逮捕当時会社の役員で、家庭もあり、仮に娘の事を知り得たとしても、その立場を捨ててまで刑務所に入ろうとするかは疑問だ。過失を伴った事故だと考えるのが妥当だろう。恐らく二人に接点はない。共犯関係にあるのだろうが、面識はないだろう。そうなると、二人をつなぐ犯人がもう一人必要になる」
 「誰ですか?」
 「看守の寺川だ」
 寺川か……、と内藤刑事は言い、更に眉をひそめた。
 「どう思う?」
と、北原刑事は感想を求めた。昨日午後、内藤刑事はメンテナンス会社の捜査にあたっていて、取調室で行われた榎本と下澤の取調べに全く関与していない。電話で報告は受けたが、細部を知らない。内藤刑事は客観的意見を求められているのだ。
 「……確かに、メンテナンス会社の社員はシロだから監視カメラの周期を知りえたのは看守だけになるので、疑うのは妥当です。しかし、それは榎本の、刑務所に侵入した、という自白を信じたときのものです。榎本は殺害動機を話したが殺害方法に関しては全く話していないのでしたよね? それはつまり、実際には殺害を行っていないという事だと思います。榎本は服役中の伊野に面会に来るという異常行動をするほど精神が攻撃的だったが、謝罪という結果にこだわる社会性を残していた。復讐心はあったが、その手段は殺害ではなく謝罪要求だったはずです。それが、復讐対象の意図しない死によって心のやり場がなくなった。結果が欲しかったのに、結果が無くなってしまった。そこで無くなったものを結果にしようと、さも自分が殺したと思い込むようになったのではと思います。異常心理状態だと思われるので、そういった“心の偽り事”があったのではと思います。そうなると、榎本もシロになる。外部からの侵入者として疑われる榎本がシロならば、監視カメラの切り替え周期を看守が榎本に教えた事にはならないので、看守もシロ。クロは下澤だけ。……私の考えはこんなところです」
 内藤刑事は長々と話し、目をこすった。疲れが出ているようだ。
 「ふむ、筋は通る。しかしそれだと、刑務所のフェンス下の土が人為的に掘り返されていたことの説明がつかない」
 「ん……そうですね。侵入はあったと見るべきか……」
 「侵入があったとするならば原と南の推測はそれなりに理を得ているが、榎本の心理面について疑問が残る。榎本が社会性を残していたという意見には賛成だ。榎本は侵入をしたのかもしれないが、殺人はしていないだろう。侵入して何かをしたのだ。そうなると、やはり看守の助けが必要になる」
 「その看守は、寺川でないといけないのですか? 当時当直の坂本や田所、島崎は違うのですか? または他の看守では? 監視カメラの切り替え周期を教えるだけならば、どの看守にも可能性がある。寺川に限定する根拠は?」
 「ふむ……、その根拠となる考えがまだまとまっていなくてな。それにふたりが自白をした理由もわからない」
 「まだ疑問が多く残りますね。ふたりの逮捕は?」
 「任意勾留に留めてある。弁護士を呼ぶでもなく、表面上の態度は素直で取調べを受ける事自体に拒否を示さないからな。南は、逮捕状を目の前に突きつければびびってもっと詳しく自白する、と逮捕状の請求をしようとしたがな。まあ、ゆっくりするわけにもいかないが、あわてて証拠探しをする必要もない」
 そう言って北原刑事は、うっ、と背伸びをした。
 つられて内藤刑事も背伸びをし、
 「明日の捜査は?」
と、尋ねた。
 「下澤と榎本の取調べを続けて、看守四人と看護師の身辺調査をやり直す。あとは明日の捜査会議でだな。寺川のことについては、寝ながら考えてくるよ」
 北原刑事は答えた。
 時計は深夜一時を回っていた。
 卓上ライトが消され、ふっと非常灯が存在を増した。
 数時間後にはまたこの場所に必ず戻ってこなければいけないが、束の間の休息のために、刑事二人は帰っていった。
[14〆] 


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 8952