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作品名:誘拐 作者:真山 

第2回   2. ホテル
 スラム街から三キロメートルくらい離れたところにあるホテル。少年は男とそのホテルの一室に泊まることになった。海の見える部屋だ。
 窓から外を見ると、日が暮れかかっていた。男は深呼吸する。
いい空気だ。そう思う。
 少年はベッドの下で足を抱えて座っている。少年の足から鎖が伸びておりその先がベッドの脚に繋がれていた。
「逃げないって約束するから、僕にも海を見せて」
「ダメだ」男は、チラッと少年を見て、首を振った。
「逃げないよ」
「嘘だな」
「嘘じゃない」
少年が言うと、男は少年の下へやって来た。
「どうして嘘って分かるの?」
 少年がそう言ったとき、男は少年の顔を思い切り叩いた。
 少年は、床に倒れる。あまりの痛みに思わず声を挙げそうになる。
少年は両手で頭を覆って体を小さくする。体が小刻みに震えた。
しばらく経っても、男は何もしてこなかったから、少年は恐る恐る男を見上げた。
「! …やっぱり、普通の人じゃないんだね」少年はつぶやいた。
 男の目は、鋭く、まるで蛇のようだった。
 怖い…。
 怒りとかそんな感情は男から感じられない。それなのに、僅かでも動いたら、男は自分のことを食ってしまう。そんな気がした。
「ごめんなさい。逃げないと約束するから、そんな目をしないで」少年は言った。男に怯えていた。


 少年はその後、男と何を話したのかあまり覚えていない。ずっとホテルに居ないで、外に夕食を食べるために出かけた。食事の間、会話をすることはほとんどなかった。男が自分を許したのかは分からない。
 その後はまっすぐにホテルに戻ってきた。帰り道はもう真っ暗になっていた。
 ホテルに帰ってから、少年はもう男に話しかけることはしなかった。話しかけても、男は何も話してくれない。男は、彼に関することを聞いたりしなければ自分に親切にしてくれる。なら、それでいい、少年はそう考えていた。
「あの…」しかし、ホテルに戻り一時間くらい経った頃、少年はどうしても我慢ができなくなって男に話しかけた。
「トイレに行きたいんだけど」少年の足に繋がれた鎖はベッドの脚に繋がったままだ。
男はシャワー室から出てきたところだった。タオルで髪を拭いている。
「駄目?」
「うん」男は髪を拭きながら答える。「いいよ、別に…」そう言って、少年のところに来ると鎖を外す。
「逃げるなよ」
 男の言葉に少年は頷く。
「さっき約束したもの」
 用を足して、少年は男のところに戻ってくる。短い間だったが、男から離れることができた。男と離れている間は、緊張から解放されていた。
 男はベッドの上に腰掛けて、また窓から外を見ていた。
「何だろう?騒がしい…」少年は、男の側に近づき、窓の方に視線を向ける。そして、外が騒がしいのに気づく。
「サイレンの音?」
「火事だな」火事と分かると少し怖くなって、少年は後ず去る。
「遠いから大丈夫だ」男はそう言って、少年の手を取った。
「あなたは優しい人だ…」少年は思わず男に言った。
「俺は優しくなんかないよ。今にでもお前を黙らせることができる」男が少年を見上げる。少年は首を振る。
「あのときスラム街に行って、僕に何かするつもりだったんでしょう?本当は、ここへ来る予定なんてなかったんでしょう?」
「お前、助けて欲しいんだろう?」
「うん。…このまま逃がして欲しい」
「俺は助けてやる気はないよ。ここへ来たのは、…あの時、まだお前をあの街へ連れて行かなくても良かったからだ」
 少年はゆっくりと男を見る。男は少年を見つめている。
「僕、あなたに誘拐されたんだね?」
「そうだ。俺はお前を誘拐した」
「なぜ誘拐なんてしたの?お金が欲しいの?それとも他に何か理由があるの?」
「ない。少なくとも俺には、理由なんてない」男は、そっけない口調で答えた。「頼まれたんだよ、仕事だ」男は少年の手を自分の方に引き寄せる。
「たまにこういう仕事が入る。あまり気が進まない、本業じゃないんだ」男は、自分よりも小さい少年の手を見つめる。
「僕を逃がして」
「可哀想だが、無理だ。俺は仕事をしないと、首がとぶ」
「やめてしまえよ、誘拐を仕事にするようなところなんか…」
「首がとぶってのは、その言葉どおり本当に首がとぶんだ。それにやめることは出来ない」男は少年の手を放すと、片目を細めて口元に笑みを浮かべて言った。男が言ったことは嘘ではないと思う。しかし、言った内容と、男の表情が一致していないから、少年はそれが妙に怖かった。少年は男から視線を逸らす。
「お互いに命がけって事?」少年が言う。男は鼻で笑って小さく頷いた。
 しかし、このまま誘拐されるわけにも行かない、と少年は思う。
隙を見て逃げなければ…しかし、そんなことできるとは思えない。
「逃して、このまま。僕をここに連れてきてくれたんだ。出来るはずでしょう?」少年は言う。おそらく、最後のチャンスだ。明日になれば、またあのスラム街に連れて行かれ、今度こそ誘拐を依頼した者たちに引き渡されるだろう。そうならないために何か良い方法がないかと考える。
 男は、少しの間黙り込む。キョロキョロと目だけ動かし辺りを見回す。
「無理だね」
「お願い」
「俺の話を聞いていたか?俺は俺の仕事をするだけだし、しなければ大変なことになる」
「僕だって同じだ」
「同じじゃない、お前は死ぬと決まったわけじゃない」男は冷めた口調で言う。
「決まっているよ」
「そんなこと分からないだろ」
「分かるよ…」少年は押し黙る。うつむいて、泣き出しそうなのを必死でこらえているようである。
 三日前まであった平穏な暮らしが懐かしい。そこに戻ることはもう出来ないのだろうか。
 男が少年の顔を覗きこむ。
「見るなよ」少年が声を荒げて言う。
「案外、無事に帰れるかもしれない」
「そんなわけがあるか!」少年は怒鳴った。無事に戻れるわけがない。薄く笑みを浮かべる男の顔を殴ってやろうかと思った。


 次の日、少年は日の光が眩しいのを感じて起きた。静かな朝だ。いつの間にか眠っていたようだ。ベッドの下ではなく、ベッドの上で。
 隣のベッドには男が眠っていた。少年は彼にそっと近づいた。彼は目を瞑り眠っている。しかし、きっと逃げ出すことなんてできないだろう。部屋を出ようとした瞬間、彼は起きるに違いない。男は眠っているように見せかけて、今も起きている。自分の気配を感じている。
「昨日は怒鳴ってごめん。洗面所に行ってくるけど、すぐ戻ってくるから」少年はそう言うと、静かにベッドを下りた。彼の睡眠を妨げてはいけないと思った。
 洗面所から戻ると男は起きていた。上着を着ている。
「顔を洗っていたの」
「あぁ」男は少年を振り返と頷いただけだった。やはり聞こえていたようだった。


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