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作品名:誘拐 作者:真山 

第1回   1. 8番街へ
 ウェスタン風のレストラン。店の入り口の前の階段に、一人の男が腰を下ろしている。膝の上に頬杖をついて、どこかをぼんやりと眺めている。男から一メートル位離れたところに少年が立っている。男とは対照的に少し緊張した面持ちだ。
少年の右腕からは、細い鎖が伸びている。そしてその先は、男の手によって握られている。男は奴隷商人かもしれない。少年を買手のところに運んでいる途中にも見える。
「ねえ、何を待っているの?」二人がこのレストランに着いて二十分が過ぎた頃、少年がおもむろに口を開く。
「この場所に居ることに、何か意味があるの?」少年は男の方に視線をやり、少し怯えた目で男を見て言う。男も少年を振り返る。
 そのときレストランのドアが開き、中から体の大きな男が出てくる。二人の視線が彼に向く。二人とも知らないが、男はこの店の主人だ。
「あぁ、あんたらお客かい?」
「いいや、違う」男が首を斜めにして答える。
 店の主人が二人のことを訝しげに眺める。
「その子、もう買手はいるのか?」主人は、少年の鎖につながれているのを見つけて言った。「もしまだなら、うちで引き取らしてもらえないかね?」
「何の話ですか?」
「その子をうちで働かせたいんだ」
「あぁ」
「人手が足りなくてね、いくらだい?」
 男と店の主人とのやり取りを、少年は黙って聞いている。男が少年にチラッと目をやると、少年は無表情だった。
「いや、申し訳ないですが、売り物ではないので…」
「もう決まっているのかね?なら、その値段に上乗せして払うよ」
「すみません、そういう訳にはいかないのですよ」男は丁寧に断った。
「おかしなことを言う、高く売れた方がいいだろうに」主人は納得しない面持ちで、つぶやくと、店の看板を「OPEN」にひっくり返し、店の中に戻っていった。
 もうすぐ昼か。
 男は看板を見て何となくそう思った。
 少年は、店の中に消えた主人の姿を目で追っていた。
「売ってしまえば良いいのに」不意に、少年が店の方を向いたままつぶやく。
「何?」
「早く売ってしまえば?買い手なんて決まってないんだろう?」少年は男の方を振り返る。その顔は不安そうで、どこか悲しげだ。
 男はそんな少年の顔を見て、一度瞬きすると、すぐに可笑しそうにクスクスと笑った。
「何が可笑しい?」
「いや、君、何か勘違いしていないか?」男は笑いながら言う。「君は奴隷じゃないだろう?売るわけがない」
「……」少年は無言で男から一歩後退する。
「何処へ行くの?」少年は男への恐怖心を振り払おうと、男に話しかける。さっき聞けなかったことだ。男は笑うのを止める。
「何処だと思う?」
「そんなの分かるわけがないだろう」ヒステリックに、上ずった声。少年は頭を抱え、その場にしゃがみこむ。
「家に帰して…」
 男は少年を眺めていたが、やがて立ち上がり階段を上がると、少年の前にしゃがみこむ。そして、少年の頭を両手で包み込んだ。少年は泣いているようだった。男は何も言わずに、少しの間そうして少年に寄りそっていた。


 ぐらぐらと揺れるバスの中。少年は男の隣に大人しく座っている。今はもう泣いていなかった。少し疲れた顔をしているが、落ち着いたようだった。
「ねえ」
「うん?」
 少年が男に話しかける。
「何?」男は少年の方を向く。
「教えて」
「何を?」
「何でもいい…あなたは誰なのかとか」少年が男を横目で見る。男は笑みを浮かべて少年を見ている。
「それは前にも聞いたね」
「うん、聞いた。…けれど、教えてくれなかった」
 男は何も教えてくれなかった。黙って少年を睨みつけていた。今も同じだ。聞いてはいけないことなのだろうと、少年は思った。けれども、何も知らないことが不安でたまらなかった。男は何者なのか、自分をどうするつもりなのか。それを考えると、不安で頭の中がいっぱいになった。
「ねぇ、何か言ってよ」
「黙っていろ」男の低い声。少年は、その声と男の目に見えないプレッシャーに体が震えた。男は普通の人とは違う、それを感じた。
「次は、8番街です。お降りの方はボタンを押してください」
 そのとき、車内放送が流れる。
すると男は、後ろにあったボタンを押す。降りることを知らせるために押すボタンだ。
「次、降りるの?」少年は、うつむいたまま、男に聞いた。まだ少し体が震えている。
「何だ?」
「何でもない」少年は首を振った。何も聞かない方がいい。そう思った。


 バスを降りると、そこはスラム街の入り口だった。
 少年は、息を呑む。後ろではバスが走り去る。少年はそれを振り返る。しかし、バスにはもう戻れない。
「どうした?行くぞ」男はそう言って歩き出す。鎖を引っ張られ、少年もこける様にして歩き出す。
 そっちへ行きたくない!
 少年は心の中で叫び、男に逆らって足を止める。
 前を歩く男が少年を振り返る。
「行きたくない!」少年は声に出して叫んだ。「そっちへ行きたくない」
 男は、目を細めて少年を見つめる。怒っただろうか?
 少年は男の手から鎖を引き抜こうとする。
 行かない、行きたくない。
「来るんだ」
「嫌だ!」少年が叫ぶと、男が少年の前にやって来る。
 少年は男の体にしがみついていた。
「君ねぇ…」男は、ため息をついた。
 男はきっと、人間としての良心を完全に失っていない。少年はそう信じた。少年は男を見上げる。
「言うとおりにしなければ、痛い目を見るぞ」
「嫌だ」
「なら来るんだ」
「嫌だ、それなら殴られた方がいい。好きなだけ殴ればいい。だからお願い…もう少しだけでもいいから待って」
「ふぅむ…」男はそう言ったきりだった。


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