まゆみの周辺は吉岡に会う以前の穏かさを取り戻し 毎日が静かで平凡な日々が日一日と過ぎていった。
吉岡の事は自分をひどく落ち込ませるほどのダメージを受けてはいなかったし、 それにあれから吉岡からも何も言ってこないその事がまゆみには何よりであった。
原田の日々も又穏かだった。 元々まゆみの事で巻き込まれなければ自分だけの事で 生活を脅かすことなど殆どなかったのだ。 このまま月日が過ぎて自分は無事に大学を卒業し何かの仕事につくのだと漠然ではあったがそう思い始めていた矢先の出来事だった。
時に運命は信じられない 『何て余計な事を・・・・』と 受け止められるような事件を巻き起こしてしまうこともある。
その日は土曜日でいつもなら夜の授業もある日だったが その夜はたまたま、教授の都合で休講になってしまった。 原田は特にすることもなくアルバイトが終了すると 自宅に向って歩いていた。
原田の携帯が友人からのメールを知らせた。 「これからちょっと実家に帰る。空港まで付き合ってくれないか?」 その後は家に帰るだけでさして用事も無かった原田は 「いいよ。付き合うよ」軽い気持ちで付き合うと返信した。
原田は空港まで友人を見送ると 何だ帰りは自分一人か・・・俺も結構人がいいな・・・などと思いながら空港を出ようとした時だった。自動ドアーの向こうに別れた彼女がこちらに向って立っていた。 二人は開いた自動ドアーをまたいだ形で向かい合わせのまま立ち尽くした。 「由香里・・・」 「哲也・・・」 「何でこんなとこに・・・」 二人は同時に同じ言葉を発した。
今でも原田の心の中の彼女のスペース広さも深さも何もかが付き合っていたあの頃のままで、そのスペースに必死に蓋をしていただけの状態だった。 だが、彼は、彼女にあったこの瞬間、この蓋がどこかに吹き飛んでしまった。 「会いたかった・・・・ずっとずっと・・・ 今もあの時のままの自分はお前を愛している!!」 そんな言葉が口をついて出てしまいそうな自分の思いを必死で飲み込んだ。 「哲也!久しぶり元気そうだね?!」 「由香里・・・何で東京に?」 「えっ・・今付き合ってる彼が東京にちょっと用事があって・・・私も着いてきただけ今から一緒に又帰るとこ」 『今付き合っている彼・・・一緒に帰る・・・・』
今でも自分はこの目の前にいる由香里を心の底から愛している。 時が・・・二人の間に時間が流れればきっとお互いに引き合うように再び愛しあえる日が来る。自分が彼女を忘れられないようにきっと彼女も自分を忘れられなくて、 会いたいと言って会いに来る。その時、自分は思い切り彼女を抱きしめる。 原田はそんな日が必ず訪れるとそう信じていた。
彼の全ての想いが今この瞬間もろくも崩れ堕ちてしまった。 彼は呆然と立ちすくんだまま身動き一つ出来なかった。
その後も由香里が何か話しかけていたようだったが、彼の耳には何も届いていなかった 自動ドアーに立ちすくんでいた彼の背後から 「オイ!そんなとこにいつまでもつっ立ってたら邪魔で通れないよ!!」 後ろから肩をどつかれ、原田はハット我に返った。 「すいません・・・・」 そう謝り前を向いた時、もう由香里の姿はそこには無かった。
原田の重い足は自宅ではなく、見知らぬ飲み屋に入っていた。 注文は酒だけだった。何も食べずひたすら酒をあおるようにグラスを次々と空にした。 19歳の未成年のはずの原田だったがやたらとお酒には強かった。 だいたいが、どれだけ飲んでも酔いつぶれるという事はほとんど無い彼は この日もいくら飲んでも全く酔いが回ることは無く それどころか飲めば飲むほど頭がやたらと冴えていった。
『俺のことなんか思い出すこともなったのか・・・ 俺は彼女を思い出さない日はなかったのに・・・ あの時、周りの人の手前俺と離れただけじゃなかったのか・・・ 本気で嫌になって別れたかったというのか? 俺は時間が経つのをずっと待っていた・・・ 自分だけだったんだそんな事思っていたのは・・・終わったんだ・・・ これで本当に終わったんだ・・・ この先何を支えに生きていけばいいんだろう 生きていく意味なんてこの先の自分にあるんだろうか? 飲めば飲むほど原田は堕ちていった。生きることに意味を見出せない。 あの事故から親とも旨くいっていない。 東京に出てきてからも殆ど親の方からの連絡は無かった。 彼は全く孤立無援の生活を送っていた まゆみに会うまでは・・・ この状態を何とか生きていくことの意味を一緒に考え 地獄から一緒にはい上ってきたのがまゆみだった。 それが、今日の彼女との再会でまゆみに出会う前の最初の頃の原田に一気に引き戻してしまっていた。
そんな事が原田の身に起きていることなど、 知る由も無いまゆみはいつものように仕事が終わると、自宅に向かって自転車を漕いでいた。今夜の夕飯は・・・久々にとんかつでも揚げようかな・・・それと千切りキャベツとおみそ汁はわかめとお豆腐と・・・そんな晩御飯の献立を考えながら自宅に急いだ。 前の方をどう見ても一目で酔っ払いだと分かる男性が、よろよろと右に左にこれぞまさしく千鳥足の見本という歩き方で歩いていた。 「わ〜まだこんな早い時間にあんなに出来上がっちゃって・・・ 目を合わせないように通り過ぎよう・・・」 まゆみが横を通り過ぎるまさにその瞬間にその男性がまゆみの自転車に向かって吐いた。幸い被害は前輪だけで収まったが 「きゃあ嘘!・・・なんで?なんでこのタイミングに私の自転車に・・・」思わず叫んでしまったまゆみは目を合わせたくは無かったが流石にその人を見ないわけにはいかずその男に目をやると驚いたというよりは愕然とした・・・
「えっ!僕・・・僕じゃない!!何やってんの!こんなになるまで飲んで!! 僕は未だ一応見青年なんだよ!分かってんの?!」 「なんだ緒方さんじゃないですか、こんばんは!じゃ無くてお疲れ様です! 未成年って・・・緒方さんだって飲みに行こうって誘うじゃないですか・・・」 「・・・そうだけど・・・一人でこんなになるまで飲んだら何かあってもどうにもなら・・・・・あ〜〜〜僕!!ちょっとちょっと!!」 まゆみが話している間にも原田は道端で嘔吐を続けていた。 「汚ねえなぁこいつ!!」道行く人がそんな彼を罵倒しながら何人も通り過ぎて行った。 原田の背中をさすりながら、原田が酒が強い事を知っていたまゆみは彼がこんなになるまで飲むなんてこの子に一体何があったのか・・・気になって仕方なかったが、こんな状態の彼に聞く事などできなかった。 「緒方さんお仕事終わったんですよね。今帰りですか?」 「何言ってんの僕はこんな時に。さっ!送って行くから帰るよ」 「緒方さん。僕大丈夫です。一人で帰れますから早くお子さんのとこに帰ってください きっと待ってますから」 言葉とは裏腹に全く自分では歩けない原田はすぐによろけた。 「どこが大丈夫なの。 真っ直ぐ立つこともできないじゃない。いいからさあ、帰るよ!」 まゆみは乗っていた自転車を後で取りに来ることにして、取り合えず原田のマンションに彼を連れて帰った。その道のりも容易ではなかった。 何しろフラフラな上に何歩か歩くと嘔吐を繰り返していたのだ。 吐いても吐いても終わらない酒。 まゆみはこの子は一体どれだけ酒をこの身体の中に流し込んだのか考えただけでも恐ろしかった。そして、よく急性アルコール中毒にならなかったものだと神様に感謝したい気持ちだった。やっとの思いでマンションに辿り着くと、急いで布団を敷き彼を寝かせた 「まただ・・・確かこの前もこのマンションに来た時もこうして布団敷いたんだっけ・・何で毎回こういうことばかりで私はここに来るんだろう・・」 布団に寝転がった原田はすぐに眠りについた。 まゆみは原田がいつ吐いてもいいように枕元にゴミ箱に新聞紙を敷き詰め置いた。 その時だった。原田が寝ながら何かを喋った。 「由香・・・」 「えっ何?」 よく聞き取れなかったまゆみは原田が自分に何か話しかけたと勘違いし、聞きなおした。 「由香里・・・何で・・・・」 『由香里?』まゆみは一瞬その名前が誰の名前かすぐに頭に思い浮かばなかった。 「由香里・・・あっ僕の好きな娘の・・・・何故、今その娘の名前が? 僕のお酒の原因はそれ?」
原田がその後再び何か言葉を発することは無かった。 まゆみはこのまま帰ることもできず、子供達にメールを送った 「今日も少し遅くなります。先に食事を済ませ寝てて」メールの文字を打ち込みながら、我が家の二人の子供達は私にこんなに心配かけられることはないのに・・・ その代わり今、目の前に居るこの子は私にとことん心配をかける。 これで帳尻があっていることになるのか・・何だか変な理屈で自分を正当化しているようでもあった。
ひと寝入りした原田は夜中に目を覚ました キッチンの方から何やら音がすることに気がつき まだふらつく身体でそちらへ向った。 別段することもなかったまゆみはキッチンで料理をしていた。 「緒方さん?」 「あれ?僕?目が覚めたの?どう? 頭痛くない?もうすぐ雑炊が出来るけど、どう?食べれそう?」 「何で緒方さんここに?」 「何でってこっちが言いたいわ!!」 「えっどういうこと?」 「僕は道端で瀕死の状態だったんだよ。私がたまたま通りかかってここまで連れてきたの。それだって大変だったんだよ。僕、道で吐きっぱなしだったんだから」 「え〜吐きっぱなし・・・ですか?」 「そう3歩歩いては吐きみたいな!!あのね、僕は未だ一応未成年なんだよ!!私も飲みに連れて行くことあるけどさ、それでもそんなになるまで飲んだらだめでしょ!!」 「すいません・・・」 「もう、過ぎた事は仕方ないけど、それよりどうしたのあんなになるまで飲んで?」 「・・・・話さないといけないですか?」 「・・・そんな事ないよ。言いたくない事は言わなくていいから・・・」 「すいません。今は何も話したくないんで・・・」 「そぅ・・・僕もう大丈夫みたいだから私はこのまま帰るから雑炊食べれそうだったら後で食べて」 まゆみが笑顔で原田にそう告げると 彼はうなずきながら「すいません。いろいろ迷惑かけて・・・」とペコリと頭を下げた 「いいえ。じゃあね、おやすみなさい」 「おやすみなさい」 まゆみはそのまま彼のマンションを後にした。 原田は緒方に何も聞かれなかった事に内心ホッとしていた。 自分が今日起こったことを話せば又二人で地獄に堕ちる それに、きっと緒方さんは又自分を心配する。 そのことが緒方さんの生活を脅かすことになりかねない・・・ そんな事も考えた原田は今回由香里に会った事はまゆみには話さないと決めていた。
まゆみが帰った後原田は、自分の机の上に一枚の紙が置かれていることに気づいた。 あれ?あんなとこに紙なんかあったっけ? 原田は机に近づくと、その紙を手に取った。 それは原田が眠っている間にまゆみが書いて置いて行った置き手紙だった。 『僕へ 道端で吐いている僕を見た時は信じられなかった。どうしてこんなになるまで飲んだんだろうって。僕に一体何が起きたんだろうって、でもすぐに気がついた。僕がこんな風にこのまま死んでもいいやって思うくらい無茶なお酒の飲み方をする時はいつも彼女の事だったって。今回もそうなんだよね。だって僕、自分の口でそう言ってたから・・・ 僕にまたあの苦しみが襲ってくるのかと思うと居てもたっても居られない思いだけど、 僕がこの手紙を読んでいるという事は私には今回の事を何も話す意思は無いということだね。きっと何も知らない顔して私は帰っていくのでしょう。 でも僕、一人で抱えたらだめだよ 生きる意味を再び、見失わないで! 何も言わない僕から何かを聞きだそうなんて思ってないから。でも飲んだ訳を私はもう知ってしまったのだから何か話したい事があったらいつでもメールでも電話でもするんだよ分かった』 緒方さん・・・・その紙を握り締めた彼の頬を一筋の涙が静かに零れ落ちて行った。 ありがたいと思う気持ちと由香里への想いの入り混じった複雑な涙だった。
家に戻ったまゆみはいつ彼から電話が来てもいいように携帯を肌身離さず持っている事にした。それでも、その後何時間経ってもまゆみの携帯が鳴る事は無かった。
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