一方その頃のまゆみは客からのクレームにも開放され 「やっと帰れる・・・あのお客さんの話長かったな〜〜」 とぼやきながら急いで帰り支度を整えると、会社を後にし、 自転車にまたがった。その時ふと頭に「氷川様」と言う言葉が浮かんだ。 「そういえば、氷川様、暫く行ってないなぁ〜今日みたいなクレームが 再びありませんようにってお参りしてから帰ろうかな・・・」 そんな何気ない思いで会社からすぐの氷川様に向って自転車を走らせた。 まゆみは自分だけでは解決できない事があった時など時々お参りに行っていた。
流石に夜の神社は怖い・・・ さっさとお参りして帰ろうと暗闇の境内に目をやると まゆみは心臓が止まるかと思うほど驚かされた。 少し先の方にこんな所にいるはずのない 原田の姿が目の中に飛び込んで来たからだ。 「何でこんな時間にこんな所に僕が・・・」 慌てて駆け寄り、再び度肝を抜かれた。 背中越しに見えていた男の背中が何と吉岡だったからだ。
「僕!どうしたのこんな時間にこんな所で!!」 「緒方さん・・・・」 原田は一瞬驚いた顔をしたが、すぐにホッとした表情に変わった。 それがまゆみにもすぐに 分かった。 「吉岡さん!これどういう事ですか?」 まゆみは今までに吉岡に見せた事のない位きつい表情と口調で尋ねた。 「・・・・この彼にどうしても会いたかったんです」 「僕ごめん!学校終わってからここまで歩いて来たんでしょ?疲れてるのに・・・ ほんとにごめんね!もう帰っていいから」 原田は黙ってうなずくと吉岡に会釈をし、その場を後にした。
原田が少し離れた時だった。背後から「ピシ!」っと人が叩かれる音がした。 原田が慌てて振り向くと、まゆみが吉岡の頬を叩いた後のようだった。 「緒方さんが叩いた?」 原田はあわてて引き返した。 吉岡は左手で頬をさすりながら 「すいません・・・」と頭を下げて誤った。
原田は二人の会話が聞こえる所まで引き返すと二人に気づかれないよう そっと木の影から様子を伺っていた。 まゆみはスッと吉岡に近づき彼の殴った頬にそっと手を当てた。 原田はその様子に少し戸惑った。
二人のその空間は自分と緒方とは全く違う大人の雰囲気の世界がそこにはあったからだ。緒方の表情も自分に見せる表情とはまるで別人のように見えた。
まゆみは頬に手を当てながら、 「叩いたのは僕を私達の中に巻き込んだから でもどうやって私の携帯から僕のアドレスを盗んだの?」 「一番最後に会った時に・・・・すいません」 「お願いだから。彼を私達の世界に巻き込まないで貰いたいの、 私とは関係ないところで生活してもらいたいから、 だから私は彼から必死に離れたんだから・・・ でも・・・本当は私が一番いけないんだよね・・・ やっぱり僕の事なんか話さなければ良かった。 そうしたら吉岡さんも会いたいなんて思わなかったのに」 「・・・・まゆみさんに、この世で彼を含めた3人しかこの先も愛せない 愛するつもりも無いって言われたのが頭の中からずっと離れなくて・・・ どうしても彼に会いたかった・・・」
この後も吉岡はまゆみに何か話していたが、 原田は今の吉岡の口から出た 「3人以外を愛さない」と言う言葉に動揺し、 その後の会話は一切聞こえていなかった。
「3人って?自分と2人の子供さんって事? 自分を愛してるって事?僕は自分に対するまゆみの想いに答える事なんか出来ない・・・ 緒方さんは大事な人だと思ってるけど・・・ 自分にはどうする事も出来ないし 出せる答えなど何も無かった。
まゆみは吉岡からスーと離れると、 「人に裏切られるのが怖いだけです。 この3人は決して裏切らないって言う事ではないんですけど、 この3人に対する愛は注ぐだけの愛だけで、受ける愛ではないので、 この3人から愛を返してもらいたいって思ってないから・・・ 勝手に注いでる愛って事でしょうか」 まゆみは少しだけ微笑んでそう言った。
「見返りを求める愛は辛くなりますからね 愛を注げば注ぐだけ男女の愛は相手からも同じだけの愛を受け取りたく なるものでしょ?もう、そういうことは嫌なんです。ごめんなさい」
「注ぐだけ・・・」原田はまゆみのこの言葉を聴いて 返さなくていいのかと何となくだか正直少しホッとした。
吉岡はまゆみの3人への愛情の深さにショックを受けながら返す言葉も思いつかず、 ただ、黙ったまま、涙だけがこみ上げそのまま頬を伝い零れ落ちた。 驚いたのはまゆみだった。そして、そんな吉岡を思わず抱き寄せてしまった。
この様子を見ていた原田は何故突然まゆみが吉岡を抱きしめたのか その経緯が全く分からなかった原田は戸惑った。 そして、その様子を凝視する事もできず、その場を立ち去ってしまった。
「吉岡さん・・・吉岡さんが愛する人は私じゃない。 愛してくれるのも私じゃない。きっとこの先この人だって言う人が現れるから・・・」 こんな時、こんな陳腐で気休めにしか聞こえない事しか言えない自分が情けなかった。 そんなまゆみに出来る事はただ彼を抱きしめる事だけだった。 そんな事をしてはいけない事等まゆみにも重々分かっていることだったが 今、目の前で泣いている吉岡の姿が余りにも幼く いたいけな子供の姿にしか見えていなかったのだった。
吉岡は母親に抱きしめられた幼子のように 静かに涙を零しながらまゆみの肩に顔をうずめた。 暫くしてまゆみは吉岡をあやすように背中をポンポンと叩くきながら 「さぁ帰ろう・・・」と告げると 「もう少し、もう少しこのまま・・・もう2度と会えないかもしれないんでしょう?」 何て切ない事を言い出すのだろうか・・・ まゆみの目にも涙が溢れそうになった。 気の済むまでこうしていようと、まゆみは抱きしめたままでいることにした。
帰り道を呆然と歩いていたのは原田だった。 今さっきまで自分の身に起きた事は全て夢ではなかったのか? 夢であって欲しいとすら願っていた。
自分は深くまゆみと付き合いすぎたのかもしれない 自分はまゆみにどうしたらいいのか? 緒方さんには感謝の気持ちで一杯だし大事な人だけど 恋愛とかの愛とか恋とかそんなんじゃない。 あの保安さんはこの先どうするんだろう 緒方さんは保安さんの気持ちを受け入れるんだろうか? 次々と疑問が浮かんでくる。 でも、その答えは何も浮かんでこなかった。
そうこうしている内自分のマンションに到着し、鍵を開け、 いつものように部屋の明かりをつけた。 いつもと何も違わないはずなのに さっき家を出た時と部屋の中がまるで違う景色に見えていた 床に腰を下ろすと「ふ〜〜〜」っと深いため息をついた。 夕飯はまだだったが、そんな事も思い出せない位頭の中は混乱していた。
どの位の時間まゆみは吉岡を抱きしめていたのだろう まゆみは抱きしめていながらも、頭の中ではやはり原田の事が気になって仕方が無かった。自分が来るまでに二人は何を話していたのだろうか 僕を傷つけるような事が無かっただろうか? 吉岡を問い詰める事はこの状態で出来るわけも無く、 まゆみはこの二人の青年を自分が振り回している事の罪悪感にも苛まれていた。
それは突然起こった! 吉岡がまゆみから離れる寸前にまゆみの口唇に自分の口唇を重ねてきた。 余りに突然だったのと頭の中で原田の事を考えていたまゆみには 一瞬自分の身に何が起きているのか理解できず、 まゆみの頭は必死で原田の事から 今自分の身に起きていることにスイッチを切り替えた。 吉岡は口唇を重ねるのと同時にまゆみを自分の方に引き戻した。
まゆみは一瞬ためらいも感じたが、敢えて何の抵抗もしなかった。 吉岡の気の済むようにしてやりたいと思ったからだった。
離婚後のまゆみには誰かと肌を合せる事も増してや口唇を合せる事など 自分の中ではたいした事では無かった。分野で言えばどうでもいい分野に属していた。 それは僕と知り合ってからも変わらない思いだった。 僕とは決して恋人同士というわけではない。 僕の存在がその事の妨げや足かせになることは全く無かった。 愛がなくても口唇も身体も相手が望むなら幾らでもどうぞという変に投げやりな 感情がずっと自分の奥底に存在していたからだ。 肉体関係を持ったからといってその人を愛すことなど無いと自分に自信もあった。 それなら誰かの為に自分がどんな形でも役に立つのならそれはそれで良かった。
吉岡の気持ちは彼自身、押さえがきかないところまで上り詰めていた。 吉岡は黙ってまゆみの腕を取り、乗ってきた車に半ば強引に押し込んだ 会話の無いまま車は近くのホテルの駐車場へと滑り込んで行った。 吉岡は相変わらず黙ったまま、助手席の方へ周り車のドアを開けた。 まゆみも同じように無言のまま車から降りた。 まゆみの手を引き吉岡はフロントから鍵を受け取り部屋の鍵を開けた。
まゆみの目の前にはその事だけが目的という 殺風景で無機質な空間の部屋が飛び込んできた。 まゆみの背中を軽く押すと、吉岡は鍵を閉め部屋に上がった。 まゆみも又、黙って靴を脱ぎ後に続いた。 まゆみは、冷蔵庫からビールを取り出すと無言のまま吉岡に手渡した。
|
|