この日、授業を受けていた原田はやはり体調が今いちで少し頭がボーっとしていた。 講義と講義の間の少しの休憩時間に、木元が近寄ってきて原田に尋ねた。
夕べのあの二人凄かったよな!あの保安の人本気なのかな?なっ!原田?」 「さあ〜」 「あの時あの人泣いてたけど、あれってうれし涙だよな?絶対!! あの年になってあんな若い男に街中で抱きしめられたんだぞ!そりゃぁうれしいよな!」 「そうかな・・・違うんじゃない?」 原田は木元がうれし涙だと思っている事にいささか腹を立て 否定しなければいられなかった。 「えっあれってうれし涙じゃないの?って何でそんな事お前にわかんの? うれし涙に決まってんじゃん!」 彼は若い男に抱きしめられて嬉しくないわけがないと信じて疑わなかった。 原田はここであまり意固地になって木元に反発しても 自分も緒方との関係を突っ込まれると困ると思いそれ以上木元に抵抗しなかった。 その後二人はそれぞれの講義に向った。
一方まゆみは吉岡には自分の事を正直に話をしなければいけないと感じていた。 真っ直ぐに自分に向ってくる吉岡に自分も正直に向き合わなければいけないと思い始めていた。吉岡の運転する車は今度も橋の見える場所に止まったが今度はベイブリッジを望める港近くに車を止めた。 二人は頭上にライトアップされたベイブリッジを望める場所で車から降りた。 「吉岡さん?!」 「はい」 「私まだ吉岡さんに自分の事、きちんと話ししてないですよね」 「そうですか?僕は今自分の目に映っているまゆみさんだけでいいと思ってますけど」 若いと言うことはこういうことを恥ずかしくも無く 相手に伝える事ができるということなのか・・・ その人の過去の人生なんて関係ないということなのか? 会って楽しければ、その人の抱えている痛みも悲しみも何も見ないふりしてしまうのか?まゆみは複雑な思いだった。 そして、本当にこの人に自分の抱えている事の全てを話していいのだろうか・・・ それにしても、自分に吉岡にそんな事を言わせるだけの魅力があるとは思えないし、 そんなに何度も会って話しをしたわけでもない。 なのに何故吉岡がそこまで言い切れるのか当の本人のまゆみが1番不思議に感じていた。
しかしこのまま吉岡に何も告げず彼からの思いを受けいれ続けることはできないし、 自分の年齢はともかく、離婚している事・・・・ その何もかも二度と誰にも話すつもりはなかった。 自分の全てを知ってくれて、私の思いの全てを分かってくれているのは自分の子供達でもなくこの世で原田唯一人でいいと思っていたからだ 私の中では僕以外に私の全ての思いを理解できる人はいないと思っていた。 なぜなら彼もとても辛い過去を抱えていたからだ。 二人がお互いの気持が手に取るように分かるのは同じような痛みを経験し、 その痛みをお互いが心の中の全てを話しあっていたからだ。
例え子供でも友人でも自分の心の中を全てさらけ出して喋る事は出来なかったりする。 増してそれが子供たちの父親の事なら尚更である。 その点原田と私の間に障害と感じるものは何も無かった。 ただお互い信じていた人に裏切られ、 それまでの人生を全て否定されたようなそんな共通の痛みを抱えていた。 喋るという事で二人の心のつながりはどんどん深くなり、 ある意味親子以上になっていた。お互いの表情、言葉、メールの文章そのどれからでも 今の相手の心理状態まで分かってしまう位二人は深いところで繋がっていた。
その彼が自分の将来のために違う職種に挑戦してみたいと自分の元を去ってしまった。 一年以上も自分の傍で私の話し相手と仕事の相棒だった彼を失った寂しさと辛さで暫くは自分を見失っていたような状態が続いていた。
そんな心の隙間に吉岡が現れてしまったのだった。 しかし自分の愚かで曖昧な態度がこんなことになってしまい 吉岡に対して申し訳ない気持ちで一杯だった。 おまけに折角自分の元を離れた原田にまで思わぬ所で迷惑までかけてしまった。
今自分が思ったこの事の全てを、 今目の前にいる吉岡にそこまでの話などする気は無かったが、 それなら何処まで話をしていいのかそれも良く分からなかった
「吉岡さん、私は離婚しています。子供は結婚が早かったので、二人とも大きいですが・・・」 私は思い切って話しを切り出した。 「はい!それは何となく分かっていました そうでなければ夜、食事なんて付き合ってもらえませんよね」 「そうですよね。わかりますよね。」 「だから不倫じゃないから付き合ってもいいんですよね」 何でこういう台詞が顔を赤くする事も無くサラリと言えてしまうんだろう・・・ 私の人生の中ではあり得ない人種に感じた。 それとも少し古い言い方だが、新人類と呼ばれる人はこういう人達のことを言うのか? まゆみは次の台詞に困った。どう言えばいいのか・・・
「まゆみさんの言おうとしていることは何となく分かります。」 「えっ?」 「僕が本気だと言う事が信じられないんですよね、騙されてるとか・・・ からかわれてるんじゃないかとか・・・」 彼の方から切り出してくれてまゆみは少しホッとした。
「私は離婚した時にとても辛い思いをしました。 2度と人を信じない、それに二度と人を愛せないと思いました。 愛情と言うか人からの愛は永遠ではないとも思ってます。 裏切られる辛さを知ってしまったら、もう2度と同じ思いはしたくないって思ってしまうのは当たり前の事だと思います。まして私はもう若くないので、人生をやり直す時間はそう何度も無いと思っています。あっ私今、45歳です。 子供は18歳と16歳の男の子と女の子です」
まゆみはここまで一気に話しをした。 これで終わる!この話を聞いて引かない男なんていない・・・
「・・・・・・」流石に吉岡に言葉は無かった。 自分が考えていたまゆみの年に大分ずれがあったからだ。 自分が27で相手が45! 年の差は・・・彼は頭の中で必死に引き算をしていた。
「お子さんの事はわかりました。二度と人を愛せないと 愛なんて信じられないということも何となく理解できます。でも・・・」 吉岡は次の一言を口に出していいのか一瞬躊躇してしまったが、 聞かずには居られない自分がそこにいた。
「でも?」吉岡がつぶやいた。 まゆみは吉岡にその後を尋ねた。 「でも・・・」 再び吉岡が口を開いた 「まゆみさんは、3人愛している人が居るって言ってましたよね。二人のお子さんは分かりますがもう一人の人は離婚した後に出会った人?」 「・・・・」 ここまで話してしまった後で、今更僕の事を話さない訳にはいかなくなってしまった。 まゆみは諦めて原田の話しをする事にした
「確かにもう一人の子は離婚後に出会った子です。」 「出会った子?その人はいくつの人?」 「そのこは、19の男の子です。」 「・・・19歳の男の子・・・・」吉岡は絶句し、しばし言葉を失った。 「その子は私の宝です!あの子への愛は決して男女の愛というわけではないんですけど、私にはとても大事な子です。今は離れてますけど私が大事に思う気持ちに何の変化もないし、離れているから余計に心配しています。」 「男女の愛ではないと言うことは親子愛っていうことですか?」 「吉岡さんは愛と恋の違いって何だと思います?」 「愛と恋の違い?」 「はい。愛と恋の違い」 「突然そう聞かれると何て答えていいかわからないもんですね」 「愛って言う字は人の上に心があるんです。 人に愛情を注ぎ心を配り大きな心で包むんです。愛する全ての人に降り注げるのが愛だと私は思っています。 それに引き換え恋は下に心があるんです。 下心ってことですよね。恋には下心があるんです。だからその人の心を受け取りたい愛情を受けて取りたい見返りを求めてしまうのが恋。だから、私は彼に恋はしていません。 あるのは愛だけです。見返りを求めない子供への愛と同じ無償の愛です」 「・・・・・」 吉岡からは何も言葉も出てこなかった 「私の人生この3人の愛する子供達だけで十分だと思っています。もう傷つくのも裏切られるのも嫌なんです・・・吉岡さんみたいに若くて素敵な男性が、私に本気だなんて信じろと言われても私には自分にそこまでの魅力も自信もないし、もし私があなたに本気になってしまった後に別れが訪れたら私は再び地獄を見るのかと思うと怖くて飛び込む勇気もありません。こうして食事に誘っていただいたり、ドライブに連れてきてもらって楽しい時間を過ごせているだけでとても幸せです。 これ以上何も私は求めるつもりはないんです。そういう付き合いは自分勝手だとおっしゃるのならもうお会いしない方がいいかと思います。」 まゆみの告白に吉岡は返せる言葉を見つけられなかった。
暫く二人に沈黙の時間が流れた 吉岡はこの先自分が言うべき事も思いつかずまゆみの 「そろそろ戻りましょうか?」 と言う言葉にうなずくだけが精一杯だった。
二人は車に乗り込むと気まずい雰囲気の『時』が 二人の間に大きな溝をみるみるうちに深く刻んでいった
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