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作品名:視線の行き先 作者:ブラジル先生

第6回   ハルナ
――――思い出は、冷たくて、優しい



バタン!

金属製のドアが、重々しい音をたてて閉まった。
辿りついたのは、フジモリの部屋。


ただし、今は春菜一人だ。
少し戸惑ってから、モソモソとパンプスを脱ぎ部屋へ上がる。

簡素な部屋だった。
・・・というか、何も無い。

玄関を入ると、三畳程のキッチンがあり、そのまま進むと白い壁に囲まれた四角いリビングが広がっている。
十畳程度の広さのそこにあるのは、今朝見た通り。
コンポ。
ツリー。
何故かダブルサイズのベット。
・・・これだけ。

ソファーも無いしテレビもない。
一見生活感のないこの部屋は、何故かものすごくフジモリらしいと。
今の春菜には納得出来た。

・・・今朝はそんな事、全然考えもできなかったけれど。

きっとフジモリはこの部屋であまり生活していないのだ。
多分、ハンパない勤務時間のデザイン部で勤務している彼は、殆どの時間を会社で過ごし、ここには寝に帰って来てるだけ。だからのサイズのダブルベット。
そして意味不明なクリスマスツリーだ。

フジモリが帰ってきたら、このツリーの意味を聞いてみたいな。

ふ・・・と春菜は思い。
そう考えた事に、自分で驚いた。

なにを・・・考えているの?

聞いて、どうするというのだろう・・・?
「俺の女になれよ」
あの言葉をマトモに取ってしまっているのだろうか?
大体にして、口説くにしても、ずいぶん傲慢不遜で上から目線だ。
きっと今まで、そういう言い方で彼女や遊び相手を作ってきたに違いない。
それとも、春菜は簡単に体を許す女なのだと、舐めてかかられているのかもしれなかった。
23歳の男が、5歳も上である28歳の自分をマトモに口説こうとしたなんて、思う方がどうかしている。
きっと30手前の寂しい年増女だと、馬鹿にして、簡単にいいようになるのだと思われて・・・。

助けてくれたけど。
心配してくれたけど。
包んでくれた腕はとても暖かかったけれども・・・

「・・・っ。」
惨めさに、また、涙が溢れた。

どうして、あんな事をしてしまったのだろう?
後悔しても、もう遅い。
事実は事実で。
しかも相手は、忘れて欲しいという勝手な願いを抱えて逃げだそうとした春菜のしっぽを、ふん捕まえて引きずり込もうとしているのだ。
しっぽは春菜の弱点だった。
そこを押さえられると、もう身動きは取れない。
しかもフジモリは、全然、容赦してくれそうに無かった。

ときめいたなんて、きっと嘘だ。
寂しかっただけなのだ。春菜は。
だれでもいいから、優しくして欲しかっただけなのだ。

フジモリは知らないだろうけれど。
春菜は。
彼以外の男の人とセックスしたのは初めてだった。
彼・・・岩崎章吾以外の男とは・・・




昨日、葉書が届いて。
追い討ちをかけるように、会社帰りを待ち伏せされた。
葉書の写真で見た顔。
彼の隣で、純白のウエディングドレスに身を包んで、幸せを勝ち取った彼女。
葉書の送り主が誰なのかは分かっていた。彼の性格上、主が岩崎である可能性はかなり低いと思ったから。

「立花先輩。」
切れ長の目がとても印象的な彼女は、数年前とまるで変わらない様子で春菜を呼び止めた。
「今井さん・・・」
「お久しぶりです。」
そう、会釈をする顔には見覚えがあった。
今井京子。岩崎さんの元彼女。
そして・・・今は彼の奥さん。

考えてみれば顔を合わすのは三年ぶりだった・・・
彼女の事は一日だって頭から離れた事はなかったけれど・・・。

「少し、付き合って下さい。」
変わらないハキハキした口調でそう言い放つと、くるりと踵を返し、今井京子は近くの喫茶店を指差した。
予想・・・していなくはなかった。
プライド高い彼女が、春菜という存在をそのまま野放しにしておくわけがないと。
そして・・・どこかで、彼女が来るのを待っていたような気もした。

岩崎と関係のある事なら、今の春菜にはなんでも良かったのかもしれない・・・
それは、なんだかずいぶん惨めな考えだったけれど・・・。




ずっと・・・好きだったのだ。
ずっと。
春菜は岩崎章吾だけを見ていた。

困った時に髪をかきあげる仕草。
後ろを通ったときに微かに香るブルガリ。
マウスのダブルクリックが、調子のいい時はトリプルクリックになってしまっている事や。
苦笑した時に、片方だけ上がる眉も。
すべてが愛おしかった。

そんな彼を見たくて、わざと用事を作っては岩崎のいるフロアに顔を出していた。
ほんの少しでも、姿が見たくて。声が聞けたらと思って・・・

だから彼のチームで仕事をする事になった時に、決心したのだ。
それまで、仕事ばかりで男の人にはまるで縁のない生活をしていた春菜だったが、岩崎に告白しようと・・・綺麗になって、付き合って欲しいと言うつもりだった。
デザインの部署を降ろされて、今思えば・・・。辛さから逃れたかっただけだったのかもしれないけれども・・・。
毎日頑張って話しかけて。
好みの髪型を聞いては美容院へと走り、服を買う時はいつも彼の好きそうな服装を選んで・・・
毎日パックして、トリートメントして、ダイエットして・・・。

彼の目が少しでも私の方を向いてくれるように。
ちょっとでも、彼の目に可愛く映れるように。

だから、初めて可愛いと言われた時には、死んでしまいそうなくらいに嬉しかったのだ。
仕事帰りに食事に誘われるようになり。
休みの日に彼との約束が入ると、前の日からドキドキして眠れなかった。
自分を見てくれているのが嬉しくて。
目が合うと、微笑んでくれるのが嬉しくて。
いつしか触れた唇が熱を持ち。
重ねた身体が彼だけの物になった瞬間も・・・

喜びと、暖かさで、春菜のすべては一杯になってしまったのだ。
この温もりを手に入れる為だけに、自分は生きてきたのだと。
心の奥底からそう感じる事が出来たから・・・

彼だけを見ていた。
彼だけを・・・自分の五感のすべてで感じる事に夢中になって。
・・・だから、
だから、春菜は気が付かなかったのだ。

彼の傍に、他の女性・・・今井京子がいたという事に・・・。

三歳年下の今井京子は、春菜が23歳の時に短大卒でデザインの部署へ入社してきた女性で。
もともと大阪にある親のデザイン事務所で働く為に、色々な職場で修行して行きたいのだと。話していたのを聞いた事がある。
キリッとした美貌と、スラッとした体躯のキビキビとした動作からも現れるように、アクティブでハッキリとした性格の人だった。
どちらかといえば、春菜の苦手なタイプで・・・
そういえば、雰囲気が少し、フジモリっぽい。
小柄なのに、存在感があるような所が。特に。
二年程働いた後、今井は大阪の会社へ戻って行った。・・・今から三年前。

岩崎と、今井が昔付き合っていたのは知っていた。
でも、もう終わったと思っていたのに。
彼の携帯に、彼女からの着信があるのに気付いた時・・・衝動を抑えられなくて、メールを見てしまったのだ。

今でも、続いているのだと・・・知ったのはその時だった。
葉書が来る、調度半年前。
付き合ってから、約三年近くが過ぎ、大阪への出張の多くなった彼は春菜の部屋へ泊まりに来る事が既にもう、なくなっていた。

天秤にかけられていたのだ。
既に傾きかけていた天秤の受け皿に、春菜は自分の全てを捧げて

・・・それでも針は振り切った。


「距離を置こう。」

今井京子との事を詰め寄った時に、岩崎から出たのはそんな言葉で・・・

「どうして?」
愚かな問いだと、分かっていても聞いてしまった。
「大阪の会社に移る事にした・・・。今月いっぱいで、もう辞表は出してる。」
「今井さんの所に・・・行くのね?」

沈黙が落ちる。

春菜の部屋の時計が・・・無意味に時を刻む音を奏でていて。
何か、そこに救いがあるような気がして、なんとなく、春菜はその音に耳を澄ませた。

――――カチコチカチコチ・・・

岩崎が、寝坊の多い春菜の為に、最初にくれたプレゼント・・・
付き合う、調度一ヶ月前。

時計が音を刻むと同時に、砂時計の砂がこぼれていくように。
彼の気持ちがどんどん嵩を減らしていくのを、春菜は呆然と、ただ、眺めていく事しかできなくて。
どうしたら止められるのか分からなくて・・・
でも・・・止めたとしても、もうすでに随分減ってしまっている、それを。
昔のように元へ戻す術など見当もつかなくて・・・

目を逸らしていた。
見ないように。

・・・それでも、終わりは訪れるのだ・・・。

「彼女を・・・ほっておく事はできない・・・彼女には俺が必要なんだ。」

岩崎は、視線を落として、辛そうに呟いた。
眉間の皺が苦しそうで・・・

縋ってしまいたくなる。

辛いの?
・・・私と、別れるの、辛い?

だったら――――

「今井さんを、選ぶのね?・・・私を捨てて。」

――――私を・・・

「・・・・・すまない。」



・・・選んで――――!



言葉は、届かない。

あんなに確かだと思っていた繋がりは、こんなにも簡単に断ち切られる。
あまりにも・・・あっけなく。










「葉書。見て頂けましたか?」
喫茶店で、コーヒーのオーダーを告げた直後、口火を切ったのは今井の方だった。
単刀直入で、今井らしい・・・春菜には到底出来そうにはない芸当だ。

「・・・ええ。」
春菜は、今井に付いてきた事を、早くも後悔し始めていた。
何を・・・期待して付いて着てしまったのだろう。
こうやって向かい合ってみると、今の状況の滑稽さをありありを感じた。
「妊娠したんです。私。」
見れば分かる。
マタニティに身を包んだ大きなお腹は、隠そうとしても、隠せるものではない。
・・・もっとも、今井は隠すつもりなどこれっぽっちもないのだろうけれども・・・。

「・・・そう。」
おめでとう。とは、とてもじゃないが言えそうになかった。
「もう、9ヶ月になるんです。」
と、いう事は、別れる前にはもう妊娠していた計算になる。
「あの葉書、半年前のものだから・・・」
春菜の元を離れて、すぐに結婚式を挙げたのだ。

そこまでして・・・彼女が言いたい事も分かっていた。
「もう、章吾さんに連絡しないで頂けますか?」
春菜が、仕事にかこつけて何度か電話したのが、知られていたのだ。
情けない行動だと、自分でも分かっていた。
でも、今にも崩れそうな自分を抱えたまま、これから生きていく術が春菜には考えられなかったのだ。
声が聞きたくて、顔が見たくて・・・でも。
言われずとも、彼女の大きなお腹を見せ付けられては、自分がどんなに愚かしく、未練がましかったか自覚せざるを得なかった・・・。


――――戻ってくると、何を根拠に思いこんでいたのだろう。

時間は春菜を置き去りに、しっかりと確実に流れていて。

もうすでに、ずいぶん前から
私たちは、終わっていたのだ。

・・・いや、彼は。と、言うべきか・・・


春菜だけが、置いてけぼりで。
思い出と、共倒れしかけていた。

気が付いたら、彼の為だけに作り上げてきたものしか、春菜には残っていなかったのだ。
持ち主のいなくなった器は

・・・今は空っぽ・・・



「しないでくれますか?」
強い口調で、今井が春菜を睨みつけた。
怒っている。どうしてなのか、春菜には分からなかった。
好きだっただけだ。岩崎を。
言ってしまえば今井と別れてから、よりを戻すまでの間、傍にいただけなのに・・・

どうしようもなく惨めだった・・・
でも、どうしてなのか、何を言ったらいいのか、どんどん混乱してきてしまって・・・何を考えて何を言えばいいのか、分からなくなってくる。

これ以上、この人は私から何を奪おうというのか・・・・?



「立花。探したぞ。」
突然。頭上から声がした。

驚いて見上げると、いつの間にか浅倉チーフが席の傍に立っていて・・・

「今井、久しぶりだな。」
・・・と。

「・・・お久しぶりです。」
怪訝そうな顔で、今井は浅倉へ会釈を返した。
そういえば、浅倉チーフと今井京子は同じ部署で働いていたので、顔見しりなのだ。
「ちょっと、立花借りていいか?仕事がトラブッて、今、探してたんだ。・・・店に入るのが見えたから追いかけてきたんだが・・・」
そこまで言うと、浅倉は今井をじっと見据えると。
「話は・・・もういいだろ。」


・・・聞かれていたのか。

春菜は納得した。
岩崎と同年同期で仲のいいこの彼は、何かと春菜を気にしてくれていて、一番慕っている先輩で。
岩崎のことを何度か相談していたので、事情を知っている唯一の人だった。
仕事のトラブルで部署の違う彼がからむなんて事は随分稀のことで・・・
大方、面倒見のいい彼は、春菜と今井が一緒にいるのを見て、心配して見に来てきてくれたのだろう。
「行くぞ、立花。」
今井の返事を待たずに、浅倉はそう言うと、さっさと春菜の腕を取りその場を立ち去る。
「あっ・・・」
今井が慌てて何か言いかけたが、
「身体、大事にしろよ。」
振り返ってそう区切ると、伝票と千円札をレジへ置き去りに店を後にした。



「声をかけようか、かけまいか・・・悩んだんだがな。」
外へ出て、近くの公園のベンチに春菜を座らせると、浅倉は買ってきた缶コーヒーを春菜の手に持たせた。
もうあたりはすっかり暗くなっていて、公園には人気がほとんどなくなっている。
「余計なことしてしまってたら、すまなかった。たまたま見かけたもんだから、正直気になってな。」
「・・・いえ。」
コーヒーが、暖かい。・・・浅倉の気持ちも。
「ありがとうございます。」
正直困っていたんです。
そう言って微笑むと、浅倉はいつもは穏やかな微笑をたたえている唇を引き絞り。春菜の肩を、ポンポンと、優しく叩いた。
「大変だったな・・・。」

そんな浅倉の優しさが胸に染みると同時に、いままで堪えてきたものが急にこみ上げてきて。
なんだか急にいろんなものに見捨てられたような気になって、さっきまでの混乱が去ると、突然悲しさが浮き彫りになった。
私・・・どうして。

「・・・私。」
「うん。」
ポツリと話し出した春菜に、浅倉は頷くと、春菜の隣へと腰掛けた。
「何か・・・悪い事・・・?」

「・・・立花」
「・・・何が、悪かったか・・・分からないです。」
どうしてあんなに敵意をむき出しにされなければならないのか、全然わからない。
もうすでに、とっくに崩れかけている春菜から、これ以上、彼女は何を・・・?!

そこまで考えると、春菜は堰をきったように話し出した。
「好きだっただけなのに・・・好きで、でもダメになって・・・でもだからってそんなに簡単には・・・それがどうしてっ?!」

ぽた・・・と、缶コーヒーを持っていた手に、滴が落ちた。
ぽたぽたぽた・・・・。
熱い塊が、胸の奥からこみ上げてきて、見開いた春菜の瞳から次々とこぼれ落ちた。

「・・・私・・・どうして・・・。」
これ以上、もう何も、とられるものなど残ってはいなかったけれども。

できればそっとしておいて欲しかった・・・これ以上、惨めな気分になるのはもうたくさんだと思った。
それでも、春菜には泣くことしか出来ず、彼女のように、感情を相手にぶつける事も、目の前で怒ってみせることも、何にもできなかったのだ。
その事実は又、情けなさに拍車をかける。
「・・・何にも出来ない。」

「ああ・・・」
すると、浅倉は一瞬悲しそうに顔をしかめ
「いつもお前の泣き方は、なんだかどうにも無防備で・・・そんな風に泣かれると、本当にどうしていいか分からなくなるな。」
と、ポケットからハンカチを取り出すと、春菜の頬をそっとぬぐう。
「心配なんだよ。俺、お前にそんな風に泣かれると、心配で仕方なくなる。無防備に一直線に前ばかり見ているお前が、危なっかしくて・・・だから、ほっておけなくなってしまうんだ。・・・聞いてしまって、悪かった・・・」

浅倉の謝罪の言葉に、春菜は思わずぶんぶんと激しく首を振る。
優しいこの人は、きっと随分悩んだ末に、言葉通り春菜の事を心配して来てくれたに違いないから。

「・・・かわいそうに。」
泣き続ける春菜の頭に手を乗せると、浅倉は、そのまま子供をあやすようにゆっくりと撫でる。
「お前は、何も悪くなんかないよ。・・・恋愛っていうのは仕方のないものなんだ」

・・・仕方が無い・・・。

「お前は・・・不器用なんだよ。・・・それだけだ。全然悪くなんかないのにな・・・」

・・・だから。
不器用だから、捨てられたのか。


好きだった。大好きだった・・・彼が、すべてだった。

だから、一方的に切られた関係を受け入れられなくて、自分だけでも保っていたくて。
変えたくなかったのだ。現状を。自分の気持ちを。
時間に取り残されたとしても、春菜にはそれ以外選べなかった。
だって・・・変わってしまったら・・・あの時好きだった気持ちは一体どこへ行ってしまうのだろう?
二人が幸せだった思い出は、この世から綺麗さっぱり消えて無くなってしまうではないか。

そんなのは、残酷すぎる。

それが、不器用さなのだというなら。
それで、こんな気持ちになってしまっているというなら・・・


春菜は多分もう二度と、恋なんて出来そうにない・・・



器用にも、なれそうにはなかった・・・








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