どうして?
バタン!
金属製のドアが、重々しい音をたてて閉まった。 辿りついたのは、フジモリの部屋。
帰るって・・・ここに?!
「・・・え・・・ちょっと・・・」 困惑する春菜をよそに、フジモリはさっさを靴を脱いで部屋に上がる。 ヤカンを手に取ると、 「上がれよ。」 とだけ言って、ヤカンに水を入れ火にかけた。
や、そうじゃなくて・・・。
「どうして、あなたの・・・」 言いかけた所で、ギロッと睨まれる。
「藤森!」 「・・・え?」 「藤森淳!オレの名前だ!!」
・・・名前で呼べって事?
「藤森君」 困惑しながらも、呼んでみた。
「・・・“君”は、いらねーし、淳だ。」
・・・え〜っと・・・。
「フジモリ・・・」
その言葉に、フジモリは眉を上げ大股で玄関に来ると、まだ靴も脱がずにグズグズしていたハルナの脇のドアに手を置く。
そのまま、顔を近づけるものだから 間近で見るフジモリの顔は、メガネで邪魔されてない分余計にハッキリ見えて 「アツシ。」 言った顔が 綺麗な顔だと、思った。 黒くて濃い瞳が、近い位置から、まっすぐとハルナの目を見つめている。 「呼べよ。・・・アツシだ。」
そんな事急に言われても・・・ 「・・・どうして・・・」 声が震えた。 心臓が、早い。
フジモリが分からなくて、今の状況も分からなくて。 それしか言葉に出来ない。 脇に置かれた腕が、まるで逃げる事のできない檻のようで フジモリの顔があんまりにも近すぎて。
そのまま近づいて、触れた唇に。 脳ミソが沸騰した。
「お前、オレの女になれよ。」 触れるだけだったキスを終え、離れた息が、唇にかかる。
だからなんで〜〜〜??!!
「やだーっ!!」
ハルカは叫ぶと、フジモリを突き飛ばした。
だから、なんで! 意味がわからない!! い、い、い、今、何て言ったの?
―――― バックン!!
一瞬にして、飲み込まれるんじゃないかと思うほどの大きな心臓の鼓動が聞こえた。彼女自身のものだ。 それから、物凄い速度でバクバクと繰り返す。
キスなんて、今更なのに。
うわっ!うわっ!! どうしよ!
突き飛ばした勢いのまま、扉に手をかけて。 春菜は外の世界に飛び出した。
今、何て言われた?!私!! 大学を卒業して間もない、このほとんど会話も交わしたことのないフジモリという23歳の男に。
『オレの女にならねぇ?』―――― カァッ! 何言ってんのよ〜っっっ!!!
不意打ちで、信じられなくて、そして恥ずかしさが一斉に彼女に襲いかかった。
「おいっ!」 ・・・と。いつの間にか腕をつかまれていて、飛び出せなかった春菜は、すっかり混乱した様子で腕をぶんぶんと振り回す。 「やっやっ!・・・離して〜!」
「ばっ!・・・あぶな・・・」
あっ・・・ と思った時は遅かった。
たたらを踏んだ先には地面が無くて・・・。 一瞬の浮遊感に青ざめる。
・・・あ、階段・・・?!
そういえばここ。 ・・・二階だった!!
うそぉ〜〜〜っ!!!
・・・・
ドサッ!
地面に落ちた衝撃が、体に伝わる。 恐怖から、すっかり目を閉じていた春菜だったが、予想していた痛みがいつまでもやってこないので、そっと、目を開けてみた・・・と。 「フジモリ?!」 苦痛に歪めたフジモリの顔がすぐ目の前にあった。 階段を踏み外した春菜を抱えて、そのまま転がり落ち、下敷きになっていたのだ。
「嘘、ヤダ!大丈夫??!!」 慌てて立ち上がろうとするが、ガッチリ体をホールドされていて、うまくいかない。
「フジモリ!」 なんとか腕を外して、その場に座り込むと、反応のないフジモリの頬を軽くたたいた。 「ちょっと!やだ!フジモリ!」
「痛ぇ。」 薄く、目を開けると、フジモリが掠れた声で呟く。 「ごめん・・・大丈夫?!」 「いてーよ。」 そのまま、春菜をジロリと睨み。
「ドジ。」 と、ゆっくり上半身を起こした。
「・・・ごめんなさい・・・。あの・・・怪我は・・・?」 シュン・・・。
小さくなった春菜の傍らで、フジモリは淡々と自分の体を調べ始める。 ・・・と。 「足が動かねー。折れてんのかな?」 ボソッと。独り言みたいに言う声が聞こえ、春菜は取り乱した。 「ウソー!ヤダー!!救急車!!!」 とっさにカバンを探り、携帯電話を手に持つ。 「ばか。んなもん呼ぶな。」 慌てたフジモリが、春菜の携帯電話を取り上げ、そのまま慣れた手つきで電話番号をプッシュした。
どうしよう・・・どうしよう・・・! そんな様子を呆然と眺めながら、春菜はさっきとは違う心音の速さを感じていた。 頭から血の気が引いていくのが分かる。
怪我させちゃった・・・
とっさに階段を見上げると、自分が落下した場所の高さをまざまざと見せ付けられて、一瞬めまいがする。 階段を落ちるなんて、打ち所が悪ければ、死んでしまっていたかもしれないのだ。
・・・どうしよう〜・・・
実は階段を落ちるのはこれが初めてではなかっただけに、今回ばかりは自分のウカツさに恥じ入るばかりだ。
「・・・ごめんなさい・・・」
グスッと鼻をすする音に、顔を向けたフジモリが目を剥いた。
「泣くなっ!」 焦った調子で怒鳴られてしまったけれど、溢れ出した涙は止まりそうになかった。 「・・・ごめん・・・本当・・・ごめっ・・・。」 泣くなと言われると、どんどん涙が溢れてきてしまって。 なんだか子供みたいだ。と、恥ずかしさにまた涙が勢いを増してしまう。
でも、 「うわ・・・マジ泣くな!」 あ、フジモリ焦ってる。 焦るフジモリは初めてだったので、少し、驚いた。 不機嫌そうに、ムッとした顔をしながらも、耳が真っ赤になっていて・・・。
「〜〜〜っ!」 その目線に気づいたフジモリは、絶句した様子で眉間の皺を一層深くすると。 がばっと、春菜の頭を片腕で抱きこんだ。
「・・・泣くな。頼むから。すげー困る。」 フジモリの言葉が、耳に触れた体から直接流れ込んできて。 「お前は・・・痛い所は?」 その言葉に、春菜は腕と胸に挟まれた頭を懸命に横に振る。 「そうか・・・」 密着しているせいで、フジモリが音にならない安堵の息を吐いたのが分かった。 心配されるという甘い優越と、久々にシラフで触れる男の体温に、また心臓が跳ね上がる。
あ。なんかヤバイ。 泣きながらも、頭の隅で、そう感じた。 さっきから、春菜はフジモリにときめいている気がする。 なんかヤダ。 でも、それを自覚した瞬間、言いようも無い罪悪感に囚われてしまった。
多分、これはセックスしてしまったからなのだ。 寂しさという寒さに押しつぶされるのが嫌で、だからって自分で暖をとる事もしないで、タイミング良く現れた手近な人に縋る事で一時的に現実から逃げようとしただけ。
今、優しくされて、そのまま寄りかかってしまいたい怠惰な気持ちがそうさせているだけなのだと、自覚すると共に心が暗く沈んだ。 コントロール出来ない感情は、自覚してしまうと、どんどん惨めになってしまうので。
だから逃げたかったのだ。 早く、家に帰って。 間違いを犯してしまった罪悪感と、何も変わらない現実から、目を逸らしてしまいたかったのだ。
私はいつも逃げてばかりで・・・。
「お前、ホントに28かよ・・・」
あ・・・。それ言われたくない・・・。 フジモリは春菜の泣き虫っぷりに対してそう言ったのだろうけども。
子供くさいのは自分が一番分かっている。 でも、今は無理なのだ。 とてもじゃないが、今はまだ自分で立てる気が全然しない。
今は。 ・・・でも、じゃあいつまで・・・?
キキーっと、車のブレーキ音がした。
咄嗟に離れて音源を追うと、目の前の道路に一台のタクシーが・・・。 「お客さん?!どうしました??」 驚いた様子で、運転手が窓を開けて声をかけて来る。 「階段から落ちたから、近くの整形外科まで乗せて欲しいんだけど。」 そう、フジモリはハッキリした口調で答えると、春菜の携帯を手に押し込み、自分の携帯をポケットから取り出した。
「お前の番号は?」 唐突に聞かれる。 「・・・えっ?・・・あっ!」 思わずおたおたしてしまった春菜に、フジモリは「いい」とだけ言うと、さっき押し込んだ携帯をまた取り上げて赤外線通信の操作を始める。 そのまま手を動かしつつ 「フジモリさんですね?」 という運転手のセリフに 「はい。」 と、答えた。 さっき、春菜の携帯でタクシーを呼んでいたのだ。 「ほら。」 あっという間に操作を終わらせ春菜に携帯を返すと、フジモリは自力で立ち上がり、左足が地面に付かない様に器用にタクシーまで歩き出す。
痛くないの?! 「あ・・・大丈夫?」 駆け寄って、支えになろうと腕を取ったら、軽く振りほどかれた。 「大丈夫だ。」
・・・顔色悪いんですけど・・・。
男の子だから、恥ずかしいのかな? 拒否されてしまったので、なすすべもなくタクシーに到達するのを見守っていると。 振り返った藤森が 「行ってくる。」 と一言。
え?!一人で??!! 慌てた春菜が 「そんな!私も・・・。」 一緒に行く。・・・と言う前に。 「部屋にいろ!」 ピシャリと言い放たれた。 「でも・・・」
私の責任だし・・・。誰か居た方がいいんじゃないの?・・・せめて治療代くらい私が払うべきなんじゃぁ・・・
そんな事を考えながらまだグズグズと納得できない表情の春菜に、フジモリはイラッとした様子で眉間に皺を寄せた。
フジモリは短気だ。 その行動に、今更ながら春菜は再認識した。 自分とはリズムが全然違くて、ものすごく話しづらい。 だから思わず戸惑ってしまうのだ。 春菜だって、少しくらいトロくても、ここまで鈍くさい話し方ではないのに。フジモリが強い口調でどんどん振り回すから、いつもゆっくり考えて話せなくなってしまう。
「悪ぃと思うんなら、待ってろ。」 追い討ちをかけるようにキッパリと言われ、言葉に詰まる。 「・・・・う。」 悪いと思っているだけに、フジモリの言うとおりにするべきか・・・ でも、じゃあ一人で大丈夫なら、別に私が部屋で待っている必要は・・・?
「部屋にいろ。」 キッパリとしたセリフと、強い視線に。 納得できないながらも、結局春菜は頷くしかなくて・・・
自分の意思の弱さに呆れながら、春菜は去っていくタクシーを見送った。
どうやら、今しばらくは帰れそうにない。
・・・なんだか、飼い主にハウスのしつけをされている犬の気分だった・・・。
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