さかのぼる事、数年前・・・
最初に惹かれたのはポスターだった。 旅行会社のイベント用のポスターで、大学時代にグラフィックデザイナーを目指していた藤森は、資料室で偶然目にしたその作品に、心を奪われたのだ。 青い海と、青い空。 青一色で作られたそれは、見事に海の美しさも、空の壮大さも、小さな四角の中に凝縮して収められていた。
感動した。
課題がうまくいっていなかったからかもしれない。
自分の作品が、バランスや、色の配置や、斬新さにばかり囚われていたような気がして。 どうしようもなく恥ずかしくなり、 なんとしてでも、この作者を探し出そうと決心した そこに就職しようと心に決めたのだ。
そして見つけ出した。
会社も、彼女も。
そして落胆した。
立花春菜という名前の。 ポスターの作者だった彼女に。
どう見ても普通の女にしか見えなかったから。 初めて会った彼女は、背が高いわりに華奢で、ぼーっとしてて、覇気がなくて。 どう見ても、あの作品に込められた情熱を感じ取る事が出来なかったから。
しかも、高卒? それも、商業科?? カンケーねーだろ、その勉強!
何の勉強もなく、会社に入って、この人はオペレーターをしているのだ! デザイナーではなく!!
毎日写真の切り抜きやら、地図のトレースやら。 どっかの誰かのアフロヘアーが切り取りにくいだの、ラーメンが美味しくなさそうで色調調整が大変だの。 そういう話しかしていないのだ。 そんな仕事ばかりしていて、とてもあのイラストを描いた本人とは思えなかった。
だから、聞いた。
会社に入って三ヶ月目の事だった。
「これ!」 たまたまハルナが食堂にいるのを見かけて、チャンスとばかりに、実は持って歩いていたボロボロのポスターを広げて、見せた。 言葉が若干足りなかった気もするが、この際どうでもいいだろう。
一瞬。 目を見開いた彼女の言ったセリフは。
「え・・・なぁに?それ。」
だとーっ!!??
忘れてんのかよ!
そりゃあ、もう、何年も前の作品だけど!
自分の作ったもん、忘れるヤツあるかぁ〜っ!!
やめてやる!!
藤森は決心した。
彼女に会いたい一心で、この会社に就職した。
いざ、会った時には 絵について、デザインする事について。 話し合いたい事がたくさんあったのだ! 自分の作りたい物や、やりたい事、 いろいろ話して、何か答えが返って来るんじゃないかと期待していた。
だから、とんだ期待外れだと思ったのだ。 自分がいる意味のない場所だと思ったのだ。
だけど・・・。
「バカ。」 突然、頭を背後から小突かれた。
彼女はもういなくなっていて。
見上げると、浅倉チーフがいた。 今、頭を小突いたのはこの人 グラフィックデザイナーのチーフで、要するに藤森の直属の上司だった。 身長約180cmのスラッとした体躯で、安くもなさそうなスーツを着こなしていて。 現場でスーツなんか着てる奴なんかいないから、余計にキッチリしっかりしていそうに見える。 なんだか「俺は大人」的な雰囲気を嫌味に醸し出しているように藤井には見えた。 要するに、正直あんまり好きではない。
「・・・なんすか?」 上司だが、イラッとしたまま見上げる。 正直言って、167cmという身長がコンプレックスなので、頭を触られると無条件でムカついてしまうのだ。 ついでに、見上げなければいけない身長差も、イラつく対象になる。
「今、あのポスター。立花に見せただろ。」 浅倉チーフは、眉間に皺を寄せて藤森を見下ろしていた。 「・・・・何か・・・」 悪かったすか?・・・と問いかける前に 「二度と見せるな。」 ピシャリと、言い放たれた。
温厚そうな瞳の奥に、怒りがゆらめいている。
正直、藤森は戸惑った。 戸惑ったけれど、なんて言っていいかわからなかったし、何がそんなに怒らせているのかも分からなかった。 ポスターを見せただけだ。 憧れてたと、ただ言いたかっただけなのだ。
もちろん、もう、そんな気は全然なくなってしまっていたけれども・・・・
「・・・二度と。見せるなよ」 浅倉はそれだけ言い放って、さっさと帰って行く。
なんとなく理不尽な気持ちを抱えながら、藤森は立ち尽くした。 なんで・・・ 見せてはいけないのだろう。
今度は理由が知りたくなった。
探るのは、簡単だったけれど。 おしゃべりな、受付や営業の連中に聞いて、あっという間に事情は把握できたからだ。 ただでさえ、現場で働いている女なんて、目立つ存在だったし。
そして、いろんな事を知った。
もともと何の経歴のない彼女は、最初、受付の部署にいたものの、 当時最悪の不景気だった事もあって、人手不足になっていた現場に配属になった事。 当時、人件費の高いデザイナーを雇うよりは、そのまま配置換えしたりってこともよくあって。 その中の一人として、その頃一番人手不足だったデザイナーの部署に配属になった事。 大体定時に終わる受付の仕事とは違い、不規則で残業も多いオペレーターの仕事をしっかりこなしていた事を評価され、もともとはデザイナー志望で、美大受験しながらも学費の問題で就職していただけだったハルナは、ちゃんと、戦力として働いていたらしい。
あの、ポスターの一件までは・・・。
事故が、起こったのだと、聞いた。
もともと、大手企業でもないこの会社が、運よく勝ち取った仕事があった。 そのデザインのデータを届ける直前に、彼女本人がクラッシュさせてしまったと。
もともとギリギリの調整で進んでいたその仕事は、バックアップを使ってデータを再生したものの、結局納期には間に合わず。 クライアントはカンカンで。 何とかポスターは出来上がったものの、雑誌の掲載には違うデザインが使われた。
そして、彼女は、部署を去って行ったのだ。と。
たった一回の失敗で。
「彼女、結構いい仕事してたから、残念だよ。」 最後に聞いた奴が言った。
「もう、戻れねーのか?」 藤森は疑問をそのまま口にする。 だって、評価されてたんだろ?
「もう無理じゃないかな?浅倉チーフが随分粘ったらしいってのは聞いたけど・・・結局決めるのは上の人間だし、学歴ちゃんとあってデザイン志望のやつは、掃いて捨てる程いるし。それに、会社を上げての大仕事で・・・皆が知っている事故だからな。」
そういう事らしい。
彼女は忘れた訳ではなかったのだ。 ただ、見たくなかっただけ。
《・・・二度と。見せるなよ。》
浅倉チーフのセリフがフラッシュバックした。
・・・んな事!
言われるまでもねー! 胃の所がキリッと痛んだ
知らなかった。 知らないで馬鹿にしてた。 勝手にいろいろイメージして、勝手に決め付けて・・・
なんだか急に自分が子供っぽいような気がして、情けなくなった。
それからだ。 彼女を視線で探すようになったのは。
謝りたくて。 最初は。 それで話しかけるタイミングを狙っていた。
しかし、狙うとしても、フロアの違うハルナを運よく捕まえるタイミングなどなかなか巡っては来なかったし、現場の人間は基本フレックス制でスケジュールがハッキリしない。 タイミングを合わせる為に、入社時間を記入してあるボードを毎日チェックしたり、通路を通る人間を逐一チェックして、休み時間や退社するハルナを探すようになって・・・
三ヶ月もたつ頃には いつしか、彼女を視界に入れておかないと落ち着かない、ストーカーまがいと成り果てたのである。
※
そして今日こそは!・・・と
ハルナが昼食(と思われる)の為に通路を通るのを見て、食堂までダッシュした。 階段を駆け下りれば、エレベーターより随分先回りできる。 それに、ハルナは食堂に来る前に必ず外でタバコを吸ってからやってくるのだ!
ハルナが食堂に来るのは、週に一度か二度で、その殆どはコーヒーを飲んで帰るだけで。 ・・・彼女は昼食を食べる習慣が無いらしい。 それは、この三ヶ月で分かった事。
息を弾ませながら食券を買い、カキフライ定食を手に、入り口近くの席に陣取る。 これは毎日の習慣だ。
本当は、声をかけるチャンスは何度もあったのだけれども。
でも、何と声をかければいいのだろう。
あれから、もう随分と時間は過ぎていた。 突然自分が「すいませんでした」と声をかけたとしても、キョトンとされるに決まっている。
何がですか? と、もし問われてしまったら、どう答えていいか分からない。 どの区切りから、どんな風に説明したらいいのか・・・
藤森は言葉はあまり得意ではないのだ。 それは、もう、殺人的に。
言葉というものは、逃げ上手な生き物で。ふっと油断したはずみに、すぐに藤森の目の前からトンズラしてしまう。 何が言いたかったのか、自分でもよく分からなくなってしまって。 逃げた後の余韻だけ残して、消化不良の気持ちは、いつだって置いてけぼりだ。
分かったのは、目の前を通り過ぎて行く彼女の香水が、随分甘い香りのものだという情報だけ・・・。
情報ばかり、増えていっても仕方がないのに。
藤森は彼女に声をかけたいのだ。 彼女の視界に入って、言いたい事を言いたかったのだけれども・・・。
何と、言ったらいいのか分からなかった。 何を、言いたいのか分からなかった。
「藤森、今日はカキフライ定食か!」 声をかけられると、同期の営業の奴らが三人、ドカドカとやって来て、隣や前の席に座り始めた。
・・・タイミングが悪い。 藤森は思わず眉間に皺を寄せた。
「なんだよ、機嫌わりぃな。」 藤森の剣呑な雰囲気に怯む事なく、自分達のトレイを目の前に置く。 同期の奴らと話すのは嫌いではない。 藤森の言葉の足りない所や、キツイと言われる部分を、全く気にする事なく話しかけてくるこいつらは、付き合いやすかった。 ・・・が。 今はちょっと遠慮して欲しかった。というのが本音で。
「なんだよ。」 あっちに行け! というオーラ全開になる。 こういう時も、なんて言ったらいいかわからない。 と、いうか、大分気分が焦ってしまっているので、余計に言葉が見つからない。
「まぁ、まぁ。」 各々が自分の箸を割り始めた。すでに此処で食べる気マンマンである。 こりゃぁ、いかん。 こいつらの前で、ハルナに声をかけるのはゴメンだった。
藤森は困り果てた。 自分のトレイをつかみ、腰を浮かしかける。 「ちょっ、ちょっ、待てって!!」 それを見て、慌てて一人が止めに入った。 「実は頼みがあるんだよ!」
「・・・・何だよ?」 袖を引かれて、イスに座りなおす。 そこまで言われては、流石にこの場を去るのは気が引けたので。
言った奴が、ありがてぇ!と、大げさに拝む仕草をした。 「何だよ?」 早く用件を言え! イラッとした所で・・・
「実は飲み会があるんだよ。」 「・・・で?」 だから何だ? 飲みに行くだけなら、仕事上がりに軽く誘えばいいだけの話だ。
「受付の派遣の娘に、お前を呼べって言われてるんだよ〜!」 ・・・あ〜。 そういう事か。 「何でまた?」
「何でって、お前結構人気あるらしいんだぞ!?」 知らないのかよ? と半ば呆れられて。 「・・・マジか?」 まぁ、悪い気はしない・・・が。 「遠慮しとく。」 と、答えた。
正直あの、女が入った飲み会特有の合コンノリはあまり得意ではないし。 今はなんとなく、そういう気分にはなれそうになかったので。
「そんな事言うなって!レベル高けーぞ!!」 そう言われると、正直弱いが。 「わりぃ。」 ・・・と。 答えながら、ふと、思いついた。
「ハ・・・立花さん・・・は来んのか?」
「立花先輩が来るわけないじゃん。」 即座に切り捨てられた。
「派遣の子とで飲むんだからさ。」 「何?お前、立花先輩狙ってんの??!!」
なんて、余計な詮索までされて。 「!・・・ちがっ!!」 一瞬で藤森の頭がショートする。 狙う?!・・・俺が、誰をっ?!
「まーまー。隠すなって。」 「お前って年上好きだったんだな〜。」 「結構上じゃなかった?27、8だったような・・・」 藤森が絶句しているうちに、3人がかりで畳み掛けられた。 「・・・。」 言葉が出てこなくて、困惑の為、眉間の皴がどんどん深くなる。
そうじゃなくて、ただ、来てくれたら話すチャンスがあるんじゃないかと思っただけで・・・ アルコールを潤滑剤に、サラッと言えたら儲けもんだ・・・と。
「あ。噂をすれば・・・。」 皆の視線の先を辿ると、入り口で食券を買っているハルナがいた。 今日に限って・・・食堂にきやがった。
「確かに可愛いもんな、彼女。28には見えん。」 誰かが、言った。 と、ビックリ! ハルナが他の男にそういう風に見られているのだと、藤森は今まで全然考えていなかったから。
「あの、華奢な感じがたまんねよな〜。・・・パッと見地味なんだけどさ〜。」 『地味』ってセリフにムッとした。
「でも、笑うと可愛いな。ポーッとしてて、年上なんだけど、守ってあげたくなるっていうかさ〜。」 またまたカチンとくる。 ハルナが笑うと可愛い事なんて、とっくに知ってる!
ムカッ! なんだか、面白くない。
ボーッとしてて、よくエレベーターの扉に挟まれそうになってるし、 自販機でコーヒーを買うつもりが、ジュースが出てきて困り果てていたりしてるのだって、藤森は知っているのだ。
「仕事マジメだし、あ、あと声が可愛い。」 可愛いって言うな!お前が!!
ムカムカッ!
「酔うとな、色っぽいんだよな。たまんねー」
それは、知らん!! っつーか、お前!いつ、一緒に飲んだんだ!!??
ムカーッッ!! 思わず、腰を浮かしかけた、その時
「でも、立花先輩、浅倉チーフと付き合ってんだろ?」
・・・心臓が。止まるかと思った。
「あ、そのウワサ、やっぱマジなの?」 「だろ。・・・だって、ほら・・。」 誰かが指した先には、いつものようにコーヒーを飲んでいるハルナがいて。 その席に近づいていっているのは・・・
浅倉チーフだ。
「いつも一緒だもんな。部署違うのに。」
・・・そういえば、そうだった。 だから、声がかけられなかったのだ。
「たまに、帰りに二人で飲みいったりしてるらしいよ。」
ガンッ! そんなセリフに、後頭部を殴られる。 「チーフが言ってた。」
ガツン・・・と、また。
ヤバイ。なんでオレ、こんなにダメージ食らってんだ?!
「ま、そういうわけで。」 誰かが、ポンと肩をたたく。 「今週の金曜。宜しくな!」 と。
何がよろしくなのか分からないまま。
藤森は、呆然と、美味しそうなカキフライがどんどん不味そうに冷えていくのを いつまでも見守っていくハメとなったのだ。
※
「はぁ・・・。」 ため息が漏れる。
「藤森君、大丈夫?」 気がつくと、隣にいた受付の女子が心配そうに覗き込んでいた。
週末。金曜日。 呆然と毎日を過ごしていた藤森は、結局、断りきれずに飲み会へと参加していた。
飲み始めてから、もう二時間程経過していて、ちらほらとロレツの怪しい奴が出始めている。 10人程で飲み始めたメンバーも、だんだんと小さな輪を作り始めていた。
「酔っちゃったの?」 言いながら、隣の彼女が微妙に距離をつめる。 この子が、藤森を呼べと言った子だろうか? 「いや。」 そんな事を考えながら、藤森はグラスに残ったビールをあおった。 今更だけど、忘れてた。
短期派遣の子らしい彼女は、成程、確かに可愛らしい娘で。 正直言って、シャツの襟元から、微妙に覗いた谷間が気になった。 というか、目が行くだろ?普通。 「次、頼む?」 空になったグラスを見て、彼女が言った。
この子。名前、何だっけ? 一瞬考えたが、思い出せなかった。でも、聞くのはやめておく。 昔、それで相手の女に酒をかけられた記憶があったから。
正直言って、女はなんだかいろいろ大変で。 可愛いから好きだけど、面倒くさかった。 断る理由もないし、藤森だって健康な男子なので、いろいろな女と付き合ってきたが、大抵三ヶ月もしないうちに振られてしまうのだ。 酷い話だが、名前が思い出せない人もいる。
恋愛なんて、始めるのは簡単で。
「いや、いい。」 藤森の言葉に、彼女の綺麗にグロスの塗られた唇が動いた。 「じゃ、抜けようか。二人で。」 テーブルの下で、彼女の足が寄り添う感触を感じる。 「今、彼女。いないんでしょ?」
いつだって、こんな風に誰かの『ヨーイドン』の合図で走るだけだ。
・・・・いままでは。
「わりぃ。帰るわ。」 突然。 藤森は、ジーンズのポケットから取り出したウォレットから五千円取り出すと、手早くテーブルの上に置いた。 誰かに見咎められる前に、大股で出口へ向かう。
「藤森くん?!」 驚いた彼女の声で、各々の話に夢中になっていた奴らが一斉に視線を向けたのは分かったが。 これ以上ここにいる気分には、もうなれそうになかった。
彼女が。 立花春菜が頭にチラついて、離れなくて。 なんだか切なくなってしまいそうな気がしてしまったので。
振り切るように店を出て、藤森は駅まで大股で歩き出した。
正直言って。 唐突に転がり出てきた感情を どうしていいかわからずに、戸惑っている。
例えるなら、
財布が入っていると思っていた鞄を 支払いの時に開いてみたら 高校の上履きが入っていました・・・・
ガーン。
みたいな?!
なんだよ!それ!!こっからどうしたらいいんだよ! 金払えないだろ!それじゃ! そもそも、何で入っているんだ!! 誰がいれたんだ?! サイフはどこに行ったんだ?! っていうか、どこからやってきたんだよ!これはっ!!
・・・そんな気分だった。
本当は、もう、とっくに気づいても良かったのかもしれない。
あっという間に到着してしまった駅前の信号で、見慣れたオフホワイトのジャケットを発見してしまったから。 道路の向こう側と、こっち側。 週末の終電前、ごった返している駅前で。この人ごみで。 たった一人を発見してしまうくらいに、藤森は彼女ばかり見ていたのだ。
上履き・・・立花春菜がいた。
たった一人、藤森にヨーイドンが言える女。
・・・何てこった。
イヤな予感が、目一杯する。 こういう状態の自分が、いい兆候を示しているとは思えなかったから。
どちらかというと。
あー。
藤森は、首をかいた。
分かった。
そういうことか。
小さく息を吐くと、 藤森は赤信号の横断歩道を渡り始めた。 渋滞しながらノロノロと入っているタクシーの間をすり抜け、一直線に、ハルナの所へ。
それなら、話は早い。
あとは、目の前にいる彼女を捕まえるだけだった。
ただ。 その時ハルナはすでに泥酔状態だったという事を、藤森は知る由もなかったのだけれども・・・
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