つんとした微香。微かな足音。体重の軽い女の優雅な足捌きだと、楓昇一は思う。
ずっと昔、ここが屋敷と呼ばれ多くの家人が住んでいた頃、少年だった楓は、同じものを布団の中で知っていた。足音が止まるのは、親父の部屋。扇子を鳴らす音を合図に、障子が開く。布団の中で甘痛を罪のように恥じながら、次の音を聞き漏らすまいとしていたものだ。 白い項に黒子、すっと伸びた鼻梁に紅の小口、濡れた睫の切れ長の瞳。月の光の下で、親父の部屋の雪見窓から覗見した女を、昇一は罪の苦味の中で夢想した。 女中部屋から楓の部屋の前を通り、女が親父の部屋へ行った翌朝は、母は奇妙に優しかった。 足音は女中部屋から聞こえていたはずだが、楓の知っている女中の中に、あの香と足音をもつ女はいなかった。 昇一に切ない甘痛を教えた女。つんとした白檀の香りの似合う女。
楓はまどろみの中で追憶していた。 とうに弱り果てた自らの肉体を切なく思い、楓は、少年の頃のように耳をすませた。少年の鋭い聴覚が衰えた今、楓には何の物音も聞こえない。楓は重々承知しながらもやはり寂しさを拭えない。
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