「50万円は、私がお支払いたします。」 公子の感情のない声を聞き、上司は、ほっとしたように、そそくさとキャンセル料の請求書を取出した。昭島は、俯いたまま、上目遣いに公子をチラチラと見ている。公子は、請求書を受け取り、振込先を確認した。 「今、手持ちがありませんので、明日、振り込みます。」 「はっ、恐れ入ります。」 上司は初めて口を利いた。公子は、請求書を持ったまま、昭島の顔を見た。 「君、少し、瀬戸さんとお話をして来なさい。私は、すまないが、先に戻らねばならないのでね。すみませんが、瀬戸様、私はこれで、失礼させていただきます。」 「はあ、申し訳ございません、お手数をお掛けしました。」 ヨロヨロとした声で、公子が見送るのを、心苦しそうに上司は出て行った。キャンセル料を受け取りに来たのだ。彼の要件は終わった。公子は、昭島の前に座った。 「あの人と、電話で話したのは、昭島さんなんですね?」 「はい。…そうです。」 「聞かせて、いただけます?」 「…はい、寿退社のための、結婚ごっこに付き合っただけで、本当の挙式をするはずがない。瀬戸様から、私が、それを伺っているはずだと、言われましたが、私は、瀬戸様から、そのようなお話は…。」 「ええ、私、だって、プロポーズされたんですから。」 「そうですね。…ですから、当方は、お客様のために精一杯の準備を進めさせていただいていました。確かに、前田様も、瀬戸様とご一緒され、ニコニコと、お申込に同意されているように見えましたので、私もてっきり、本当の話とばかり…。」 「同意しているから、衣装合わせも一緒に行ったんですもの。」 「はあ、私も、それを、前田様に申し上げました。私どもが、本格的に準備をさせていただいていましたことを、前田様は謝罪され、…その…」 昭島が口籠る。公子は、昭島に先を促した。 「大人の女性には、本格的な遊びが刺激的だったと。まさか、本当に結婚式まで付き合うのはイヤだから、手を引いてると。瀬戸様は何もかもご存知で、この計画はすべて瀬戸様が立て、前田様は付き合っただけの遊びだと。仰って…。私どもは、仰天致しまして、こちらに伺った次第です。」 昭島は、いささか立腹しているようでもあり、公子が茫然自失しているので、まるで、病人を見るような痛々しい眼差しもある。 「…遊び、だったにせよ、私どもは、精一杯、瀬戸様のお幸せのために尽力させていただくつもりでした。」 「キャンセル料は、明日、振り込みます。…ご迷惑をお掛けしました。」 昭島が、複雑な顔で帰り支度をしているとき、母が出て来た。 「話は、あちらで聞いていました。本当に、お恥ずかしい話で、ご迷惑をおかけしました。でもね、この子は、本当に挙式するつもりだったんですよ。お友達や、会社の方、親戚にも全員招待状を出し、出席の返事が届いているんですからね。」 昭島が、悲痛な顔で、黙って頭を下げた。 「このコが、前田に騙されたとはいえ、そちらには迷惑を掛けられません。キャンセル料は、私どもが、責任を持って、明日、振り込みます。」 昭島は、先ほどよりもっと深く頭を下げ、出て行った。 玄関に、母は、ペタリと座り込んだ。 「相手とは、連絡がついたの?」 公子は首を横に振った。
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