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作品名:帰郷 作者:津那

第3回   再会
 教えられた岩場に、小さな人影が見えた。
 亜由美は、ぎこちない足取りで、久し振りに岩場を伝って人影に近付いた。人影は加藤だった。なつかしい顔。相変わらず日焼けして、生真面目な面持ちで、何か作業に熱中していた。少年の日、好きだったお兄ちゃんの面影が覗き、亜由美の胸が、忘れていた感覚をトクンと打った。
「お久し振りです。加藤のお兄ちゃん。」
 加藤のお兄ちゃんという呼び名が、小さい頃から呼び慣れたものだった。高校生までは、加藤さんとか先輩とか呼んでいたが、亜由美の口からは、お兄ちゃんという言葉が出た。
 加藤は、ゆっくりと意外そうな顔で声の主を振り向き、亜由美だとわかると、目を見開いた。
「吉村亜由美さん?」
「はい。お久し振りです。」
「どうしてここに?」
「田沼養魚場の人に聞いて来ました。昨日、帰郷したものですから。」
「…そう。」
 加藤はしばらく目を細めていたが、慌てたように作業を再開した。亜由美は加藤に近付き、作業を覗く。バケツの中に水草と稚魚が入っていた。加藤は網を持ち、引き潮の潮溜まりの中に目をこらしている。
「母が、お魚がお嫁さんのような人って、言ってましたけど、本当みたいですね。」
「東京で、何かあったの?」
「リストラに遭いました。ずっと、逃げていましたけど、多分、もう潮時みたいです。」
 スラスラと、辛いはずの言葉が自然に出てきて、自分でも驚いた。会社に固執していたことが、どうでもいいように思えて、可笑しくなったのだ。
「…帰って来るの?」
「東京には、もう、私の居場所はありません。」
「…海の魚はね、こんな広い海なのに、自分の居場所を決めていてね、回遊魚でない限り、その場所から動かないんだよ。ずっと、生れた場所の近くの僅かな場所で、大きくなって、また卵を産むんだ。…亜由美さんは、東京に出て、大人になって帰ってきた。この場所が、君の居場所なんじゃないかな。」
 亜由美は、自分が小さな魚になったような気がした。目の前の広大な海の中で暮らす小さい魚。
「おっと、逃げられたな。…その棒でここの海草をちょっと突付いてくれないかな。僕が、こっちで網を構えるから。」
 亜由美は、加藤から棒を渡されて、海草を言われた通りに突付く。潮溜まりの海草の中に逃げ込んだ稚魚が、加藤の網の中へ泳いで行く。
「入った。入ったよ。そうだ、こっちも突いて。」
 亜由美は夢中で、稚魚を加藤の網へ加藤の指示通りに追い込んでゆく。稚魚が網へ入り、バケツの中は稚魚でいっぱいになる。
「あー、これだけ元気なヤツが集まれば、大丈夫だ。」
 少年のように顔を輝かせて、加藤が、亜由美を見た。
「この魚達は?」
「養殖する。天然の稚魚が一番だからね。」
 加藤が、その稚魚について目を輝かせながら説明をし、亜由美は加藤について水産試験場までついて来てしまっていた。
「あー、加藤先生、餌の食いつきが良くないって、水沢さんが相談に見えてたんですよ。…あれ?そちらの方は?」
「ああ、この人ば僕の知合いでね、コイツを捕まえるのに協力してもらったんだよ。」
「へーぇぇ。」
 相手が、興味津々の顔で言うのに、加藤はまるで頓着していないように、水沢からの相談内容について話はじめ、
「水沢さんのところに行かなくちゃ。」
 独り言のように言うと、さっさと行ってしまった。
「あーあ、可愛い彼女を置いて行ってしまったよ。すみませんねー、先生は、あーいう感じで。」
 大学の研究室の助手だという男、東は、ニコニコ笑いながら、亜由美を見た。亜由美が加藤とどういう関係なのか、探りたそうだった。たくさん並んだ巨大な水槽を好奇心に満ちた目で亜由美が眺めていると、案内しましょうか、と、買って出てくれた。案内をしながら、加藤のことをいろいろと話してくれる。大学の研究室での活躍ぶりと、水産高校で学生に人気者だとか、地元の漁師や養殖業者から絶大な信頼を得ているとか、東は加藤のことを、自慢しているような口ぶりで話す。ずっと前も、加藤はいつの間にか友達の輪の中にいる。そんな人だった。
 吉村亜由美という名前を知って、東は、何度も首をかしげて何かを思い出そうとしているようだった。
「あ、東京の人ですか?もしかして。」
「ええ、もうすぐこちらに帰ってこようと思ってますけど。」
「帰ってくるんですか?」
 東が、顔を輝かせる。
「それって、加藤さんと?」
「えっ?」
 東は、ニコニコと含み笑いをしている。
「聞いてますよ。僕。でも、加藤さんは片思いだって言ってたんだけどなーっ。隅に置けないじゃないか。」
 亜由美は、複雑な気分で、東の言葉を聞いていた。
 ずっと前の噂もこんな感じだった。
 ずっと子供心に好きだったお兄ちゃんが、自分のことを好きだと思っているという噂。周囲の加藤の友達が囁く他愛のない噂に、亜由美は密かに心をときめかせていたのに、当の加藤本人はそっけなく、魚の話しかしない。
 亜由美が、東京の短大に行くと言った日も、東京で就職すると言った日も、就職してから帰郷して会うことがあっても、加藤は、いつも魚のことしか言わないのだ。
 お魚がお嫁さんのような人…かあ。亜由美は笑った。
 水槽の中の魚達は元気良く泳いでいる。
 加藤の傍にいたら、亜由美も小さな魚のように、自由に泳ぎまわれるような気がして、じっと魚を見ていた。
「あー、加藤先生。遅かったじゃないですか。吉村さんが、お待ちかねですよ。あ、僕、ここの案内しておきましたから。」
 東は、気を利かすように、出て行った。
「まだ、いたの?」
 亜由美は、加藤の顔を見る。まだいたの?と聞く声が、少し嬉しそうに聞こえたからだったが、加藤は、素っ気無い素振りで水槽の魚を見ていた。
「気持ち良さそうに泳いでるんだなぁって思って、見てました。」
「うん。元気良く泳げるように、海と同じ環境にしてあげるんだ。」
 加藤は、魚の説明を始めたら止まらない。亜由美は、加藤の話を聞きながら、1/3程しか理解できないが、なんとなく嬉しかった。
「あ…僕ばかり喋りっ放しで…生徒にもよくからかわれるんだ。魚の講義になったら、終業のベルにも気付かないらしくって。」
 亜由美は、笑った。
 笑うなんて、しばらくなかったなあ。
 そういえば、昨日富美の2歳の娘にたくさん笑わせてもらったっけ。加藤といると、富美と富美の子供達と一緒にいたときと同じような、穏やかな気分になる。
「…明日、東京に戻ります。」
 一瞬、加藤の顔が曇るが、亜由美がじっと見たからか、あわてて目を逸らして「そうか。」と、にこやかに答えた。
「きちんと退職して、戻って来ます。」
 加藤が、真顔になって亜由美を見る。次の「そうか」には、力がこもったように聞こえた。加藤は、亜由美から目を逸らさない。
「戻って来たら、また、お会いできますか?」
「僕は、いつも同じ場所にいるから。」
「魚のいるところ、でしょ?」
「うん。」
 亜由美は、いとまを告げた。
 何かを夢見て、故郷を離れたはずなのに、夢は故郷にあったのだ。
 


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