父の具合が悪いと、母からの電報が届いた。 会社は人事整理の真っ最中で、亜由美は真っ先に肩を叩かれていた。短大を卒業してから12年。問題は全く起こさなかったが、大した成果も出していない事務員。経理もこなし、会社のことは何でも知っている。それなりに役には立っているはずだったが、検索機能の充実した新たなソフトに追い出されるようにして、生き字引的亜由美の価値は、今や無に等しくなっている。 休めば、そのまま自主退社への道程がぐっと縮まることになる。 頑強な父と病弱な母。姉が嫁いでから2人で暮している。 父の具合が悪いというのは、亜由美の胸を痛めた。 上司の丸谷課長へ、休暇願いを提出すると別室へ連れて行かれた。 「珍しいね。休暇だなんて。…何か訳ありなの?」 別室へ連れて行かれるのは心外だった。いつも、私事の為という理由書きで通っていたのに。 気の弱そうな丸谷が、頭の中でどうやって私を退職へ導けるかという、難解パズルを解いているような必死な形相をしている。リストラは、直属上司の仕事であり、丸谷は仕事の出来ない上司だった。おまけに優しすぎる性格が、亜由美の居座りに対して、ただ、困っていたのだ。 具合の悪い父のことを持ち出せば、父の介護を理由に辞めさせるだろう。亜由美は俯いたまま、懸命に笑顔を作った。 「旅行が、当選しまして。」 「えっ?」 「懸賞が当たって、旅行チケットが手に入ったものですから。」 「旅行?」 亜由美の必死な嘘が見抜けぬくらい、丸谷が当惑している。 「あ、そうなの。じゃ、理由に、そう、書けばいいのに。」 しどろもどろになっている。 部長の目を意識しているのだ。書類を受け取った瞬間に、別室へ連れ込んだ丸谷にとって、旅行のための有給休暇申請など、申し開きの立つ理由ではあるまい。 「あ、内緒にしたかったものですから。」 亜由美は惚ける。丸谷は、唇を噛締めて俯いていたが、おもむろに顔を上げた。 「吉村さん…そろそろ、辞めてくれないかな。ほら、会社も、今、不景気で、事務員も君以外整理しちゃってるし、君が残る理由が、会社の方にないってこと、何度も話したよね。…会社も、君のためを思って自主退社ってことにした方がいいんじゃないかという配慮なんだけどね。ずっと、このままってワケにはいかないから…。」 亜由美は、唇を噛締めた。 「旅行って、気分が弾むのわかるけど…。」 亜由美は、潮時かなぁと、思っていた。 「…自己都合で退職するつもりは、ありません。」 丸谷は、穏やかな顔を曇らせた。 「穏便に、運べないっていう意味かな。」 「…会社の都合で、構いませんけど。」 亜由美は、丸谷の顔を下からじっとりと見上げた。丸谷が怯んだが、引き攣ったような顔をして、わかった。と、冷たく言い放ち、立ち上がった。部長に相談に行くだけだ。この人は、自分で判断して自分の責任に於いて行動をとるということをしない人だ。 亜由美は、部長の席の方から、じっとりと睨むような丸谷の視線を受けながら、素知らぬ顔でキーボードを叩いていた。 このまま辞めることになるんだろうな。 亜由美は、ぼんやりと考えていた。
|
|