美幸の補佐をして、会社の創立35周年の祝典の準備をしながら、ロボットのような忠実さと精密さで動く美幸に、感歎を隠せなくなっていた。 「私、いつか、あなたに謝ろうと思っていました。」 逸美の言葉に、ロボットのように振舞っていた美幸が、一瞬、動きを止め、何も聞こえなかったかのように、黙って再開した。 「ごめんなさい。あの、これからは、話しとか、して下さい。」 美幸は、逸美に微笑んだが、返事をせず、無言だった。 逸美は、美幸の傍をつと離れ、自分の担当の業務をしていた。 二人だけでコツコツとすすめる準備の中の資料で、来期、岡田が営業企画室の部長になることがわかった。企画統括室の名前はない。逸美は、営業企画室所属になるのだろうか、と考えていた。 創立祭には、株主や、関係企業から客人が多数来社し、飲み食いをした後、閉会した。客人が帰った後で、従業員に宴が振舞われた。女子社員やパートの集団の中に、役員の間を飛び回りながら、美幸は、暇を見つけては戻る。実に楽しそうだった。逸美は、ポツンと一人、テーブルに座って、ご馳走を飲み込んでいた。 社員旅行にも参加せず、会社全体での催しものなど、客として参加することは、ことごとく拒絶していた逸美は、今回、いつになく参加してみたのだ。連休明けからの、辞令がまだ、逸美に届いていないことに、言いようのない不安を感じる。 「おっ、ここ、空いてる。」 大きな皿に料理をてんこ盛りにして、ビール片手にやって来たのは、島田だった。逸美に断りもなく、テーブルに相席して、うまいとか、硬いとか、ぶつぶつ言いながら、食べ、一人手酌でビールを飲んでいる。 「島田さん、一人で食べてるんですか?ここで?」 「おぅ。空いてたからな。俺は、食うときは、集中して食いたいんでね。それに、ここは、俺、一人じゃないぜ。」 島田の傍に来ていた荒木と、飯島が、チラと顔を見合わせ、逸美の顔をチラと見て、体ごと背けた。 「ははは、女の子に、そんな態度は失礼だろーが。」 「いやー、そんなつもりじゃぁ…、すみません。後藤さん。」 荒木が、逸美の顔を見ずに、ペコリと頭を下げる。 そそくさと、荒木と飯島が去って行く。 「見たか?来期の辞令。」 「いえ。見ていません。」 「フン、そんなことだろうと思った。」 「企画統括室がなくなって、岡田課長が、営業企画室の部長になるのは、ここの準備しているとき、資料で見ましたけど。」 「ごとちゃんの、辞令だよ。」 「いえ。何か、知ってるんですか?」 島田が、最期のビールをグイと飲んでから、 「ないよ。ごとちゃんの名前だけ。」 「えっ?」 「俺、辞めるはずはないって思ったんだけどな。どこの所属になるんだよ?ごとちゃん。」 「わ、私・・・、何も聞いてません。」 「ふーん。岡田課長は?」 「いえ、何も知らないって。人事も、具体的な辞令はないって。」 「人事が言わないんじゃ、話になんねーよな。」 「島田主任、何か、ご存知じゃないんですか?」 「俺は、知らないよ。」 島田は、そう言って、三浦部長の方を見た。逸美も島田の視線を追って、和馬を見る。相変わらず、女子社員に囲まれて、ニコニコしていた。 「あの人、今度、常務だから。」 「えっ、そうなんですか。凄―い。どんどん出世するんだ。」 「いい仕事したな、ごとちゃん。資料の整理。俺、流石だなって思ったよ。岡田さんの上には、あの人がいたからね。岡田さんはまあ、そうとして、三浦部長の出世に、あの資料が凄い効き目を表したんだぜ。」 「凄い効き目?ですか。」 「リストラ。大幅な人件費削減。」 逸美の胸が何故か、ズキンと痛む。 「…リストラ、ですか。」 島田が、逸美からつ、と、目を逸らした。島田は、チラと、三浦を見ていた。 「パートの経理さん以外、来期上半期の間に、バイト契約に変わっちゃうんだ。一人だけ。で、あとの二人は、退社が決まってるよ。ま、事務はそんなとこだ。」 逸美は、楽しそうに談笑している社内の顔を見回す。 「…で、私の名前がなかったって、島田主任が見たのは、何です?」 島田は、ポケットに突っ込んでいた組織表の縮小コピーを、丸めたまま、逸美に投げて寄越した。逸美は、慌てて広げて見る。 総務係長に、美幸の名前があった。後輩で一番年少の亜美が、総務部にバイトとして名を連ねている。東課長は、経理課長になっていて、その下は、パート経理員の名前が全員ある。営業企画室にも、物流統括室にも、営業関連部署にも、製品企画室、品質管理室にも、逸美の名前はない。若手社員や、地味で活躍が目立たない社員の名前の後ろに(バイト)と記載が加えられている。バイトが、リストラ予備軍であることがわかる。名前のない人は、来期上半期の間に、退職が決まっているそうだ。島田は、営業2課の課長になっていた。 逸美は、社員に囲まれている岡田のところへ行った。 「おお、今度の仕事の立役者のご登場ですよ。彼女の力です。僕じゃない、後藤さんの仕事です。」 岡田は、ニコニコして紹介する。男性社員たちは、ニコニコとして逸美へ拍手する。 「素晴らしい資料でした。」 「さすが、後藤さんですね。」 「本当に、見やすい資料で。」 「お陰で、わが社の体積しているゴミが、見つかったというようなものですね。」 「そう、全く、ゴミですよ。役に立たないのはね。」 「三浦常務の腕の見せ所でしたなぁ。」 和馬が、近付いてきたので、東課長が、三浦にヨイショする。 「いやいや、これからですよ。」 和馬は、逸美の顔を見ずに、ニコニコしている。 「あの、岡田部長、三浦常務、お尋ねしたいことがあります。」 逸美が少し大きな声を出すと、怪訝な顔をして二人が振り向いた。岡田はいつもの厳格な顔をし、和馬は、初めて見せる冷たい顔。 「何?」 「あ、あの、企画統括室がなくなるのは、伺っておりますが、私は、どこに所属するのでしょうか?」 「あー、そのこと。本田部長に、何も聞かなかった?」 「いえ。何も。」 「怠慢だなぁ。本田さんも。岡田さん、フォローしてあげなかったの?」 「すみません。私は、本田部長に一任させていただいていたものですから。」 「まあ、通常はそうだね。通常はね。」 和馬は、ニコニコしたまま、岡田と話している。 「おっこれは、そこにいたか。おい、和馬、岡田君、こっちこっち。」 客人を送っていた社長がいつの間にか帰社していて、ステージの方からずかずかと手招きしながら、歩いて来る。ステージには、美幸を含む役職者たちが、グラスを手に輪になっていた。 和馬と岡田は、あわてて、社長の手招きに応じて行く。 社長が、逸美を見つけて、どかどかと歩いて来た。 「後藤さん。後藤さん。いやー、あんたを失うのは、実に惜しいねー。寿なら、仕方ない。おめでとう。幸せになんなさい。あんたの最期の仕事はね、実に評価に値するものだったよ。本当に。まあ、最後は、私の部屋に挨拶に来なさい。ね。うんうん。おい、みんな、準備は出来てるか?よし、よしよし、はじめるとするかな。」 逸美に言いながら、分厚い手で逸美の手を握り、握手しながら言い、そのまま、ステージを振り向き、歩いて行った。 和馬と岡田の周りにいた平社員たちは、逸美から去りながら、寿だったとはねー、とヒソヒソ言いながら、意外そうな顔を逸美にチラチラと向けた。 失う?寿?最期の仕事?どういうこと? 逸美は、自分の足元が、ガラガラと崩れていく音を聞いた。 「カンパーイ。」 何度めかの、乾杯を叫び、グラスを開けて笑っている人たちが、逸美には、TVの中の出来事のように見える。 自分のつくった資料は、逸美の中にあり、逸美が独占していて、誰にも逸美がいないとできないと思っていた業務が詰まっていた。逸美の16年間の引継ぎ書を、必死で作っていたことになる。 ははは。 逸美は笑った。 逸美は会場から出て、企画統括室にある自分の席に戻った。 この週末に、自分の席がなくなってしまうのだろうか。 クビなら通知する必要があるはずだ。こんなの違法だし、認められない。
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