雪が舞いながら、屋根に地面に積もって行く。 真弓は、ブーツの中の冷たい足先を動かした。卓郎のまっすぐな目が、恥ずかしい。 トクンドクン。胸がキツク打った。 携帯が鳴る。メロディで、相手が母だとわかった。 「真弓。今どこ?TVで、あなたの乗る電車が人身事故って言うから、びっくりして。」 「大丈夫だよ。今、下田駅。まだ、電車に乗ってないの。電車が来なくて、バスで帰ろうと思って並んでるの。」 「バス?ああ、そう。何時になるの?青葉台2丁目のバス停まで、迎えに行こうか?」 「バスも、定刻に全然来ないから、何時になるかわかんない。」 「そんな。大丈夫なの?周りにも、たくさん人いるの?」 「うん。たくさんいるよ。バスの方は何故遅れているのかわかんないけど、多分、他のバス見たら、下田駅に来るまでに既に人がギュウギュウで、乗れてなかったもの。」 「うるせー。そこの姉ちゃん。電話するなら、列から出ろ。」 苛々している人に後方から怒鳴られた。 「お母さん、もう、切るね。また、電話するから。」 苛々している人は、電車にブツブツ文句を言いながら、あちこちに大声で電話をかけていた。 「そーなんだよ。京鉄だよ。人身事故とか何か言って、ストでもしてんじゃねー?ったく、こっちは迷惑なんだよ。定期代、前払いしてんだよって。なー。冗談じゃねーだろ?…」 怒鳴られた相手は真弓だけではない。皆、携帯を手に、電話やメールを使っていたし、ざわざわと話し声が聞こえる。はっきりと喋る内容が聞き取れるのは、大声のこの男の声だけだが。 「お母さんから?心配してただろう?…変なヤツのことは気にしないで、後で、報告してあげなきゃ。」 卓郎の優しい声が囁き。真弓の胸はトクトクンと鳴った。 真弓の乗るバスが、ロータリーを回って来るのが見える。降車者はおらず、満席のまま、真弓の列の前へ止まった。列が動いて乗客が詰まってゆく。真弓の何人か前の人が、タラップを上がれずに、諦めた。さっきから苛々と大声で電話していた男が、当然のような顔で、後ろから列の中を突っ切るように前へ出て、ギュウギュウの中、無理やり自分の体をバス内に捻じ込んだ。 ツーッという音を響かせ、乗車扉が閉まり、バスがいっぱいの人を詰めて発車した。 「仕方がない。もう一台待とう。」 あの男が列の中を突っ切りながら、並んでいる人々を容赦なく突き飛ばした。真弓も突き飛ばされた一人。正確には、突き飛ばされる瞬間、卓郎が両肩を掴んで僅かに抱き寄せたので、その男には当たることはなかった。 次のバスが何時に来るか、もうわからない。
雪はどんどん降り出し、凍てつく夜、地に到着しても、溶けることなく積もってゆく。人々のコートの肩に止まった雪も、僅かづつ積もってゆく。人々は雪を払いながら、足踏みをしながら、いつ来るかわからないバスを待っていた。 「真弓ちゃん、彼氏、いるの?」 突然、卓郎に聞かれて、真弓はドキリとした。卓郎は、何気ない顔で聞いている。 「いえ。いません。」 「…そっか、いないんだ。」 「…中村さんは、あ、美咲さんって人、この前…。」 「あ、美咲ってね、俺の妹の名前。…知合いっぽく聞こえるかなって思ってね。」 くしゃりと、照れくさそうに笑う。 「あ、妹さんの名前、ですか。」 「よく覚えてたね。俺、確かに言ったよな。」 卓郎は嬉しそうな目で、真弓の顔を覗き込むように見た。 「…彼氏、いないって、バイト、終わるの遅いからかな?」 「…モテないだけです。」 「そんなことないだろう。」 振られたんです。真弓はその言葉を飲み込んだ。 いつの間にか後方に長蛇の列ができていた。バスは、どのバス停にもポツリポツリとしか現れない。あれから2時間余りが経過する。 「いったい、どういう人身なんでしょうねえ。」 「これだけダイヤに乱れが出るなら、自殺か事故か、かなり大掛かりじゃないですか。」 後方の人々の話し声が聞こえる。 知合い同士ではなく、並んだ他人同士が会話している場合、声は大きくなるようだ。 「…城・駒井駅間の鉄橋から、走っている電車に墜落したのは、北区に住むOL、榎木邦枝さん44歳、中央区飯盛病院で死亡が確認されました。なお、この電車により京臨鉄道では、復旧の目途が立たず、通勤乗客に大きな影響が出ている模様。この事故で路線バスが300%の乗客となり、対応が遅れております。現場から、丸園記者のレポートです…。」 携帯TVのボリュームを上げて周囲に聞かせてくれている人がいた。 タクシーに乗り合って去って行く人々も後を絶たない。 「…俺、君にまた会えたらなって、思ってた。」 急に、卓郎の小さい声が聞こえて、真弓は振り仰いだ。卓郎は照れ臭そうに言う。 「凄い偶然だと思うんだ。こんなに人間がいるのに、全く見知らぬ者が2度も出会うなんて。会いたいって思っていたけど、会う方法なんて見当たらなかったから。」 「私も、また会えたらいいなって、思ってました。」 卓郎が、真弓の顔をまじまじと覗き込んだ。 「あの時、慌てて帰っちゃったこと、後悔してたんです。送ってもらっていたら、もっと話せたカナとか。」 卓郎は、黙って「そっか」と、口を動かしたが、恥ずかしそうに笑う。
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