キク、カンタロウ、ダンテ、ソネット、ノゾミの5人は城の扉をそっと開けた。最初は勝手に入るのは悪いと躊躇していたが、キクが「いいからいいから」と庭園に入り、それに続いてカンタロウ達が入っていった。 城の中は閑散としていて静かだった。高級そうな赤い絨毯が地にしかれ、レンガで出来た壁は綺麗な黄土色で塗り固められている。明かりは灯っていないが蝋燭が何本も壁の傍の地面におかれている。 カンタロウは城の玄関の傍にあった小さく丸い金属に手を添えた。カンタロウの眼が赤く染まり、手に力を込める。 「…インバルンにおいて命ずる、人の目にささやかな灯火と安堵の光を」 城の明かりが一斉に開いた。明々と城の中を照らし出す。しかし、それでも人の声1つ聞こえることはなかった。 「これで7時間はもつ。一応明かりをつける道具は持っておけよ。スイッチが切れれば明かりは消える」 「ごくろうさま。あんたがいるとやっぱり便利だわ」 「お役に立てて嬉しいよ。褒めるならこの道具をつくった技術者に言ってくれ」 カンタロウはまじまじと丸い金属を見つめた。やはり使い方は知っていても物珍しいようだ。 城に入るとすっかり緊張がとけたのかダンテがはしゃぎ始めた。 「うわ〜…お城なんて始めて入った!」 「ふっ…俺は初めてではないがね。ふっふっふ…。よし、ちょっと部屋を見学しようぜ!」 カンタロウは慣れていると思わせたいのだろうが、ダンテと同じくうずうず体が動いている。実はカンタロウもお城に入るのは数回しかない。キクはそれを知っているが、逆ギレされるのがウザイのであえて無視した。 カンタロウはダンテを誘うとさっそく2階へ行こうとした。きっと王座もあるとはりきっている。 「カンタロウ、一応皇居不法侵入罪」 「誰もいないことは確認した。帝軍の権限を持って城を捜索。正当な理由をもって文書にてギルドに提出」 「よろしい」 キクとカンタロウの間で話がまとまったようだ。 「そうか…あなた達一応帝軍だもんね。報告する義務はあるのね。でも早くしなくていいの?」 「そんなことしたら権限が別のに移っちゃうわ。その前に解決できることはしとかなきゃ」 「へぇ〜…」 「旅をしてたらよくあることよ。酷いのはこの異常事態を報告せず無視することね。それに便乗して盗み、殺人は最悪だけど」 ソネットはちょっとキクを見直した。ただの大食い女ではなさそうだ。 「ノゾミも行こうよ」 ダンテが興奮してノゾミを誘う。 「………」 しかし、ノゾミはキクの体に隠れて冷たく無言で答える。行く気はないようだ。 「…ノゾミ…」 ダンテはかなりショックだったようだ。かける言葉が見つからない。 「ほら、行くぞ」 カンタロウが強引にダンテの腕をつかむと階段へと上がっていった。ダンテはそれでもチラリとノゾミを見たが、ノゾミはダンテに視線を合わせなかった。 ダンテは少し悲しそうにカンタロウについていった…。 キクはその様子を見てダンテが少し可哀相になった。ダンテをちょっとからかった手前、仲直りの手伝いをしてやろうとノゾミに話しかけようとした。 「ノゾミちゃん…ちょっといい?」 キクがノゾミに話しける前にソネットが腰をおろした。どうやら目線をノゾミと合わすみたいだ。 ノゾミはビクリとキクの後ろに隠れようとした。どうやら何か文句を言われると思ったようだ。なにせダンテはソネットの息子である。 穏便じゃないなとキクは思ったが、ソネットの顔を見る限り怒ってはいない。 「ダンテのこと許してやって」 ソネットは優しく笑ってノゾミに話しかけた。 キクは杞憂だなと思いとりあえず何も言わなかった。
「あの子…友達がいないの」
ソネットの顔が寂しそうに言う。それを聞いたノゾミはおずおずとキクの体から顔を出した。 「私学校出てないし、経歴悪いし、なによりも赤眼化がコントロールまだできないのがバレて定職につけないの。だから不安定なこんな職業してるじゃない? お金を稼ぐためには町から町へ旅をするしかなかったし、仕事も期間限定なのが多いから…ダンテはゆっくり友達をつくることができなかったの。それにダンテ、剣の腕磨いて私のこと手伝ってくれてるしさ」 「………」 「本当は…私も町の住民票手に入れて、そこに住んで、ダンテを学校に通わせたいんだけど。…うまくいかないよね。村ではよそ者、町では不審者、城下町は衣食住が普通より高額」 「たはは…」とソネットは申し訳なさそうに笑う。その笑いに苦労の色が見え隠れする。 「ごめんね。愚痴になっちゃったね。…あの子があなたに水をかけたのは…初めてのお友達ともっと近づきたかったからだと思うの。本当に悪意はないの。だって…」 ソネットは微笑んだ。優しい微笑だ。
「あんなに嬉しそうにはしゃぐあの子を…私は久しぶりに見たから…」
「………」 ノゾミはキクから離れようか離れまいか迷っているようだ。…たぶんそれは私のほうがわかるだろう。 「ノゾミちゃん」 キクはソネットと同じく腰をおろした。 「ダンテはね。その『赤い眼』。気にしちゃいないよ」 ノゾミの眼が驚くように開く。ソネットもキクを見る。 「……だって…」 初めてノゾミがしゃべった。辛そうに下を向く。
「私もね。『赤い眼』を持って生まれたの」
今度はソネットが驚きキクの顔を覗き込む。 「今はこんな瞳になっちゃったけどさ。昔は大変だったなぁ。時代も悪かったんだけどね。人から嫌われて、憎まれて、売られちゃったりもしたなぁ」 キクはカラカラと笑う。ソネットはそれを信じられないといった目で見る。それは当然だ。そんな暗い過去をあっけらかんと言うのだから。 「だけどね。すべての人間が私のこと嫌っていたわけじゃないの。私のこと、大切に思ってくれた人もいたよ? ほんと珍しかったけど。きっと『赤い眼』じゃなくても人ってそういうもんじゃないかな」 ノゾミがキクの瞳を見る。それは嘘かどうか確かめているようにも見える。だけどキクに澱みがない。 「ダンテ、まだ子供だし、『赤い眼』に偏見なんて持ってないし。あれはただほんとうにノゾミちゃんと遊びたかっただけだと思う。私が保証するよ。ノゾミちゃんだってダンテを見て気づいていたんでしょ?」 「……うん」 コクリとノゾミが頷いた。さすがにあのダンテの姿を見れば誰でもわかるだろう。 カンタロウだって目配せで私に何とかしろと言ったのだから。 「じゃ、ダンテ君に会いにいこ? 私もついていってあげるよ」 ノゾミがキクから離れた。 「…ううん、私だけで行く…私の問題だから…」 そう言うと、ノゾミは階段をゆっくりと上っていく。キクはちょっと心配だったが、まあなんとかなるだろうと思った。
「…驚いたわ。あなた『ファーストチルドレン』だったの?」 ソネットが慎重にキクに聞いてくる。まあ、あそこまで言っちゃったんだからわかる人にはわかるか。 「そうよ」 「…『2番目の息子』ファーストの影響で異常抗体体質として生をうけた者。その総称を『ファーストチルドレン』。彼らは赤ん坊の時から『赤い眼』を持ち常人を逸脱した能力を持ったという…」 「でも5年前。唐突に『赤い眼』を持つ人間は赤眼を失い。それぞれ元の瞳に戻っていった。つまり抗体が正常になったということね。今赤い眼を持つ者は『エコーズ』か『マルスオフ』」 「…あなたが小さい頃は…まだマルスの騒乱が…あったわね」 ソネットそこまで言って後悔した。キクに辛い過去を思い出させたと思ったからだ。 マルスの騒乱とは『5番目の息子』マルスによって起こされた戦争のことをいう。その戦争によって生まれたのが『赤い眼』を持つ者に対する差別。なぜならマルスは多くの『壊れた赤眼の者』、いわゆる『マルスオフ』という兵隊をつくりだしていたからだ。マルスが倒された後も『マルスオフ』は驚異的な生殖能力で数を増やし、現在でも人類を脅かしている。 ほんの数年前までは『赤眼の者』とは怪物の総称だった。だけどその差別的な名称は改められることになる。 マルスにより生み出され、指揮官を失った『赤眼の者』を『マルスオフ』。 この世界に元々存在し、人間の姿を持たない『赤眼の者』を『エコーズ』。 今では怪物の総称を『マルスオフ』と呼ぶことが多い。なぜなら『マルスオフ』の種類は何万とあり、把握することは不可能だからだ。それで新種の生物まで『マルスオフ』といわれてしまうことがあるのだけれども。 なぜマルスはこんなに多くの種類の『マルスオフ』をつくりだしたのか? 一説によれば、それは『赤い花』の種子を『マルスオフ』に植えつけ、抗体の効かない『赤い花』をつくり、すべての生物を滅ぼそうとしたのではないか。 現に『赤い花』は生物に寄生し、その肉体を喰らい、数を増やしていったという。そして生物の抗体と融合することによって耐性を持ち、無敵の『レッドデス』となって生物を死滅させていく。 多剤耐性を持った菌類はあらゆる薬が効かない。菌が突然変異を起こして薬に対する耐性をもつこともあるのだ。これと同じ方法で特定の生物を絶滅させていく。なんという終末的世界の実現だろう。 まあこれは仮説にすぎないのでマルスが世界を滅ぼそうとした理由は当の本人が倒された以上謎のままである。 「別に気にしなくていいよ。もう過去のことだし」 キクは特に気にすることなく言った。ソネットはちょっとほっとした。 「私も聞いていい?」 「なに?」 「どうして町に住もうと思ったら不審者扱いになるの?」 ソネットの話を聞いて気になったところだ。いくら住所不定とはいえ、人材の不足している町や村では人を受け入れてくれるはず。彼らにも過疎化の危機感はあるのである。 「………」 ソネットは黙り込んだ。いまさらながら自分が余計な事を言ったことに気づく。 「ああ、気にしなくていいよ。ちょっと気になっただけだから」 ソネットの反応にキクは焦って話を切ろうとした。だが、ソネットは思い切ったように口を開いた。 「…あまり言いたくないけど。私は『刺青』持ちよ」 「…『イヴリスの卵』?」 キクが小さな声で言った。それは人間の世界では禁句とされた言葉だ。冗談で言ったつもりが真実をついてしまったようだ。 ソネットは小さく頷いた。
『イヴリスの卵』 「昔々、魔世界に君臨し、同じ同族を喰い尽した『赤い悪魔』、イヴリスは5つの卵を産んだ。その卵は幾日かしてヒビが入り、『嫉妬』『憎悪』『疑心』『殺意』が地面に這い出し人の世界へと向かっていった。しかし、1つ目の卵はヒビが入ったものの何も出てこなかった。 ある日、1人の女神がその卵の傍を歩いていた。彼女は散歩のつもりで出てきたのだが、その卵に興味を覚えた。女神が卵の殻にヒビが入っていることに気づき、卵を開けようとした。すると、卵の中から声が聞こえてきた。 『この卵を開けないでください。私がこの卵を開けると希望がなくなり絶望が出ていってしまうのです』 卵の中身はそう懇願した。女神は一瞬開けるのを躊躇ったが、やはり好奇心には勝てず、卵の殻を開けてしまった。 すると、そこから黒い目が女神を見上げた。その目には怒りと悲しみが含まれていた。 女神は急に恐ろしくなり、その場から逃げ出した。 その黒い目は手と口と足を持って、卵から這い出し、人の世界へと降りていった。 …その卵の中身は『殺生』。こうして人は同じ人を殺害できるようになったのである」
「私の胸にはそれがある。見る?」 腕ではなく胸に刺青があるということは重罪の証。 「…いいわよ」 ソネットが自虐的に言うためキクはそれを止めた。 『イヴリスの卵』の意味は監視を意味する。その胸には卵の殻から覗く『目』が刻まれているだろう。罪人の痕跡は帝国に許しがないかぎり解くことができない。 「それより、そんなこと私に言っていいの? 一応私帝軍なんだけど?」 「確かにね。なんで言っちゃったんだろ? これはダンテには秘密よ?」 さすがに自分の息子には言えないか。キクは少し笑った。 ソネットの顔を見る限り、快楽的に殺人を犯したわけでもないだろう。それに、そんなことを告白するのだ。何かあったに違いない…っと思う。 「どうして笑うのよ?」 「別に。『ファーストチルドレン』と『イヴリスの卵』。変な組み合わせね。お互い…不条理な過去は消せないし」 「…そうね」 ソネットも笑った。 ドンッ! いきなり何かが地面に倒れた。2人がその音がしたほうに振り向くとノゾミが倒れていた。 ノゾミはすぐに立ち上がると再び歩き始めた。 ドンッ! 数歩いかないうちにまたノゾミが倒れた。どうやら何かに引っかかって転んでいるようだ。 「………」 「………」 ソネットは心配そうな顔をしたが、それとは対照的にキクは微笑ましい顔をした。
『王のいない城(3):了』
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