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作品名:赤い雫 作者:牛を飼う男

第27回   地下シェルター(7)
 あれ? ここどこだろ?
 目を開けると知らない廊下にいた。天井の蛍光灯がパチパチと音をたてている。
 痛っ…。頭が痛い…。どうして?
 体が動かない。何がどうなっているのかわからない。
 意識が…遠くなる…。
 まぶたが重い。視界が薄くなっていく。睡魔が覚醒に勝っていく。
 もう…駄目だ…。
 チーン
 何かの音が聞こえた。扉がガタンと開く音。だけど意識が遠のいていく。
 あれ?
 扉の向こう側の個室に誰かがいた。銀色の髪、銀色の瞳、小さい体格。見間違うはずがない。
 ダンテ…。
 口がその名前を呼んだ。だけどダンテは気づいてくれなかった。必死で何かのボタンを押している。
 何してるの…あの子…。
 嫌な予感がした。それなのに意識はゆっくりと閉じられていった―。


「一か八か!」
 キクは状況を打破しようとある決断をしていた。
 このままではエコーズにやられてジ・エンドだ。それなら試してみる価値はある。
 キクは神脈をイメージして力の覚醒を待った。すると、体中から血流が熱くなるのを感じる。
「いける!」
 キクの瞳が赤く染まっていく。力が体中を巡っていく。
「よし! やっぱりここでは赤眼化できる!」
 施設内では無菌状態を維持するために『レッドデス』が存在せず、『赤眼化』することができなかった。だけど施設の外にでれば無菌状態から解放されるはずだ。あのエコーズは巨大なうえに行動が素早いため普通の状態では絶対に勝てない。
「これで戦いが有利になる。後は状況を見て行動すれば…」
 ズドンッ!
 ―えっ?
 隠れていた岩が一瞬で砕かれた。気づくと宙を舞っていた。その激しい衝撃に体勢を整えることすらできなかった。
 キクは空高く舞い上がった。
 すべての動きが遅く見える。自然にエコーズの方に視線を向けると、巨大な口から紫色の舌が見えた。その舌は確実に私の方を狙っていた。
 体が強い衝撃を受けて硬直している。今あのエコーズの攻撃をくらえば確実に死ぬ。
 キクは失いそうになる意識の中冷静に思考していた。
 ―あっ、そうか。
『彼らは潜在的にファーストチルドレンに敵意を持っている』
 クロサギの言葉を思い出した。
 あのエコーズは目も見えないし、耳も聞こえない。だから赤眼化すれば何とか倒せると思っていた。だけど甘かった。
 赤眼化すればエコーズに居場所をすぐに認知される。馬鹿だな。ノゾミの例をいっぱい見たのに。そんなことに気づかなかったなんて。
 ―ははっ、死ぬなこりゃ。
 アイロストの紫色の舌が直線上に向かってくる。あれをくらえば体がバラバラになるかもしれない。痛いかな。その前に意識がなくなるか。
 キクは静かに目を閉じた。
「キク!!」
 誰かが自分の名前を呼んでる。暗闇の中2つの赤い光が見えた。
 ―綺麗…。
 神様は最後に面白い事をするな。ああ、そうだ。―カンタロウに…見せてやりたかった…。
「おおおおっ!!」
 赤い光はキクを包み込むとアイロストの攻撃をかわした。
 その赤い光は炎の翼だった。カンタロウが『13人の赤眼の者』の力の1つ、インバルンの力を持ってアイロストの攻撃をかわしたのだ。
 カンタロウは翼を広げ、クルリと回転すると手にインバルンの力を集中させた。
「悪いが、コイツは生き続けることを望んでいる!」
 アイロストの方へ振り向いた勢いで、カンタロウは火炎球をアイロストへと放った。火炎球は空中から真っ直ぐ地上のアイロストの口へと向かっていく。

「お前みたいに生を諦めてないんだよ!」

 火炎球がアイロストの口の中へと入った。そしてアイロストの体内で火炎球が破裂した。
 アイロストは口から煙を吐きながら「ズズッ」と地面に倒れていく。その巨体にぶつかった廃墟の瓦礫がさらに砕けて周りに飛び散っていく。
『…シヌ…ココで…シヌのなら…それで…いい』


 シトシト…シトシト…
 雨は相変わらず降っていた。いつのまにか子供達は消えていた。また俺は1人になった。
 パシャ
 音がした。音の方を見ると彼女が立っていた。雨で髪が濡れており、表情を隠している。
「やあ香織。君は俺が創りだした妄想か? それとも幻影か?」
 香織は何も答えなかった。ただ雨の降る地面を立っていた。
「…もうすぐ雨がやむよ。どうやらここにいる必要もなくなったようだ」
「あなたは現実から逃げたの?」
 香織は顔を上げず淡々と言った。その言葉に苦笑すると空を見上げた。俺にとって雨は赤い花だった。
「そうかもしれないな。俺は弱い人間だ。この辛い現実に耐えられなかったんだ…」
「ないよ」
「…えっ?」
「現実なんてないよ」
 香織が顔を上げた。その表情は微笑んでいた。
「―辛い現実なんてない。あなたが現実に屈しただけ。ただそれだけ」
「………」
「自分の確固たる道を持たなかっただけ。例えこの雨が赤い花だとして私と共感を持てなくても。私はあなたと行く道に共感を持っていた。あなたは1人じゃなかったのに」
「………」

「―あなたは間違ってないよ。悪いこともしてないよ。自分の気持ちに素直になっただけ。どんな結果になってもあなたは間違ってないよ―」

 空を見上げた。もう雨は降っていなかった。赤い花も舞い降りていなかった。
「…どうして俺は…君を轢き殺したんだろうな…」
 返事がない。振り向くと香織は消えていた。
「…間違っていなくても…後悔はする。あの時ああしていればとか…こうしていればとか…何年も何年も後悔する」
 目から雨が零れ落ちた。透明な涙だった。それが地面に落ちると、赤い花びらへと変わっていた。
「後悔しても君は戻ってこない…過去にも戻れない…これが罪の意識だと言うのだろうか?」
 樹を離れて広大な草原を歩き始める。雨で出来た水溜りの中に足が入る。するとそれはフワフワとした感触となった。

「きっと―俺は君のことはわからないだろう…自分のこともわからないだろう…世界のことも、人間のことも、あらゆる生物のこともわからないだろう」

 足元の赤い花びらが空へと舞い上がる。その儚さがとても綺麗で美しかった。


「死んじまったら―その先にある真理すら―わからないな―――それが――――」


 そこは何もない原っぱだった。
 所々に水溜りがあるだけの―。


「はあ…はあ…」
 呼吸を整えエコーズを見据える。エコーズは口から細長い煙を吐いたままピクリとも動かない。
「…はあ…終わったか…」
 赤眼化できることに気づき、咄嗟にインバルンの力を引き出した。それでキクを助けることができて安堵する。背中の赤い炎の翼がゴウゴウと両腕の中にいるキクを包んだ。
 キクが細い目を開けた。青い瞳が少し笑った。
「なんだ…生きてた…」
「そんなことよりお前は軽いねぇ…いつもあんなにバカバカ食ってるのに」
 「ふぅ」とカンタロウは軽く息を吹いた。


「…はっ!」
「ようやく起きた」
 金髪の髪の女がニヤリと笑った。端整な顔に所々土ぼこりがついている。まるで外で遊んできた子供のようだ。
「頭の怪我はたいしたことじゃない。血も止まったようだしな」
 黒髪の男がホッとしたように腰に手を当てた。この男も怪我してる。危ない遊びだなと思った。
「…あなた達…誰?」
「………」
「………」
 2人は目を合わせた。
「どういうこと?」
「う〜ん…一時的な記憶障害だと思うけどな」
 カンタロウはソネットの前に座り込んだ。ソネットはツゥ―と目でカンタロウを追った。
「こういう場合強いショックを与えればいいんだろうか?」
「強いショック…ねえ…」
 キクがニヤニヤと笑った。カンタロウは嫌な予感がした。
「おいおいキクさん…まさかあれをやるつもりですか?」
「あれしかないでしょ。この人に強いショックを与えるには」
「…何…アレって? …」
 ソネットは無表情な顔でキクに視線を向けた。キクは自分の心臓をトントンと叩き、大きく息を吸った。

「ダンテとノゾミは結婚しま〜す!!」

 キクは両手を広げて祝福のポーズをした。
「…何その女学生なみのノリは」
 カンタロウは呆れた。いや、ドン引きだ。
「…こうでもしないとやってられないのよ」
 今更ながら自分の行動が恥ずかしかったのかキクは顔を赤らめた。
「あそう。…とにかくソネットの反応は」
 ソネットは両目を大きく広げていた。効果はあったようだ。ガバッと起き上がるとカンタロウの胸倉を掴んだ。
「ぐっぐえっ!」
「カンタロウ! ダンテが! ダンテがあそこにいたの!」
「えっ!? ダンテがどうしたの?」
 ソネットは何度もカンタロウを上下に振った。カンタロウは成すすべもなく、人形のようにソネットの成されるがままだった。
「ちょっとソネット! やりすぎだってば!」
 キクはソネットの腕を掴み凶行を止めた。カンタロウは「ごほごほ」と激しく咳き込んだ。
「あそこの個室にダンテがいたの! 早く行かなきゃ!」
 ソネットはエレベーターを指差した。
 3人はエレベーターに到達すると下へと向かうボタンを押した。すると、何事もなかったようにエレベーターは動き始めた。
「カンタロウ君。どういうことなのかな?」
 キクは怒りを誤魔化すような天使の微笑みでカンタロウをさりげなく責めた。
「…それやめない? めちゃ恐いんだが」
「どうしてエレベーターが動いてるの? 動かないって言ったじゃない」
「ああ確かに動いてなかった。ちゃんとボタン押して確かめたから間違いない」
「でも動いてるじゃん」
「知らないよ。俺は技術者じゃないんだ」
「もう! あんた達喧嘩はよしてよ! とにかくエレベーターってのが動いてるんだからダンテを追いましょうよ!」
 ソネットが険悪な雰囲気になったキクとカンタロウを止めに入った。
「…はあ、とりあえず一番下の階から来たってことは、ダンテはそこにいる可能性が高いってことね」
 キクはイライラと頭を掻くとプイッとカンタロウから目を逸らした。
「ああそうだな。どうしてエレベーターが動いたのかは知らんがね」
 カンタロウもキクから目を逸らす。
 ソネットは2人に目を配らせるとため息をつきたいのを堪え、エレベーターがくるのを待った。
チーン
 エレベーターの扉が開いた。
「…どうやって入るのコレ?」
「普通に入ればいいだけ」
 キクはさっさとエレベーターの中に入った。
「そうそう。行くぞ」
 カンタロウもさっさと中に入っていく。だけど2人は目を合わせようとしない。
「…わかった」
 ソネットは気まずいのを我慢してエレベーターの中に入る。扉がゆっくりと閉じていった。
「最下層みたいだからこのボタンを押せば…アレッ?」
 ボタンを押そうとしたキクの手が止まった。
「どうしたの?」
「こんな所に隠しボタンがあるわ。それにこの赤い血…」
 階数がかかれたボタンのすぐ下で、小さな銀色の扉が開いていた。その扉の中には何もかいていないボタンが1つポツンとあった。そのボタンには赤い血のようなものがついている。
「…誰かの血みたいね。ダンテはこのボタンを押したのかな?」
 キクはソネットをチラリと見た。ソネットは首を横に振った。わからないようだ。
「とりあえず押してみよう」
 カチッ
 キクはボタンを押した。するとエレベーターが動き出し、下の階へと降りはじめた。
(ゴクリッ…)
 ソネットは唾を飲み込んだ。
 さっきから嫌な予感がする。ダンテの身に何もなければいいのだけれど。
 ソネットは祈るように手を合わせると目を閉じた。
(神様…神様お願いします…ダンテを…私の息子を助けてください)
チーン
 エレベーターが止まった。階数の点滅番号を見てみると一番下の階で止まっている。扉がゆっくりと開いた。
「…ここ…洞窟みたいね」
 キクが一番初めにエレベーターから出た。湿っぽい臭いがする。灯りは洞窟の壁に松明が仕掛けられていて明々と洞窟内部を照らしている。
「気をつけろよ」
「…何? 私に心配してるつもり?」
 キクはカンタロウの気遣いに嫌味で返した。
「ちょっと…キク、言い過ぎよ…」
 ソネットはカンタロウを見た。カンタロウは顔中汗だらけだった。そういえばさっきから呼吸が荒い。
「何よ。美女2人を前に興奮でもしてたの?」
「キク! いい加減にしないと…」
 カンタロウはそのまま意識を失うと地面にバタンと倒れた。
「カっカンタロウ…きゃあ!?」
 カンタロウの背に手を置いたソネットが小さく悲鳴をあげた。その手には大量の血がべっとりとついていたからだ。
「カンタロウ!?」
 キクもようやくただ事ではないこと気づき、カンタロウの傍に駆け寄った。
「…わ…悪い…」
 カンタロウは起き上がろうとしたが体が震えて言う事を聞かない。
「なにやってんだよ馬鹿! こんなに大量出血してるんならショック起こしても不思議じゃないだろ! どうして早く言わなかったんだよ!」
「…はは…平気だと…思ったんだが…」
「馬鹿! アホ! 間抜け! ボケナス!」
「…お前ね…酷い事言うね…」
 キクはカンタロウの手を取ったまま涙ぐんだ。
「そんなことよりも手当てしなきゃ!」
「…いいさ…お前達2人でダンテの元へ行け…俺はここでエレベーターを監視してる」
「だってこんなに出血してるじゃない!」
「大丈夫だ…俺は今から寝る…血ももう止まってる…大丈夫だ」
 カンタロウはそのまま目を閉じた。
「カンタロウ!? カンタロウってば!?」
「…ぐぅ〜」
「…本当に寝るか? こんな所で…」
 キクは「はあ」とため息をついた。
「どうするの?」
「仕方がない。カンタロウはここに置いていこう」
「危険じゃない? もし敵に襲われたら…」
「気配で起きるわよ。そう訓練されてるもの」
「だってこんなに重症じゃ…」
「ソネット」
 キクはカンタロウの手をそっと置いた。
「大丈夫。それよりもダンテの所に行こう。あの子の方が今は危険かもしれないから」
「…わかった…」
 ソネットとキクは立ち上がるとカンタロウを置いたまま洞窟内へと入っていった。
 カツカツ…
 静寂の中にある洞窟内では2人の足音しかしなかった。それが不気味に響いてくる。
「…ふふっ」
「…? どうしたの?」
 突然笑い出したソネットにキクは不審な顔を向ける。
「だって。冷静なキクがあんなに取り乱すなんて…」
「なっ!? 仕方ないじゃない! アイツあんなに重症なくせに表情1つ変えずに歩くんだもん! まったく気づかなかったわよ!」
 キクは真っ赤になってソネットに反論する。よほどさっきの事が恥ずかしかったらしい。
「きっとキクを心配させまいとしたのよ。いい人じゃない」
「…何。悪いけど私とカンタロウは本当に何もないよ。アイツはただの相棒だし」
 キクはプウッと頬を膨らましてソッポを向いた。こうして見ると本当に子供みたいだ。背は小さいし童顔だし。
(これが戦闘となるとキリッとなるのよね。人はわからないわ)
 ソネットがそんなことを思っていると、ピタリとキクが歩むのを止めた。
「…何? 怒ったの?」
「…血の臭いがする」
「えっ?」
 キクがヒクヒクと鼻を動かす。ソネットも鼻を動かしてみたが何の臭いもしない。
「…何も臭わないわ」
「…ソネット。いつでも剣を抜けるようにしておいてね」
「…敵が…いるの?」
「わからない。だけどこの濃厚な血の臭い…何人か死んでる」
 キクは突然走り始めた。ソネットは何が何だかわからないといった顔でキクについていく。
「きっとここは緊急用の非常通路ね。おえらいさんとかが抜け出るためのものなのよ」
「そうなの?」
「そう。だからあのボタンは隠されてたんだわ」
 2人がしばらく洞窟内を走っていると大きな部屋に出た。その部屋は天井に明々とした蛍光灯がつけられていた。
 そしてその下で、惨劇が広がっていた―。
「…ひ…ひどい…」
 ソネットは思わず呻いた。
 そこは血の海ができていた。
 その海の傍で、壁にもたれている1人の人物がソネットの視界に入った。
「…ダンテ?」

 その少年は真っ赤な血を浴び虚ろな瞳で虚空を見つめていた。

 ソネットは生臭い臭いも、バラバラになった人の手足や胴体も気にならなかった。ただダンテが無事なのか知りたいがために走った。
「ダンテ! ダンテ!」
 ソネットはダンテに近寄った。
 間違いない。私の息子だ。
 ソネットはそのままダンテを抱きしめた。
「…母さん」
 ダンテが呟いた。
「ダンテ、いったい何があったの!?」
「…母さん…ノゾミが…」
 ダンテは押し潰されたような声で指をある部屋に向けた。その部屋のドアは少し開いていた。そこから黒い闇が見える。
「………」
「…私が行くわ。ソネットはダンテといて…」
 キクは警戒しながら思い切ってドアを開けた。
「…うっ!?」
 思わずキクは口を手で覆った。その部屋の中はところかまわず血が飛び散っていた。天井にも壁にも机にも椅子にも床にも赤い血がべっとりとついていた。
(この臭い…獣と死臭の臭いがする…それにまだ新しい)
 キクはこの異状にまで濃厚な血の臭いに意識を失いそうになった。よろけながら近くの壁に手を置くと指が何かに触れた。手を恐る恐る見ると、それは黒い髪の毛だった。
(この黒い髪…まさか…ノゾミ…)
 何本もの黒い髪の毛だけがこの惨劇を語っていた。
 ノゾミが何をされたのか。
 ノゾミがどうなったのか。
 ノゾミが…。
「うっ!?」
 キクはたまらず口を押さえた。

『…お母さん』

 ノゾミと出会った時のことを思い出す。
「ううっ…」
 キクは部屋を出て壁に額を押しつける。

『…ううん、私だけで行く…私の問題だから…』

 ノゾミの気丈さを思い出す。
「ぐうっ…」
 キクは吐き気と涙を堪える。だが、自然と涙は目から溢れ、胃液が喉元近くまでやってくる。
 

 ―最後に、キクが思い出しのはノゾミのあどけない笑顔―


「うわああああっ!!!!」


 キクは堪らず叫んだ。それは施設内に木霊した。
「まさか…そんな…嘘…でしょ?」
 ソネットはキクの叫び声でノゾミがどうなったかを察した。だけどそれは信じたくない事実だった。
 あの無表情なノゾミが…。
 あの健気なノゾミが…。
 あの純粋にダンテのことが好きだったノゾミが…。

 ―死んだ。

 ソネットの目から涙が自然に流れ出た。
「!? この臭い!?」
 突然ソネットの鼻に異臭が入ってきた。意識がそのまま崩れ落ちそうになる。
 これは…まさか…。
「…毒ガスのようね」
 キクはいつのまにか叫ぶのを止めていた。死人のようにふらりと歩き始めるとカンタロウのいる出口へと向かっている。
「…キク」
「行こう。カンタロウが待ってる」
 ソネットは何も言わず、ダンテを背負うとキクと一緒に部屋を後にした。
「どうやら一気に毒ガスを充満させるわけじゃなさそうね。この調子でいけばまだ間に合うかもしれない!」
「だけどどうやって外に出ればいいの!」
「あのエレベーターを使えば一気に上に上がれるわ! その後のことは…神様にでも祈りましょ!」
 ソネットとキクは全速力で洞窟を駆け抜けた。
「…僕が護るって…約束したんだ…」
 ソネットの背中でダンテが呟く。
「…僕が…護るって…それなのに…」
「悪くない! ダンテは悪くない! ダンテは絶対に悪くないから!」
 ソネットは必死にダンテを励ました。目からはまだ涙が流れている。
 こんな所で…泣いてる場合じゃないのに!
 ソネットは自分の唇を咬むと必死で走った。キクは何も言わずにその先を走っていく。
 2人はようやくカンタロウがいる地点に到着した。ダンテとソネットは逸早くエレベーターに乗り込んだ。
「キク! カンタロウ!」
「わかってる!」
 キクはカンタロウの肩を担ぐとエレベーターへと歩み始める。
「…なんだ…もう…帰ってきたのか?」
 意識を取り戻したカンタロウがキクに話しかけた。
「ええ! すぐに脱出するわよ!」

「…そうか…ダンテや…ノゾミは無事か?」

「………あったりまえじゃない!」
「そうか…へへ…やっぱり頼りになる…相棒だ」
 カンタロウは薄く笑うとまた意識を失う。キクはそれ以上何も言わずにカンタロウをエレベーターへと運ぶ。
 ウォ…ン
「えっ!?」
 急にエレベーターの扉が閉じ始めた。ソネットは慌てて扉を手で掴んだ。強い力が扉を閉じようとソネットの手にのしかかってきた。
「キク! 早く!」
「わかってるよ!」
 状況を察したのかキクがカンタロウを必死で引きずる。それでもまだエレベーターには到達できない。
「なによ急に! こんな時に扉を閉じないでよ!」
「…母さん…降ろして…」
「えっ!? でも!?」
「僕はもう…大丈夫…それよりキクさん達を」
「…わかったわ」
 ダンテはソネットの背から降りるとエレベーターの扉を手で掴んだ。2人の力が加わったので扉の閉じる力が弱まった。だけど徐々に扉は閉じられていく。
 キクは何とかカンタロウをエレベーターの中に入れると自分もその中に飛び込んだ。
「はあ! 助かった!」
 キクが汗びっしょりの顔で安堵の息をつく。
「よし! 早く脱出しましょ!」
「…母さん…ボタンは押しておいたから…その階でエレベーターを出たら真っ直ぐ進むんだ。そうすれば外に出られる」
「そうなの?」
「うん。あいつが…あの男がそう言ってた―」


『―おっと、この首は貰っていきましょう。あの方に捧げなければいけないのでねぇ―』


 ダンテの拳が震える。それは静かな怒り。
「…ダンテ…」
「母さん…今までありがとう」

「えっ?」


「―さようなら」


 ドンッ


 急にソネットはダンテに押され、尻餅をついた。ダンテはエレベーターの外にいた。
 エレベーターの扉が閉じられていく。ソネットが驚きの目でダンテの目を見る。
 ダンテは微笑んでいた。
 その目は生を―すでに諦めていた。
 

 タンッ


 扉が完全に閉じた。
 ソネットは何が起きたのか理解できなかった。
 エレベーターは上へ向けて動き始めた。

「嘘でしょ? …ダンテ?」

 ソネットはエレベーターの扉に手を触れた。そこは金属の感触しかしなかった。命のない感触―ただの物の感触―。



「ダっ…ダンテぇぇぇ!!!!」


 ソネットは扉をこじ開けようとした。
 キクに後ろから羽交い絞めにされても暴れることを止めなかった。
 何を叫んだのかもわからない。
 キクが何を言っているのかもわからない。

 何もわからない。わからない。わからない。わからない…。



「嫌ああぁぁぁぁ!!!!」



『地下シェルター(7):了』


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