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作品名:赤い雫 作者:牛を飼う男

第23回   地下シェルター(3)
 この廊下を何度歩いたっけ? 指で数えてもわからない。
 似たような光景。聞きなれた音。変わらない、変化のない日常。
 ここはシェルターという名の建物の中らしいけどいい加減うんざりしてきた。だから今日も研究室の探索はお預け。施設のスタッフさんはみんな良い人だけど、どこかそわそわして付き合いづらい。唯一付き合いやすい人といえばスダチとエイコだけだ。だけど2人は仕事が忙しくて遊んでくれない。
 だから私はお母さんからあれだけいけないと言われた部屋に今日も行く。隣にはお友達のソニックを連れて。ソニックは犬だけと滅多になかないし人懐っこい。だけど、これから行く部屋にはソニックは警戒してなかなか入ろうとしない。
 部屋の前に来るといつもの通りソニックが唸る。大丈夫だよと頭を撫でてもソニックは唸りをやめない。仕方がないのでソニックを置いて私は部屋に入ることにする。
「ソニック、ここにいてね?」
 そういうとソニックは従順にお座りをして待ってくれる。スダチは人の話がわかる利口な犬だと言っていたけど本当だ。ただ、スダチが色々と改造して見かけが不細工なのが気に入らない。スダチにしてみればカッコイイらしい。
 扉の暗証番号とキーを入力する。父に黙って持ってきたものだ。管理に五月蝿い父も私にだけは甘い。
 扉が「ピッ」という音をたててロックを外す。ここから10分は監視カメラの監視人は外に出てタバコを吸いに行っている。だから見つからないはずだけど、例え見つかったとしても子供の私は叱られるだけですむだろう。
 鉄の扉が静かにスライドする。部屋の中の電気が一斉につく。そして…いつものように布の袋をスッポリと頭にかぶり、鎖で体中を縛られ、両手両足のない男が待っている。
『…やあ…もうそろそろ来るころだと思っていたよ』
 しわがれた声が私の耳に入る。その声の中には親しみが込められている。彼も私が来ることが嬉しいらしい。
「こんにちは! 今日はあなたの絵を描いてきたのよ」
 私はクレヨンで描いた絵を男に見せる。稚拙な絵だが、男はそれを見ると嬉しそうに微笑む。
『…そっくりだね…ありがとう』
「ううん、いつも外の世界を話してくれるお礼。今度は指輪を持ってくるね。暇だから造ったの」
『…そう…嬉しいね』
 袋男の目から涙が零れる。いや、正確には布の袋に隠れて顔は見えないのだが、右目の部分だけは穴が開けられているのでそこからなんとかわかるのだ。
「? どうしたの?」
『…いや…なんでもないよ…それより…外の話をしようか?』
「うん」
 私はワクワクして男の話に耳を傾ける。―そしていつのまにか時間が過ぎ去っていった。
『…今日はここまでだ…』
「え〜? もっと聞きたい」
『…いけないよ…もう監視人が戻ってくるころだ…見つかったらもうここには来られない』
「う〜…わかった。明日も来るね」
『…ああ…おいで…まってるよ』
 口惜しそうに男をもう一度見ると外へと出る。外にはソニックがお座りして待っていた。
 暗証コードとキーを再び入れ扉をロックする。そしてソニックと監視カメラのない通路まで走った。
「ソニック」
「ワン」
 ソニックを呼ぶと一言吠える。

「…あの人外に出せないかなぁ…」


 カンタロウは壁を背に通路の様子を伺った。通路の幅は大人6人ほどの幅で、天井までは約3メートル弱でかなり低い。蛍光灯の光によって一応向こう側の壁まで目を通せるが、通路が入り組んでいるため奥の方はよくわからない。救いは持ってきた施設案内図が正確だということだ。
「ねえ…1つ気づいたんだけど」
 カンタロウの後ろでソネットがキクに話しかけた。
「どうしたの?」
「この施設変よ…階段で一気に上の階まで上がれないようにしてある」
 地図を見ていてソネットは気づいた。階段の記号が階によってバラバラに設置されている。まるで侵入者を防ぐような造りだ。
「…どうやら公共の施設じゃないことだけは確かみたい」
 ソネットも薄々気づいているようだ。この施設のカラクリを見ただけでわかる。
(これは何かありそうね)
 キクの勘がそう告げていた。
 そもそもノゾミをどうするつもりだったのか? ノゾミは希少なファーストチルドレン。『13人の赤眼の者』の術を使っても過剰抗体反応は起きない。彼らはノゾミを巫女か神のように祭り上げ、象徴の対象とするつもりだったのだろうか?
 いや、それだけでは終わらないはず…。それでは彼らはノゾミをどうするつもりだったのだろうか?
 まてよ、確か帝軍はファーストチルドレンを追っていた。理由は保護するため。だけど5年前、『2番目の息子』…そうマテリアお姉ちゃんが言ってたあのファーストがこの世界から消失すると同時にファーストチルドレンは力を失った。事実、私ももうファーストチルドレンじゃない。
 それなのに帝軍上層部通称『皇軍』が秘かにファーストチルドレンの情報を集めていた。そして…ノゾミにたどり着いた?
 それならあの大規模な傭兵団が組織されたのもわかる。子供1人護衛してこの研究施設に送り届けるにしては大袈裟だ。ノゾミがエコーズだけじゃなく、帝軍の手に渡らないようにしていたのだとしたら説明がつく。
 しかもどうしてわざわざ『赤眼化』できることで有名なソネット親子に護衛を頼んだのだろうか? 近隣に腕のたつハンターはいくらでもいたはず。
 エリニュスにとって…ノゾミとは何なのだろうか?
「おい! キク!」
 カンタロウがキクを呼んだ。キクは我に返ると慎重に廊下を歩き始めた。
(とにかく。ここの責任者に会ってみよう。まあ真実なんて話すわけないと思うけど…)


 ノゾミは扉が完全に閉まったことを確認すると、ダンテの近くに座った。隣ではダンテが静かな寝息をたてている。
「…2人きりだね」
 ノゾミがそういうと機械犬が「クゥーン」と声を漏らした。
「ふふ…そうだね。3人きりだ」
 ノゾミは「よしよし」と機械犬の頭を撫でた。機械犬は舌を出して喜んだ。
「お前の傷、治してやりたかったけどここじゃ無理。ごめんね」
 機械犬はノゾミの頬を舐めた。完全にノゾミになついたようだ。
 ノゾミはダンテの方に振り向くと、ジッと顔を見つめた。そしてダンテの手を握った。
「暖かい…いろんな人に触ったけど。ダンテの手が一番暖かい」
 ダンテの手を自分の頬へとやる。まだ幼く柔らかい手の感触が頬に伝わる。
 ノゾミはそっとダンテの寝ているベッドの中に入る。すると、ダンテは苦しそうに顔を歪めた。
「エコーズの過去を見たのね…可哀想に…」
 ノゾミはダンテの耳元で歌を歌った。静かな子守歌だ。苦しそうに呻くダンテの顔が徐々に落ち着きだした。
 ノゾミは歌をやめた。そして嬉しそうに微笑んだ。

「―もしも願いが叶うのなら…ずっとダンテと一緒にいたいな…」

 ピクリ
 機械犬の耳が動いた。
 ペタペタ…
 その音は…ゆっくりとノゾミ達の部屋へと向かっていた。


「ここは地下何階だ?」
「やっと10階よ」
 ノゾミがいる階が15階だからようやく5階上がれたことになる。
「こう複雑だと上の階1つ上がるのにも一苦労だぜ。ここの従業員はタフだな」
「そのためのエレベータでしょ」
 ソネットが地図を片手にカンタロウをサポートする。もう従業員の部屋は抜けて施設の中層部へ到達している。この先には研究室や幹部の部屋、軍隊の部屋まであるようだ。
「この先は…っと特殊部隊の部屋みたいね」
「ちょうどいいじゃん。事情を説明して助けてもらおうよ」
 キクが気楽に言った。
「特殊部隊ならそう簡単にやられないでしょ。案外応戦してるかもよ」
「誰にだよ?」
「見えない敵」
 キクは意味があるのかないのか上に向かって指を指した。
「まさか…いるとしてもゾンビだろ」
 カンタロウは顔を歪ませながら先を歩いて行く。
「もうすぐその部屋だ…なんだこの腐臭?」
 カンタロウの鼻がヒクヒク動いた。
「…血の臭いだわ」
 ソネットも剣に手を置く。
 カンタロウは先陣をきってその部屋近くの壁に背を向けると中を覗いてみた。
「!? なんだ!?」
 カンタロウは思わずのけぞった。続いてキクとソネットが部屋を覗く。
「うっ!?」
 ソネットは口を押さえた。
 その部屋の中は赤い血で充満していた。何人もの遺体が切りきざまれ、ゴミのように捨てられている。部屋のドアの隅には男の生首が転がっていた。
「くっ…」
 キクは汚泥での出来事を思い出し顔をしかめた。
「…どれも鋭利な刃物…恐らくは剣だな。バラバラに切られてやがる」
 カンタロウは顔をしかめながらも現場検証をしている。
「…ひどい…どうしてこんな…」
 ソネットは始めての凄惨な現場に意識を失いそうになった。
 ハンターという職業柄これに似たような現場に出会ったことはあったが群を抜いて酷い。
「どれも特殊部隊だな。厳しい訓練はつんでいるはずなのにあっさり全滅かよ」
「いったい何が起こったの?」
「さあな。でもこれはゾンビじゃないな」
「どうして?」
「ゾンビは人を食べるからだ」
「…本の読みすぎよ」
 ソネットとカンタロウの会話の間にキクが割り込んだ。キクは冷静に現場を探っている。壁には血のついた髪の毛や皮膚がくっついていた。
「それにしても雑な切り方だ…頭が潰れて脳や目玉が飛び出てやがる。…内臓も原型をとどめてないな…」
「…うっ」
 ソネットは空気が薄いうえに異常な腐臭と凄惨な光景につい遺体から目を背けてしまった。
(よかった…ここにダンテやノゾミがいなくて…)
 そんな心配をしながらも、ソネットは廊下へと足を向けた。

タタタタッ…

「!?」
 ソネットは耳を疑った。遠くから足音が聞こえたからだ。耳をすますと音が徐々に大きくなってきている。
「カンタロウ! キク!」
 ソネットは思わず叫んでいた。それは無意識な行為だった。
「大声出してどうした?」
「何かがこっちに…来てる」
「!?」
「マジか!?」
 キクとカンタロウは同時に反応すると剣を構えた。ソネットも素早く剣を構えるが、この状況に馴れないのか手が震えている。
「…くっ…しっかりしてよ」
 自分に喝を入れ気合を入れなおす。これから未知の敵と戦うのだから…。
タタタタタッ…
「この足音…子供…か?」
「…わからない…空間が狭くて響いてる」
 キクとカンタロウの額に一滴の汗が流れた。
(この2人が緊張してる…私の心臓もバクバク動いてる)
 ソネットは胸を落ち着かせようと息を大きく吸った。
ツルッ
「えっ!? あっ!?」
ガタッ!!
 地面に流れる血液に足元をとられ、ソネットは慌てて机に手をかける。しかしその瞬間大きな音が施設中に響いた。
「…おいおい、一応ハンターだろ」
「ソネット…」
 キクとカンタロウは呆れたようにソネットを見た。
「ごっ…ごめん…」
 事の重大さを理解したソネットは謝るもののキクもカンタロウも顔を緩めない。
「! 足音が止んだ!」
 キクが反応した。カンタロウも耳をすまし、音が止んだことを認識する。
「まずいな…こりゃ気づかれた」
「まっ…仕方ないわ…ソネット」
「な、なに?」
「一応自分の身は自分で守ること。いい?」
「…わかった」
 音が止んでしばらく時間が流れた。
「―誰か…いるのか?」
 部屋の向こう側の廊下から男の声が聞こえた。普通の人間の声だ。多少脅えが入っている。
「俺達は帝…じゃなかった。ハンターだ。依頼されていたファーストチルドレンを届けにきた」
 カンタロウはキクと口裏を合わせていたのかそう言った。
「ハンター…賞金稼ぎか!?」
 男はすぐに3人の前に顔を出した。その男は白衣を着ていて髪は短髪、左肩から血が流れている。顔を見た限りまだ20代後半といった所だ。
「助かった! ここで雇われていたのか? うっ!?」
 男は口を押さえた。人が切りきざまれる現場は初めてのようだ。すぐに壁に手をつくと嘔吐した。
「げほっ、げほっ…」
「見たところ研究員って感じだな。大丈夫か?」
「あっ、ああこれはアレがやったのか?」
「そうかアレね」
 カンタロウは男の襟元を掴むと壁に叩きつけた。
「ぐわっ!?」
「ちょ…何を…」
 ソネットがカンタロウの行為を止めようとした時、キクが手でソネットを制止した。
「まずは名前を教えてくれ」
「ぐっ…俺は…敵じゃない…」
「名前だよ。聞こえなかったか?」
「ぐうっ…わかったよ…クロサギだ…」
「よし、クロサギだな。ここの職員か?」
「そう…だ…俺はここに雇われてる…」
「…そうか…」
 カンタロウはクロサギをジロリと睨む。そのまま言葉が止まってしまった。
「…カンタロウ?」
 キクはカンタロウの様子に気づき声をかける。しかし、カンタロウからの返事はない。
 カンタロウの全身から嫌な汗が流れ始めた。
「くっ…はははは…ははははははは」
 唐突にクロサギが笑い始める。
「何がおかしい!」
 カンタロウはクロサギをさらに締めつける。さすがのクロサギも力任せに締めつけられてはたまらないので笑いを止める。
「待て…お前のやりたいことはわかる…『赤眼化』して俺がマルスオフかどうか見極めようとしたんだろ? …最近じゃ人型もいるからな…」
 クロサギはキクとカンタロウの意図を読んだように言う。図星だったのかキクとカンタロウはつい口を閉ざしてしまった。
「まずは…離してくれ…ハンター相手に抵抗はしない」
 カンタロウはチラリとキクを見た。キクは仕方がないと言った顔でコクリと頷いた。そこで初めてカンタロウの手がクロサギから離れた。
「ごほっごほっ…乱暴だな…ハンターってのはいつもそんななのか?」
「まあね。さて説明してもらおうか?」
 カンタロウの剣がクロサギの顔近くで止まる。
「まて…俺はマルスオフじゃない。正真正銘の人間だ」
「マルスオフはよくそう言うのよ」
「本当だ!」 
 クロサギは声を荒げた。
「…まずはどうして『赤眼化』できないのか教えて」
 キクがクロサギに詰め寄った。
「あっ? ああ…この研究施設が無菌状態だからだ」
「無菌?」
「簡単な話さ。無菌室になっているから『レッドデス』が存在しない。だからお前達『異常抗体体質者』、いわゆる『根』は『赤眼の者』の力とリンクできず、『赤眼化』できない」
「…そうか…あの雲の時と同じ状態なんだ」
 キクは理解できたようにポンと手を叩いた。
「…なあ…あんたどこかで会わなかったか…」
「へっ?」
 クロサギがキクを指差す。
「確か…大帝のミスコンで王位継承者に気に入られていた…」
「きっ、気のせいよ!」
 さっきまで冷静だったキクが急に大声を出した。

 タッ…タタタタ!

 ビクリ! 
 クロサギが機械のように反応した。
「どうし…」
「早く! 早くその部屋に入れてくれ!!」
 クロサギはカンタロウの剣を押しのけると部屋に走りこんだ。
「ちょ…」
「あんたも早く入れ! アレが来る!」
「なっなんだぁ?」
 カンタロウは言われるまま部屋の中に入った。その途端、クロサギは部屋のコードを入力し、扉を閉じようとした。「ウィーン」と扉が閉じると同時に「ガタッ!」と何かが扉を掴んだ。
「なにっ!」
 ソネットが叫んだ。扉の間からは何も見えない。
「はやく! はやくこの扉を閉めてくれ!」
 クロサギは3人に向かって叫んだ。何が起こっているのかわからないが、とりあえずクロサギの言うとおり3人はスライド式のドアを精一杯押さえつける。
「なっ…なんちゅう力だ!」
 カンタロウはその力の強さに顔をしかめる。
「うっ…ん」
 ソネットも背中で扉を閉めようとするがなかなか動かない。だけど徐々にだが扉は閉められていく。
「よし! もう少しだ!」
 クロサギは意気揚々と力を込める。
『―遊ぼう』
「…へっ?」
 ソネットの耳に子供の声が聞こえた。女の子の声だ。
 まさか…廊下に女の子がいるんじゃあ…。
「ちょっと待って!」
「くっ…なんだ!」
 ソネットの声にカンタロウが反応する。
「女の子がいるわ! 助けなきゃ!」
「何? 本当か?」
 ソネットは素早く扉から少し離れ、隙間から廊下の外を覗く。
 廊下の外には誰もいない。敵は扉の外側を押さえているんだ。うまくいけば助けられるかもしれない!
「…助けなきゃ」
 ソネットは素早く廊下の隙間から辺りを窺おうとした。
「!! やめろ!!」
 クロサギが叫んだ。
「罠だ!! そいつはS級犯罪者…」
 クロサギの言葉が引きつった。扉の隙間から小さな白い手が出てきたからだ。その手はソネットを掴もうと伸ばしてきている。
「…もう大丈夫」
 ソネットはその手を取ろうと手を伸ばす。そして扉の小さな間から女の子の顔が見えた。
 ―その女の子の両目は赤く爛々と光っていた。
 両目がニヤリと笑った。
ズバッ!
 女の子の白い腕が飛んだ。キクの剣が切り落としたのだ。すると、あれほど動かなかった扉があっさりと閉まった。
「きっ…きゃあああ!!」
 ソネットは扉が閉まり、しばらく呆然と女の子の腕を見ていたが、思い出したように叫び声を上げた。
「あなた…あなた何を!」
 ソネットはキクを睨みつける。キクは平然と服を掃うと地面に転がっている女の子の手を取った。
「…殻ね」
 キクは腕をよく観察し、そう一言言った。
「殻って…殻ってなによ!」
 ソネットは容赦なくキクに怒りをぶつけてくる。カンタロウはそれを止めようとしたが、それより先にクロサギが口を開いた。
「…やめろよ」
 その気だるそうな言葉にソネットの腹から怒りがこみ上げてくる。
「まてソネット」
 それを察したのかカンタロウがソネットの前に立ちはだかったが、ソネットはカンタロウを押しのけ、クロサギの胸倉を掴んだ。
「おいおい…」
 クロサギはめんどくさそうにソネットを見据えた。
 そのままソネットはクロサギを自分の頭部の上まで持ち上げた。
「ぐえっ…強い…」
 まさか女の力でここまで持ち上がるとはクロサギも思っていなかったのだろう。ソネットの腕を押さえ、目には涙をうかべている。
「―あなた…私を怒らせたいの?」
「まっ…まて…ちょっとまて…悪かった…反省している…本当にすまないと思っている…」
 クロサギはいくつもの謝罪の言葉を並べた。
「…ソネット」
 カンタロウはソネットの肩に手を置いた。
「何よ!」
「離してやれ…キクの判断は正しいよ…あれは"人間の腕"じゃない」
「…えっ?」
 ソネットの手が急に離され、クロサギはドスンと地面に尻餅をついた。
「ゴホッゴホッ…くそ…どうして俺ばかりこんなめに…」
「どういうこと?」
 ソネットはクロサギに詰め寄る。
「…あれはS級犯罪者…『イモムシ』だ」
 さすがのクロサギもソネットに詰め寄られて渋々話しはじめた。
「恐らく。ここの所長の娘さんの遺体に乗り移ったんだろう。いや…もしかするとすでに入れ替わられていたのかもしれないな」
「噂には聞いてるわ。S級犯罪者『イモムシ』。本体を隠すために人間の体の中に潜り込むそうね」
 キクは女の子の腕の切断部分を見せた。その中は空洞になっていた。骨も筋肉も血管も見当たらない。
「…潜り込むって…」
 ソネットはその光景が想像できず体を震わした。
「どうりで施設内のシステムがイカレてると思ったんだ。あいつが操作したに違いない」
 クロサギは悔しそうに顔をしかめた。
「そうだ! 管理室はどうなってるんだ! コントロールルームは!」
 クロサギは急いで機械のコントロールパネルを操作し始めた。もう地面に転がっている死体は気にならないらしい。
「…これもあいつの仕業?」
 ソネットは転がっている死体を指差した。
「…断定できない…『イモムシ』の情報は少ないから…」
 キクは力なく首を振った。
「違う。これは『オオムカデ』の仕業だ」
 コントロールパネルを操作しながらクロサギが言った。モニターに光が入り始める。
「まさか!? S級犯罪者『オオムカデ』?」
「そうだ。あいつしかいない」
 驚くキクとは対照的に、クロサギは操作に没頭しているのか冷静になる。
「マジかよ…あの両腕なしの『オオムカデ』かよ」
 カンタロウは頭を掻いた。
「よし! モニターが映った! 管理室は…」
 クロサギの言葉が止まった。モニターの中では異様な光景が繰り広げられているからだ。
 隅には2人の女がお互いを抱きしめている。顔は恐怖で引きつり、2人とも体をガタガタと震わせている。それもそのはず―。
 すぐ傍では天に向かって、足をばたつかせもがいている人間の2本の足が見えているからだ。よく見ると、人1人まるごと飲み込まれようとしている。モニターなので音声は聞こえない。しかし、聞こえなくても悲痛な叫び声が想像できた。
「…なによ…アレ」
 ソネットが気持ち悪そうに口を押さえる。
 それは人一人飲み込むと満足そうに笑った。口が異様に大きい。いや、その大きさは普通ではない。もはや顔全てが口でできている。
「おい…キク…」
 カンタロウがワナワナと震える。
 それはゲップをするとゆっくりとあとの2人に近づいていく。1人の女が逃げ出そうと飛び出るがすぐに掴まってしまう。体が大きな割には行動が素早い。
「なによ…カンタロウ…」
 キクも緊張で声が硬くなる。
 それは頭から女をくわえると、まるでゼリーを飲み込むように女をひと呑みにする。女はさっきと同じように足をバタつかせ、それのお腹の中へとおさまっていく。
「…S級犯罪者…『ナメクジ』だ」
 クロサギが呟く。絶望を含めて。
 モニターが消えた。
 クロサギが消したようだ。これ以上見ても仕方がないといわんばかりに。
「…そうだ…研究室…」
 消え入りそうな声でクロサギは再びコントロールパネルを操作する。
「あっ…あそこには同期がいる…皆この時間だと仕事をしているはずだ…」
 クロサギの声が震えている。
 モニターに光りが入り、再びカメラの向こう側の世界を映し出す。
 恐らくクロサギは希望が見たかったのだろう。その先に見えたのが絶望であったと気づくまで。
「…嘘だ」
 研究員は皆倒れていた。その体には小さな虫が蠢いている。モニターではよくわからないがイナゴのようだ。
 フッと、モニターに男の姿が映った。銀の眼鏡をかけ、口は奇妙な図形が描かれているマスクをしている。
「…誰だ?」
 クロサギは誰かわからないように呟く。ただ、仲間ではないことは認識しているようだ。
「…『イナゴ』よ。S級犯罪者『イナゴ』」
 キクが静かに言った。モニターが消えた。
 クロサギは力をなくしたようにその場に座り込んだ。
「…なぜ俺はこんなにもついてないんだ?」
「…仲間の死を嘆かないのね」
「…興味がないね。別に友達でも親友でもないからな」
 キクの言葉をクロサギは冷たく言い返した。
「もう駄目だ…帝軍対策用人体兵器3体が勝手に動き出している上に。あのS級犯罪者がこの施設に潜りこんでいるなんて…」
 クロサギは絶望の声をあげた。
「? まて? 帝軍対策用兵器ってのはなんだ?」
 カンタロウがクロサギに問いかける。
「…ハンターがそれを知ってどうする?」
 カンタロウは懐から帝軍免許を取り出すとクロサギに見せた。
「俺とそこのちっこい女は帝軍だ。ハンターじゃない」
「…ちっこいは余計だ」
 キクも文句を言いながら懐から免許を取り出す。出てきたのは銀色のスプーンだが気にせずクロサギに見せると素早くしまった。ソネットは何故かキクの行為にギョッとした。
「…まさか…本物か?」
「本物だよ。この免許の術印が示している」
 クロサギの顔がみるみる歪んでいく。


「…終わった…俺の人生」


 クロサギは呆然と天井をあおいだ。


『地下シェルター(3):了』


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