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作品名:赤い雫 作者:牛を飼う男

第21回   地下シェルター(1)


『化学反応のようなものだよ。一度経験してしまうともう無垢ではいられない。―戻れないんだ』(「ユング」より)


「ああ…死にてぇ」
 白衣の服装をした研究員の男が水を片手に呟いた。
 天井では白い蛍光灯が休む間もなく輝きつづけている。これは『13人の赤眼の者』の力を使っているのではない。れっきとした化学なのだ。
「なんだよ。疲れたのか?」
 隣にいた同期の研究員が尋ねる。目元には黒いくまができている。
「こんな地下シェルターにいつまでいなきゃならないんだ? 外の空気が吸いてぇよ」
 男は延々と続くコンクリートの廊下を見つめてため息をついた。壁は白く塗装されている。
「我慢しろよ。女神様が来ればすべて終わる。…休憩は終わりだ」
 同期の研究員は廊下を歩いて行く。この先には地下へと向かうエレベーターがあるのだ。
「だがこっちの女神は来ないという話じゃないか」
「警戒してるんだよ。これから来る女神が本物かどうかな」
「かっ…疑り深いことだ」
 紙コップをゴミ箱に投げ入れると同期の研究員に続く。「コツコツ」と単純な足音だけが響いてくる。
「ところでさ。所長の子供さんはどうしたんだ?」
「子供? ああ、あの可愛らしい子か」
 この地下シェルターに造られた研究施設の中で唯一の癒しだったあの女の子のことを思い出した。確か腕にはいつもクマのぬいぐるみを持っていた。
「…死んだよ。病気でな」
「…本当か…はあ…」
 やはりこいつもあの子に癒されていた部分はあったんだな。あの無邪気な子が急にいなくなると研究室は殺伐とした雰囲気となった。
「所長の奥さんも可哀想にな。あんな小さな子が…」
「…まったくだ」
 それには同感だった。今でも奥さんの泣き叫ぶ姿が目に浮かぶ。所長もあれ以来意気消沈してしまっている。
「それでこれは噂なんだが…」
 同期はエレベーターの前で足を止めた。エレベーターは動いていた。誰かが乗っているのだろう。下の階へと向かっている。
「なんだよ?」
「所長の奥さん。夜な夜な最下層の遺体安置所に向かっているらしいぜ」
「なっ…マジかよ」
「ああ、娘の遺体の前でずっと立ち尽くしているらしい」
 同期は虚ろとした目でエレベーターの点滅する階を見続ける。
「お前娘さんが死んでたの知ってたのかよ?」
「だから聞いたんだろ? 本当に子供さんが死んだかどうか」
 なるほどな。同期からしてみれば本当は娘が生かされて、遺体安置所で何かされているのではないかと思い込んでいたみたいだ。
「…お前の妄想さ」
「…そうか」
 図星だったようだ。まあそんな妄想を抱くのも無理はない。もう1年はこのシェルターに閉じ込められているのだ。
「なあ」
 突然同期が話しかけた。
「今度はなんだよ」
 同期はそれに答えず指を上へと指した。視線をそこへとやるとエレベーターが止まっている。
「だからなんなんだよ」
「…遺体安置所だ」
 その言葉に素早く反応する。よく見てみると、エレベーターは最下層の遺体安置所の所で止まっている。まさか、本当に所長の奥さんが…。
「大変だ…所長に知らせないと…」
「どうして?」
 同期が不思議そうに尋ねてくる。ついに頭がやられたか?
「どうしてって…お前言ってたじゃないか。所長の奥さんが遺体安置所に…」
「ありえない」
「…はっ?」
「だって…あそこは閉鎖されたはずだ」
「…えっ? えっ? どういうことだ?」
 エレベーターが動き始めた。上へと向かってきている。どうやらこっちの階に向かっているようだ。
「だから…エレベーターでは行けないんだ…所長が閉鎖して…もう使われていないはずなんだ…」
 ブルブルと同期が体を震わせている。意味がわからないのでもう一度問いただす。
「そんなわけないだろ! 現に今エレベーターは動いているし、遺体安置所に誰かが降りたんだ! 閉鎖されているのなら尚更所長に連絡を…」
 その間にもエレベーターは徐々にこちらへと向かっている。すでに「ゴオン」という音まで聞こえてきた。
「あっ、あっ、ありえない…ありえないんだよ…」
 同期の脅え方が常軌を逸している。目は見開き額から大量の汗が流れ出る。
「どうしてだよ!」
 イラついて大声をだす。
「だっ、だっ、だって…エレベーターは操作できないようにされていて…一番下の階へ行くボタンなんてもう取り外されてないんだ…」
 そういえば…。確かにここに来る前にエレベーターの各階のボタンを見たが一番下の階のボタンはなかった…。
「だから…遺体安置所から操作しなきゃ…一番下の階へはいけないんだ…」
 ―ようやく同期が言いたい事がわかった。
「おっ、お前馬鹿言うなよ。死人が操作したってのか…そんなわけ…」

ガタッ

 エレベーターの鉄の扉が開いた。その瞬間、むせるような腐臭が鼻についた。
『―遊ぼう』
 それが最後に聞いた言葉だったような気がする―。


「いやあ…面目ない…」
 ダンテを背負ったカンタロウが申し訳なさそうに浄化設備の通路を歩く。
「まったく。帝国軍第4類が聞いて呆れるわ」
 ソネットはネチネチと嫌味を繰り返す。ダンテを助けられなかった上に気絶していたのだからカンタロウも何も言い返せない。
「まあよかったじゃん。みんな助かったんだし」
 キクが大きく背伸びした。ちなみにキクがS級犯罪者『イボガエル』と戦闘していたことはカンタロウもソネットも知っている。
「まあそうね。そういうことにしときましょ」
 ソネットはあっさりと身を引いた。
「? なに? さっきまでお義母様がどうとかって動揺しまくってたのに」
 キクはニヤニヤ笑いながらソネットに言う。
「お義母様? なんのことだ?」
 カンタロウがキクに尋ねる。
「ノゾミが言ったのよ。…ほら、結婚するって…」
「ああ、そんなこと言ってたなぁ」
 カンタロウは思い出すように目を上へとやった。
「私、言ってない」
 ノゾミが言い返した。
「へっ? そうなの?」
「あっ、はははは。どうやらそうみたいなの。私の思い違いだったみたい」
 ソネットは誤魔化すように笑い始めた。
「なんだ。つまんない」
「つまんないって何よ」
 ソネットはキクをキッと睨む。キクは舌を出して視線を逸らした。
「だから…結婚も冗談だったみたいね。まあ子供同士のことなんだし、そんなことで真剣になっちゃった私も馬鹿みたいだったわ」
 「やれやれ」とソネットは安堵のため息をついた。
「ううん、結婚はほんと」
 ピタリ。
 ソネットの足が止まる。
 カンタロウとキクは嫌な予感がした。
「えっ? はは、結婚も冗談でしょ? 物のたとえとか…そうずっと親友でいようねってことよね?」
「ううん、結婚はほんと」
 ソネットの低い唸り声にも、一歩もノゾミは引かなかった。
 ソネットは腰をおろすとノゾミと向かい合った。ノゾミもソネットの行動に動揺することなく無表情な顔でソネットの顔を見つめた。

「じょ・う・だ・ん・よね?」

「ほ・ん・と」

 ソネットの体から定番と化したどす黒いオーラが出始める。ノゾミは一歩も譲らない。
「…おい…何とかしろよ…アレ」
「やなこった。巻き込まれるじゃん」
 カンタロウとキクは深いため息をついた。

 ソネット達がしばらく歩くと鉄の階段が見えてきた。その階段は上へと向かっている。灯りを照らしてみると階段の上には鉄の扉があるようだ。
「ようやく出れそうだな」
 カンタロウが灯りを持ちながら言う。
「まあそれはよかったけど…ねぇ」
 キクが細目でソネットを見る。ソネットはカンタロウからダンテを受け取る(奪う?)と自分の背中に乗せている。その後ろを距離を保ちつつもノゾミがついてきている。
「代わってやろうか?」
「結構。ダンテは私の息子ですから」
 ソネットはカンタロウの言葉を拒否した。かなりムキになっているようだ。
「…ったく、仲が良くなったと思ったらこれだよ…」
「キク、何か言った?」
「いいえ。何も言ってませぇん」
 カンタロウは先陣をきって階段を上りはじめた。その後ろにソネットが続く。キクとノゾミはその後ろを上っていく。
「…代わってやるよ。汗まみれじゃないか」
 階段を上る途中でカンタロウがソネットに話しかけた。
「いいわよ。これくらい。昔はよく背負ってあげてたんだから」
「無理するなって。もう小さい子供じゃないんだし…」
「まだ私にとっては子供なの! それより早く行ってよ!」
「わっ、わかったよ…」
 カンタロウは渋々階段を上り始める。
「ソネットぉ。無理しなくてもダンテはいなくならないって」
「別に無理してないでしょ! こう見えても私は体鍛えてるんだから!」
 「だめだこりゃ…」とキクはさじを投げた。すると、ノゾミが急に立ち止まった。
「ソネット」
「なっ、何よ」
「ダンテのこと、好き?」
「あたりまえよ。だってダンテは私の息子だもの」

「―私も好き」

 ノゾミは少し微笑んだ。さっきまで無表情だっただけにソネットは意表をつかれた。
 キクはポンポンとノゾミの肩を軽く叩いた。
「さあ、行きましょ。それとも代わってほしい?」
「だっ、大丈夫だって言ったでしょ!」
 ソネットはダンテを背負ったまま階段を上っていく。キクとノゾミは目を合わせると笑いながらその後をついて行った。
 鉄の扉を開けるとさらにその先には壁に取り付けられた鉄のハシゴがあった。とりあえずカンタロウがハシゴを上り、外の世界を覗いてみる。
「うわっ…さむ」
 外に出たカンタロウは異様な冷気に体をブルッと震わせた。
「なんなんだここは?」
 そこは霧のような冷気が立ち込める部屋だった。地下へと続く穴の傍には透明なガラスがあった。そのガラスの中の部屋には11のベッドがある。
 通路は大人3人分の幅しかなく、天井の蛍光灯は機能していないようだ。薄暗い中カンタロウの松明がガラスに反射して自分の姿を映し出している。
 カンタロウは周辺を探ることにした。
「ねえ…ダンテが起きないの」
 地下から出てきたソネットが心配そうにダンテの顔を撫でる。キクが地面に仰向けにされているダンテの胸に耳をあて、口元に手をかざした。
「息はあるし心臓も動いてる。大丈夫気絶しているだけよ」
「ほんと? 本当に大丈夫なの?」
 ソネットはキクに詰め寄る。
「まあ…私にはそれぐらいしか言えないんだけど…」
「やっぱりお医者様に見せたほうがいいわ。もしかしたらこのまま…」
「ソネット。大丈夫よ」
「だって…本当に目を覚まさないもの…」
 さっきまで強気だったソネットは、人が変わったようにオロオロし始めている。
「ソネット…」
 キクはなんて声をかければいいのか考えている時、カンタロウがキクを呼んだ。
「キク。ここ遺体安置所だ」
「えっ? 遺体?」
「ああ、っと。どうしたんだソネット?」
「ダンテが目を覚まさないの」
「なんだ。もしかして死んだのか?」
 「ははは」とカンタロウは笑いながら冗談で言った。
「!!」
 ソネットはいきなり顔を手で覆うと目から涙が零れた。どうやらカンタロウの言葉がソネットの琴線に触れたようだ。
「だ、大丈夫よ。ダンテは強い子よ。こんな所で死ぬわけないじゃん」
「だって、だって…目を開けてくれないのよ」
 カンタロウは状況をようやく把握し、「はは…」と口元を歪ませた。
「気絶しているだけだって。大丈夫。帝軍第4類は一応応急処置の訓練は受けてるの。その私が言うんだから大丈夫よ。とりあえずここは寒いからダンテを暖かい所に連れて行こう? 今は泣いても仕方ないじゃない?」
「泣いてなんか…涙が勝手に出るのよ」
 ソネットはダンテを背負い直すと立ち上がった。
「よし。それじゃあそこの人(怒)。とりあえずここから出る方法を見つけて」
 キクはカンタロウにきつく言った。カンタロウは素直に「はい」と返事をし、その場を立ち去った。
 しばらくしてカンタロウがキク達の元に戻ってきた。
「どうだった?」
「駄目だ。エレベーターがあったけど動かない。ボタンを押してもうんともすんともいわねぇ」
「ったく、使えない男ね。武士道ってのはどうしたの?」
「…武士道は関係ないだろ。そして俺はお前のなんなんだ?」
「エレベーター…ってなによ?」
 ソネットがカンタロウとキクの間に入ってきた。
「最先端の移動手段だ。いちいち階段を使わなくても上の階にいけるのさ」
「でも使えないのね?」
「ああ、階段を使うしかないな」
 カンタロウは困ったように頭を掻いた。
「ねえ」
 唐突にノゾミが3人に声をかけた。
「どうしたの?」
「ここ…遺体安置所だよね?」
「ああ、そうだ」
「遺体がない」
 ノゾミの言葉に3人は「はっ」となった。確かにガラスの向こう側の部屋には遺体が見当たらない。
「…きっと中を詳しく調べれば見つかるさ」
「ううん、ない」
「何故わかる?」
「さっき中に入って調べてきた。みんな開けられてて空っぽだった」
 3人はノゾミが案内するまま部屋の中に入った。部屋には冷房装置が動いているのか「ウォ―ン」という機械音しか聞こえなかった。引き出しのような大きな取っ手が壁に取り付けられている。カンタロウが力任せに引っ張ってみると棺桶があっさりと外へと飛び出した。
「あら? 本当にないな?」
 カンタロウは念のため5つの棺桶を開けてみた。しかし、どれも空っぽで何も入っていなかった。
「元々入ってなかったんじゃない?」
 ソネットがカンタロウに言った。
「違う。カンタロウ」
 キクが棺桶の中を指差した。そこには小さな指輪が入っていた。おもちゃの指輪だ。ガラスで出来ている。
「何かが入っていたのは確かよ。まあ死体だろうけど」
「…じゃあなんでないのよ?」
「たぶん誰かが運んでいったのよ。実験用としてね」
「実験? ここは研究施設なの?」
「それっぽいね。確か昔似たような施設を見たことあるし」
 キクとソネットが話している間カンタロウは地面に手を当てていた。地面には何か擦れた跡があった。臭いをかいでみると腐臭がする。
「…まさかな」
「カンタロウ、もうここはいいから上の階に行こう」
「…あっああ…」
 カンタロウとキク、ソネットは部屋から出て行った。最後に残ったノゾミは誰かの気配を感じ振り向いた。すると、そこには仮面をかぶった黒い男が立っていた。
『―行くのかい?』
 ノゾミは仮面の男の言葉に耳をかさず、部屋のドアを閉めようとした。「ギィー」という音をたてながらドアが閉まっていく。

『―ここに入る者、汝等いっさいの望を捨てよ―』

 ドアがバタンと閉じられた。


『地下シェルター(1):了』


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