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作品名:赤い雫 作者:牛を飼う男

第19回   汚泥からの挨拶(4)
 目を開くとどこかの部屋にいた。
 腐った匂いが鼻につく。周りを見回すとどうやら台所のようだ。食器を洗浄する所にある皿には腐った食べ物がこびりついる。
 皿の上で何かが蠢いた。よく見てみると丸い芋虫のような虫が、皿の上を這いずり回っている。数は一匹だけではないようだ。
 耳元で「ブーンブーン」という羽音がする。何十匹というハエが楽しげに飛び回っているのだ。
 気分が悪くなり部屋を出ようとドアへと向かう。すると、子供の笑い声がした。
「アハハ…」
 ビクリと体を震わせて立ち止まる。開いたドアの右側から左側へと子供が走り去っていく。あまりにも速かったので顔すらわからない。
 ただ、「タタタッ」という音だけが聞こえ、遠くで消えていく。
 勇気を出して廊下に出た。左側を見てみるとまた違う部屋のドアが開いていた。そのドアから微かだが人工の光りが見える。
 慎重に歩み、その部屋へと近づいていく。徐々に部屋が近づくにつれて気分が悪くなっていく。部屋の中が見えそうになった時、凄まじい首の痛みを感じた。
 そこには洋式のトイレに座り、首を吊っている私の姿があった。
 目は白く濁り、口からだらりと舌が見える。腐敗が進んでいるのか頬の肌が破れ、赤茶色の筋肉が見えている。それでもまだ人間の姿をしていて今にも動き出しそうだ。
『―これは夢だと思うか?』
 突然誰かに質問された。後ろを振り向くと何故か周りの光景が変わっていた。私はお花畑の上に立っていた。
 花は赤く、とても気味が悪かった。花びらが私の前を掠めていく。白い霧がかかったように視界も悪い。
 目が慣れてくると岩が見えてきた。岩は5つあった。その岩の上に誰かが立っていた。
「…誰?」
 近づいていくとそこには子供がいた。それぞれの岩の上に子供がいる。合計5人だ。
 地面の上にも子供がいるようだ。数えてみると8人いた。合計13人。
 何故こんな所に子供がいるのだろう?
 それに私は何故ここにいるのだろう?
 確か私は水質分析をしていて…それから…。
 思い出そうとすると頭が痛くなる。首もしめつけられるように苦しい。
『悪夢を見るか?』
 岩の上に立っている1人の子供がいった。目が異様に赤い子供だ。いや、全員の子供の眼が赤い。
「…悪夢」
『お前はよく悪夢にうなされる。それは何故だ?』
 急にまた光景が変わった。私は川辺にいた。その川はよく知っている。
「悪夢…私がよく見る夢…」
 川近くの大きな岩の上に彼がいた。転職してきた彼。無口な男。
『思い出せ。何故お前は悪夢を見る?』
「私が悪夢を見る原因…それは…それは」
 頭が痛くなる。私は咄嗟に耳を押さえた。なぜそうしたのかわからない。何も思い出せない。
「どうして…私は耳を塞ぐ?」
『…思い出させてやろう』
 頭の中で声が響いた。
 彼がこちらに気づいたのか振り向いた。そして若々しい顔でそっと微笑んだ。

「―もしあなたが若かったら、きっと僕は告白していますよ」

「うわああああああ!!!!」
 私は喉を抑え吐き気を堪えた。足がガクリと力を失い、膝を地面につけた。掻き毟るような頭痛が私の頭を直撃した。
 光景はお花畑に変わっていた。赤い花が一斉に風に揺らぎ、花びらを空へと舞い上がらせる。そんな奇妙な光景に見とれている余裕はすでに私にはなかった。
『後悔しているか?』
 大人びた声で真ん中の岩の上に立つ子供が聞いてきた。右から4番目の岩の上に立っている子供が可笑しそうに笑った。2番目の子供は私を哀れむように目を閉じた。
「だってぇ!! だってぇぇ!!」
 私は叫んだ。もう身分も地位も肩書きだってどうだってよかった。仕事もその結果も評価も屑のように思えてきた。ただ彼さえ私に振り向いてくれればそれでよかった。
「それなのにぃ!! あんなこと言うんだものぉ!!」
 手には彼を川に突き落とした感触が残っている。憎しみと怒りがそうさせたのだ。まるで別人のような私がそうさせたのだ。
「私だってぇ!! 私だってぇ!!」
『彼は良い先輩としてお前を見ていた。女としては見ていなかった。そして…望みがないことに絶望したのか?』
「いやああああああ!!!!」
『お前の唯一の救いが終わった時、気づけば若さが残っていなかった。その現実に耐えられなかったか?』
「ちゃんとしたのよ!! 私はちゃんと生きてきたのよ!! どこにも悪いところなんてないのよ!!」
 私は泣いて訴えた。真ん中の子供は私を哀れむ事も見下す事もしなかった。淡々と私を見ているだけだった。
『―本当の悪夢とは何か知っているか?』
「………」

『それは"現実"だよ』

***

(カンタロウ達のことはとりあえずソネットに任せよう。…ただで逃がしてくれる相手でもなさそうだしね)
 キクは息を吸い込むと戦闘態勢にはいった。
(詠唱が聞こえなかった…一桁詠唱か…)
 キクはイボガエルの動向をうかがっている。イボガエルは手を広げたまま口を開いた。その口から長い舌がダラリとたれた。
「あなたたち帝国軍第4類は他の帝軍と違って"厳選採用"ですからねぇ。条件としては赤眼化できること、一桁詠唱ができること、そして…『13人の赤眼の者』の力を具現化できること。さらに賞金稼ぎとしての素質や能力まで試される。これだけみても厄介な相手だとわかりますよ」
「そりゃどーも。あなた達S級犯罪者だって似たようなものよ。犯罪者の中でも赤眼化でき、マルスオフと同化し、場合によっては使い魔を持っている者。さらに国や町や村1つ"滅ぼした"という最悪の経歴を持つ者」
「ケケケケ…まったく、有名になると困りますよ。すぐに恐がられてしまいますからね」
 イボガエルの大きな目がクルクル動く。
「それにしてもラッキーだな」
「? どういうことです?」
「私達はエリ二ュスに近づいているもう1つの組織を追っていた。確か…『十の獣』とか言っていたか?」
「………」
 イボガエルの目の動きが止まった。
「その『十の獣』に属している者は全員S級犯罪者。調べでわかったのは5人。『イボガエル』『ハイエナ』『イナゴ』『キング兄弟』。ちょうどあなたってわけね」
「…ほほう、そこまで調べられていましたか。まああなたの出した名前の人達はよく動きますからね。知られても仕方がないでしょう」
「じゃあ後の5人は誰なの? あなた達がエリ二ュスに近づく理由は何?」
「それを言うと思いますか?」
 イボガエルは目を細めた。「ピチャン」と管から水滴が地面へと落ちた。
「言わないのなら…力づくになる」
「いいでしょう。あっ、そうそう」
「?」
「余談ですが本当は12人いたんですよ。あなたは知りませんか? S級犯罪者『ゴキブリ』と『カラス』を?」
「知ってるわ。2人とも死んだそうね」
「ええ残念ですよ。特に『ゴキブリ』は元帝国軍幹部の人間ですからね。あの人は飢えに狂っていましたが私達の中では一番強かった」
「そりゃ残念。私達としては助かるけど」

「―そして一番世界の改変を望んでいたというのに…まったく残念ですよ」

 イボガエルの顔が醜く歪んだ。その顔はどう見ても残念がっているようには見えない。キクは少し背筋に悪寒を感じた。
 パンッとイボガエルが手を合わせた。手の周りに冷気が集い、透明な剣が造りだされた。
「………」
「さて、それでは遊びましょうか?」
「…軽い言い方ね」
「ケケ…人は誰でも残酷な遊びをするものですよ。地面を歩く蟻を踏み潰すようにね―」


「かえり…たい…かえり…たい」
 足元のエコーズが汚泥の中から浮かび上がってくる。それは木馬に乗って現れた。
 ダンテは酸素の少ないタンクの中で必死に上に上がろうと手足に力を込めた。
「くっ…」
 意識が失われていく。目の前が黒く点滅し始める。タンクの上にいるノゾミの顔の輪郭が歪み始める。
「ノゾミ…」
 声がかすれる。上に上ろうと力を込める。しかし、ぬめるような手がダンテの足に触れた時、急速に意識が失われていった。
「かえり…たい…あの…ばしょへ…わかさが…わかさが…」
 エコーズの手がダンテの足を掴み、「ピシピシ」と音をたてて硬化していく。そのままダンテを汚泥の中に引きずり込むように力を込め始める。
 ダンテは意識が混濁したまま、どうにか鉄のハシゴに腕をかけて耐えている。
「おまえが…ほしい…わかい…おまえが…はは」
 エコーズは少し笑うとタンクの上にいるノゾミを見た。汚泥によって茶色く濁ったエコーズの体から凄まじい腐臭が出されている。ノゾミはそれに顔を背けることなく、必死でダンテを引き上げようとロープに力を込めている。
 それを嘲笑うかのようにエコーズの低い笑い声がタンク内で響いた。

「…はは…アカイ…アクマ…め…はは…」

「ダンテ…お願い…気がついて!」
 ノゾミは無駄だとわかっていてもロープに力を込める。ノゾミの耳にはエコーズの嘲笑など聞こえてはいなかった。ただ、ダンテさえ助かってくれればそれでよかった。
 縄が手の皮にくい込み、赤い血が茶色の縄を染めていく。ノゾミは激痛にも耐え、縄を離すことはなかった。だけれども、徐々に縄は汚泥の中へと沈み始めている。
「嫌だ…ダンテを…ダンテを返して…」
『―可哀想に』
 ノゾミはその声に驚いて視線をタンクの上に向けた。そこには奇怪な仮面を被った黒い男が立っていた。
「また…あなたなの…」
『痛いだろう? 手を離してしまえばいい』
「嫌…絶対に…」
『どうして? 君はこの世界の人間から嫌われているというのに―』
 仮面の男はノゾミの所へと歩むと腰をおろした。ノゾミはすぐ近くに仮面の男が来ても動揺しなかった。
『思い出せ。君はこの世界の人間に何をされたか思い出せ』
「お願い…黙って…」

『―父親と母親を殺害されたというのに―』

「!」
『彼は助けるに値しない。彼はこの世界の人間だ。必ず君に酷いことをする』
「やめて…」
『可哀想に。エコーズやマルスオフには攻撃対象とされ、帝軍には異端者とされ、そしてエリニュスに着けばダンテと別れることになる』
「………」
『どのみち君は彼と別れることになるんだ。それならいっそうのこと…』
「…さい」
『?』
「うるさい!」
『………』
「絶対に手は離さない! ダンテは大切な仲間だもの! 友達だもの!」
 仮面の男の体が薄くなっていく。その姿が消えようとしている。
「ダンテを助けたい…だから…私は絶対にこの手を離さない!!」
「―ありがとう。ノゾミちゃん」
「!?」
 ロープに強い力が加わった。そして剣がタンクの中へと投げ込まれる。
「ギャァァァ…」
 エコーズの額に剣が突き刺さった。剣はエコーズの体を貫通して木馬も破壊した。エコーズの赤い瞳が消失し、汚泥の中へと沈んでいく。
「よし! ダンテを引き上げるわよ!」
「…うん!」
 ソネットとノゾミはロープに力を込め、ダンテを無事タンクの外へと引き上げた。
「ダンテ…」
 ダンテが生きていることを確認すると、ノゾミはダンテに抱きついた。ダンテの体についている汚泥が、自分に付着しても気にならないようだ。その光景をソネットは複雑な思いで見つめていた。
「ノゾミちゃん」
 ソネットは涙を目にうかべているノゾミに話しかけた。
「あらためてお礼を言うわ。ダンテを…息子を助けてくれてありがとう」
 ノゾミは「ううん」と首を振った。
「ありがとう…ソネット…」
 ノゾミはそれだけ言うとまた涙ぐんだ。
「それと、1つだけ言わせて」
「?」
 ソネットは「コホン」と咳を1つするとノゾミと向きあった。
「…お義母様は…まだ早いと思うわ」
「? お義母様?」
「そう。だって急にそんなこと言われたって私もどうしていいかわからないし。それにあなた達の年齢だって…」
「私…言ってない…」
「…へっ!?」
 どうやらソネットの妄想だったようだ。


キンッ! キンッ! キンッ!!
 薄暗い浄化設備の中で金属音が鳴り響いた。キクとイボガエルが戦闘を繰り広げているのだ。2人とも狭い空間のうえ、薄暗いため十分力を発揮できないでいる。
 それでもキクの方がイボガエルより一枚上手だった。彼女は夜目が良く、多少の暗さでも平気なのだ。
キンッ!!
「くっ!」
 イボガエルの氷で造られた剣が粉々に砕け散った。その瞬間、イボガエルの右肩が裂けた。赤い鮮血が地面と汚泥に飛び散った。
「ぐわあぁ!」
 イボガエルは慌てて後ろへと後退した。傷は深く、血が止まる様子はない。
 滝のように汗を流すイボガエルを見て、キクは「クスリ」と微笑んだ。
「S級犯罪者もたいしたことないな…もしこのまま何もしゃべらないのなら、次は首が飛ぶよ」
 イボガエルは荒い息をしながら「クククッ」と笑った。
「…さすが死帝といわれることはありますねぇ。まさかこれほどとは思いませんでしたよ…」
 キクがイボガエルへと間をつめる。すでにイボガエルから戦意は失われている。キクにとっては最大のチャンスだ。
「今は大切な時だ。1人でも欠けるとやっかいでね。ここは退散させていただきますか」
「…それを許すと思う?」
「…ケケ…」
 次の瞬間、イボガエルは10mはある管へと飛び移った。
「!? 逃がすか!」
 キクが追撃しようとした時、彼女の耳に風を切る音が入ってきた。それは真っ直ぐこちらへと飛んでくる。銃弾かとキクは判断し、素早く後ろへとかわした。
 それは「グシャ」と地面へと転がった。
 赤毛の女の生首が悲しそうにキクを見つめていた。
「…ひどい…な」
 呆然とするキクに、獣の笑い声が暗闇の中から聞こえてくる。
 それは徐々に小さくなり、そして消えていった。


『汚泥からの挨拶(4)』


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