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作品名:赤い雫 作者:牛を飼う男

第16回   汚泥からの挨拶(1)
 フルートの透き通った音色が聞こえてくる。森が優しくさざめき、鹿が草を食べることをやめて振り向いた。鳥達がその音色を仲間だと勘違いして布で覆われた屋根にとまった。
 その荷馬車には客が4人乗っていた。従者が馬に鞭をいれる。馬は一声鳴くと足を速めた。
 フルートの音色がやんだ。すると乗客の3人は大きな拍手をした。
「すばらしい! 君は音楽家か何かかね?」
 シルクハットをかぶった男が大きく拍手した。
「そうです。彼女は宮廷音楽家です」
 フルートを吹いた女の隣にいた赤いリボンを胸につけた男が言った。男は少し自慢げだ。
「いえ…そんな立派なものでは…」
 女は恥ずかしそうに俯いた。肩にかかった赤い髪がサラリと胸に落ちた。
「………」
 シルクハットの男の隣にいる、剣をかかげた筋肉質な男は、何も言わないが頷いている。
「すばらしい! ぜひ家に来て演奏していただけないか?」
「よろこんで。なあ?」
 リボンをつけた男は女の肩に手を置いた。
「…はい」
 女は頬を赤く染めているが、まんざらでもなさそうだ。
「はは、これはいい。それでは家に帰ったら使用人達に…」
ガタッ!!
 急に荷馬車が大きく揺れた。4人は危うく体制を崩しそうになった。
「なっ!? なんだ!? これは!?」
 シルクハットの男が大声をあげた。従者のミスが気に入らないらしい。
「こら! 君! もっと上手に運転したま…」

『赤頭巾ちゃんは言いました。おばあさん、なんて大きな耳なの』

 唐突にしゃがれた声が4人の耳に入ってきた。それは気味の悪い声だった。
 屋根の上から聞こえてくる。
 兵士は腰にかけている剣に手を置いた。
 馬車は「ガタガタ」と何事もなかったように進む。
「…エリック」
 女は不安なのか男の腕に触れた。
「大丈夫だよ。ここには屈強な兵士がいるんだ」
 エリックと呼ばれた男は女を落ちつかせようと優しく声をかけた。
『おばあさんは言いました。それはお前の声をよく聞くためだよ』
 気味の悪い声はまだ聞こえてくる。
「止めろ! 馬車を止めろ! はやくせんか!」
 シルクハットの男が従者のいる布を強引にめくった。
「なっ…」
 男の顔から生気が急激に失せていく。
 従者の首は180度反対側に曲がっており、悲しそうな表情で男を見つめている。口からベロリと赤い舌がたれた。
『赤頭巾ちゃんは言いました。おばあさん、なんて大きなおめめなの』
「うっ、うわあ!」
 シルクハットの男はその場から飛びのいた。すると、屋根の上から何かが落ちてきた。兵士は素早く剣を抜くと身構えた。
 馬車はまだ「ガタガタ」と進んでいる。
『おばあさんは言いました。お前をよく見るためさ』
 その落ちてきた者が気味悪い声の正体だったようだ。それはゆっくりと起き上がると4人を見据えた。ガッと鋭い爪をした手が馬車の端を掴んだ。
「はっ!」
 兵士はためらわず剣をそれに振り下ろした。
ガシッ!!
『赤頭巾ちゃんは言いました。おばあさん、なんて大きなおててなの』
「なっ!?」
 剣は止められていた。それは素手で、鋭利で大きな剣を止めたのだ。兵士の顔から血の気が失せていく。
『おばあさんは言いました。お前をつかむためさ』
 それが4人の前に姿を現した。その男の顔は奇妙な図が描かれている布で隠されていた。見えるのは牙のある大きな口と鼻だけという異様さだけだった。
「…おっ…お前まさか…」
 シルクハットの男が震える手で指をさした。男の記憶に、ある手配書が浮かんだからだ。それは帝国軍からきた手配書だった。
 その手配書に載せてあった写真と、目の前の男はピッタリだった。
『赤頭巾ちゃんは言いました。おばあさん、なんて不気味な口』
 それは顔をフルートを持ち脅えている女に向けた。口元が卑しくニタリと笑った。鼻がヒクヒクと動いている。
「―S級犯罪者…『ハイエナ』…『ハイエナ』だ!」
 シルクハットの男の目が大きく見開いた。それはこの世の絶望を見た者の目だった。

『おばあさんは言いました。それはお前を食べるためだよ! ハッハッハ!!』

 ハイエナの黒い舌が唇を舐めた。


 作業着を着た男が2人、薄暗い地下の浄化設備で働いている。
 1人は20くらいの若い男。もう1人は40ぐらいの年配の男だった。
「…最近虫が多くなりましたね」
「夏だからな」
 若い男が年配の男にモンキーを渡す。年配の男はそれを受け取ると用水管を開け始めた。用水管は地下天井近くにあるので、年配の男は脚立を使って作業に取り掛かっていた。
 茶色く薄い光が唯一の地下での灯りだった。
「汚泥がこんなところまでつまってやがる」
 「まったく」と管のネジを回す。ネジが悲鳴のように「キイキイ」と音をたてる。
「そういえば知ってます?」
「何を?」
「研究所の連中がセカセカしてる理由」
「知ってるよ」
 年配の男がネジを若い男に渡す。若い男はそれを受け取ると地面に置いた。
「連中、赤い眼をした女の子を待ってるんだ」
「赤い眼? もしかしてファーストチルドレン?」
「ああ、連中は確か女神とか何とか言ってるがな。それが来るから機材をかき集めてるんだ」
「いつくるんですか?」
「さあな。ただ、少女を確保した庸兵団がエコーズにやられちまって、代わりにハンターのソネット親子が連れてきているんだと」
「ふ〜ん…」
「おい、汚泥を取り終わったからネジをくれ」
「はいよ」
 年配の男は手馴れた手つきでネジを締め始めた。男のビニール手袋に茶色い汚泥がこびりついている。
「しかし急にどうしたもんかね。たかが女の子1人にあの騒ぎよう。エリニュスともあろう組織が何をあんなに慌ててるかね」
 男は若い男が何か言うものだと思い話を一旦止めた。しかし、若い男は何も言わなかった。
「…今時ファーストチルドレンとはね。とっくの昔にいなくなったと思ったのにな。もしかすると何か一大事が起こるかも知れんぞ」
 「ブーン」と茶色い虫が男のビニール手袋にとまった。イナゴだ。男はうっとおしそうにそれを払いのけた。
「…さてと終わりだ。休憩に行く…」
 脚立の上から後ろを振り向くと若い男が倒れていた。目は大きく見開き、顔に紫色の斑紋ができている。口からは透明なヨダレを垂れ流している。
「おいっ! どうし…」
 ブーン…ブーン…
 男の耳元でその音が聞こえた。恐る恐る横に振り向くと、そこには大量の茶色い虫が羽を開かせていた。数は何百匹といただろう。
「うっ! うわあ!!」
 驚きのあまり腰が抜けてしまい、男は脚立から転げ落ちた。
「痛ててて…」
 コツン…コツン…
 仄かな灯りの外から虫の羽音とは別に足音が聞こえてきた。それが灯りの中で姿を現した時、男の恐怖が一気に全身を加速した。
「おっ…お前…S級犯罪者の…『イナゴ』…」
 一斉にイナゴが男に襲いかかり、そこで男の言葉は途切れた。
「…ハイエナはどうした?」
 銀縁の眼鏡をかけ、黒い皮の服装をしたイナゴが呟くように言った。イナゴの口は黒い布で隠されていた。
「ああ、ここに来る途中でお腹がすいたそうでね。今食事に出かけてますよ」
 イナゴの後ろからギョロリと目を回すイボガエルが静かに言った。
「たいした余裕だな。本当に女神は来るのか?」
「間違いありませんよ。彼の鼻は本当によくききますから。それに彼がいないほうがいいでしょ? お腹がすいた彼はとても凶暴ですよ? 下手するとあなたの使役が食われちゃいますよ?」
「…そうだな。あまり関わりたくない奴だ」
 イナゴは踵を返した。
「皆さんはちゃんと着ていますか?」
「着ている。今頃処理してるさ。それよりお前はどこに行く気だ?」
「少し…ね。気になることがあるんですよ」
「なんだ?」
「女神の傍にハンターがいるんですよ。通称ソネット親子といわれています」
「たいした問題ではないだろう?」
 イナゴが「ふんっ」と唸った。
「そうですねぇ。それだけだと問題はないのですが…ただやっかいなことに帝国軍第4類も2人いるんですよ」
「!? 死帝がか!?」
「ええ。さすがにこれはやっかいかと…そこでですねぇ。今から私が彼らの力を試してきますよ」
「…大丈夫なのか。まだ目的は達成されていないぞ…」

「―心配ありませんよ。少し…遊んでくるだけです―」

 イボガエルは両手を背中で組むと、ペタペタと奥へと歩いて行った。


「うわくっさ。何ここ? どうしてこんな所に出るの?」
 キクがあまりの臭さに鼻をつまんでいる。
「どうやら汚泥みたいだな。この茶色いの」
「汚泥って何?」
「いわゆる糞尿のことさ。ついたら臭いがとれねぇぞ」
 カンタロウのニヤケタ笑いにダンテは「うわ〜」と舌を出した。
「………」
 ソネットはさっきから黙り込んでいた。なぜなら、ノゾミの様子がおかしいからだ。いつもならダンテと離れてキクの傍についていくはずなのに何故かノゾミはダンテの傍を離れようとしない。こういった小さな事もダンテのこととなるとソネットは見逃さないのである。
「ねえノゾミちゃん」
「?」
 ソネットは我慢できずにノゾミに声をかけた。
「どうしてさっきからダンテの腕をつかんでいるの?」
「………」
 ノゾミはソネットから何か異様な気配を感じ取ったのか答えることに躊躇した。その態度がまずかったのかソネットがますます問い詰めてくる。
「おいおい、ノゾミは恐いからダンテにつかまってるんだろ? そんなに追求することじゃないだろ」
「…だって」
 カンタロウに怒られてソネットはしゅんと引っ込んだ。確かにやりすぎたなとソネットも思った。しかし、ソネットはまだノゾミに疑惑の目を向けている。
「…っと。駄目ね」
 キクが急に立ち止まった。
「何? どうしたの?」
 ソネットがキクに尋ねると、キクはチョイチョイと指を前へと出した。その指先には道がなく、汚泥が溜まっている。
「うわっ、こりゃ駄目だ。先に進めねぇや」
 カンタロウがまいったと言わんばかりに頭をかいた。
「どうなってるのよここ。まさか自然にできたのかしら?」
「それはないわね。さっきカンタロウがスイッチを見つけたでしょ? ここは人口で造られた場所なのよ。いわゆる浄化センターってやつね」
 キクがスラスラと答えた。
「ともかく。ここが人口で造られた以上出口はあるはず。カンタロウ、ここマッピングしといて」
「あいよ」
「他をあたりましょ。きっと進めるはずよ」
 キクはサクサクと別の道を進み始めた。ソネットは「さすが帝国軍ね」とお世辞を言った。
 4人が道をマッピングしている間も、ダンテとノゾミは和気藹々とおしゃべりをしていた。キクとカンタロウはお気楽なものだと特に相手にもしていなかった。…ただ1人を除いて…。
「ペットを飼うの。白い犬」
 ノゾミはダンテに顔をよせた。
「ペット? 犬を飼ってどうするの? 猟犬にするの?」
 それを見事にまでダンテは無神経に返した。
「違うわ。ペットにするのよ。私達で可愛がって育てるの」
「どうして? 育てて犬を食べるの?」
「…もういい」
 2人のやりとりにキクとカンタロウが苦笑した。カンタロウはついこらえきれずに吹き出してしまった。
「なっなに?」
「ダンテ。もっとロマンのある男にならなきゃ駄目だぞ」
「マロン? 食べ物?」
「いやロマンだ。いいか。男はロマンだ。夢をもって生きなきゃならないんだ」
「嫌だよ。夢よりもお金が大事だもの」
「…そりゃそうだ」
 ダンテの言葉にカンタロウは納得した。
「言いくるめられてどうするのよ。それよりさ…」
 キクがノゾミに視線を送った。誘われるようにダンテがノゾミを見ると、ノゾミはソッポを向いていた。不貞腐れたらしい。
「わかった。飼うよ。白い犬を2人で飼おう」
「…ほんと?」
「うん。立派に育てようよ」
「…うん」
 ノゾミの機嫌が直ったのでダンテはほっとした。
「なかなかお似合いのカップルだねぇ。俺の若い頃を思い出すよ。…いい思い出ないけど」

「―そうね。何故か、わ・た・し・は入ってないんだけどね」

 ソネットがカンタロウの肩を握った。手には血管が浮き出てるほど力が込められている。
「あっ…キク。ソネットさんが僕の肩をものすごい力で握ってくるんだけど…これって熱い友情の証かな?」
「熱すぎて肩の骨折られないようにね」
 キクが興味なさげに適当に返事を返す。
 ―おかしい。
 ソネットは親指を口にくわえた。
 さっきからこの2人…まるで将来一緒になるかのような会話をしてるじゃない。
 なに?
 どういうこと?
 この2人…どうしてこんな会話をするようになったの?
 まだ子供なのに…
 まだ子供なのに…
 ソネットは「まだ子供なのに」を繰り返し呟きながらカンタロウの肩をギュウギュウ握ってくる。さすがに剣士だけあってソネットの力は強く、カンタロウがすでに白い泡を吹き始めていることに彼女は気づく事もなかった。キクが見かねてソネットの行動を止める事によって、カンタロウの肩は砕かれずにすんだ。
 それからしばらくして…
「―っとまあここまできたけど…」
 キクが笑顔でパンッと手を叩いた。
「まいったねこりゃあ」
 とても可愛い声で4人に言った。それを聞いた4人の顔は明るくもならず、暗くもならず、無表情だった。
「…どうするの」
「何が?」
 ソネットの暗い声に、キクはあくまで可愛らしい声で返した。
「全部…行き止まりじゃない」
 5人が進んだ道はすべて汚泥が溜まっており、進む事ができなかった。ここが最後の砦だったのだが、あっけなく崩された。
「…そうね。困ったわ。こうなったら汚泥の中を進んでいくしか…」
「冗談言うなよ。汚泥から硫化水素やガスが出てるんだ。すぐにまいっちまうよ。深さだってこの汚さじゃわからんし…」
 カンタロウはキクに突っ込んだ。
「とにかく地図を見てみましょ。それから考えればいいわ」
「…あっ」
 ダンテが急に声を上げた。
「どうしたの? ダンテ?」
「母さんここにハンドルがなかった?」
「そういえば…あったわね」
「ここにも」
 ダンテは地図のAという記号とDという記号を指差した。行き止まりは全部で5つあり、カンタロウはABCDEと印をつけておいたのだ。
「うむ…もしかするとここと、ここを締めれば汚泥が引くように出来てるんじゃないか?」
「…そうかもね。とりあえずやってみましょ。何もしないよりかわいいかもしれない」
 キクはナデナデとダンテの頭を撫でた。ダンテは少し照れたが、ノゾミはムッとしてそれを見ていた。そのノゾミの行動もソネットは見逃さなかった。
「二手に分かれましょ。私とソネットがA地点に行くわ。カンタロウとダンテとノゾミはD地点をお願い」
「了解」
 カンタロウは立ち上がった。
「ちょっと待って!」
 ソネットが手を上げた。どうやら決定が不服らしい。
「何?」
「私とダンテの方がいいわ。長年コンビを組んできてるし」
「駄目よ」
「どうしてよ!」

「―だって。私達はまだあなた達を信用していないわ」

 キクの言葉にソネットの息が一瞬つまった。
「お互い信用し合うには別れたほうが無難でしょ? 逃げられないようにね―」
 キクののんびりとした目つきが急に険しくなった。
「………」
 ソネットは何も言えなかった。言いたいことはあったが、今はこの状況を打破するほうが先決だと心が叫んだ。
「…いいわね」
 その有無を言わさないキクの言葉に、ソネットは渋々頷いた。
「カンタロウなら大丈夫。つきあってみてわかったでしょ? この人はけっこう抜けてるから」
「お前それは失礼なんじゃない?」
 キクは言い過ぎた分を挽回しようと言ったのだが、それはカンタロウを逆に傷つけていることに気づいていなかった。
「母さん。僕は大丈夫だよ」
 ダンテは初々しくもソネットを励まそうとした。
「…ダンテ」
 ソネットはそれが嬉しくて少し微笑んだ。

「―僕とノゾミは結婚したんだ。彼女は僕が守ってみせる。だから心配しないで―」

 …一瞬時間が止まった…そして…


「「「はあっ!?」」」


 っと、3人の叫びが地下道に木霊した。


『汚泥からの挨拶(1):了』


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