今日も外に出て掃除をする。木は生きるために葉を枯れさせる。そして力尽きて落ちてきたその葉っぱを私がほうきで掃く。 塵取りの中に葉を入れると、葉っぱを集めて燃やした焚き火にそれを入れた。 曲がった腰を真っ直ぐ戻す。詰まった血液が全身を駆け巡り気持ち良い。 「…寒くなったものだな」 シワだらけとなった手を見て熱い息を吹きかける。この寒さは年にこたえる。 もう自分は何年生きただろう? 今年で70歳になる。楽しみは息子の孫を相手にすること。あとは集会で同じ年の連中と話すぐらいか。 それでも人生は楽しい。 孫は4歳となる女の子だ。初孫だから本当に可愛い。 いつも私の傍に寄ってきてくれる。今は朝が早いからまだ寝ているだろう。息子はもう会社に行ってしまった。 「…ん?」 地面を見てみると赤い花びらが落ちている。この花びらはどこから落ちてきたのだろうか? 小さな花びらだ。木の葉っぱよりも小さい。
ヒュー…ヒュー…
冷たい風が顔をかすめる。顔に何かが当たった。体が反応できず、顔から落ちていくそれを見る。 それは赤い花びら。血のように赤く。とても弱々しく地面へと落ちていく。 空を見上げると…赤い花びらが世界を覆っていた―
―気がつくとお花畑に立っていた。お花畑には赤い花が咲いていた。それが何十本…いや何百本と咲いている。 とても奇妙な光景だった。 ここは天国かと思った。 天国に行くにしてはまだ死んでいないのではないか? それに何故…私はここにいる? 頭が混乱する。 確か私はいつものように朝早く起きて庭の掃除をしていた。それは会社を退職してから身についた習慣だった。今日も庭に出て掃除をし、集めた葉っぱを燃やしていた。 「…ここは」 思っていることが声に出る。赤い花びらが一斉に飛び散っていく。それはまるで生き物のようにウネウネと舞っている。
「―――」
誰かの声がした。
ヒュー…ヒュー…
寂しい音を鳴らす風が顔をかすめた。 「…誰だ?」 振り向くと舞い上がる花びらの向こう側に誰かがいた。近づこうと歩き始める。「カサリ、カサリ」と花を踏み潰す音がする。 ―そこには子供がいた。 13人にいた。 5人が地面から飛び出している岩の上にいる。あとの8人は地面に立っていた。そして皆共通なのは…『赤い眼』。 その『赤い眼』は血のように赤く。獣のように凶悪な光を含んでいた。 この年になって私はその子供達を恐れた。見たこともない子供達だ。全員の顔が何かを悟ったように大人びているのも恐い。 「―――?」 真ん中の岩の上に立っている子供が私に何かを言った。 「…なんだって?」 声が聞こえず私は言った。
「…お前は…『死』を受け入れられるか?」
高揚もなく、感情もなく、そして見下すようにその子供は私に言った。
「…何を言って…」 驚いて私は口を開けた。言葉がそこでつまった。「クスクス」と4番目の岩に座っている子供が笑った。 「この世界は滅ぶ。お前はそれを望むか?」 もう一度真ん中の岩の上にいる子供が言った。 「馬鹿な…望むわけがないだろう」 しわがれた声で精一杯言った。 子供の言っている意味がわからない。私はこのお花畑で死ぬということなのか? こんな死に方は私の意思ではなかった。できるならば、息子に、孫に、手を握られながら死にたいと理想を描いていた。 「いいだろう。お前は生かそう」 やはり高揚のない声でその子供は言った。2番目の岩に立っている子供が黙祷するかのように眼を閉じた。
「―新しい世界でお前は変わる。そこには地位も、名誉も、家も、子供も、そして大切なものすらいないがな」
「初めソレを見たときは興奮した。母にオルゴールをプレゼントされたように、父に名匠がつくった剣をプレゼントされたように、私は喜びで溢れていたのだ」 玉座で男は呟くように言った。ノゾミとダンテは注意深く男を見つめていた。 「…ノゾミ」 ダンテはノゾミを自分の後ろに隠れさせた。ノゾミは素直にダンテに従った。 「私はソレがどんなものか知りたかった。当然父は怒り、母は狂っているといい、兄弟親戚は私から去っていく。それでもやめられなかったのだ。だからだ。誰にも邪魔されないようにソレをこんな田舎に移し、私は死んだと医者に書かせた。これで父は帝国にこのことを報告することはない」 「あなたは…誰なんですか?」 「私か? 私は…そう、私はディドリッヒ。確か隣には精神科医がいたはずだ。あの男はどうした?」 「?」 キョロキョロとディドリッヒは周りを見回した。その姿を不信そうにダンテとノゾミは見つめている。 「もうソレは完成している。あらゆる肉をつなぎあわせた。奴らはマルスオフとも『協調』できる。そして完成したのだ」 ディドリッヒは親指を口に咥えた。さっきまでの態度とは違いオドオドとしている。 「待て? ノゾミとは何だ? お前達は誰だ? 私は何故ここに居る? 私は確か…地下の氷の牢獄に…まさか。まさか! ありえない! 馬鹿な! 馬鹿な!」 「ああっ…」とディドリッヒは頭を抱えた。 「そうか。『赤眼の者』は主人格と副人格を持つという。その方法で私に! だが、馬鹿な! アレに人格などあったのか!」 ノゾミがダンテの傍に寄り添った。体が震えている。ダンテはチラリと心配そうにノゾミを見る。 「なんということだ…はは。素晴らしい発見だ。エコーズとはつまり…旧世界の『人間』なのだ」 ディドリッヒが立ち上がった。体を黒い闇が覆った。それはとても邪悪な色をしていた。ダンテとノゾミは成すすべもなくその様子を見つめていた。 黒い闇が四散して姿を現したのは、騎士のような姿をした男だった。 男の目が開いた。それはノゾミと同じく『赤い眼』をしていた。 「…久しぶり…だな…アカイ…アクマめ」 騎士は憎々しげにノゾミに言った。そして腰につけている剣を抜き、その剣先をノゾミへと向けた。それは明らかにノゾミに敵意を抱いていた。 ダンテは剣を騎士に向けて構えた。 「なんだ? お前は?」 「僕はダンテだ! どうしてノゾミを狙う!」 「なぜ狙う? お前はこの世界の人間か?」 「そうだ」 「そうか…ならばお前も我等の敵だ」 騎士は胸の鎧を開いた。そこには円形のくぼみが2つあった。 「前の世界での名前は忘れてしまった。今はお前達『排斥者』が名づけた名前。エコーズ『ダークベル』だ」
『カン!!!!』
凄まじい音波が2人を襲った。騎士の周りの壁が陥没し、丈夫そうな柱が音圧で吹き飛んだ。 「!!」 ダンテがその音波をあびる前に、ノゾミがダンテの前に立った。そして手を出し、何かの魔法陣を空間に描き、その音波を無効化した。そのためか、ダンテとノゾミは泡の中にいるように、白い空間ができあがっていた。 「…ほう。力は覚醒しているのだな?」 黒い鎧をまとった騎士は言った。 「…すごい」 ノゾミが音波を防ぐ姿を見てダンテは驚愕した。 「あなたは…その力を使ってこの村の住民を…」 「そうだ。この力で村の住民を今日の朝すべて呼び寄せた。そしてマルスオフに変えてやったよ。お前のために準備してやったのだ」 騎士はノゾミに向かって嘲笑った。 「どうしてなんだよ!? この村の住民には罪はないじゃないか!」 ダンテは叫ぶように言った。 「罪はない? 罪はないだと? このゴキブリどもが! 貴様らが我等の住む世界を奪ったのだ! 私の大切な者を!」 騎士は剣を持ち直し、ノゾミに向かって走り出した。ダンテはノゾミの前に立つと、剣を構え、騎士に向かっていった。 「ダンテ!」 ノゾミが叫ぶと同時に騎士とダンテの剣がぶつかった。赤い火花が2人の周りを舞った。 「くっ!」 ダンテは力負けし、後ろに吹き飛ばされた。しかし、ダンテは鋭い反射神経で地面に倒れることなく立ち上がった。 「お前達にわかるか? 私は大切なものを奪われ、言語も、理性も、学習までも奪われた。この世界で生まれた時は自己の存在すら理解せず、本能のまま生きざるおえなかった! まさしく私は獣だ! もはや人間ではない! お前達が自分達のことを『人間』だというのなら、私達はいったい『何者』なのだ!」 騎士は容赦なくダンテに剣を打ち込んだ。ダンテは力負けしたことを学習し、その剣を避けることに集中した。 「だから奪ってやったのだ! お前達から人としての能力を! 善も悪も、正常も狂気も、快楽も苦痛さえも!」 騎士は大きく剣を振りかぶり、横へと振った。ダンテはかわしきれず、その剣を自分の剣で受けとめた。 「あっ!」 ダンテは壁へと叩きつけられた。ズルズルと壁から落ちていく。 騎士がノゾミの方へと近づいていく。ノゾミは心配そうな顔でダンテを見ながらも、騎士から逃げようとはしなかった。
「アカイアクマめ。私は女神の下僕にはならない。お前を殺して束縛から逃れてやる。もはや過去には帰れない。私はこの世界の『人間』を皆殺しにする。お前達は世界を我等に『返す』のだ!」
騎士は剣を振り上げた。ノゾミはその剣をかわそうとせず、目を閉じた。 騎士が剣を振り下ろした。地面が大きくえぐれた。そこにノゾミはいなかった。 ダンテが間一髪でノゾミを助けた。ノゾミは驚き、赤い眼を見開いた。 「…ノゾミ…大丈夫。…僕が君を…守るから」 ダンテの額から血が流れていた。その血がノゾミの頬に当たり、地面へと落ちていった。ノゾミにはそれが赤い雫のように思えた。 「………」 騎士の動きが止まった。まるでその様子を見守っているかのように。 「あなたが…どうしてノゾミや僕達を恨むのかわからない。だけど僕はこの子を守る。ノゾミは僕の…友達だから」 ダンテはヨロリと立ち上がると再び剣を構えた。ノゾミはダンテから視線を外せなかった。その痛々しい姿を赤い眼で見つめていた。
「我らが…傲慢なのか?」
騎士は呟くように言った。 「私は孫の顔が見たかっただけだ。私は平和な世界を望んでいただけだ。私は平穏な死を望んでいただけだ!!」 騎士は叫んだ。それは悲痛な叫びだった。狂ったように剣を振り回すと、ノゾミとダンテへと飛び掛ってきた。 「!!」 ダンテは剣に力を込めた。騎士の剣をかわせばノゾミに当たってしまう。ダンテは覚悟を決めた。 「…ダンテ」 ノゾミの手がダンテの頬に触れた。ダンテはノゾミの方を向いた。ノゾミの赤い眼がダンテの目に映った。
「私のことを…守ってくれる?」
ノゾミは言った。その言葉にダンテは微笑んで頷いた。 ノゾミは嬉しそうに笑った。
―赤い光が2人を包んだ。その光は飛び掛ってくる騎士をかき消した。
「まさか…こんなに早く囲まれるとはね」 カンタロウの背にソネットの背が当たった。2人の周りをマルスオフが囲んでいる。そこには大人や子供、犬や猫といった動物まで変貌し、殺気を充満させている。 カンタロウとソネットは剣を抜き、応戦体勢に入っているが、圧倒的な数の多さに追いつめられていた。 「いやぁ…困ったねぇ」 「…あんた帝軍よね?」 「はい、ライセンス持ってるマス」 「欧米か!」 2人が言い合ってる間マルスオフはさらに迫ってきた。 「なんとかしなさいよ!」 「こういうときはいつもキクが戦術考えてくれてるから俺は何もできん」 カンタロウの白い歯がキラリと光った。 「いばっていうことか!」 「じゃあどう言うのか?」 カンタロウの理由のない余裕にソネットはイラだってくる。 「こうしてる間にもダンテが…」 ソネットが剣を構えた。一点を集中して攻めればこの囲いを突破できるかもしれない。だけどそんなことをすれば一斉に襲ってくる。 (どうしたらいいの…) ソネットが考えている間にもマルスオフは迫ってくる。 もう…限界だ。
「レトリックの名において命ずる。白き氷の刃において我が敵を切り裂け」
詠唱が聞こえた。その言葉と同時に、いくつもの氷の刃がマルスオフ達を切り裂いていく。マルスオフは悲鳴をあげた。 その氷の刃の1つがソネットの眼前にせまってきた。 「ちょ…」 ソネットはつい目を閉じてしまった。体に痛みがない。恐る恐る目を開けてみる。 氷の刃は消滅していた。白い煙が空へと舞い上がった。
赤く燃えさかる火の翼がソネットを守っていた。
「大丈夫だったろ?」 カンタロウの白い歯が再びキラリと光った。さらに親指まで立てている。 「…そういうことは早く言ってよ」 ソネットはキクとカンタロウの連携に感嘆した。キクがレトリックの『氷の刃』でマルスオフを蹴散らし、カンタロウがインバルンの『火の翼』で自分と仲間の身を守る。いつのまに2人で合図を出していたのだろうか? 「どうしてキクが術を発動させるってわかったの?」 「勘」 「…マジで?」 さすが帝軍第4類。常識外れだ。 「こんなことで驚いてるばあいじゃないわ。ダンテを探さな…」
「カンタロウ!! ソネット!!」
キクが食堂に飛び込んできた。その顔にはまるで余裕がない。すっかり緊張で顔が引き締まっている。 「どうした? トイレなら反対…」 「違うわよ!! 赤い光が…」 ―その瞬間キクが赤い光にかき消された。 「どっ…」 「なっ…」 ―ソネットとカンタロウも赤い光にかき消される。 城の窓から赤い光が闇へと発せられる。それはまるで灯台のように旅人に道を指し示しているようだ。 ―赤い光はしばらく闇を突き刺し、そして飲まれるように消えていった。
その城は白い雲の上にあった。 「…誰か来るみたいだ」 「へえ…久しぶりの客人だねぇ」 女はめんどくさそうにタバコを吸った。 「メイド、お茶入れといて」 「…メイドってゆうな。このくそガキ」 赤い髪のメイド姿の女が「チッ」と口を鳴らした。それでもしぶしぶと城の中へと入っていく。 「ちょっと待って」 「なんだよ?」
「―お菓子を2つ…用意しといて」
『王のいない城(6):了』
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