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作品名:無限の素子 作者:本間 範子

第8回   序章 異形の少年《ディフェラン》(8)
「懸賞金をもらいたい」
 スティシアがくくっと笑った。
「口の聞き方を知らないようね」
 でもいいわとパンパンと手を叩いた。従者が小箱を運んできて、円卓の上に置き、蓋を開けた。中には金貨が入っていた。
「五十枚もある」
 たしか二十枚だったはずと首を傾げると、スティシアが空になった杯に濃紅の酒を注がせて、また口を付けた。
「それを全部そなたにあげるから、わたくしの相手をしなさい」
 そう言って、顎先で奥の扉を示した。その扉の向こうには寝室がある。エンジュリンが扉をちらっと見てから、スティシアに眼を戻し、椅子の背もたれに背中を預けた。
「不義密通の相手になれと?」
 あまりにまともに聞かれて、スティシアが強張ったが、ため息を付いてから、従者に下がるように申し付けた。従者が戸惑っていたが、きつく言われて、胸に手を当てて居間から出ていった。
 スティシアが杯の縁を指でたどった。
「夫は、男めかけに夢中でわたくしのことなど見向きもしないの、だから、かまわないのよ」
 そなたが罪に問われることはないから安心なさいと言い、立ち上がって、奥の扉をバンと叩くようにして開いた。白い天蓋のかかった広いベッドがあり、その前でくるっと向き直った。
「来なさい」
 エンジュリンが椅子から立ち上がり、まっすぐスティシアを見据えた。
「懸賞金分だけでいい」
 それは正当な報酬だろうと箱から二十枚取り出して、懐の袋に入れた。
「それで不満なら、百枚でも二百枚でも、望むだけあげるわ」
 エンジュリンが首を振った。
「いらない」
 スティシアが怒りに肩を尖らせた。
 部屋を出ようとした。スティシアがその後を追うように居間に戻った。そのとき、扉が開いて、バラバラッと護衛兵たちが入ってきた。
「奥方様、こいつは盗賊の一味です!」
 部隊長らしい男がエンジュリンを縛り上げるよう、兵士たちに命じた。
「盗賊? どういうことなの」
 従者がガウンを羽織らせ、後ろに付いた。部隊長が、胸に手を当てて、頭を下げた。
「こいつの連れのものたちが、ピエヴィに入り込んで、金目のものを盗もうとしていたんです」
 捕らえて、地下牢に連れてきましたと報告した。エンジュリンが抵抗もせずに縄で縛られ、引き立てられて行った。
 スティシアが自分も尋問に同席するからと部隊長に言い、従者に着替えを手伝わせた。

 城の『奥』から出て、軍務所らしき建物にやってきて、馬繋ぎ場の横の小さな扉から地下への階段を降りていった。二階分ほど降りたところで、広い通路に出た。立ち止まって周囲を見回しているエンジュリンの背中をドンと押した。
「なにしてる、さっさと歩け」
 通路の奥に鉄格子の扉があり、施錠がされていて、それを開けて、さらに奥に進んでいった。やがて、両脇に鉄格子の嵌った牢が見えてきた。みんな両手両脚に鉄の輪を掛けられて、鎖につながれていた。さんざん痛めつけられた後らしく、服はぼろぼろで血が滲んでいて、痣だらけで、ぐったりとしていた。突き当たりを左に折れたところに円形の広場になっているところがあり、その壁にふたり、両手両脚を広げて貼り付けられていた。
「兄さん、リギルト」
 ふたりしてうなだれていた頭を上げた。
「エンジュリン、おまえまで」
 掴まってしまったとはとラトレルがはあとため息をついた。
「なんで、掴まったんだ」
 エンジュリンがラトレルの隣に同じように貼り付けられながら、尋ねた。
「こいつのせいだ」
 ラトレルがぷいと横を向いた。リギルトがぐすっと鼻をすすった。
「ごめん、俺、腹が痛くなって」
 酒はほどほどにしたのだが、控室に用意されていた、ゆうに五人前はあるご馳走を全部平らげてしまった。それで、入り込もうとしたときに、腹が痛くなって、厠に駆け込んだところ、見つかってしまったのだ。
「それなら、しかたないな」
 エンジュリンがもう痛くないかと優しく声を掛けた。リギルトが泣きはらした眼をエンジュリンに向けた。
「うん、もう痛くない」
 よかったと微笑むエンジュリンにラトレルが真っ赤になって怒り出した。
「なにがよかっただ、おまえはほんとにこいつに甘いんだから! だいたい、なんでおまえまで掴まるんだ!」
「逃げるのいやだったから」
「ばかか、おまえは! 逃げて助けにくるべきだろうが!」
「兄さんこそ『使って』さっさと逃げればよかったのに」
師匠に叱られるけどと言ってラトレルをますます怒らせた。
 部隊長が鞭を振り上げて、床を叩いた。
「おまえら、自分たちの立場わかってるのか!」
 ぐだぐだと言い争ってと怒り出した。ラトレルとリギルトは首をすくめたが、エンジュリンはまったく動じず部隊長の後ろに眼をやっていた。
 鈍緑色の外套を着たスティシアが従者とともに歩いてきた。
「奥方様」
 部隊長はじめ兵士たちが片膝をついて、ひざまずいた。用意した椅子に座り、顎を上げた。
「尋問、始めなさい」
 はいと了解して、部隊長がラトレルの前髪を掴んで、顔を上げさせた。
「いったい、ピエヴィに金目のものがあるなど、誰から聞いたんだ」
 鞭の柄で頬をぐりっとえぐった。
「そういう噂を耳にしたからだ、誰からというのではない」
 フンと部隊長が手を離し、二、三歩離れてから、鞭を振り上げた。
「ぐっ!」
 ラトレルが、顔を歪めてぐっと歯を食いしばった。
「ピエヴィには、鉄くずしかない、金目のもの目当てなどに入り込んでも無駄だったな」
「知らなかったんだ、金貨とかあるかと思ってた……」
 もう一度振り上げて、力いっぱい叩き付けた。
「大胆にもほどがある! 痛い目に会わせてやるっ!」
 何十発が乱打してから、部隊長が手を止めた。息を上げながらも悲鳴ひとつ上げないので苛立ったのだ。
「悲鳴も上げないとは、なかなか、しぶといな」
 脱がせろと兵士に命じた。直接肌を叩かれたら、さすがに応えるだろう。両脇から服を脱がせようとした。
「やめろ、よせっ!」
 ラトレルが顔を赤くしてもがいた。スティシアが従者を呼び、耳元で何事か命じた。従者が部隊長に伝えた。
「やめろ」
 部隊長がラトレルの服を脱がせるのを止めた。スティシアが椅子から立ち上がり、エンジュリンの前までやってきた。
「お金が欲しいくせに、なぜ断ったの」
 エンジュリンが眼を細めた。
「あなたを欲しいと思わなかったから」
 スティシアの平手がエンジュリンの頬を叩いた。
「なまいきな」
 スティシアが手を振った。部隊長が部下に槍を構えさせた。
「わが自治都市の法では、盗賊匪賊の類は、見つけ次第、殺していいことになっているわ、そなたたちはみな、この場で殺します」
 槍先が三人の横腹に付いた。リギルトがどうしようと眼を真っ赤にした。ラトレルが隣で平然としているエンジュリンに小声で言った。
「これは命の危険だよな」
「限りなくそれに近いが、まだまだ」
 ラトレルがえっと強張った。鋭い槍の先が横腹を突付き、血も染み出している。
「これがそれでなくて、なにがそれなんだ!」
 ラトレルがエンジュリンの方に身を乗り出すようにして怒鳴った。リギルトがううっと泣き出した。
「ふたりともけんかしないでよっ……」
 きっと睨んだエンジュリンが精一杯足を伸ばしてラトレルを蹴ろうとした。
「リギルトを泣かせたな」
 泣かせたのはおまえだとラトレルも足を伸ばして蹴ろうとして、ガチャガチャと鉄鎖が擦れる音を立てた。
「やめなさい!」
 スティシアが声を高めた。ラトレルとエンジュリンが動くのを止めた。
「その妙な余裕はどこから来るのかわからないけれど」
 手にしていた扇の先でエンジュリンの頬を撫でた。
「わたくしの相手をしたら、三人とも命を助けてあげるし、お金も欲しいだけあげるわ」
 エンジュリンが扇を避けるように顔を逸らした。
「断る」
 スティシアがそうと眉を吊り上げて恐ろしい顔をした。
「部隊長、このものたちを明日獣の餌にしてしまいなさい」
 闘技場でと言い残して、去っていった。
部隊長が、兵士を何名か残して見張りに立て、離れていった。
 ラトレルが口の中でこそっとつぶやいた。
「……逃げよう」
 今すぐにこっそり逃げれば、これ以上大ごとにならずにすむが、明日闘技場に連れて行かれたら、暴れるわけにはいかない。
「……いやだ」
 エンジュリンがつぶやいた。もうラトレルが我慢できずに鎖を引きちぎろうと力を込めた。だが、ちぎれる前にエンジュリンが止めた。
「……『使って』逃げるの、まずいだろう」
 それもそうだがとラトレルが力を抜いた。
「いずれにしても、今回の指令は失敗だな」
 エンジュリンがやれやれとため息をついた。誰のせいだとラトレルががっくりと肩を落とした。


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