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作品名:無限の素子 作者:本間 範子

第55回   第一章 異端の少女《エレズィエト》(43)
 基地の屋根に当たるあたりから太い管が四本、天井から壁際を這うようにして地下に降りていた。天井の上は湖になっているとのことだった。その湖から飲料水含めた生活用水に使うための水を取り入れて、地下の貯水槽に溜められるのだ。ユラニオゥム発電所の冷却水は海水を汲み上げて使用するようになっていた。
 エンジュリンが、浮かび上がって、天井から出ている配管に触れながら、下でモニタに映し出されている点検表を見ているインクワイァに小箱を使って点検結果を報告していた。
『…55002号管、ヴィス・アーレドゥ、ヴィス・ヴァントォロワァ、要更新、55003号支管全更新……』
 素手で触れながら、管の各部の劣化具合を点検していた。本来は全更新したいところなのだが、すぐに全取替えは無理なので、更新のレェベェルを下げて、緊急性の高いところからしていこうということになった。
 この基地では、海水を汲み上げて真水にするプラントではなく、湖水を生活用水にするような仕組みで作られていた。湖水にしろ海水にしろ、飲料用に浄水する高機能濾過膜がないので、飲料水だけはマリィンで作り、湖水は簡易浄水して、ポットやシャワーの用水にすることになった。
 ベェエスが撤去されていたので、管理関係のデェイタファイルはなかったが、エンジュリンが最初に巡回して、最低限必要な施設管理の点検表や備品表などを作成し、作業に使うことにした。もちろん、すべてエンジュリンが自分の記憶から作成したものだ。
 カージュから脱走してきた違反者の中に、第五大陸のバレー・サンクーレの中央管制室でワァアクしていた助手がいて、エンジュリンと共同作業することになった。
 エンジュリンは、中央研究棟の二階に管理室を作り、輸送マリィンからもタァウミナルや空中線を持ってきて、トゥドのマリィンとの網(レゾゥ)を構築し、送電システム、給排水設備システムなどを稼動させた。
 バレー・サンクーレの中央管制室助手のマルクリは、最初素子に対する嫌悪と不信感から非協力的だったが、エンジュリンの的確な指示に驚き、すぐに改めた。設備管理班となったインクワイァやワァカァたちもエンジュリンのヒト当たりがよくて優しい様子に、次第に打ち解けていった。
「更新するヴィスを点検したところで、ここには予備はないだろう」
 レニウスが点検表に入力しているインクワイァの後ろに立って、覗き込んだ。その声は、耳覆いから口元に伸びている集音器を通して、エンジュリンの耳に届いていた。エンジュリンからの返答が聞こえてきた。
『ヴィスの型番形状が分かっているから、俺が鋼鉄を熔かして造る』
 廃鉄材を再生すると言って、また点検作業に戻っていった。見上げると、天井付近に浮かんでいる黒い人影が見える。
「造るって……どうやって」
 だがしかし、エンジュリンが造るというのだから、造れるのだろう。できるから言っているのだ。
 モゥビィルの近付く音が聞こえたように気がして、ちらっと後ろを振り返った。中央研究棟の裏手から延びている幹道を走ってくる黒い車体が認められた。
「エンジュリン、作業中断して、降りて来い」
 レニウスが怒っているような不機嫌そうな声で呼びかけた。
『了解』
 エンジュリンがすぐにすっと降りてきた。近寄ってくるモゥビィルに気が付いて、そちらの方を見つめていた。
 モゥビィルは十セルほど離れたところで停まり、アドレィが先に下りて、後部座席の扉を開けた。小柄な黄色いつなぎ服が降りてきた。
「アスィエ……」
 エンジュリンが戸惑った様子で立ち尽くしていた。レニウスがワゴンのモニタに向かって座っていたインクワイァやワァカァたちに手を振った。
「おまえたち、休憩だ」
 はいと軽く頭を下げて、休憩や食事をとる場所になっているワゴンと椅子のある方へ歩いていった。
 アスィエは困ったような顔を伏せてモゥビィルの横で立ち止まっていたが、アドレィにうながされて、ためらいがちに歩き出した。レニウスが、アスィエが側まで来る前にゆっくりと離れていった。
 耳覆いを取り、小箱から接続端子を外し、ボォウドの横に置いた。アスィエがずっと下を向いたまま、一セルほど離れたところまでやってきて、足を止めた。
「どうした?」
 エンジュリンが優しく尋ねた。アスィエからまだ戸惑いはあるが、嫌悪が薄らいでいて、後悔すら含む波が感じられたのだ。これまでにない気持ちの変化があったと感じた。
 伏せられていた小さな顔が向けられてきた。
「あの……その……燃料棒を……」
 薄紅のかわいらしい唇から消え入るような声が漏れてきた。
「わたしのために」
 エンジュリンが目を細めてうなずいた。アスィエが胸の前で両手をぎゅっと堅く握り締めた。そして、決心したのか、ぐっと肩に力を入れた。
「ありが……とう……」
 搾り出すように言い、なんとか微笑んだ。それを見たエンジュリンが青翠の異形の瞳を見張ってから、また目を細めて首を振った。
「礼なんて……おまえが喜んでくれればそれでいい」
 自分に向けられた微笑。それを見て、心も身体も沸き立ってくる。
 まだ幼い頃に、初めて覚えた淡い想い。それはもっと強い想いに変わっている。それがさらに熱い滾りになっていく。
「いいえ、協議会を裏切ってまでなんて……うれしいわ」
 アスィエの笑みが柔らかく解きほぐれていき、伝わってくる波も暖かくなってきた。
 何をしているのと尋ねてきたので、モニタの前に座らせて、点検表を見せた。
「天井の上に湖がある。そこから地下の貯水槽に送水する管の設備点検をしているんだ」
 点検表の項目を指差した。
「この施設は二百二十年ほど前に建設されたものだ。その後、二回に渡り修復されている。最後に修復されたのは、五十二年前。そのとき外殻区画以外は全更新されている」
 だが、実際に使用される前に撤退していったようで、ほぼ未使用、しかも、ほとんど密閉されていたため、空気の還流がなく、かなり使えるところがあるのだ。
「この送水管も経年の割には、損傷が少ない」
 一部の更新で済みそうなんだと熱心に説明した。アスィエも感心したようにうなずき、説明に聞き入っていた。ふと疑問に思い、肩越しに振り返った。
「素子たちはみんなテクノロジイを憎んでいると思っていたけれど、あなたは違うの?」
 マリィンで海図を作成すると言い出したときもボォウドを使いこなしていた。送水管のことも、仕方なしに検査の手助けをしているという感じはしない。エンジュリンが長い睫を伏せて考え込んでいたが、横にあった椅子を引き寄せて、アスィエの横に少し間を空けて置き、座った。
 薄い唇を一度噛み締め、やがて吐息をついてから話し出した。
「俺は……マシンナートなんだ」
 アスィエがえっと息を飲み、灰色の瞳を見張ってエンジュリンを見つめた。信じられないという風に首を振った。
「まさか、素子でしょ?」
 ああとうなずいて、少し伏せていた顔を上げて、遠くを見るような目をした。
「マシィナルバタァユ(マシンナートとの争い)の頃、トリストという大教授が素子研究を行っていた。偶然採取することができた素子の精子を使って、人工的に素子を作り出そうと計画し、シリィの女性を捕獲して、ファーティライゼーション(人工授精)を行なったんだ」
 そうして出来た素子が自分だった。
「だから、俺はおまえやロイエンと同じなんだ」
 ぎゅっと両手を握り締めて、震わせた。アスィエはただ驚いて声もなかった。
「学院の中には、俺は異端の技で出来た子だから、俺が魔導師を名乗るなど、汚らわしいと嫌うものもいる」
 エンジュリンはずっと苦しんでいたことを吐き出していた。つらそうな顔を伏せ、また唇を噛んだ。アスィエがその様子に胸を衝かれた。
「そんな……わたし、あなたのこと、何も知らないで」
 エンジュリンが顔を上げると、アスィエが眉を寄せ、声を詰まらせた。
「ひどいことばかり言って……ごめんなさい、エンジュリン」
 伝わってくるアスィエの優しい心の波。これがアスィエの本質。愛らしくていとおしい。
 いいんだと首を振っていた。
「やっと名前で呼んでくれたな」
 うれしいと青翠の双眼を赤くしていた。


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