副艦長室を自室にさせてもらったアスィエは、寝る間も惜しんでジェネラルの試験をし、学習能力が落ちていないことを確認する作業を続けていた。 本来は育成棟レェベェルの内容だ、アスィエにとっては、七歳のときまでに終了している。だが、この五年間、地上での生活ですっかり頭の働きが鈍っていた。日々、土仕事や家事、裁縫など、テクノロジイを使えば、楽にできることを手作業でしかも不衛生な状況で強制されていた。時計もなく、時間の経過も曖昧で、タァウミナルに触れることもできず、気が変になりそうだった。 アスィエは祖母や母と同じメディカル分野を希望し、七歳からラボで専門分野の学習をしていた。しかし、三者協議会の認定が済んだ学習のカリキュラムは、『理(ことわり)』の書の内容を取り入れたもので、アスィエにとっては、無意味なものだった。祖母がこっそりと昔の教程で学ばせてくれたので、通常より時間はかかってはいたが、メディカル分野の基礎を習得していた。そのうち、実習などもできるようにと準備してくれていたのだ。 「レジヨンが存続を勝ち取れば、お祖母さまを助け出せる」 キャピタァルを出てから、祖母がどうなったか、まったくわからなかった。素子のせいで精神錯乱になってしまった母のことも心配だった。母は自分のことを子どもだとわからないし、抱き締めてくれたことはないが、つねづね祖母から大切にしてほしいと言われてきたので、アスィエにとっては、慕わしい存在だった。 ライマンドから、祖母が自分のことで三者協議会の議員を罷免され、病棟送りになったと知らさせて、悲しくて泣いてしまった。トゥドが必ず助け出そうと約束してくれて、なんとか気持ちが落ち着いたが、ますます父リィイヴへの憎しみが募っていた。 タァウミナァルで訪問音がして、モニタで見ると、ロイエンが尋ねて来ていた。入室許可して扉を開けた。扉の前に立っていた護衛の黒つなぎのひとりがさっと外で出た。外でなにかドスンと音がして、アスィエが椅子から腰を上げた。それをもうひとりの黒つなぎが手で押し留めるようにし、すぐに外の黒つなぎがひとりで入ってきた。 「ロイエンはどうしたの?」 後ろに立っていた黒つなぎが小さくお辞儀した。 「ロイエンは、警戒態勢レェベェル五のことを知らなかったので、部屋に戻しました」 そうなのとアスィエが寂しそうな顔で椅子に座りなおした。 「アスィエ様、ロイエンはしばらく学習に集中しなければならないので、訪ねてくることは控えさせます」 そうしないと、いつまでたってもボォウドが打てるようになりませんと言われ、しかたなくアスィエも承知した。 何問か問題を解いたとき、艦体が大きく揺らいだ。 「ああっ!」「うっ!?」 アスィエが椅子から立ち上がろうとしたが、後ろから黒つなぎが座らせた。 「立たないで下さい!」 同時に激しい警告音とともに艦内放送が流れ出した。 『警戒警報発令、海底火山の噴火による衝撃、警戒レェェベェル、五から六に上昇』 抑揚のない女の声が響く。底に何か当たっているようで、ガンガンッと音と衝撃があり、艦体が左右に大きく揺り戻りを繰り返している。 『総員、固定帯装着、グランヴァウルの噴火地点を通過する』 操舵主任シュティンの緊張した声が指示した。黒つなぎがすばやくアスィエの椅子の固定帯を装着し、自分たちも壁際に座って、突起から固定帯をひっぱりだして着けた。 激しい揺れと衝撃に身震いしたアスィエが両肩を抱き、ぎゅっと眼をつぶって顔を伏せた。 ……怖い、怖い、嵐みたい……ロイエン、側にいて。 幼い頃、嵐にあい、そのすさまじさに泣いていると、いつもロイエンが励ましてくれていた。今だって、ほんの近くにいるのに。厚い壁にはばまれていた。 モニタに白い四角の到着音がして気が付いて頭を上げた。 『アスィエ様、大丈夫ですか?』 シュティンからだった。 『大丈夫よ、私のことは気にしないで、ミッション遂行して』 強がりではあったが、そのように返事をすることで、自分を落ち着かせようとした。 シュティンが了解と応えた。 急に揺れが止まり、艦体が安定した。 『総員、固定帯装着のまま、待機、状況確認中』 どうやらそのまま航行を続けられるようだった。シュティンがうまくミッションを遂行し、トゥドの役に立てるようにと願った。
続いていた衝撃が納まり、艦体が安定してのち、艦橋で、艦外キャメラの映像を見たシュティンは声も出なかった。それはもちろん、シュティンだけでなく、艦橋にいたものたちすべてが畏怖を感じて震えてきたほどだった。 「やはり……」 艦橋担当官のひとりが操作盤の上で拳を白くなるほどに硬く握って顔を伏せた。 「おそろしい……素子……」 耳に届いていたシュティンがわれに返ってその担当官の襟首を付かんで、席から立たせ、震える拳で殴りつけようとして留まった。 「二度とそんな臆したことを言うな!」 吐き捨てるように怒鳴ってから、叩きつけるようにして席に座らせた。担当官がハイと小声でつぶやき、操作盤に顔を向けた。 小箱が震え、開くと、トゥドからだった。 『鎮化とやらで納まったようだな』 艦外からの映像を艦長室で見ていたのだ。 「はい、素子とレニウスは、速度を上げて、本艦から遠ざかっています」 おそらく、本拠に先行するのだろう。トゥドが、放置していい、本艦も速度を上げるようにと指示して切った。シュティンが手元のボォウドで加速するよう、指示コォオドを打ち込んだ。
第三大陸ティケアのバレー・トゥロォワで『スウリ』と接触していた不満分子を収監させたアートランは、キャピタァル中枢(サントォオル)に不満分子監視の強化を命じ、海獣からの情報を得るために、外に出てきた。 天候が悪化していて、極北海は荒れている。海中の濁りもひどく、近くに『スウリ』の追尾を命じた海獣たちからの伝達を受け取るセティシアンやドゥルゥファンたちが見当たらなかった。しばらく北上しても、魚類はいるのだが、海獣類がいっこうに見当たらない。 ……変だ、いくらなんでも、こんなこと……。 気配を手繰ると、少なくとも、二百カーセルは離れたところでようやくセティシアンを捉えることができた。情報を伝達するために要所要所に遊泳しているように命じたはずなのに、そんな離れたところにいるなど、ありえない。海獣王である自分の命令を無視することはないはずだった。 まさか。 俺の命令を解除した? そんなことができるのは……。 仮面が行方知れずの今、ひとりしかいない。 行方を追うなというのか、それならば、なにかこちらに伝達してくるはずだ。それもなく、海獣たちを遠ざけたとしたら。 「逃す手助けをしていた……」 急に不安が広がっていく。ユラニオゥム強奪を予測してマリィンの護衛につけたクェリスのことが心配になってきた。 海中を驀泳して、一番近くの海獣の群れに向かった。 群れは、三の大陸と四の大陸の間の海域にいて、その近辺にはかなりの数の群れが集まっていた。ようやく、小さなドゥルゥファンの群れに出会い、身体に触れた。 ……どうしたんだ。俺の命令を無視するとは。 キュルルッと音を出しながら、首を振った。 ……知らない、知らない。 なにか、隠してるのかとぎゅぅぅとヒレを掴んだ。 ……ごめん、ごめん、エンジュリンに頼まれた、ティケアからちょっと離れててって。 「……エンジュリンに……」 海獣たちが、アートランの命令よりもエンジュリンの頼み事を優先した。 あいつは本気を出して魔力を使ったことはない。 それはわかっていたが、アートランには、海の中でのことは、自分が一番だという自負があった。それをこうもあっさりと凌駕されてしまうとは。 呆然としていると、別のドゥルゥファンが、アートランの背中に鼻面を付けて、伝えてきた。 ……バレンヌデロイの妹、金色の髪の娘、溺れかかったの、ラ・クトゥーラの海岸に連れていったよ。 アートランは、心配が現実になったと身震いし、全身を輝かせて、海中を睨みつけた。 最速で泳いだが、四の大陸東海岸に到着したのは、翌日の朝だった。その海域には、海獣たちの群れが多く集まっていて、怒りを発散しながら泳いでいるアートランに恐れをなし、近付くと、さあっと離れていき、遠巻きにしてうかがっていた。海獣たちに罪はないというものの、長い間自分に慣れていたのに、寝返られたような気がして、不愉快だった。 なんとかクェリスの気配を感じ取れる距離までやって来た。岩場の間の潮溜まりにクェリスは仰向けになって倒れていた。両側にドゥルゥファンが二頭挟み込み、身体を温めるようにして付き添っていた 「クェリス!」 抱き上げて、膝の上に乗せ、背中を支えた。 クェリスはかなりの打撃を受けていた。背中に岩かなにかにぶつかったような傷があった。すでに薄い痕になっていたが、まだ血が滲んでいて、かなりの傷であったことがわかった。 「エンジュリン……こんな傷を負わせるほど……」 クェリスの頭の中は、悔しさと悲しみに満ちていた。 ……くそっ! くそおっ! 好きだとっ、あんな、あんな異端女が好きだとっ! クェリスは、エンジュリンが好きなのだ。その気持ちを素直でない形でしか表せないが、荒っぽい男のような自分をそのまま好きになってほしいのだ。 エンジュリンには、クェリスの気持ちが分かるはずだった。感情の波、本音の波動を感じることができるのだから。その気持ちを受け入れる気はないのだとしても、自分を好きな女に別の女への想いから本気を出すのはきつすぎる。 いや、それはともかくとして、アスィエを好きになったとしても、ユラニオゥムをトゥドに渡すような真似はありえない。あってはならない。 ……俺は、魔導師じゃない、俺は異端だ! エンジュリンがクェリスに叩き付けた言葉。 「そんなに気にしていたとは」 エンジュリンは、マシンナートの素子研究によって、ファーティライゼーション(人工授精)で出来た。 強大な魔力を持ちながらも、その心はまだ幼いのか、それとも、か弱さがあるのか、メディカルテクノロジイで生まれついたことに深く傷ついているのだ。 「ばかなやつだ、そんな、どうして出来たかなんて関係ないのに」 愛し合う夫婦の間であろうと、客と娼婦の間であろうと、義務で世継ぎを作る王族や貴族であろうと、そして、組み合わせによるテクノロジイの結果であろうと、生まれてしまえば、こちらのものなのだ。どう生きるかが大切なのだ。そんなことはわかっているだろうが、それでも悩み苦しむのが『ヒト』。素子がただの化物ではないという証(あかし)。 「動力以外に使わせることはないと信じるしかないか」 こちらが本気を出しても、勝てる相手ではない。 クェリスを抱きかかえ、空に飛び上がった。
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