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作品名:無限の素子 作者:本間 範子

第5回   序章 異形の少年《ディフェラン》(5)
 市場の方角は真っ暗だったが、その外側は、酒場などの歓楽街で、まだ明かりが点いていた。
 鋳造所がある東側を目指して、走り出した。鋳造所の溶鉱炉は、昼夜を分かたずに煙を出し、三交代で人足たちが働いている。目立たぬように鋳造所を通り過ぎ、湖の中ノ島への浮き橋のたもとにやってきた。浮き橋のところどころにかがり火がついていて湖面に映って揺らめいていた。中ノ島からの搬出は昼の間だけのようで、荷車などは動いていなかった。浮き橋には鉄の門扉があり、施錠されている。高さが三〇〇ルクほどで、両脇二カーセル鉄柵で囲い込んでいた。
 その鉄柵に近付き、柵の間から覗きこんだ。鉄柵の上には、鉄条網が巻きつけられていて、簡単に乗り越えられるようにはなっていない。柵に手を掛け、よじ登り、上までいってから、身体をバネのようにしならせて、後ろ向きに鉄条網を飛び越えた。すとっと柵の向こう側に降り、橋をヒトならぬ速さで走り渡った。中ノ島は木の板で覆われていて、中央に大きな穴が開いていた。穴はまっすぐに下に延びていて、内側が灰色の石の大きな筒状だった。腹ばいになって、その穴を覗き込んだ。
 遥か下の方に灯りが見える。そこには詰所があるらしく、小さな声が聞こえていた。
「……そろそろ交代だな」「……おい、日報書いていけよ」
 五、六人はいそうだった。内側に鉄の階段があり、らせん状になって下まで伸びている。詰所へはその階段を使うのだ。穴の近くに、いくつか鉄のやぐらがあって、太い縄が何本も垂れていた。縄は巻き上げるようになっていて、それで下から鉄を上に上げているのだ。
「……底に……扉がある……」
 鉄の扉のようだった。昼はその扉が開いているのだろう。扉も見ておきたかった。さっと穴の中に身を投じた。すぐに底に達し、膝を柔らかく使って、難なく鉄の扉の上に降り立った。詰所は明々と灯りが点いていて、透明度の高い硝子がはまった窓がついていた。窓の下に潜りこみ、そっと中を覗いた。
 さほど広くはないが、六人ほど男たちがいて、ひとりは壁際の机で何か書き物をしていて、残りの五人は中央の机でラ・クィス・ランジという盤戯(盤上で駒を動かして遊ぶもの)に興じていた。
 詰所の奥に木の板を立てかけているところがあった。ラ・クィス・ランジを横で眺めていた男が椅子から立ち上がり、階段側ではない扉から出てきた。渡し板があって、木の板で囲ってある厠に入っていった。
……あの板の向こうから入るしかないのか……
 さもなくば、足元の鉄の扉が開いているときだ。『使わず』に入るにはなかなか難しいなと階段を駆け上がっていった。

 翌朝、日が昇る前に起きたエンジュリンが共同の井戸で顔を洗い、甕(かめ)の水を取り替えて戻ってくると、イラリアが起きてきた。
「なんだか、いつの間にか寝ちまったようだね」
 てれくさそうに乱れた髪を撫で付けながら、甕に近付いた。
「おや、取り替えてくれたのかい」
 ああとうなずいて、杯に水を入れて渡した。ほおっておけば、下働きがやるのにと呆れていた。ラトレルが起きてきて、顔を真っ赤にして出て行った。
「どっちがお兄ちゃんか、わからないねぇ」
 あんたのほうが落ち着いてると笑った。リギルトも眼を擦りながら起き、朝飯はとエンジュリンを見上げた。
「これから取ってくる」
 夕飯と一緒に朝飯も頼んでいたのだ。夕べの皿を入れた木箱を持って、厨房に向かった。厨房はごった返していて、なかなか順番にならなかったが、ようやく四人分もらって戻った。
 薄焼きパンと豆のスゥウプ、ポォムという赤くて堅い果実が丸ごと。これじゃあ、足りないとリギルトがぐすっと鼻をすすった。エンジュリンが自分の分のポォムを渡した。
「夕べ食べ過ぎてるから、このくらいにしておいたほうがいい」
 うれしそうにポォムを受け取ってうなずいた。
 試合は午後からだから、午前中はのんびりしていなと言い残してイラリアが出て行った。
 朝のうちに少し街を見て歩こうかとラトレルがリギルトをせついた。
「おまえは残っていろ」
 目立ちすぎるからなとエンジュリンに言いつけて、外套を着た。
「中ノ島、見に行くのか?」
 ラトレルが、様子を探らないとと言うので、夕べあらかた見てきたと話した。ラトレルが勝手なことしてとぶつぶつ文句を言いながらも、ふところから紙を出して、インク壺と羽ペンを用意した。見てきたことを書き出して、ふたりに見せた。
「やっぱり、『使わない』で探るの、難しいよ」
 どうしようとリギルトが困った顔をした。
「中に入って調べるのも大変だな」
 ラトレルが、一応出荷帳簿などを見たほうがいいのではと提案した。どうせ裏帳簿をつけているだろう。
「とはいえ、もし本当なら裏帳簿にもつけていないだろうが」
 それでも調べておく必要はあるということになった。
「帳簿関係は城の執務所に保管されてるのでは」
 ヴラド・ヴ・ラシスが関係している自治都市だ。そのへんに抜かりはないはずだ。
「夜になったら、俺とリギルトが中ノ島を探ってくる。兄さんは城を探ってくれ」
 ラトレルがあせった顔で逆の方がいいのではと反対した。確かに中ノ島を探るのは難しいが、城のほうが警戒厳重でもっと難しいはず。そっちを押し付けられてはたまらない。
 エンジュリンは返事をせず、懐から紙を出して何か書き付けだした。あきらめたラトレルがリギルトを連れて出ていった。
 昼過ぎにラトレルとリギルトが戻ってきたとき、エンジュリンはまだ書き物をしていた。リギルトが飲みたいというので買ってきた山羊の乳を木の筒から杯に移した。
「エンジュ兄さん、何書いてるんだ?」
 杯を渡しながら、リギルトが覗き込んだ。数字や模様のようなものの羅列だった。
 ラトレルも覗き込んだ。
「怒られるぞ、師匠(せんせい)に」
 こんなもの書いてるなんて、師匠に報告するからなと取り上げようとした。その前に折りたたんで懐に入れた。
「怒られないと思うけど」
「怒られるに決まってるだろう!」
 ふたりの兄が怒られる、怒られないと言い争いを始めたので、リギルトがおろおろしてやめようよと止めていると、イラリアが戻ってきた。
「さあ、仕度部屋に行くよ」
 エンジュリンがさっと立ち上がって、剣を帯び、イラリアの後について行った。しかたなくラトレルとリギルトも後を追った。
 通路はかなり混雑していた。見るからに闘技士と思われる体格といでたちの男たちが肩で風を切って歩いている。下働きたちもかなり忙しそうで、さらに出し物に出るらしい派手な衣装の連中も行き来していた。
「出し物、おもしろそうだね」
 リギルトが車付きの檻が運ばれているのを見ていた。檻の中で、大きな山猫や熊がうろうろと動き回っていた。
「見てくるといい」
 エンジュリンが勧めると、リギルトがうれしそうに檻の後について行った。
「身体は大きいくせに、中身は赤ん坊なんだから」
 ラトレルが呆れていた。
 修練場の近くに上階に上がる石段があり、上がっていった先に、仕度部屋があった。中には、たらいと湯が用意されていて、真新しい白い下帯が置かれていた。
「それに着替えるんだよ」
 ラトレルが持ち上げて首を捻った。
「なんで、わざわざ下帯を替えるんだ?」
 イラリアがそれで試合に出るんだよと笑った。
「えっ、まさか、下帯だけで?」
 ラトレルが驚いていると、イラリアがその下帯を取り上げて、エンジュリンに渡した。
「特別の懸賞金が掛かってる試合なんだ、派手にやらないとね」
 下帯だけでするのがどうして派手なんだとラトレルが眉をひそめた。
「『御婦人方』が喜ぶんだよ、若い男の裸を見せるとね」
 くくっと笑うのを見て、そんなみだらなまねはさせられないとエンジュリンの腕を引っ張った。
「やめよう」
 イラリアがえっと戸惑った。
「やめるなんて、とんでもないよ、あたしが胴元に殺されちゃうよ」
 眼を真っ赤にしてエンジュリンの腕にすがった。
「俺はやると約朿したらからにはやる」
 イラリアがそうこなくちゃと喜んで出ていった。ラトレルが険しい眼を向けた。
「闘技でなく、ただの見世物だぞ」
 裸同然だ。エンジュリンは、一向にかまわず、服を脱ぎ、湯を使って下帯を締めた。
「はずかしくないのか」
 こくっとうなずいて、肌の上に直接剣の帯を付けた。わかったとラトレルが適当なところで負けろと命じた。エンジュリンがムッとした。
「いやだ。やるからには負けたくない」
「おまえが勝つに決まってる! 勝てば、もっと目立つだろう! いいから負けろ!」
 相手がどんなに強くても負けるはずはない。これ以上勝手な真似をさせては、兄としての立場がない。
 扉が叩かれ、イラリアが入って来た。下帯だけのエンジュリンを見て、顔を赤くして眼を伏せた。これをと鈍い銀色の外套を渡した。さっと肩に回して身体をすっぽりと覆った。


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