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作品名:無限の素子 作者:本間 範子

第49回   第一章 異端の少女《エレズィエト》(37)
 レジヨンのマリィン。艦橋の音探装置のモニタには、エンジュリンらしき物体の位置が緑の光点で示されていた。音探担当官の後ろからずっとそのモニタを見ていた操舵主任シュティンに副主任となったサウリが近寄ってきた。
「そろそろあいつが噴火地点と指摘していた座標です」
 艦外は海水の濁りがひどく、艦外キャメラの捉えた映像でも外の状況はよくわからなかった。しかも、両脇は崖のように切り立った壁に囲まれていて、ひどく曲がりくねっている。艦の位置を示す座標デェイタが激しく数値を変化させて、複雑な経路を辿っていることを示していた。艦体も小刻みに艦首を動かすので艦内は緊急体制を取っていて、要員以外は各部屋にて待機することになっていた。たしかにエンジュリンのもってきたコォオドによるナビゲェィトがなければ、この海域を通ることはできないだろう。 だが、それでもなお、不安は残っていた。
 果たして噴火はするのだろうか。そして、無事にこの難所を通過できるのだろうか。
 シュティンは、ぐっと奥歯を噛み締めた。このグランヴァウルでアートランの追尾を振り切り、目的地、レジヨンの本拠『スィランドゥル』に向かう。そこを拠点として、三者協議会『デリベラスィオン』に抵抗し、テクノロジイの存続を勝ち取るのだ。トゥドから聞かされたミッションがうまく運べば、三者協議会は分裂、あるいは解散し、マシンナートは素子たちの支配下から逃れることができる。そう信じて進む。その機が近付いているのだ。シュティンは次第に緊張が高まる中、操舵主任席に戻った。
 
 ロイエンは、インクワィアとはいえ、シリィとして育ったために、ボォウドも打てず、コォオドについての知識はおろかジェネラル(基礎知識)もほとんどないので、ワァカァの職務である清掃担当員としてのワァアクを割り当てられていた。
 訓練区画の床を吹き終え、艦底に近い管理作業区画でモップの洗浄をしていた。マリィンには、清掃担当員のワァカァも乗艦している。そのワァカァたちが、洗浄や後片付けをロイエンに押し付けていて、ロイエンはひとりでモップを洗っていた。艦内放送で何か言っていたが、聴いた事のない言葉ばかりで、何を言っているのかわからなかった。そのため、宛がわれていた部屋に戻らずに作業を続けていたのだ。
 なんとか、モップを洗い終え、清掃道具を片付けて、部屋に戻る前に、アスィエに会いに行こうとした。
 素子が怖いから側にいてといわれたのに、側にいることが出来なかった。護衛班もいるし、トゥドが許すはずはないから、あの魔導師がアスィエに近付くことはないだろう、しかし、自分で守りたかった。
 通路を艦首に向かって歩いていくと、いつもはヒトが行き来していたり、作業している区画なのに、誰もいなかった。変だなとは思いながらも、見咎められずに済むかと足を速めた。アスィエのいる副艦長室の前には、いつもなら護衛班の黒つなぎが立っているが、それも今はいなかった。ロイエンは胸をなでおろし、扉の横にある茶色の硝子−認識盤の下にある呼び出し釦を押した。すぐに扉が開き、入ろうとしたところ、中から黒つなぎが出てきて、ロイエンを突き飛ばした。
「あうっ!」
 ロイエンは、通路の反対側の壁に背中を押し付けられた。
「警戒態勢レェベェル五が発動されている。なぜ部屋から出た」
 黒つなぎがぐいぐいと壁に押し付けた。ロイエンは知らないと首を振ると、そんなはずはないと殴りつけた。
「なにするんだ!」
 抵抗しようとしたロイエンの胸先に短身のオゥトマチクの銃口が向けられた。ロイエンもそれが鋼鉄の球が出る武器だということは知っている。警戒しながらも、肩越しに扉を覗き込んだ。
「アスィエに会いたいんだ。部屋に入れてくれ」
 すると、黒つなぎはオゥトマチクの台座でロイエンの額を殴った。
「がっ!」
「アスィエ様と呼べ!」
 膝を折ったロイエンの腹を容赦なく蹴りつけた。
「おまえとアスィエ様では立場が違うんだ、なれなれしくするな!」
 さっさと部屋に戻れと言われて、ロイエンはふらっと立ち上がり、壁を伝うようにして、よろけながら、もと来た方向へと歩き出した。
 乱暴されたことの痛みより、心の痛みがひどかった。
 幼い頃、『島』の秘密の洞窟で、ふたり、内緒の学習をした。あの頃から、ずっと、アスィエと一緒にいると決めていた。アスィエも同じ気持ちだったはず。引き裂かれ、離れ離れになって、つらかった。もう一生会えないのなら命を絶ってしまおうかとも思いつめた。
 せっかく、会えたのに。側にいられないなんて。なんだ、立場が違うって。
 痛む身体を動かして、部屋に戻った。個室ではなく、ワァカァの作業員との共同で、狭い中に壁に二段寝台が向かい合って四台、ロイエンのほかに三名いる四人部屋だった。
 暴行を受けたのが明らかなロイエンの様子にも、声を掛けるものもなく、入って右側の上の段によろけるように上がっていった。
 悔しさに堪えきれず、嗚咽を漏らした。ようやく、下の寝台に寝そべっていたひとりがタオルを濡らし、梯子を登って差し出してきた。
「ほら、冷やせ」
 年の頃は、四十半ばくらいのがっちりとした体格のワァカァだった。ロイエンがアスィエとは近しい間柄のようだという噂は聞いていた。生まれはインクワイァらしいが、シリィとして地上で育ち、テクノロジイ擁護の違反を犯してカージュに収容されたとのことだった。ロイエンが濡れタオルを受け取り、額に当てた。
「逆らったんだろう、上に」
 痛い思いしたくないなら、逆らわないようにしたほうがいいと忠告した。悔しそうに顔を泣き崩し、濡れタオルで顔を覆った。その頭をポンッと軽く叩き、下段に下りようとしたとき、急に艦体が大きく揺らいだ。
「わあっ!」
 手すりから手が離れ、落ちそうになった男の腕をロイエンがつかんでいた。
「大丈夫か!?」
 同時に激しい警告音とともに艦内放送が流れ出した。
『警戒警報発令、海底火山の噴火による衝撃、警戒レェェベェル、五から六に上昇』
 抑揚のない女の声が響く。底に何か当たっているようで、ガンガンッと音と衝撃があり、艦体が左右に大きく揺り戻りを繰り返している。
『総員、固定帯装着、グランヴァウルの噴火地点を通過する』
 操舵主任シュティンが緊迫した様子で指示していた。寝台の上と下のふたりが床に降りて、壁に背を向けて座り、壁の突起から固定帯を出して、装着した。ロイエンに腕を掴まれて床に落ちずにすんだ男がロイエンにも降りるようにと手招きした。ロイエンがよくわからないままに上段から降りていく。男が床に座らせて、固定帯を装着してやった。自分もその隣で帯を着けると、また艦体が大きく揺らいだ。固定していない備品が飛び交う。
「これじゃあ、用具や什器がめちゃくちゃだな」
 後片付け大変だとぶつぶつつぶやいているものに、さきほどの男が叱りつけた。
「後片付けのことなんか心配してる場合か!」
 無事でいられるかどうかだぞと天井を見上げた。
 ロイエンは南方大島での嵐を思い出して、拳をぎゅっと握っていた。天地を揺るがす風雷、石が混じっているかと思われるほど肌に当たると痛い強雨。アスィエはその猛威に泣き震えていた。そんなときは、いつも自分がきつく抱き締めて励ましていたのだ。
「アスィエ、怖がってる、きっと」
 側にいてあげなきゃ。
 しかし、自分がなにもできない無力さにただ悔しくて震えていた。


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